5月6日、臼杵まで来た九州八十八ヶ所百八霊場めぐり、次は津久見である。津久見といえば何となく工業の町のイメージで、結構前に川崎憲次郎(元スワローズほか)投手を擁して甲子園に出場した津久見高校の名前が浮かぶ。これまで日豊線で通過しただけで、町を訪ねるのは初めてである。
臼杵の城下町では一時やんでいたが、国道217号線に入ると再び降り始めた。もう、この天気は仕方ない。
東九州道の津久見インターに続く交差点を左折する。トンネルを抜けると、鉄道の高架線らしきものが現れた。まさかこれが日豊線の線路ではないだろう。後で地図やネットで検索すると、かつての大分鉱業の専用線とある。津久見は日本有数の石灰石の産地で、セメントの生産が盛んだという。この専用線も現在は戸高鉱業社の長距離ベルトコンベアとして使われているそうだ。
その鉱業所の隙間からちらりと海を見て、集落の先にある第29番・海岸寺に着く。仁王像が立つ山門の奥にある丘には祠が見える。あちらに鎮守社があり、寺はその前を護る役目があるのかなと思う。
門をくぐってまず目に留まったのは右手のパゴダ。東南アジアを思わせるその塔の上には修行大師像が鎮座する。まさか、こんなところに祀られるとは。
その対面、左手の本堂の前には象の像が控える。この海岸寺、東南アジアとのつながりがあるのかな。
門から入った正面の建物は大師堂である。ご自由にとの貼り紙があるので中に入ると、正面には生身の姿に近い弘法大師像が鎮座する。九州でも有数の大きさの大師像という。ここでお勤めとする。
境内には他にもさまざまな石像があり、「潜り大師」というのもある。弘法大師像の下をくぐってご利益を受けるというものである。
こちらの不動明王像の横に立つのが伊能忠敬の石碑という。海岸寺の歴史について触れたものはほとんどなく、江戸時代後期に臼杵藩の祈願寺の一つになったというくらいしか触れられていないが、伊能忠敬が各地の測量、地図作成のために豊後を訪ねた際、この地に逗留したようである。豊後のこの先、差益を経て日向に続くところはリアス式海岸で、この先の測量に向かった忠敬にとっては厳しい地形でありながらも楽しい一帯ではなかったかと勝手に想像する。
次は第30番・大日寺は佐伯の街中にあり、宿泊するホテルからもすぐのところにあるが、参詣は翌朝に回すとして、この後は佐栄の移動までとする。せっかくなので海岸線に沿って走ることにしよう。
カーナビは県道を指し示すが、そのまま走るとセメント工場の敷地に突入する。太平洋セメント、そしてその関連企業のプラントが左右に広がる。お好きな方にはたまらない景色だろう。
セメント工場群を抜け、津久見の中心部に入る。ホテルAZの前を通過する。今回の九州八十八ヶ所百八霊場めぐりでは佐伯に宿泊したが、一時は津久見のこのホテルに泊まることも考えた。今思えば、雨天だったとはいえ三海にも近く、セメント工場の夜景を楽しむこともできたのでは?という気もする。
この後は左手に津久見から佐伯にかけての海、そして右手には日豊線の線路と並走する。今回この区間を列車で走ることはないが、ほぼ同じ車窓を望むことができるとしてよしとしよう。雲が広がり、時折雨が落ちるのが残念だったが・・。
いつしか佐伯市街に入り、佐伯駅に到着。駅舎の右手にはファミリーマート、そして左手にはルートインホテルがあるが、町の中心からはやや外れている。ファミリーマートにて今夜、明朝までの飲食物を買い込む。