5月1日、午後に福江港を出航するジェットフォイルまでの時間が観光である。この日は先ほど訪ねた鬼岳を含め、島の東側から南側にかけてのエリアを回る。またも複雑な海岸線を行くが、波もほとんどなく水面も透明である。ところどころに生簀があるのは「近大マグロ」の養殖だという。近大マグロが五島に?というのも不思議な感じである。確か和歌山沖で育てていなかったか。
これはガイドSさんからではなく後でネットで調べたことなのだが、近畿大学と豊田通商が技術協定を結び、2010年に豊田通商の手でクロマグロの量産を行うべく、新たに福江島に養殖拠点を設けたとある。当初は和歌山などから稚魚を移送していたが途中で半分が死んでしまうということで、福江島に種苗センターを設立し、卵からふ化させて稚魚にするところまでも福江島で行うようにした。それが成功し、近畿大学から「近大マグロ」のお墨付きを得たという。今後は養殖業者や高級店への販路を広げる方向で、資源保護のためにヨコワの漁獲量が制限される中、安定供給に向けての大きな進歩である。今回はマグロを口にすることはなかったが、五島の新たな名物が近大マグロ!となる日が来るかもしれない。
そんな入江の岬にある堂崎教会に着く。1908年、キリスト禁教令の廃止以降五島列島で最初に建てられた本格的な聖堂である。教会はそれまでに水ノ浦を含めて他に建てられていたが、近代建築による聖堂が初めてということだろう。建物の設計はペルー神父、施工は鉄川与助という、前日の教会めぐりでも登場した人たちである。レンガ造りの建物というのも五島で初めてということだが、周囲の穏やかな景色とよくマッチして見える。
境内には3つの像がある。まずは「宣教」として、戦国時代、アルメイダが五島で布教した様子を描いたもの。続いては「受難」として、豊臣秀吉の手で長崎で処刑された26聖人の一人、五島出身のヨハネ五島が磔に遭うもの。そして「復活」ということで、五島に再びキリスト教を広めたマルマン、ペルーの両神父が子どもたちに寄り添うもの。五島におけるキリスト教の本格的な復活がこの堂崎の地から始まったことの象徴という。
内部はミサも行われる祈りの場だが、資料館としての位置づけでもある。そのためここだけ入館料がかかるが、キリスト教弾圧、禁教時代の潜伏キリシタン関連の史料を見せる、見ることができるのは意義あることだ。
五島に潜伏キリシタンが多かったのは元から島にいた人に加えて、江戸時代に九州本土から移り住んだ人が多かったからという。1790年代、領地開墾のために五島藩は大村藩に農民の移住を要請した。大村藩は領内の潜伏キリシタンの追放をもくろんでいたことから利害が一致したし、キリシタンも大村藩からの迫害を逃れたいと、新天地に希望を抱いた。その結果、約3000人が海を渡ったという。
ただ、移住したからといって話は甘くない。実際はあてがわれた土地は開墾に適さない、条件の悪いものばかりで、苦しい生活が続いた。天国だと思って渡った五島たが実はここも地獄だった・・という内容の歌もあるほどだ。
その中にあってキリスト信仰を捨てずに必死で生き延びてきた人たちである。その後、明治になっての「五島崩れ」という弾圧もあったが、ようやく信仰の自由を得て各地に教会を建てるようになった。その集大成とも言えるのが堂崎教会である。
ガイドSさんによれば、日本のカトリック教会は1023ヶ所あり、このうち132ヶ所が長崎にある。その132ヶ所のうち50ヶ所が五島列島にあり、さらに分けると福江島に13ヶ所、上五島に29ヶ所あるという。上五島のほうが教会が多いのは、大村藩から移住した人たちが島伝いに渡ったからだとか、上五島の狭い土地しか与えられなかったからとも言われていて、いずれにしてもそうした集落に教会ができたためだという。ただ現在は過疎化の影響で、福江島にせよ上五島にせよ、一つの教会で信者が数人しかいないところが多いという現実がある。普段は閉めていて行事の時だけ開けるところもあるそうだ。
何の脈絡もないが、キリスト教が「八十八所めぐり」のように「教会巡礼」を開くのもありでは・・などと勝手なことを思う。
五島のキリスト信仰に関する史料も多く保存されている。その中で多数のマリア観音像が目立つ。観音像は慈母観音や子安観音など、子どもを抱く母親の姿で表されることも多いからカムフラージュには適した仏様と言える。よく見ると十字架があるとか、隠し扉の向こうにキリスト像があるとか、さまざまなものである。武将像に似せたものもある。
ヨハネ五島の聖骨が祭壇に祀られている。処刑後の遺骨はマカオに送られ、歳月が経ちその一部が聖骨としてマニラを経て五島に戻って来た。堂崎教会は殉教したヨハネ五島を特に顕彰している。
由緒ある堂崎教会だが、実は、長崎・天草キリスト教関連の世界遺産に含まれていない。五島に行くなら何かしらの世界遺産にも触れるのかなと思っていたが、そういえばツアーの案内にも世界遺産の文字がなかった。ここも違っていたのか。
堂崎教会は、潜伏キリシタンの歴史には欠かせないスポットということで当初は暫定リストの中に含まれていたが、最終的な登録申請にあたって構成遺産の見直しが行われ、その中で除外されたそうだ。現在は「世界遺産の構成遺産と一体的に保存・継承していく遺産」という言い訳めいた位置づけとされている。
別に世界遺産だから優れているとか一級のスポットだとかいうものではないが、多数のスポットを一つのストーリーにまとめて世界遺産とする・・・というのもなかなか難しいものだろう。私の地元・藤井寺市も百舌鳥・古市古墳群の一部を形成することから世界遺産登録に向けて動いているが果たしてどうだろうか・・(と書いた後で、百舌鳥・古市古墳群が世界遺産登録内定となった。これについては別に触れることにする)。
普段接する機会がほとんどないキリスト教関連のことも五島に来て少しは学べたことを意義に感じ、次のスポットに向かう・・・。