まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第3回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~宇美八幡宮へ

2022年08月28日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

8月15日、徳山から山口県内の中国四十九薬師霊場を回り、関門トンネルをくぐって九州に入り、九州八十八ヶ所百八霊場の第8番・隆照寺を訪ねた。

その帰り、宿泊先に向かう途中で、先ほど前を通過した宇美八幡宮に立ち寄る。宇美という地のシンボルと言えるスポットである。

宇美八幡宮の歴史は古く、神功皇后が三韓征伐から帰還する途中、この地で応神天皇を産んだとされる。後に敏達天皇の時に、応神天皇を祭神として祀ったのが始まりという。現在の宇美という地名も、「産み」に由来するという。

外の鳥居をくぐった時から、境内に巨木が目立つのに気づく。境内全体が「子安の杜」として、古くから子宝、安産、育児の信仰を集めている。子どもがこうした木々に守られている、木々のゆりかごの中にいるかのように見える。

まずは拝殿にて手を合わせる。子宝、安産祈願での参拝が多いというが、そこから派生して八幡宮は殖産興業(こちらも、さまざまなものを「産み出す」ことにつながる)のご利益にも通じる。

境内には神功皇后が応神天皇を産んだ出来事に由来するスポットも多い。まず拝殿の横にあるのは「子安の木」。神功皇后はえんじゅの木の枝に取りすがり、応神天皇を産んだという。その木が今も種を絶やさず受け継がれているそうで、えんじゅは安産のお守りにも使われているという。

そのまま社殿の左側から回る。奥のクスノキの巨木は「衣掛の森」として国の天然記念物に指定されている。これ自体が信仰の対象にもなっているようだ。神功皇后が応神天皇を産んだ時、着けていた産衣を掛けたことからこの名前がついた。

その奥には産湯に使ったとされる水が湧き出ている。祠の脇でちょろちょろ出ていて、ペットボトルにでも汲んで持ち帰れそうだし、そうする人もいるのだろうが、飲むのは違うように思う。こういうのも信心のものだが、例えば実際の産湯の中に成長を願ってちょっと入れるとか、そうした願いを込めるものだろう。

社殿の背後にあたる場所に「子安の石」がある。これでもかと石が積み上げられていて、そこにはお子さんの名前、生年月日がマジックで書かれている。2022年、令和4年と書かれたものが多い。その仕組みとは、宇美八幡宮で安産祈願を受けた後、ここの子安の石からどれか一つを預かって自宅で祀る(どれにするかは直感でよいとのこと)。そして無事出産すれば、自身で新しい石を用意してお子さんの名前、生年月日を記して、預かった石と一緒に奉納する。自分の前に無事出産した人のご利益にあやかり、そして次に別の人の出産の力へと受け継ごうということだ。いつ頃から行われた慣習かはわからないが、よいことだと思う。自身が産んだ○○ちゃんは、石に書かれた△△ちゃんともつながっているように感じられるのだろう。

社殿の右側に出て、またもクスノキの巨木に出会う。「湯蓋の森」といい、神功皇后が応神天皇を産んで産湯を使った時、クスノキの枝葉が産湯の上に蓋をしているかのように見えたことから名づけられた。先ほどの衣掛の森とともに樹齢は2000年と言われていて、国の天然記念物に指定されている。

境内を一回りして参拝を終える。軽自動車を走らせ、香椎線の終着である宇美駅前を通る。国鉄時代には宇美駅というのはここ香椎線と、もう一つ勝田線にあった。もっとも同じ敷地で乗り換えではなく、100メートルほどとはいえ離れていた。宮脇俊三の「時刻表2万キロ」でも、同じ国鉄宇美駅なのに香椎線と勝田線で場所が異なっていて慌てる場面があった。

この2路線の違いは、異なる2つの私鉄が前身になっていることによるもので、現在残っているJR香椎線は、西戸崎まで石炭を運ぶことを目的とした博多湾鉄道が前身である。一方、勝田線の前身は、石炭の輸送と宇美八幡宮の参拝客輸送のために敷かれたのが筑前参宮鉄道で、宇美駅は博多湾鉄道とは少し離れた場所に設けられた。いずれも炭鉱路線だったのに、香椎線が残って勝田線が廃止になったのは線区ごとの営業係数等によるもので、香椎線は香椎~西戸崎の区間があったことで生き延びたのかもしれない。一方、廃止となった勝田線の志免駅跡には、炭鉱跡も含む記念公園があり、機会があれば訪ねてみたいものである。

さてこの後は軽自動車をもう少し走らせ、篠栗線の門松駅近くにある「ホテルAZ福岡篠栗店」に宿泊。翌日は若竹山の札所を回った後、飯塚、直方の筑豊エリアを目指すことに・・・。

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