8月7日、この日の京都も暑くなりそうだ。マンスリーマンションに手を付けた感じのホテルリブマックス京都駅前をチェックアウトして、JR京都駅のコインロッカーに荷物を預けて地下道へ。地下街の店はまだ開いていないが、ここから地下鉄烏丸線に乗車する。さすがに地下鉄ホームや車両内(ちなみに近鉄からの乗り入れ車両)は冷房が効いていて過ごしやすい。
今回、あみだくじで出た目的地は下鴨神社だが、その周りのどこの札所を押さえようかといろいろ考えていた。その結果、まずは京都22番の上賀茂神社まで行き、そこから南下して下鴨神社、そして賀茂川を渡って徒歩でも行けそうな御霊神社、相国寺とたどることにした。下鴨神社の北と西を押さえる作戦である。この日は広島に戻る都合で13時台に京都を出る新幹線に乗ることにしており、回れるのはこの4ヶ所くらいかと思われる。
上賀茂神社へは京都駅からバスも出ているが、市街地を通ることを考えると地下鉄で行ったほうが時間短縮となる。いくつかの駅を通過して、北大路で下車する、ここから地下道でつながっている北大路バスターミナルに向かう。各方面へのバスがある中で、京都産業大学方面への系統に乗り込む。学生らしい乗客も多い中、バスは賀茂川沿いを走る。
御園橋を渡り、上賀茂神社の鳥居が見える。ここに来るのも何年かぶりだが、正面に新しいロータリーができており、大鳥居が建てられている。今渡って来た御薗橋も最近拡張されており、それに合わせて道路から神社の存在がよく見えるようにということで新たにロータリーも改修し、大鳥居を設けたそうだ。
改めて一の鳥居をくぐる。鳥居の横には正式名称である「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)」の石標もある。ちなみに山城国の一の宮である・・(現在のところ、全国の一の宮を回ろうという構想は私の中にはない)。
上賀茂神社の祭神は賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)で、各地の加茂神社(賀茂神社、鴨神社)で祀られている。かつてこの地を支配していた賀茂氏の氏神でもある。「風土記」などの記述では、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)の娘の玉依姫が賀茂川で遊んでいたところ、川上から丹塗矢が流れてきて、それを持ち帰って寝床の近くに置いたところ、玉依姫は懐妊して男の子が生まれたとある。この生まれた男の子が賀茂別雷命だという。
なお、賀茂建角身命と玉依姫は下鴨神社の祭神として祀られている。こちらの正式名称は「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」である。賀茂の神様の母親、祖父の神社ということで「御祖」というのならよくわかる。ただ、正式名称だと区別がつきにくかったり、わかりにくかったりということがあったのだろう、いつしか、上賀茂神社、下鴨神社という通称が一般的になった。私も、神仏霊場めぐりで初めて正式名称を知った。
上賀茂、下鴨と並ぶと、どちらから先に参拝すべきか、下鴨が母親を祀っているなら下鴨が先かなと迷うところだが、ものの本によると特にどちらから先に参拝しなければならないとか、片方だけなら片参りになってしまうとか、伊勢神宮のような決まりごとはないそうだ。また、この上下というのも、立場や格式の上下ではなく単に地図で見て上下にあるからついたそうである。だからそこは気にせず、今回は時間の都合上、先に京都駅から遠いほうに行って、そこから戻るコースとしたために上賀茂神社からの参拝とした。
上賀茂神社の由緒としては、賀茂別雷命がこの地の北にある神山(こうやま)に降臨したのが始まりとされ、天武天皇の時に社殿が築かれたとある。そのため、京都でもっとも古い神社としての歴史を持ち、平安遷都の後は山城国の一の宮として高い地位にあった。先ほど、上賀茂、下鴨の上下は格式の上下ではないという説を紹介したが、こうして見ると上賀茂のほうが上ではないかな・・と思ってしまう。京都三大祭の葵祭の行列ルートは京都御所を出て下鴨神社を経由して上賀茂神社に向かう。道順もあるだろうが、やはり神山に手を合わせるとなると、上賀茂のほうがメインイベントとなるだろう。
二の鳥居の前に神馬舎がある。神山号という神馬が奉仕しているそうだが、「神山号は暑さに弱いため夏休みにさせて頂いております」との貼り紙。「次の『出社』は9月11日以降の日曜祝祭日の予定」とある。そりゃ、この暑さは馬もたまったものではないだろうが、「出社」って・・・一瞬、サラリーマンかよと思った。ああでもそうか、神社に出てくるなら「出社」やね。
二の鳥居をくぐるとまず正面に見えるのは細殿。平安時代の様式を今に残している。古くから天皇、斎王などが参拝する際に、ここに入り装束を整える時の建物である。現在は神前挙式の場として神社側もPRしているところだ。
この前に一対の立砂がある。賀茂別雷命が降臨した神山をかたどっており、神を招く憑代である。盛り塩や、鬼門にまく清めの砂の起源ともいわれている。
境内には小川が流れている。「ならの小川」と呼ばれ、、かつて御饌を盛るための葉で使われた楢の木が茂っていたという。百人一首の98番「風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける」(従二位家隆)の舞台とされている。暑さの中でホッとする眺めである。この時はいなかったが、ならの小川に足をつけたり、子どもが川に入って涼むのが今も上賀茂神社の夏の風物詩だという。
その小川にかかる橋も由緒あるもので、重要文化財に指定されている。
朱塗りの楼門をくぐり、奥には国宝の本殿、権殿である。現在の建物は江戸時代末期に建て替えられたものという。7月9日~9月30日の間、「京の夏の旅」として、昇殿しての特別参拝、神官によるガイドが行われるとあったが、受付開始までまだ早いのと、この先があるので見送りとする。中門のところでお参りとする。
ちなみに、上賀茂神社では平安時代以降、21年に一度式年遷宮を行うとしており、最近では2015年。次は2036年とある。伊勢神宮のように社殿をまるごと取り壊して新たに建て替えるのではなく、屋根の葺き替えや塗り直しの作業を行うもので、いわば定期的なメンテナンスのようなものかな。とはいえ、式年遷宮として古来から続くきちんとした儀式は執り行われる。そうした時などに一時的に祭神が移されるのが権殿である。
境内の一角に、片山御子神社というのがある。摂社・末社の中で第1摂社とされ、片岡社とも呼ばれている。玉依姫を祀っており、縁結び、子授け、安産の神として古くから信仰を集め、紫式部も参拝したと日記に記載している。その紫式部らしい十二単をまとった女官をあしらった絵馬がびっしりと奉納されている。それをめくってどんなお願いが書かれているのかを見る・・のは野暮なのでやめておこう。
境内を一回りしたところで朱印をいただく。墨書はもちろん「賀茂別雷神社」である。また、「山城国一之宮」の達筆も入る。
さて、次は下鴨神社に向かう。市バスで下鴨神社前を経由する系統があるが、賀茂川沿いにまっすぐ走るのではなく、周辺の住宅地や左京区総合庁舎などをぐるり経由する。30分ほどで下鴨神社前も通るが、せっかくなので糺の森も通ってみようと、最寄り駅である出町柳駅前まで乗車する。