5月6日、大分駅前からレンタカーに乗り、国道10号線、さらに犬飼千歳道路などを走り、50分ほどでこの日最初の目的地である第96番・賢龍寺に到着する。第96番というからかつては「八十八ヶ所」の番外だったのが、新たに「百八霊場」となった時に加わった札所である。
入口の石段の脇に細い坂道がある。大丈夫かなと思うが駐車場の矢印がそちらを向いており、何とか上がる。そしてレンタカーを停め、改めて石段の下に出る。
石段の下には真言宗醍醐派の文字が見える。そして、山門の仁王像の代わりに文殊・普賢両菩薩の席王が出迎える。他にも観音像、八十八ヶ所お砂踏み、地蔵像などが並ぶ。
石段を上がると、正面の本堂の手前に護摩堂がある。「大野川流域奥豊後不動霊場 第十三番」とある。この時は、こういうところにもローカル札所があるものだなと思ったくらいだったが、後で調べてみると、豊後大野、豊後竹田の両エリアにまたがる28ヶ所プラス番外2ヶ所から構成されているそうだ。そして、こうしたお堂の仏様以外にも、磨崖仏も対象となっている。さすが石の国・豊後である。
さて本堂へ。お自由にお上がりとなるので障子扉を開けて中に入る。
賢龍寺は室町時代、京の僧が将軍愛宕地蔵尊(愛宕権現)と不動明王を本尊とする「妙光寺」を断てたのが始まりとされる。その後兵火により寺は焼失したが、両本尊は持ち出されて難を逃れた。江戸時代前期に一度復興したが後継者がなく衰退し、現在地に移り再び復興したのは江戸時代後期のことという。
内陣の前には軸がかけられている。そのうち一方に「昇墜は他の意に非ず 衰栄は我が是非なり」とある。弘法大師の「十住心論」の一節で、「自分が向上するのも墜落するのも、他人のせいではない。栄えるのも衰えるのもみな自分自身によるものである」という意味とある。
悪いことやつらいことがあると他人のせいにしたり、物事がうまくいかないのを社会や環境のせいにすること・・・私もしょっちゅうある。「そんなん理不尽や」と。しかしそうではなく、本来は自分の是非、心がけや行動によるものだと諭している。他にも弘法大師にまつわる言葉や絵巻の写しなどが室内に掲げられている。こうしたところで住職が法話をすることもあるのだろう。
境内は周囲を見渡せる場所にあり、里山の景色が広がるところだ。
さて次は同じ豊後大野にある第27番・蓮城寺に向かう。賢龍寺からはしばらく大野川沿いに走り、そのまま南下して豊肥線の三重町駅前を通過する。この先、九州西国霊場めぐりで訪ねたことがあるところで、見覚えのある景色が広がる・・・。