5月7日、朝のテレビの天気予報を見ていると九州東部は1日雨の予報。レーダーでもずっと雨雲がかかっている。
この日は、宿泊している佐伯セントラルホテルにほど近い第30番・大日寺を朝一番で訪ねた後、そのまま宮崎県に入る。宮崎県を訪ねるのは何年ぶりだろうか。そして延岡市の2ヶ所、門川町の1ヶ所くらいを訪ねようかと思う。そして折り返し、大分まで戻る。理想を言えば延岡あたりでレンタカーの乗り捨てができればよいのだが、大型連休中ということでそうしたプランが組めなかった。
朝食は前日コンビニで買ったもので済ませ、レンタカーは駐車場に置いたまま、傘をさして歩いて大日寺に向かう。ホテルからはほんの200~300メートルほどのところにある。商店街には雨に濡れた鯉のぼりが並ぶ。その中のポスターに、「商店街には全部で何匹の鯉のぼりがあるでしょうか?」というクイズというか、イベントが書かれている。ピタリ賞とか、ニアピン賞などあるようだ。
戦国時代の豊後は大友氏の支配にあり、このうち佐伯は地頭の流れを汲む重臣の佐伯氏が拠点としていた。しかし、豊臣秀吉が大友義統を改易したことにともない、佐伯氏の当主・惟定も浪人となった。その後に佐伯藩主として入ったのが毛利高政で(中国地方の毛利氏とは関係ない)、番匠川の河口に近い八幡山に新たに佐伯城を築いた。合わせて現在の佐伯の町につながる城下町を整備し、その時に藩の祈願所として建てられたのが大日寺である。
江戸時代に2度火災に遭い、現在の建物は江戸時代後期の再建とある。町の商店街の一角の寺ということで気軽にお参りできる雰囲気がする。
まず出迎えるのは本堂前の厄除大師像。その足元に屋根付きのスペースがあり、まずそこでローソク、線香をお供えする。
本堂に向かう。扉が開いており、中に入ってお勤めとしよう。こちらも江戸後期の建物である。鮮やかな天井絵も並ぶ。
こちら大日寺では「菊姫伝説」というのが伝えられている。江戸時代、佐伯藩の家老の家に菊姫という娘がいたが、ある日菊姫の顔に無数の吹き出物が出始めた。そこで、大日寺の弁財天に連日願掛けを行ったところ、満願近くになり弁財天の後から大蛇が出てきた。そして姫が気づいた時、吹き出物はなくなり元の美しい顔になった。その後、弁財天のご利益で美しくなりたいという娘たちのお参りがひきもきらなかったという。現在は弁財天の法要と市の祭りとして、菊姫のお礼参りを再現した「菊姫行列」というのも行われているそうだ。
さて朱印だが、本堂の中にセルフ用の一式がなかったので庫裏を訪ね、インターフォンを鳴らす。・・しかししばらく待つが応答の気配がない。もう一度押してもだめ。何かの事情で留守にしているのだろう。セルフ式がないかもう一度本堂に上がるが、やはり見当たらない。
大分県の最後の札所でこういうことになるとは思わなかった。ただ幸いなことに、今回はレンタカーで延岡辺りまで行った後、大分へ折り返すルートのため、もう一度佐伯を通る。当初は東九州道か国道10号線で佐伯郊外を通過する予定だったのを、市街地を経由してもう一度大日寺を訪ねることにする。仮にその時も留守だったとしても、次回以降しばらくは九州の東側を進むので、行きがけに佐伯で途中下車すればよい話だ。
これから国道10号線で宮崎県を目指すが、その前に少し寄り道して、番匠川沿いの「道の駅やよい」に向かう。温泉施設や川魚の水族館があるがいずれも営業時間前。それを承知で立ち寄ったのは買い物のためである。ここで手に入れたのが、前夜うどんの出汁として味わった「ごまだし」。瓶詰のものが700~900円ほどで何種類も売られている。このうち、ポピュラーなエソを使ったものと、変わり種でアユを使ったものを買い求める。帰宅後、うどんやお茶漬けとしていただいたが、なかなかの風味である。
国道10号線を走る。日豊線の線路にも沿う。日豊線の佐伯~延岡間はこの線の中でもっとも列車本数の少ない区間で、途中には列車で訪ねるのが至難の業であるあの「宗太郎駅」も含まれる。今回列車には乗らないが、途中で立ち寄ってみることにしよう・・・。