山口県内の日帰り乗り鉄に中国四十九薬師めぐりがくっつく・・という1日。新山口から「DLやまぐち号」に乗車する。「やまぐち号」といえば蒸気機関車が牽引する列車として人気だが、長年活躍していたC57は2021年から不具合のため梅小路にて修理中(ただし復活の見通しはたっていない)、代役で走っていたD51にも不具合が出て修理へ。
それらをカバーするのがディーゼル機関車牽引の「DLやまぐち号」である。この夏も日によってDE10の重連運転、そしてDD51の牽引と分かれている。世代的に、かろうじてディーゼル機関車牽引の客車列車には乗ったことがあるので、むしろこちらのほうが懐かしさを感じる。DE10重連、DD51単独いずれも今や希少価値がある。
機関車から順番に各車両を眺める。旧型客車を「やまぐち号」のために復刻させた車両である。昨年には山陽線のイベント列車として、電気機関車に牽引されて下関~柳井間も走行した。こうしたボックス席での旅もよいものだ。
そして今回は最後尾1号車のグリーン車である。座席は車端部のコンパート席を抜けると1ー2列シートが並ぶ。戦前の一等車であるマイテ49をイメージして製作された車両で、もちろん一等車というのに乗ったことがないので比較は難しいが、シートは実にゆったりしており、背もたれが高いので前の席の客の様子も気にならない。そこに折り畳みテーブルやコンセントがついているのは現代風である。
何よりも展望スペースである。この一角はグリーン指定券を持っている人しか入れない(走行途中は、他の号車からのぞきに来た客がいないわけではなかったが・・)。最後尾のデッキは暑いのだが、その手前のソファーが並ぶフリースペースは冷房がよく効いていて、ちょっとした贅沢気分である。展望デッキで外の熱風を受け、このフリースペースで体を冷やす・・・何だかサウナと水風呂の関係のようだ。
新山口発車時、せっかくなので展望デッキに出る。そして見物客、駅の係員らに見送られての出発。手を振り合うのもほっとした光景である。
まずは湯田温泉、山口と平坦なところを走る。住宅街に近く、ご近所の人たちも外に出て列車に手を振る。SLのように煙を吐いて走行する列車ではないが、「やまぐち号」は特別な存在なのだろう。
山口を発車し、宮野を通過すると上り勾配に差し掛かる。この区間はさすがにスピードも落ちるが、あくまでSLのダイヤに沿った走りで、DD51の性能をもってすればもう少し速く走れるそうだ。仁保、篠目まで上るが、山口線の宮野から先は例によってJRの輸送密度が少ないとして今後の議論対象の区間である。もっとも、島根・鳥取を結ぶ特急が走り、こうした「やまぐち号」の人気もあるので、現時点では芸備線や木次線のように一足飛びにどうかなってしまう可能性はないようだが・・。
仁保に到着。ここでしばらく停車ということで乗客が一斉にホームに出る。改札に続く跨線橋にも人だかりができる。ここまでの停車駅と比べて一気に昔らしさを感じる駅である。
仁保から篠目にかけては長いトンネルを通過することもあり、展望デッキには出ないよう案内がある。また客車の窓も閉めるようにとある。ディーゼル機関車の煤煙が流れ込むためである。トンネルを抜ける間は、数分ながら昔の夜汽車の疑似体験を楽しめる・・かな。
篠目に近づく。駅にはかつて使われていた給水塔がそのまま残る。ホームと一緒に眺められるのも展望デッキならではである。
長門峡では、近くの道の駅に立ち寄っていた人たちから盛大な見送りを受ける。国道9号線沿いということで交通量もそこそこあるし、道の駅では「やまぐち号」の通過時間も案内しているのだろう。こうして駅のホームにやって来た一般のドライブ客、家族連れには気持ちよく手を振り合うが、一方で写真のためなら不法侵入、器物損壊も何とも思わないスパイナー(撮り鉄)どもには一切手を振らない(事実、この列車に乗っている最中にも明らかに不法侵入という輩を何人も見かけた)。手を振るかわりに、彼らのカメラに向けて中指でも立ててやろうか。
周囲がすっかりのどかな景色となり、地福に到着。列車行き違いもあり15分ほど停車する。ここが本格的な撮影時間ということで、ホームも賑わう。
ここまで来れば列車のさまざまなスナップ写真も撮ったし、のんびり津和野まで走るだけ。しばらくゆったりと過ごす。
津和野の町に入った。車窓の流れとして、やはり新幹線接続で周囲にホテルやビルも並ぶ新山口から乗ったほうが旅情は味わえる。少しずつ盆地の中の町が開け、石州瓦の屋根が広がる。
12時58分、終点の津和野に到着。新山口から2時間という所要時間は、その間にさまざまな車窓の移り変わりがあり、かつ乗り続けて飽きを感じさせないちょうどよい配分だと感じる。
ホームはそのままだが、駅舎はつい先日改修工事を終えてリニューアルされていた。木をふんだんに使っており、明るく開けた雰囲気であるとともに、以前の駅舎と比べても周囲によく調和している。津和野駅開業100周年、そして津和野出身の森鷗外没後100年の記念事業という。
この日は津和野で折り返しとして、中国四十九薬師を目指す・・・。