かつて、山陰線の倉吉から席金の山守まで国鉄倉吉線というのが走っていた。倉吉駅と、倉吉の町の中心で、現在は観光スポットにもなっている打吹地区とを結ぶ路線として開業したのが始まりで、その後山守まで開業した。将来的には県境を越えて姫新線の中国勝山まで結ぶ構想もあったそうだ。しかし、並行する道路の整備も進んだことで利用者が減少し、1985年に廃止となった。
倉吉線関連については、打吹駅の跡地に倉吉線鉄道記念館があり、当時の資料や写真などで往時の様子をうかがうことができる。また、廃線の一部は40年近く経った現在もそのまま残されており、トレッキングツアーにも利用されている。今回クルマで移動していることもあり、当時の線路が残る泰久寺駅近辺を歩いてみることにした。
案内によると泰久寺駅跡の近辺は私有地につき駐車不可で、訪ねる際は手前の県道沿いにある臨時駐車場を利用とのこと。カーナビでは何を目印に行こうかと思ったが、県道沿いに大きな看板が出ているのですぐわかった。他にも何台か停まっており、結構訪ねる人もいるようだ。駐車場には何かの施設を再利用したような「観光案内所」と扉に書かれた建物があるが、閉まっている様子だった(注:記事を書くにあたり、この「観光案内所」は閉まっていたのではなく、私が訪ねた後の4月29日にオープンを控えた施設ということがわかった)。
駐車場の横から線路跡に入る。しばらく路盤の上を歩く。そこで線路はいったん途切れる。普段は閉鎖されているが、観光バス用の駐車スペースが設けられている。
通り沿いの無人スタンドで売られているのはタケノコ。一人暮らしだと調理にちょっと大きすぎるなあ・・。
再び線路跡が現れる。民家の路地裏を抜けると右手に寺院が見える。字は違うが、駅名、地名の由来ともなっている大久寺である。駅名、地名になるくらいだから由緒ある寺院かと思い検索するが、曹洞宗というくらいでこれといった情報は出て来なかった。
廃線跡というと草に埋もれるなどして荒れているところとのイメージがあるが、こちら倉吉線は一部とはいえよく手入れ、保存されている。昭和の廃線がここまではっきり残るのも貴重だと思うが、廃線当時は線路を引きはがす費用も抑えるとして最小限にしたのかな。そして現在は今や倉吉の観光スポットとしてもPRされている。上に触れたように、新たに観光案内所ができたのもその一つである。
泰久寺駅跡に到着。ホームがそのまま残されているが、やけに短く感じる。2両分ないのではないかと思われる。
ホームの前にガチャガチャがあり、倉吉線の切符3種類のどれかが出るというので試しにやってみた。カプセルから出たのは終着駅・山守の入場券。自分で日付、ハサミを入れることもできる。
山守・入場券で思い出したのは、宮脇俊三の「時刻表2万キロ」と「汽車旅12ヵ月」。国鉄乗りつぶしで三江線とともに訪ねており、終点の山守駅を北海道の白糠線の北進駅と同じくらい「何もない駅」と評したところ。また、「汽車旅12ヵ月」では、乗りつぶしの「証拠」となる切符を作ってもらおうと倉吉線の車掌とのやり取りも触れられている。
泰久寺駅から先が倉吉線の廃線跡の中でも見どころである。ちょうど木々に囲まれ、線路、枕木は当時のまま残っているが、線路を横切るように生える木が、今や枕木よりも太い根を張っている。何だか、アニメの世界にでも出てきそうな景色だ。
そして竹林に差し掛かる。線路の真ん中から竹の木が伸びている光景。幻想的な光景は「日本一美しい廃線跡」としてネット等で紹介され、これを目当てに倉吉を訪ねる人も増えているそうだ。私も今回現物を目にすることができてよかった。
この竹だが、元々は線路の間から3本生えていたのが、2021年秋から枯れ始め、雪の重みで倒れたため伐採されたという。残りの2本もそろそろ寿命かと言われている。そのため、竹を押したりしないようにとの注意板もある。
もう少し進むと山守トンネルに差し掛かる。トンネルは普段は立ち入り禁止で、年に数回のトレッキングツアー時などに公開されるという。それは承知済なのでここで折り返しとするが、トンネルの入口が開いていて、中から光が発せられている。逆に怖いなと思っていると、何か作業でもしていた係の人が顔を出した。「イベントの時だけ通れますんで、またお越しください」と声を掛けられる。
中国四十九薬師めぐり、山陰シリーズに入ってから「可部線」、「幻の広浜鉄道」、「江の川鐡道(三江線の宇都井駅、口羽駅)」、そして「旧国鉄倉吉線」と、鉄道の廃線、未成線の記事が間に入るようになった(後は旧大社駅があったが、修復工事中のため見学できず)。この先鳥取まで進むと、廃線ではないが第三セクターで頑張っている若桜鉄道があるが、立ち寄り、乗車の機会は作りたいものである。
終点の山守駅までは行かずにそのまま駐車場まで引き返し、三朝方面に向けてクルマを走らせる・・・。