まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第11回九州西国霊場めぐり~いざ、軍艦島へ・・高島に立ち寄る

2022年08月02日 | 九州西国霊場

7月24日、長崎訪問の2日目である。前日は晴れの時間が長かったが、この日は曇り、ところにより雨の予報である。まず午前中に軍艦島への上陸クルーズに参加して、戻ってから九州西国霊場第25番・清水寺を訪ねるのだが、軍艦島については海上の状況により上陸できない場合がある。天候はどうなるだろうか・・。

まずはホテルでの朝食。朝食会場が密になるのを防ぐためとしてテイクアウト方式を取っている。昨今ではバイキング形式に戻すホテルも増えていると思うが、時間となって受取場所のレストランに向かうと、客室数もそれなりにあるホテルにしては手狭に見えた。まあ、これならテイクアウトも仕方ないだろう。メインメニューは皿うどん。主食はライス、パンのいずれかを選ぶ方式だが、主菜が皿うどんというのはどちらに寄せればいいのだろうか・・。

チェックアウトして駅のコインロッカーに荷物を預け、海べりの県庁を右手に眺めながら歩き、「軍艦島上陸クルーズ」の受付場所に向かう。2014年に乗船・上陸した時は「軍艦島コンシュルジュ」を選んだが、今回は別業者である。

現在、軍艦島へのクルーズ船を運航しているのは5社で、それぞれにアピールしている点がある。その中で今回「軍艦島上陸クルーズ」を選んだのは、軍艦島の手前にある高島に立ち寄るというのがポイントだった。高島にて、軍艦島のかつての姿を精巧に復元した模型や、石炭資料館の見学もコースに含まれている。クルーズ船3600円、上陸料310円を一緒に支払う。仮に上陸できなかった場合は軍艦島上陸料は返金されるという。

乗り込むのは「ブラックダイヤモンド」という名前のクルーズ船。「黒いダイヤ」・・まさに石炭である。定員は200名とある。9時10分の出航で8時10分が受付開始、船内は自由席ということで乗船口には長い列ができる。

乗船開始となり、外の景色を存分に眺めようと、上段のデッキ席後部に陣取る。集合時刻の8時50分が近づくとデッキもほぼ埋まる状態となった。さすがは軍艦島の集客力である。

本来は9時10分出航なのだが、予約客が20分前の集合時刻をきっちり守り全員揃ったということで、定時を前倒しして8時55分には船が動き始めた。

まずは長崎港の中を進む。右手に見えるのは三菱重工業長崎造船所のドックをはじめとした施設群である。開港以来、長崎の製造業を支えてきた名門である。竣工以来100年以上経過した現在も現役で稼働しているドックもある。その奥には、迎賓館として使われている(普段は公開されない)占勝閣という建物もある。他にも護衛艦やら大型船の姿を見る。

長崎港の両側を結ぶ女神大橋をくぐる。前日は国道でこの下をくぐったが、より低い海面から見ると改めてその高さがうかがえる。橋を架けるにしてもこれほどの高さにしなければならない、それだけ大型の船舶がここを出入りするのだなと改めて認識するところ。女神大橋を抜けると海も開けてくるが、その分、風、波が少し強くなった。この位置でこの状況だと、軍艦島への上陸は厳しいかもしれない。軍艦島への上陸基準も2021年以降厳しくなったと聞いている。

マリア像も立つ神ノ島教会や、もう1ヶ所の長崎造船所のドックを見た後、伊王島大橋をくぐる。ここは前日渡ったが、歩道も設けられていて歩行者、自転車の姿もあった。確かにこの橋で本土とは陸続きにはなったが、フェンスも低かったし、私などはこの橋を渡るのは結構勇気がいりそうだ。風や雨の日は特に・・・。

伊王島を過ぎると波がより高くなった。座っていても手でどこかを握らないと持っていかれそうな場面もある。ただ、何もない大海原に漕ぎ出すのではなくまず寄港する高島が遠くに見えているぶん、まだ安心ではあるが・・。

長崎港から30分ほどでその高島に上陸。高島は江戸時代から石炭の採掘が行われており、明治の初めにトーマス・グラバーにより近代鉱山として開かれた。後に岩崎弥太郎の三菱により本格的に開発された。その後、過酷な労働問題や爆発事故など、さまざまな歴史もあったが、軍艦島より後の1986年まで操業していた。今も残るマンション群はかつての炭鉱労働者の住宅の名残である。

クルーズ船から下車した客はそのまま石炭資料館に誘導される。建物の前には大型かつ精巧な軍艦島の模型があり、まずはこちらに集まる。説明してくれるのは、先ほどからクルーズ船でもガイドをしていた男性。

その話の前にお断りとして、「今の状況では軍艦島には上陸できない」と言う。先ほど「軍艦島の上陸基準が厳しくなった」と書いたが、長崎市の条例によると、以下の3点のうち一つでも該当すると、軍艦島上陸のための桟橋の利用不可という。

1.風速が秒速5メートルを超えるとき

2.波高が0.5メートルを超えるとき

3.視界が500メートル以下のとき

この日、先ほど伊王島を過ぎたところで波高が0.5メートルをわずかながら超えていたそうだ。最終的には軍艦島近くまで行き、改めて波高などを確認して船長が判断をするという。なお、晴天だった前日23日、クルーズ船運航5社すべてが午前・午後のどちらも上陸できなかったそうだ。さらに言うと、4~5月は比較的上陸率も高かったそうだが、6月以降は一転して上陸率は4~5%ほどしかないとのこと。この条件で行くと、そもそもの話として夏場というのは上陸には不向きで、年間を通しても上陸できるのは100日程度しかないという。

・・・前回、私が訪ねた2014年の元日も冬のことで波は結構あったと思うが、その時はまだ基準が緩やかだったから「船長の頑張りによって」上陸できたということだろう。

軍艦島から人が去って約50年、廃墟となった建物の風化も進んでおり、放っておけば崩壊する危険性もある。案内で触れられていたのが、1916年、日本で最初となる鉄筋コンクリート造りのアパートである「30号棟」。軍艦島へのクルーズ船での上陸が許可された2009年、また軍艦島が世界遺産に登録された2015年と比べても、大雨や台風の影響で建物の崩落が進んでおり、2021年秋には調査に携わった東大の教授から「余命半年」と告げられた。現在はその時からすでに半年を経過しており、「崩壊のカウントダウンが始まっている」という。

上陸基準を厳しくしたのは、建物の崩落に遭うリスクを少しでも減らす意味合いもあるようだ。

模型の説明が終わった後で石炭資料館を見る。ただ、多くの客が一度に押し掛けるし、見学時間もそれほどないので、速足で一回りしてそのまま外に出る。

石炭資料館の前、岩崎弥太郎の像の下には何匹もの猫がたむろしている。今の高島は釣りで訪ねる人も多く、そのおこぼれを頂戴できるというので猫の島でもあるそうだ。

高島から軍艦島へは10分ほど。上陸できるか否かの最終判断のために、ともかく島に近づく。その前に隣の中ノ島に近づく。当初はこちらも海底炭鉱の島として開発が試みられたが断念し、代わりに軍艦島の人たちの公園(島のてっぺんには桜の樹が植えられ、花見を楽しんだ)として、また島には設けられなかった火葬場、墓地として使われたという。

ここまで来て目の前には軍艦島・・・正式名称・端島の姿が大きくなる。果たして上陸できるのか・・・?

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