まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第11回九州西国霊場めぐり~第25番「清水寺」(長崎の個性的な寺へ)

2022年08月04日 | 九州西国霊場

軍艦島への上陸はならなかったが、クルーズ船で島の周囲をめぐって時の流れを感じた後で港に戻る。ここから、今回の九州西国霊場めぐりでもう1ヶ所訪ねることにする。

第25番の清水寺。九州西国霊場めぐりでも複数の「清水寺」に遭遇したが、こちらは「きよみずでら」である。ちなみに、山号は「長崎山」だが、こちらは「ながさきやま」ではなく「ちょうきさん」と読むそうだ。山号寺号、いろんな組み合わせがあって落語「平林」のようである。

五島町から路面電車に乗り、出島や新地中華街といった電停を経て、そのまま終点の崇福寺に到着。せっかくなので後で崇福寺にもお参りするとして、まずは清水寺を目指す。電停からほど近いところにあるようだ。

そこに現れたのは大きな鳥居と「八坂神社」、「ぎおん参り」の文字。これだけ見ると京都のイメージである。さらにその奥に「清水観音菩薩」の看板も見える。八坂、祇園、清水・・・この辺り、京都の歴史が移入された一角なのかな。

この道順で来ると、八坂神社と清水寺が神仏習合の並びのように見えて、まずは鳥居をくぐって八坂神社に参詣する。八坂神社が創建されたのは江戸時代の初期、京都の祇園社の御分霊を祀ったことからとされる。その後、京都と同じように祇園祭が行われ、疫病退散を願う場になっている。この日も拝殿の前に茅の輪くぐりがあり、ほおずきも並ぶ。今ならちょうど新型コロナウイルス退散祈願である。

八坂神社に隣接して清水寺がある。境内の裏手から入った形だが、途中に明確な仕切りがあるわけではない。やはりこの二つの社寺は元々一体のもので、明治の神仏分離で別々になったのではないかと思う。

清水寺が開かれたのは同じく江戸時代の始め。京都の清水寺の僧侶・慶順が全国を回るうち、長崎にたどり着いて創建したとされる。その時携えていたのが京都の清水寺の本尊の10分の1サイズの千手観音像。当初は簡素なお堂だったが、後に長崎奉行の手により、京都の清水寺を模した本堂が建てられた。

現在の本堂は、2005~2010年にかけて江戸末期当時の姿に復元された建物である。本堂に上がってのお勤めとする。現在は隣の八坂神社ともども安産祈願、初宮参りのスポットとのことで、赤ちゃんを連れた家族連れの姿も見える。

清水寺といえば、「全国清水寺ネットワーク」というのがある。ここ清水寺も、「長崎の清水さん」と呼ばれているそうだが、1909年までは京都の清水寺の末寺だったそうだ。それ以降、どのような事情があったのか、東京にある霊雲寺の末寺に入り、現在は真言宗霊雲寺派の寺院だという。ここでいきなり「○○派」というのを持ち出されてもな・・。

 

本堂の前には石が敷かれたスペースがあり、目の前には近隣の町並みを見下ろす。造りは違うが、ここも一応「清水の舞台」となるのだろうか。ここから見る山門は、前日訪ねた観音寺と同じく石造りである。中国文化の影響ということで、そういえば先ほど上がった本堂もどこか中国の建築様式の面影を残しているようだ。

朱印をいただき、今度はその石造りの山門から階段を下る。

せっかくなので、近くにある崇福寺も訪ねる。電停の名前にもなっているからこちらのほうが有名スポットと言える。こちらを訪ねるのも何年ぶりだろうか・・。

崇福寺は黄檗宗の寺院で、江戸時代の初期、長崎で貿易に当たっていた華僑の人たちが、故郷の福州から超然という僧を招いて開いた寺で、日本最古の中国様式の寺院だという。地元では「福州寺」とも呼ばれているそうだ。

楼門からして他の一般的な寺と異なる。現愛の建物は江戸後期に再建されたもので、竜宮門とも呼ばれている。

そして第一峰門へ。ここからが境内である。

本堂にあたる大雄宝殿に出る。本尊は釈迦如来。ちょうど賽銭箱の前に扇風機が置かれ、暑さをしのぐ意味でもしばらくここに立って風に当たりながらお参りとする。

禅宗寺院に見られることが多いのだが、お堂の中にはさまざまな言葉が書かれた額が掲げられている。漢字なので何と書かれているのかはわかるのだが、じゃあその四字熟語や七言句はどういう意味なのかと尋ねられると・・・正直わからない。禅の何かの言葉なのだろうが、そこは不勉強なもので。寺の方がいらっしゃれば解説してくれるのかな。

大雄宝殿の向かいは護法堂。中央には観音像、右手には関帝(関羽)像、左手には韋駄天像が祀られる。ここに観音さんが祀られているのなら、崇福寺が九州西国霊場の札所になってもおかしくない話であるが、さすがに中国様式というのはカラーが違いすぎるのだろう。種田山頭火は崇福寺にお参りしたのかな・・?

奥には媽姐(まそ)門、媽姐堂がある。媽姐とは道教で航海や漁業を司る守護神だそうだ。華僑の人たちが崇福寺を開いたのも、媽姐を祀って貿易の航海の無事を願うためだったという。

この境内にいるだけでも異国情緒を味わえる。来てよかった。

なお、崇福寺の門前に「長崎四国八十八ヶ所」の案内板がある。このところ、「八十八ヶ所」という文字を見るとドキッとしてしまうのだが(新たな札所めぐりが科されるなあ・・・)、崇福寺は第3番、先ほど訪ねた清水寺は第16番とある。そして第1番はこの先にある延命寺という寺だが、こちらは九州八十八ヶ所百八霊場の札所でもある。九州八十八ヶ所百八霊場は福岡県で始めたばかりで、長崎までたどり着くのはいつのことやら全く見通せないのだが、いずれ訪ねることになる。その時は崇福寺、清水寺にも再訪することになるかな・・。

崇福寺を参詣したこともあり、昼食は新地中華街だろう。ちゃんぽん?皿うどん?どちらにするかはさておき、路面電車にて向かうことにする・・・。

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