「サンライズ出雲」に乗って到着した松江。ここで折り返して島根県を後にすることから、駅高架下にて地酒「李白」や水産加工物のあれこれを購入して土産とする。
これから、島根県最後の札所である第39番・安国寺に向かう。最寄り駅は山陰線で1駅米子方面にある東松江だが、松江市バスの竹矢という停留所からでも歩いて行けそうだ。どちらにするかは時刻表次第だが、このタイミングだと列車のほうが先に発車する。
松江から乗るのは10時06分発の米子行きである。ワンマン列車で、次の東松江は無人駅のため、あらかじめ1両目の前扉に近い席に座る。次の駅といっても乗車時間は7分、結構距離がある。
東松江到着。ICカードの利用範囲ということで、カードだけ運転士に提示してそのまま下車する。駅の北側にはJR貨物の集配基地があり、かつては貨物列車の駅でもあったが現在はトラックによるコンテナの集配のみ行われている(山陰線で貨物「列車」が発着するのは伯耆大山だけ)。それ以外は田園風景が広がる。
スマホの地図を頼りに駅前を歩く。圃場整備の記念碑が建ち、昔からの農家もある中、最近建てられた住宅も目立つ。松江の郊外ということで通勤圏内なのだろう。
安国寺に到着。安国寺といえば南北朝時代、足利尊氏が全国に建立整備を求めた寺で、この次に行く米子の札所も安国寺という名前だ。今いるのが出雲、その次は伯耆の国である。他にも、安芸の国の安国寺として不動院にもお参りしたなあ。
こちら松江の安国寺が開かれたのは奈良時代の後期、光仁天皇の勅願による。当初は円通寺という名前だったが、足利尊氏が全国に安国寺を建立するにあたり、出雲の国では円通寺が割り当てられた。一時は巨大な伽藍を有していたが、兵火等による焼失で一時衰退した。江戸時代になり松江藩の保護を受け、現在に至る。近くには出雲国分寺もあったが、国分寺の衰退後は十一面観音等が安国寺に移され、現在の本尊となっている。
本堂の扉が閉まっているので、とりあえずその前でお勤めとする。
さて朱印だが、本堂の扉が閉まっているので隣の庫裏のインターフォンを鳴らす。しかし応答がない。先ほど、法事を終えたらしき家族連れが庫裏の扉から出ていったのを見かけたので、寺の方もいるのではないかと思う。扉が開いたので声をかけるも応答がない。
これは出直しか・・と思い、ふと庫裏の反対側に回ると取付棚を見つけた。先ほどは気づかなかった。これを開けると書き置きの朱印が入っており、一安心する。
さて、このまま東松江駅に戻っても次の米子行きの列車までは50分ほど時間がある。先ほど通ったが、駅周辺には時間をつぶせそうな場所はない。また松江駅からの路線バスも竹矢が終着で、それ以上東には行かない。
そんな中地図を見ると、東松江から次の揖屋まで歩いても、乗ろうとする列車に間に合うのではないかという気がした。安国寺から揖屋駅まで、スマホのナビだと38分と表示される。天気もよく暖かいので、そのまま駅まで歩くことにしよう。
この辺りのメイン道路は国道9号線だが、それに並走する形でかつての出雲街道が走っている。ちょうどこの辺りは「出雲郷」という宿場町があったそうだ。
・・・「出雲郷」、これは普通「いずもごう」と読むところだし、私もそのつもりで読んでいたが、ブログ記事を書くに当たってサイトでこの辺りのことを改めて検索するうち、正しくは「あだかえ」と呼ぶことを初めて知った。街道沿いの鳥居の先にあるのは「阿太加夜(あだかや)神社」である。「出雲国風土記」にも登場し、祭神は「阿太加夜怒志多伎吉日女(あだかやぬしたききひめ)命」とある。松江の伝統行事「ホーライエンヤ」の舞台となる神社と言えばご存知の方も多いのではないだろうか。
山陰線の踏切を渡る。ちょうど、出雲市から岡山に向かう特急「やくも14号」が通過していった。
昔からの街道沿いの風情もうかがえる一方、三菱マヒンドラ農機の工場も建つ中、ナビ通りの時間で揖屋駅に到着。ちょっとしたウォーキングということで、これはこれで島根県のよい思い出になった。
ロータリーには、女形の役者らしき銅像が建つ。一瞬、「出雲阿国?」と思ったが、銘板には「女寅(めとら)はん」とある。こちらの出身で、市川女寅、後には市川門之助と名乗った明治時代の女形の歌舞伎役者である。駅舎に「まちの駅」が併設され、観光案内なども行っているが、この駅にも「女寅」と名付けられている。
次に乗る11時44分発の米子行きまで少し時間があるので、ホームのベンチに座って文庫本など読みながら過ごす。列車の通過を知らせる放送が流れ、米子方面からは観光列車「あめつち」、そしてその後には「やくも5号」が通過する。この「やくも5号」だが、先日、JR西日本の「スーパーやくも」として車体を紫色に塗り替えた編成が使われている。旧国鉄特急色とはまた違った趣である。伯備線の「やくも」はこの後順次新型車両に置き換えられるが、それまでの間は、あえて古い車両を前面に出すとか、塗色のリバイバルなど、懐かしさを求めるその筋の人たちを引き寄せるイベントを仕掛けている。
そしてやって来た米子行きはキハ47の2両編成。これも今や昔からの汽車旅の風情を感じる車両である。ボックス席に陣取ると、隣のボックスでは青春18きっぷ利用らしい二人連れがこの後の旅程についてあれこれ話をしている。どうやらこのまま山陰線の列車を何度も乗り継いで関西に向かうようである。それは結構ハードな道のりになりそうだ・・・。