まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第11回九州西国霊場めぐり~いざ、軍艦島へ・・しかし上陸ならず

2022年08月03日 | 九州西国霊場

「軍艦島上陸クルーズ」の午前便の船は寄港地の高島を出航。防波堤の釣り人も手を振って見送ってくれる。高島から軍艦島まではおよそ3~4キロといったところか。中ノ島を過ぎていよいよ沖合に近づく。

クルーズ船はいったん停まり、上陸可能条件に当てはまるかの最終確認を行うという。ただ、先ほどの話からして、条件の一つである波高0.5メートル以下というのが厳しそうだ。それどころか、周りには雲も広がり小雨すらぱらついてきた。おそらく、上陸は無理だろう。

上陸可否の回答を待つ間、周囲をクルージングするという。まずは島の西側、コンクリートで固められ、小中学校、病院、社宅が並ぶ一帯である。

続いて、「島がもっとも軍艦らしく見える角度」として、島の南西まで船を走らせる。軍艦島という名前は、その姿が軍艦「土佐」に似ているからということだが、外海に面した側ということもあり、島に住んでいた人でもそれほど目にする景色ではなかったそうである。ガイド曰く、「軍艦島」と呼んでいるのは外からの見学・見物客で、島の人たちはあくまで正式名の「端島」と呼んでいたという。

元々の端島は小さな岩盤に過ぎなかったが、石炭の採掘で出たボタで海底を埋め立て、その上をコンクリートで固めてできた島である。最盛期には東京23区を上回る人口密度を有し、高層マンション、病院、学校、ショッピングセンター、娯楽施設があり、当時としては家電の普及率もほぼ100%だったという。神社もあり、御輿をかつぐ祭も行われていた。

そうかと思えば、ビルの上に土を盛り、田んぼや畑も作っていた。これは食料を自給するわけではなく、緑がほとんどない島の子どもたちへの情操教育の一環だったそうだ。さらには、ベルトコンベアが社宅の建物の中を通っていたという事例もある。そこまでやるか、という感じである。何が何だかカオス状態に思うが、ありとあらゆるものがこの限られた空間に詰め込まれていた。そして地下に長く伸びる炭鉱・・・。

生活が決して快適とは言い切れない軍艦島、いや端島に多くの人が集まったのは、生活のため、石炭を掘って生きる糧を得るためである。

ちょうど、崩壊が進む30号棟が見える位置に来た。昨年の秋に「余命半年」と告げられた建物である。遠目ではあるが、手持ちのパンフレット写真と比べても確かに空間が大きくなっているように見える。

本来であればここから上陸する桟橋まで回り込んだところで、船長から正式に上陸中止の案内放送が流れた。別に乗客から「えー」という声が出ることもなく、仕方ないなという雰囲気だった。やはり夏の時季は上陸が難しいようで、あるクルーズ船会社の過去のデータを見ても、厳しくなった現在の上陸可能条件よりも前の期間を見て、もっとも「上陸率」が低かったのは毎年7月だとあった。自然相手のことなので何とも言えないが、今後西九州新幹線で長崎を訪ねる旅行者の皆さんに向けても発信すべき情報だと思う。

まあ、上陸できたとしても立ち入ることができるエリアはごく限られているし、皆さんが期待している?廃墟群に入れるわけでもない。あまり上陸、上陸とあおるのではなく、クルーズ船で島の外周からじっくりと建物を見るのがメイン、そして訪ねるほうも「運がよければ上陸できることもある」くらいの気持ちで乗船したほうがよさそうだ。

・・・と、達観したかのようなことを書いている私だが、過去にもクルーズ船で周回し、一度上陸したことがあるから気持ちに余裕があるところで、これがもしまったく初めての軍艦島だったらどういう反応を示しただろうか。

最後に、「端島の面影をもっともよく残す角度からの景色をご覧いただき、島を後にします」とのアナウンス。自然の岩盤、そして緑がかろうじて残る側からの眺め。軍艦という仰々しい名前ではなく、本来の島の姿、そしてわずかな時代ながら華々しかった島が自然に戻る様子を語っているような表情である。現在は、元々住んでいた人でも上陸できる条件は同じく限られている端島。名残惜しいがクルーズ船は進路を長崎港に向ける・・。

この後、同じく軍艦島を目指す他社のクルーズ船ともすれ違うが、同様に上陸できないことだろう。それぞれ運航する時間が少しずつずれているので、ひょっとしたらどこかの会社が訪ねた時だけ波高が収まるとか、風が弱まるとかいう奇跡が起こるのかもしれないが・・。

伊王島大橋、女神大橋とくぐって再び長崎港へ。昔からのドックや、高台の上にあるグラバー亭も見る。港に戻るにつれて雲も厚くなったようである。今にも雨が降り出しそうだ。

予定より30分以上早く、元の乗り場に戻って来た。上陸できなかったので、上陸チケットと引き換えに上陸料310円を払い戻すという。310円はいいから、チケットを記念に持ち帰ろうかとも思ったが、係の人が予約リストと照合しており、払い戻さないと後で連絡が来ても面倒なので素直に310円を受け取る。これは、この後の納経料になるな・・。

さて、これから本題の九州西国霊場に戻る。第25番の清水寺は市街地にあり、路面電車の1系統の終点である崇福寺電停からすぐである。昼食の前に寺に行こうと、最寄りの五島町電停から路面電車に乗り込む・・・。

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