まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第24回中国四十九薬師めぐり~「サンライズ出雲」にあえて岡山から乗って山陰入り

2023年03月07日 | 中国四十九薬師

これまで、大阪時代、そして現在の広島勤務において、中国観音霊場、中国四十九薬師といった札所めぐりのため、さまざまなルート、手段にて札所までアクセスしてきた。札所よりもその行き帰りの方法が紀行文の重きを置いていたといえなくもないし、「この列車に乗るついでに札所を回ろう」ということで訪ねたこともしばしばあった。その最たるものは「WEST EXPRESS銀河」だろう。当時は目的地へのツアーへの抽選だったが、ご縁があって山陰、紀南、山陽各コースに繰り上げも含めて当選し、その御礼も込めて足を延ばして各地の札所めぐりを絡めたこともある。

そんな中、ついにこの列車に乗る時が来た。寝台特急「サンライズ出雲」である。

「サンライズ瀬戸・出雲」そのものはかなり以前2回乗ったことがある。いずれもこのブログの記事になっていないのだが、1回目として今も憶えているのは、「サンライズ瀬戸」で高松から東京に向かったこと。この時は、広島から東京に勤務先の労働組合の行事で向かうのに、日程に余裕があったので前段の休日を利用して、高松で行われたタイガースと「近鉄」バファローズのオープン戦観戦に立ち寄った。そしてそのまま「サンライズ瀬戸」に乗ったのである。ネットで戦績を見るに、2002年春のことである。当時は、広島~東京までを新幹線で往復したものとして定額の旅費が現金で支給されており、このように寄り道したり珍しい列車に乗ったとしても、差額を自腹で出す分には特に何も言われなかった。時効だから振り返ると、東京までの移動には、かつての「あさかぜ」、「さくら・富士・はやぶさ(の連結列車)」、新幹線100系のグリーン個室(「こだま」なので帰りの東京~新大阪間)・・・も乗ったなあ。

そしてもう1回というのは、それから数年後の東京勤務時、東京から「瀬戸」、「出雲」のどちらかに岡山まで乗ったかな・・と思うが、何年のことなのか、そして岡山からどちらに行ったかが定かではない。

関西に戻った2009年以降は、「サンライズ」に乗る機会はなかった。そもそも東京と関西を結ぶ列車ではなく、唯一、日付が変わった後の大阪から東京行きに乗ることはできるが、そこまでして東京に行く人はごくわずかだろう。

そんな「サンライズ出雲」に今回乗るのは、もちろん東京行きではなく出雲市行きである。東京から夜通し走って岡山に到着した列車に、朝から乗るのである。ご存知の方も多いと思うが、この列車は各種個室がほとんどの中、1両だけ「ノビノビ座席」という、特急料金だけで乗車できる車両がある。扱いとしては寝台車ではなく座席車。今回、この「ノビノビ座席」で岡山から先に空席があったのを確保した。ちなみに寝台は1運行で1顧客のようで、仮に岡山から先で空いていたとしても、それまでに少しでも乗車していれば販売不可という。確かに、つい先ほどまで誰かがいた個室寝台に朝からお邪魔するというのもあまり心持ちがよくないようで・・・。

「サンライズ出雲」の岡山発は6時34分。その31分後に「やくも1号」が発車する。通常、岡山を早い時間に出発するなら7時05分発の「やくも1号」だろう。山陰線に入ってからはその差は縮まり、普通ならシートに座っていくところ、横になってノビノビ行けるというのを体験しようと思う。事前に、当該座席のe5489でノビノビ座席の予約状況を座席表で検索したが、岡山までは「×印」がついていた。先客はどうやら岡山で下車するようだ。なお、終点の出雲市には9時58分着。いったん出雲市まで行き、そこから東に進んで東松江、米子の順番に札所を回ることにしよう。

いつものように前置きが長くなったが、前日早くから就寝して明けた3月5日。東横インでは無料の朝食サービスが6時30分からあり、うんざりするほどの行列ができる超人気なのだが、「サンライズ出雲」は6時34分発である。車内で3時間半近く過ごすのだからと朝食は駅構内のコンビニで買い求める。全国旅行支援の地域クーポン券はとりあえず手元に置いておく。

夜行列車に乗るためにホテルに1泊した・・・というのも、ねえ。

6時台だがこの時季となるとだいぶ外も明るくなっている。そんな中、「サンライズ瀬戸・出雲」の到着案内である。列車は6時27分に着く。「瀬戸」が前7両ということで、着くのは四国行き特急が発着する8番線である。私と同じように岡山で乗る人がいるのかなと期待する(別にいたからと言ってどうというわけではないが)。

その前に、隣の9番線には津山線の旧国鉄急行色の車両が到着する。ちなみに、米子からの帰りは旧国鉄特急色の「やくも24号」の指定席を予約している。寝台特急と旧国鉄特急色列車・・こうした回り方もいいだろう。

6時27分、7両ずつ、合計14両の列車が静かにやって来る。現在では在来線の特急で14両編成というのもなかなか見ることがなく、長い岡山駅のホームをいっぱいに使う。そして、「瀬戸」、「出雲」のそれぞれから結構な乗客が降りてくる。岡山が目的地という人もいるだろうが、山陰、四国を含めた各方面への乗換駅として問い合わせも多そうだ。

岡山からなら、新幹線に乗り継げば広島も近い。これ、広島にいる間にぜひ東京との移動手段で使ってみたい(その時は個室で・・・)。

さて、「サンライズ」に目を向けると、ちょうど真ん中で列車の切り離し作業が行われているのを見て、後方の「出雲」編成に向かう。そして12号車の「ノビノビ座席」へ。私が確保したのが上段の一番前の場所。先ほどまで使われていたらしく、ブランケットが畳まれている。隣のスペースも同じように片付けられた後だが、ここから乗って来る客はいないようだ。

上段は屋根裏といった感じで、寝転がる分にはいいが、座るにはちょっと背中を丸める必要がある。ただ、車両の端まで見渡すことができるので、それほど圧迫感はない。隣のスペースとは頭の部分で40~50cmほどの仕切り板で区切られており、そこに頭を入れて置く分には隣の人もそれほど気にならなさそうだ。小柄な人ならこの枠内に納まりそうだ(事実、そうして過ごしていた人もいた)。ただ、一夜を過ごすとなれば話は別で、気になる人は気になるだろうなあ。床も硬いし、それで寝付けないという向きもあるだろう。この日は寝袋や登山で使うマット持参の客もいたくらいで、特急料金のみで移動できるメリットと天秤にかけつつ、ある程度の対策も必要だろう。

そんな中、この日の私は朝一番の特急で岡山から山陰に移動する感覚で、別に睡眠をとるわけではなくただ横になることもできるだけプラスという気持ちである(もっとも、前日移動にともなう宿泊代と一献代が余計にかかっているのだが・・)。

普通の「やくも」とは違った感覚で、倉敷から伯備線に入る。ちょうど窓の外から明るい朝日が差し込んで来た。正に「サンライズ」である。

高梁川に沿って進む。うつ伏せになって読書しながら、あるいはスマホにも目をやり、その視線の先の景色も眺める。

途中、トイレに立ったついでに車内を散策する。ところどころ、下車した後の個室の扉が開ていたのでちょっとだけお邪魔してみる。いずれも、「ノビノビ座席」と比べれば自分のスペースは断然広い。

以前「デイリーポータルZ」という面白サイトで、「サンライズ瀬戸・出雲」の乗車記を読んだことがあるのだが、その中に、ライターが自ら食材や小道具を持ち込んで、列車の個室の中で「マイ食堂車を作る試み」や「マイ寿司屋を作る試み」といった、自ら「豪華列車」を演出しようとするバカバカしくも面白い記事があった。個室ならこうしたある種贅沢な遊びも(他人に迷惑をかけるのでなければ)許される。帰宅の満員電車に揺られる人たちを後目にぜいたくなひと時・・・いいですねえ。

備中高梁を過ぎ、次の新見に到着。新見ではホームに立っていた人がそのまま列車に近づき、「ノビノビ座席」に入って来た。これも、山陰までゆったり移動のクチだろう。

新見からは鳥取県境に向けて山深い区間である。日陰にほんの少しだけ雪が残っているところがあるが、さすがに3月ともなれば春の雰囲気である。さすがに広島からの中国山地越えも冬用タイヤの必要はなく、今回の行き先ならマイカーで来るのがもっとも手っ取り早いのは承知だが・・。

新見から米子までは時刻表では1時間以上ノンストップで走るが、実際には途中で行き違いのための停車がある。そうするうちに少しずつ車窓が開け、右手に大山の雄姿が見えるようになる。標高の高いところはすっぽり雪に覆われている。画像は綺麗に撮れていないが、車窓に目にする青空に映えた大山、さすが中国地方一の秀峰である。

9時03分、米子到着。ここで「ノビノビ座席」からもまとまった下車があった。

さてこの後、終点の出雲市まで1時間近く走るが、ここまで乗って「ノビノビ座席」を十分楽しむことができたので、終点にこだわらなくてもいいかなという気になった。本題である中国四十九薬師めぐりのコマは松江まで進んでおり、松江で下車すれば、その分早く札所めぐりに入れる。

というこどで、9時29分着の松江で下車した。ここで発車する列車を見送るのもいいだろう。次に乗る時はぜひ個室にて、そして久しく訪ねていない関東へ・・・。

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