まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第24回中国四十九薬師めぐり~第40番「安国寺」(寺町から米子城に向かう)

2023年03月10日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐりはようやく最後の県である鳥取県に入る。鳥取県には10の札所があり、東西に広がっている。広島からもっとも遠い県ということもあり、回るにはそれなりの回数を費やすことになるだろう。

まずは西の米子から始める。山陰線で島根県から鳥取県に入り、米子で下車する。現在、南北自由通路の設置を含めた橋上駅舎の建設工事が進められており、今年の夏に完成予定という。

さてこれから向かうのは、この直前に訪ねたのと同じ名前の安国寺。安国寺は足利尊氏が全国に建立を命じた寺院で、先ほど訪ねたのが出雲の安国寺、そしてこれから訪ねるのが伯耆の安国寺である。米子の街中、寺町エリアにある。歩いて行けないこともないが、ちょうど発車する米子市循環バス「だんだんバス」に揺られることにする。

米子には何度も来ているし、宿泊したこともあるのだが、それは山陰の交通の要衝ということが大きく、米子の街並みというのはそれほど触れたことがない。皆生温泉に行くバスに乗るとか、仕事の関係で米子市内にある高校を訪ねたくらいのものである。近くには皆生温泉、大山、境港と人気の観光スポットは多いが、米子市街となると・・というところだろう。

天神橋で下車。目の前には加茂川、そして白壁の土蔵が並ぶ一角である。米子はかつて尼子氏と毛利氏の間で熾烈な争いが繰り広げられた地で、毛利氏の勝利に終わり、吉川広家が米子城を築いた。関ヶ原の戦いの後、中村一忠が米子藩主となり、その後城主が変わる中で、「山陰の大坂」として商業が盛んになったところである。

こういうスポットがあるのかと感心しながら歩くうち、寺町に入る。城下の一角に寺を集めて寺町を構成するのは城の防衛の一環であり、先般訪ねた松江もそうだった。各宗派の立派な寺が並ぶ。

その一角、というより中心にあるかのように見えるのが安国寺である。元々は足利尊氏により別の地で開創したが、足利氏の勢力が衰えるとともに寺も衰退、後に復興するが尼子氏と毛利氏の兵火の中で焼失し、江戸時代の城下町の整備にともなって現在の地に移されたという。

正面には比較的新しい本堂が建つ。「安国寺」の額もよい。

ただ、その手前の右手にもう一つのお堂があり、ガラス戸から中をのぞくと「瑠璃殿」の額がかかっているのが見える。「瑠璃」という言葉は薬師如来につながるから、中国四十九薬師めぐりとしてはこちらが本尊である。扉は閉まっているので外からのお勤めである。

さて朱印ということだが、瑠璃殿の扉は閉まっているので、間にある庫裏を訪ねる。「全国安国寺会」の札が掲げられている。安国寺、元々は全国六十余州に合計68ヶ所あったが、足利氏の勢力の衰えや戦乱、災害、さらには明治の廃仏毀釈などの影響で、建立当時の姿を残している寺院はごくわずかだという。再興により安国寺の名を受け継ぐ寺院、あるいはその流れを汲むものの別の名前になっている寺院もあるが、それらと合わせても当初の半分程度だそうだ。

インターフォンを押そうとすると、ちょうど犬を連れて境内に入って来た女性が「ご朱印ですか?」と声をかける。寺の方が犬の散歩からちょうど戻って来たようだ。「こちらから」と瑠璃殿の横から入り、正面の扉を開けて中に上げていただく。

国分寺を後にして、もう少し歩く。先ほど少し触れた米子城が市街地の西にある。小高い丘に石垣が見える。

現在の米子城は江戸時代初めに湊山に築かれた城で、米子藩主となった中村一忠による。現在の商都・米子の基礎もこの頃に築かれた。しかし一忠が急死し、後継ぎがいなかったために取り潰しとなり、米子藩も廃藩となった。後に池田氏の鳥取藩に吸収され、米子城は支城扱いとなった。明治の初めに石垣を残して建物が取り壊され、その後は公園として開放されて現在に至る。

恥ずかしながら、米子にこうした城があるとは知らなかった。ただ、天気が良いこともあって地元の家族連れも結構訪ねている。石段を上がっていく。

上がるにつれ、米子の街並みが眼下に広がる。米子港から続く中海も見える。この中海も天然の要害だったことだろう。合わせて、何層にもわたる石垣も見事なもので、いかにも「城跡」という感じで迫ってくる。

その中にあって、何といっても一番の景色は雪をかぶった大山である。「今日はええ天気じゃ」と、訪ねる人も口々に言う。

この米子城、地元では「絶景の城」としてPRしているそうだ。大山、米子の街並み、中海、さらには弓ヶ浜半島から美保関、日本海も見渡せる。日の出のスポットとして、特定の時季にはダイヤモンド富士ならぬ「ダイヤモンド大山」を見ることができ、大勢の人で賑わうそうだ。また、山陰なのでなかなか見られる確率は低いだろうが、元日の初日の出でも賑わうとのこと。

これで米子の札所を回り終え、駅に戻る。当初予約していたのは旧国鉄特急色の編成で運転する「やくも24号」だったが、この時間ならその2本前の「やくも20号」に間に合う。そしてその「やくも20号」は、先ほど揖屋駅で通過するのに出会った、「スーパーやくも」の紫色の編成が使われている。旧国鉄特急色は以前にも乗ったし駅で目にしたこともあるが、先月登場したばかりの復刻紫色は初めてである。乗ってしまえば塗色は関係ないのだが、空席もあるので、「やくも20号」に変更する。これで帰宅も早まって日曜日の夜もゆっくりできることに・・・。

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