まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

奈良27番「丹生川上神社上社」~神仏霊場巡拝の道・13(川上村のダムに圧倒)

2022年06月12日 | 神仏霊場巡拝の道

神仏霊場めぐりの吉野郡丹生川上神社シリーズ。東吉野村の丹生川上神社(中社)に続いて訪ねるのは川上村の丹生川上神社上社である。

高見川に沿って走り、国道370号線に出る。高見川はこの先吉野川に合流し、紀の川と名を変えて紀伊水道に注がれるが、この辺りは川の流れも曲がりくねっている。

いったん県道に入り、吉野川の上流をさかのぼる。今度は国道169号線に出る。

前方に巨大なダムが現れた。大滝ダムという。こんな山奥に要塞を思わせるインフラが登場して驚く。この大滝ダムは、1959年に発生した伊勢湾台風によって紀の川流域にも大きな被害が出たことで、洪水調節機能を持つダムの建設が求められるようになり、1988年にダム本体の工事に着手、2013年に竣工した。当初の洪水調節にとどまらず、工業用水、水力発電にも役割を果たしているという。

道の駅杉の湯川上を過ぎて国道から脇道に入り、坂を上る。丹生川上神社上社の幟が並ぶ。境内の拝殿前までクルマが入れそうなのでそのまま上がる。拝殿や境内は最近整備されたように見える。

丹生川上神社上社は明治以前は高龗(たかおかみ)神社という小さな祠だった。明治になり、「丹生川上神社はどこにあるか」という研究、調査が行われる中で、川上村の高龗神社が比定された。そして同じ時期に丹生川上神社に比定された下市町の神社を口の宮~下社、川上村の高龗神社を奥の宮~上社として、丹生川上神社とされた。大正になり、東吉野村の蟻通神社が中社として比定されたことは先の記事の通りである。

祭神は高龗神で、山の峰を司る龍神、水の神である。丹生川上神社に比定された時期は罔象女神(みつはのめのかみ)を祭神としていたが、上社となってからは高龗神に戻されたという。

案内文には、後醍醐天皇が吉野に朝廷を構えていた時に丹生川上神社に寄せて詠んだ歌が紹介されている。

「この里は 丹生の川上ほど近し 祈らば晴れよ 五月雨の空」

上社はその後も変遷する。先ほど見た大滝ダムの建設にともない、境内地が水没することになった。そして1998年に現在の場所に移された。なるほど、20数年ならまだ新しく見えるはずだ。その後、かつての境内地の発掘調査が行われて、奈良時代~平安時代と推測される祭壇や社殿の跡が見つかったという。それなら、この上社が丹生川上神社だったと言ってもよかったのではと思うが・・。

境内からダム湖を見下ろす。今はダムをはじめとした土木技術での治水が行われているが、古くからの龍神、水の神、雨の神への信仰というのも尊重するところだろう。このところ毎年のように発生するゲリラ豪雨、線状降水帯での豪雨災害を思うと、龍神が何かメッセージを出しているのかなと想像してみるのもよいかもしれない。

朱印をいただく。丹生川上神社の三社まいりというのもあるようだ。

上社を後にして、道の駅で休憩。川上村役場、道の駅、杉の湯ホテルが並んでいる。そばで簡単な昼食として(本格的な食事なら杉の湯ホテルでとのこと)、奈良に来たのだからと柿の葉寿司を購入。これは帰りの新幹線でいただこう。

この次は三社まいりの最後である下社に向かう・・・。

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奈良28番「丹生川上神社中社」~神仏霊場巡拝の道・12(水神のパワースポット)

2022年06月11日 | 神仏霊場巡拝の道

神仏霊場めぐりは談山神社を後にして、吉野郡にある丹生川上神社の3つの社をめぐる。まず目指すのはこのうちの中社。

談山神社から坂道を下り、長い大峠トンネルを抜ける。桜井市と宇陀市の間の竜門山地をくぐるトンネルである。そのまま、ダム湖のある宮奥ダムや関戸峠といったところを過ぎる。この辺りは古くは「阿騎野」と呼ばれ、宮廷の狩場があったところだという。今回は逆方向にいったが、万葉集の柿本人麻呂の歌の舞台とされた場所には公園があるそうだ。

途中で看板を見かけ、いったん通り過ぎて戻ったところにある片岡家住宅を訪ねる。江戸時代からこの辺りに続く庄屋の屋敷で、当時の建物が修繕を加えつつ現在も残っているとある。宇陀にこうしたところがあるのかと門の前まで行くが、見学は予約制とあり、この日は予約がなかったのか「見学中止」と出ていた。

東吉野村に入りさらに奥に進むと、「天誅組終焉の地」に出る。吉村寅太郎の墓碑が置かれている。天誅組とは幕末の尊王攘夷派の集団で、吉村寅太郎は土佐藩を脱藩してこの活動の中心人物の一人だった。孝明天皇が攘夷祈願のために大和に行幸するとの詔が発せられると、吉村寅太郎や公卿の中山忠光を中心とした天誅組はその先鋒として大和で決起し、五條の代官所を襲撃した。しかし、「8月18日の政変」で朝廷内の勢力が変わり、大和行幸は中止。天誅組は幕府軍の攻勢にあい、十津川村の郷士の力を得て抵抗するも最後は敗れ、最後はこの地で壊滅した。吉村は討ち死に、長州に逃れた中山も暗殺された。

この天誅組の変は失敗に終わったものの、倒幕のための初めての武力蜂起として後に評価され、「維新の魁」とも言われている。天誅組の舞台となった自治体も観光スポットとして紹介している。先ほどの終焉の地の近くにも、天誅組義士の墓が点在する。

高見川沿いに走り、丹生川上神社に到着する。丹生川上神社の祭神は、水の神、雨の神である罔象女神(みつはのめのかみ)である。天武天皇の時、「吉野の丹生川上に宮柱を立てて祀れば、天下のために雨を降らし、長雨の時には雨を止める」との神託があり、開かれたとされる。その後朝廷からの崇敬も厚く、しばしば雨乞い、雨止めの祈願が行われた。しかし戦国時代以降は朝廷からの祈願もなくなり、時代が下ると丹生川上神社の所在すらわからなくなったという。

明治になって「丹生川上神社はどこか」という研究、調査が行われ、下市町の神社、川上村の神社が有力視され、下市町の神社を丹生川上神社下社、川上村の神社を丹生川上神社上社とした。その後、大正時代にさらに調査が進められ、東吉野村にある蟻通神社こそが丹生川上神社であることがわかった。そこで、下社、上社がすでに名付けられていることから蟻通神社は丹生川上神社中社としたうえで、三社合わせて「官幣大社丹生川上神社」とされた。戦後、神社制度の変遷により三社はそれぞれ独立した神社となり、現在に至る。

中社自身は、あくまで「ここが丹生川上神社である」というスタンスのようで、石標、扁額、幟、朱印の墨書等々には「丹生川上神社」とのみ記されている。

拝殿で手を合わせる。拝殿、本殿は江戸時代の再建とされる。

その脇には「丹生の真名井 清めのお水」の井戸があり、自由に汲むことができる。さっそくペットボトルに入れる。水の神を祀るところとあって、口に含むだけでご利益がありそうだ。

少し歩くとパワースポットという「東(ひんがし)の滝」がある。吊橋を渡って進むと、水流がクロスしており、躍動感がある。これは手を合わせたくなる。

川遊びを楽しむ人たちも結構いる。ちょうどこの日は気候もよく、少し暑いくらいなので水遊びも気持ちよさそうだ。

ここまでレンタカーで来たが、一応コミュニティバスの便もある。バス停の名前は蟻通で、榛原方面から乗り継いで来ることもできるが、土日祝日のバスはデマンド式で予約が必要とある。なかなかハードだ。

またこの地は、神武天皇の聖蹟「丹生川上」にも比定されている。「日本書紀」の中で、神武天皇は大和平定のために天香具山の土で御神酒を入れる甕を作り、「丹生川上」に上って天地の神を祀った。そして甕を川に沈め「もし魚が全部酔って流れるなら自分はこの国を平定するだろう」として神意を占った。すると魚が浮き上がって口をパクパク開けたという。神武天皇は大いに喜び、一帯の榊を神々に祀ったという。どこまでが本当の話かはわからないが、ちょうどこの辺りは「東の滝」も含めて3つの川が合流する地点で、「夢渕」と呼ばれている。神秘的な雰囲気も漂っている。

しばし水辺で涼んだ後、神仏霊場めぐりを進める。次に向かうのは、丹生川上神社の上社である・・・。

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奈良24番「談山神社」~神仏霊場巡拝の道・11(藤原鎌足を祀る神仏習合のスポット)

2022年06月10日 | 神仏霊場巡拝の道

西国三十三所第7番の岡寺から多武峰に向かう。談山神社まではカーナビの距離で6キロあまりと、案外近いものだ。ただその間は急な上り坂が続く。コンパクトカーや軽自動車と比べて出力が大きいインプレッサでよかった。なお、飛鳥の観光スポットから談山神社へ直接向かう公共交通機関はなく、橿原神宮前~大和八木~桜井と乗り継いで最後はバスに乗車する。

県道で明日香村から桜井市に入り、多武峰駐車場に着く。ここからしばらく歩き、正面の入山受付に向かう。ここで入山料と朱印料を納め、朱印帳を預ける。

まずは本殿に向かう長い石段を上がる。ここも緑が鮮やかである。

談山神社は藤原鎌足を祀る神社である。藤原鎌足(当時は中臣鎌足)は、中大兄皇子(後の天智天皇)とともに「大化の改新」を行うのだが、秘密の談合を行ったことから、この地は後に「談い(かたらい)山」、「談所ヶ森」と呼ばれるようになり、談山神社の名前にもなった。

本殿・拝殿に続く石段から折れて、神廟拝所に向かう。神廟とはこの上にある十三重塔のことだが、この拝所はかつて寺の講堂だった建物だという。実はここ談山神社は、鎌足を供養するために建てられたとはいえ、元々は寺だったという。鎌足の長男で僧の定恵(政治家の不比等は弟)が、父の供養のために墓を摂津(現在の阿武山古墳)からこの地に移し、十三重塔を建てたのが始まりである。昔は妙楽寺という名前で、阿弥陀三尊を本尊としており、後に談山権現として神仏習合の性格を持つようになった。

藤原氏の氏寺といえば興福寺、氏神といえば春日大社であるが、あちらは不比等系、こちらは定恵系とでもいうか。ただ歴史的には両者の仲はよくなかったようで、妙楽寺は興福寺の僧兵による焼き討ちにも遭ったとある。また後には南北朝の争い、戦国の争いに巻き込まれることも多く、現存する建物の多くは戦国~江戸時代の再建という。

明治の神仏分離により妙楽寺は談山神社となり、本尊の阿弥陀三尊は安倍文殊院に移される中、如意輪観音は残された。この如意輪観音は6~7月に御開帳という。祠もあちこちあり神社の姿だが、建物のどこかしこに寺の面影が残り、また如意輪観音の御開帳があるのはそうした歴史があってのことだ。藤原鎌足を祭神とした神社・・というイメージで来ると、意外に感じることも多い。

再び石段を上り、楼門から拝殿に入る。奥の本殿には藤原鎌足が祀られているが、妙楽寺の当時は鎌足をご神体として祀る聖霊院として、こちらも寺のような神社のような、神仏習合の歴史がある。こうしたことを気づかせてくれるのも神仏霊場である。

細長い畳敷きの拝殿の奥には、藤原鎌足の肖像画や、「多武峰縁起絵巻」の一部(いずれも複製)が展示されている。今頃の歴史の教科書などでは取り上げられているのか知らないが、飛鳥板葺宮での蘇我入鹿暗殺の場面である。飛鳥時代にはあり得ない装束で描かれているのだが、刀を振る中大兄皇子、弓を手にする中臣鎌足、そして蘇我入鹿の首が宙を舞うというシーンだ。板葺宮跡、蘇我入鹿首塚・・・先ほど近くを通って来たぞ。

そして十三重塔へ。戦国時代の再建というが、木造の十三重塔として唯一現存する建物という。

最後に向かったのは東殿。鎌足の妻である鏡女王が祀られている。

その前にあるのは「厄割り石」で、この上に「厄割り改新玉」というのを落とすとある。東殿横の授与所で「改新玉」をいただく。最初の玉に厄を移すとして、息を3回吹きかけ、体の治したいところに当てる。そして厄割り石の上にそっと玉を落とす。次に2つ目の玉に願いを込めるとして、息を3回吹きかけ、同じように厄割り石の上にそっと落とす。私が落とした時は、最初の厄を移したほうが割れずにそのまま転がったのだが、その場合でも拾わずそのままにとある。

最後は預けていた朱印帳を回収する。談山神社もずいぶん久しぶりだが、神仏習合の歴史が残るところとは初めて知った。

談山神社を後にして、次に向かうのは東吉野村にある丹生川上神社中社。また奥深いところに入ることに・・・。

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第7番「岡寺」~西国三十三所めぐり4巡目(紫陽花の景色に癒される)

2022年06月09日 | 西国三十三所

5月29日、朝の上本町から「神仏霊場巡拝の道」めぐりの出発である。まずは近鉄大阪線で、7時06分発の五十鈴川行き急行に乗る。頭端式ホームの終点側のロングシート車を過ぎると、急行用の転換クロスシート車が停まっていたのでそちらに乗り込む。

この日の行程は大和八木まで行き、レンタカーで奈良県吉野郡の札所を回る。お目当ては川上村にある奈良27番の丹生川上神社上社だが、これに合わせて東吉野村にある奈良28番の丹生川上神社中社、そして下市町にある奈良29番の丹生川上神社下社も訪ねることにする。これらを公共交通機関で回ろうとすれば1日では無理で、効率を求めるわけではないがレンタカー利用である。

ただ、吉野郡に向かう途中には西国三十三所第7番の岡寺がある。西国三十三所の札所の多くは神仏霊場めぐりの札所にも含まれていて、おのずと西国めぐりの4巡目も合わせて行うのだが、岡寺は数少ない「含まれていないほう」の札所である。今回レンタカーを使うのなら、この機に行きがけに立ち寄ることにした。また、岡寺から東の多武峰には、神仏霊場の奈良24番・談山神社がある。そうすると、岡寺~談山神社と回り、丹生川上神社については東から中社、上社、下社と回るのがよさそうだ。結構大掛かりなこととなった。

7時42分、大和八木に到着。南口を出て近くのニッポンレンタカーに向かう。開店時間の8時から、帰りの新幹線の時間から逆算して17時までの利用である。

この日乗るのはスバルのインプレッサ。この車種に乗るのは初めてである。私がレンタカーを利用する際、どうせ1人乗車ということもあってコンパクトカーや軽自動車で事足りていて、この日もコンパクトカーのプランを4610円で予約していた。ただ、前日にレンタカー営業所から電話があり、料金はそのままでよいので車種をインプレッサにしてほしい旨の依頼があった。車のやり繰りの都合なのか詳しくは尋ねなかったが、特に異存はないので変更を承諾した。結果的に、今回は山道のカーブや上り坂を走ることも多く、出力が大きい車種で楽に移動することができてよかった。

8時に出発。まず目指すのは岡寺である。神仏霊場めぐりの寺社は、特別参拝の伊勢神宮内宮・外宮を除くと現在152ヶ所だが、発足に当たってはもう少し多くの寺社にも声がかかったそうである。岡寺ほどの寺院なら声がかかってもおかしくないと思うのだが、寺のほうで辞退したのかどうなのか。

明日香村の有名スポットの一帯に差し掛かる。飛鳥一帯の史跡・寺院めぐりだけでも楽しめるところだ。せっかくなので前を通りがかった飛鳥寺で飛鳥大仏を拝観しようかと駐車場に停めると、係の人が「9時からです」と声をかける。時刻はまだ8時半前。ここで30分待って飛鳥大仏を拝観しても後の行程は大丈夫だと思うが、何が起こるかわからないので今回はそのままパスする。

カーナビはそのまま岡寺に続く鳥居前まで案内し、この鳥居をくぐるよう指示するが、インプレッサでは曲がるのが厳しそうだ。鳥居横の看板では駐車場へは別の道を指しており、その通りに進む。これまでバス+徒歩やレンタサイクルで訪ねているが、クルマは初めてで勝手が違う。

案内の通り進むと、土産物店の前に広い駐車場がある。駐車料500円は致し方ないだろう。その代わり、少し石段を上がった先には岡寺の山門がある。こちらはすでに門が開いていて、参詣者の姿も見える。

ちょうど紫陽花の時季ということで、壷阪寺、長谷寺とともに「あぢさゐ回廊」の催しが行われている。手水鉢も花で彩られていて、スマホ、カメラを向ける人が多い。よいタイミングで来たものである。私の場合は「映える」は意識しないのでただ何となくカメラを向けるだけだが・・。

鐘を鳴らした後、本堂にてお勤めとする。6月26日まで本堂内々陣の特別開扉が行われている。岡寺の本尊・如意輪観音は塑像としては日本最大とされるが、内々陣の特別開扉では本尊のすぐ膝元まで近づくことができる。

重ね印をいただく。ちなみに、JRの西国三十三所のデジタルスタンプラリーのQRコードは近鉄の橿原神宮前駅にあるので、大和八木に戻る途中に立ち寄ることにしよう。

奥の院の参道に「あぢさゐ回廊」が続く。紫陽花の鉢を小川に並べていて、紫陽花の川ができている。お地蔵さんとの組み合わせもいい感じだ。

そのまま奥の院まで行き、境内を一回りして三重塔、大師堂とめぐる。

これで岡寺を後にして駐車場に向かう。ここで目に留まったのが、「旧境内跡」という案内板。汚れていて文字が読みづらいのだが、岡寺に隣接する治田神社の境内にある。現在の岡寺の伽藍は江戸時代に建てられたものだが、それ以前はこの場所にあったと推測されている。これまでは鳥居の方向にすぐ下りていたので、こういう場所があるとは初めて知った。

西国三十三所めぐりも4巡目に入っているが、訪ねるそれぞれの時季ならではの見どころもあるし、行く手段も異なれば違った体験にもなる。これからも何やかんやで続けることになるのだろう・・。

岡寺から近くにある石舞台古墳のすぐ横を素通りするのはもったいないようにも思うが、多武峰を越えて談山神社に向かう。ここからが神仏霊場めぐりである・・・。

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神仏霊場巡拝の道~交流戦観戦と合わせ技で大阪で前泊・上本町

2022年06月08日 | 神仏霊場巡拝の道

記事は5月に戻る。

5月28日、交流戦のバファローズ対ドラゴンズ戦の観戦にて京セラドーム大阪を訪ねたが、そこに第3回となる「神仏霊場巡拝の道」めぐりを組み合わせる。前回、京都東山にてあみだくじアプリで出たのが、奈良・川上村の丹生川上神社上社である。ただ、丹生川上神社の中社、そして下社も同じく神仏霊場めぐりの札所になっており、今回は観戦翌日の29日に、吉野郡に点在するこれらの神社をまとめて訪ねることにする。

まずは広島を出発。広島6時49分発の「こだま836号」新大阪行きに乗る予定で、広電で西広島に到着。西広島6時24分発の糸崎行きに乗るのがパターンであるが、改札口前に人だかりができている。案内放送によると、手前の西広島~新井口間で枕木から煙が確認されたとのことで、安全確認のために山陽線の運転を見合わせているという。乗る予定の糸崎行きも来る見込みがなく、これで「こだま836号」には間に合わないことが確実となった。きっぷの扱いもいろいろ面倒だろうが、とりあえず再び広電に乗り込み、広島駅まで移動する。

枕木から煙というのはちょくちょくあるようで、実は同じ28日の午後には芸備線内でも発生し、影響が出たそうである。この日の原因が何だったのかはわからないが、猛暑の中で自然発火するケースもあるが、電車や機関車がブレーキをかけた際に火花が起こり、それが枕木に飛んで着火したのが原因というのが多いそうだ。新しく建設された路線、あるいは設備改良が行われた路線の場合はコンクリート製の枕木が使われるので煙がでることはないそうだが、何せ山陽線(広島地区)、芸備線というところなので・・・。

広島駅の改札は普通に通過でき、結局乗ったのは7時18分発「のぞみ94号」である。広島始発なので自由席でも座れるし、そもそも乗り遅れた「こだま836号」も新倉敷で追い越すのでその後の移動には支障ない。きっぷに忠実に動くなら、岡山で下車して再び「こだま836号」に乗ればよいことだが、すでに自由席に座っていることだし、結局新大阪まで乗ることにした。新大阪の改札も難なく出ることができたが、これでよかったのかな??

試合開始は14時で別に慌てて移動する必要もなく、いったん難波に移動してぶらぶら。そして早い昼食ということで、「赤垣屋」にて景気づけ(結局昼酒かい)。季節ごとに変わるメニューも多いので、それらを試すのもよいものだ(赤垣屋の一部店舗では、関西にいながらホッピーが楽しめるのも私的にはポイント)。

そのまま、同じ通りにある「金龍ラーメン」も久しぶりに訪ねる。あっさりスープに無料トッピングのキムチ、ニラ、刻みニンニクを入れて味を濃くする。畳敷きの席に座って食べるのが名物である。味は絶品とはいかないにしてもそこそこだし、雰囲気ということでインバウンドの人で賑わっていたところ(店員もインバウンドというのが大きいのかな・・)。それはさておき、球場に行く前にどんだけ食べるねん・・・。

そして阪神なんば線で京セラドーム大阪まで移動して試合観戦。28日のドラゴンズ戦はエース山本登板も、残念ながら4対1で敗戦・・・(観戦記については以前に書いたので省略)。

この日の宿泊である。ドーム前から阪神~近鉄の直通運転に乗り、上本町で下車。この日の宿泊は駅近くの「ロディソンホテル大阪上本町」である。翌29日の吉野郡での神仏霊場めぐりは大和八木まで移動してレンタカーを利用する予定である。そのため、近鉄大阪線の起点である上本町宿泊とした。まだ新しく、インバウンドを当て込んで建てられたホテルなのかな。日本旅行のプランで予約したからなのか、ツインルームでゆったりできそうだ。

そして一献だが・・・上本町に来たのならハイハイタウンだろう。その名物ともいえるのが、日本一長い?カウンターの居酒屋として知られる「天山閣ハイハイ横丁」である。全長約30メートルのカウンターが柱でいくつかに区切られていて、客の入りによってある区画では椅子を上げたままにしているが、立ち飲みではなく腰を落ち着けることができる。のれんの向こうから「いらっしゃい!」と声がかかり、柱の横の席に陣取る。

夕食の一献といってもそれほど胃袋には入らないのだが、久しぶりにこの風情も楽しむ。おひとり様でも気軽に入れるところ。

・・・何だかこの記事は単に昼夕で居酒屋をハシゴしただけの内容だったが、翌29日はようやく本題の札所めぐり。これが結構あれこれ回ることに・・。

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観戦記・交流戦カープ対バファローズ第3戦@マツダスタジアム(雨天の接戦、バファローズ、カープともに勝率5割へ)

2022年06月07日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

交流戦のバファローズ対カープのカードというのは私にとっては楽しみである。これまでにも乱打戦あり、接戦あり、鈴木誠也の「神ってる」あり,、1イニング4本の三塁打あり・・旧広島市民球場、京セラドーム、神戸、マツダスタジアムとさまざまな球場で生観戦したが、私が2回目の広島勤務となって初めて、マツダスタジアムでの観戦である。広島在住としてバファローズをお迎えするということで、日程が発表されてからずっと楽しみにしていた。

ただ、マツダスタジアムのチケットがなかなか取れない。プレイガイドの公式サイトにて何とか6月4日、5日の席は確保したものの、もう少し見やすい席を求めてチケット売買サイトをずっとチェックしていた。その結果、(それなりのコストはかかったが)条件のよい席を入手できた。しかしながら4日の第2戦は仕事の都合で行くことができなくなり、5日の第3戦のみということになった。

カード第1戦は4対1,そして第2戦は3対2でいずれもバファローズが勝利。2018年以来、これでカープ相手に11連勝である。逆に、私が観戦したことでその連勝が止まりやしないかと変にびくびくする。そして5日は昼過ぎから雨の予報で、朝は降っていなかったので試合は無事行われそうだが、途中で中断、降雨コールドとならないことを願う。

JR広島駅へ。ICOCAのエリア拡大のPRに起用されているバファローズ杉本のポスター、等身大パネルはまだ健在である。ここに杉本の昇天ポーズ起用されているとは、関西から広島に遠征のバファローズファンの皆さんがかえってびっくりしたのではないだろうか。前日は本塁打を放って昇天ポーズを決めたが、この日はどうだろうか。

スタジアムに向かう。手前に見えるのはマツダスタジアムでの試合日限定で赤く変色する「NIPPON EXPRESS」のロゴ。実際のカラーは青と薄緑なのだが、スワローズのチームカラーを連想させるのはいかがなものかと、試合日限定で赤く染めている。その手前の東横インもネオンが青から赤に変わるし、ローソンは普段から赤色のロゴになっている。地元密着というのはそういうことである。優勝しても地元関西ですら祝福されなかったバファローズのファンとしてはうらやましいことだ(だから、「市民球団」カープに対しても複雑な思いを持つのだが・・)。

ちょうどスタジアムに着いたのに合わせて雨が降り出し、レインコートをかぶって三塁側S指定席に陣取る。

内野グラウンドはシートで覆われていて、バファローズの選手たちはその周りでアップ中である。練習風景を見ることができるぶん、ビジターチームのファンとしての観戦の楽しみがある。

そうこうするうちに試合開始が近づき、シートも外される。

両チームのスタメン発表。バファローズは吉田正がベンチ入りを外れた。前日の併殺打を防いだ走塁があったが、やはりまだまだ無理はさせられないというところだろう。杉本、マッカーシー、T-岡田のクリーンアップである。一方カープは小園がスタメン落ち、西川が登録抹消。

カープの先発はアンダーソン。福田、杉本から三振を奪うなど上々の立ち上がり。

一方のバファローズ先発の宮城も初回は三者凡退。2回は坂倉に四球を与えるも後続を断ってゼロに抑える。

雨はずっと降っており、イニングごとにマウンド、ベース上に砂が入れられて整備が行われる。今後雨が強まるとの予報も出ており、両チームとも先制して雨で逃げ切り?も頭に入れていることだろう。

その先制点はカープ。3回、先頭の上本がヒットで出塁。続くアンダーソンが送りバントを決め、野間がセンターへのヒットで一死一・三塁とチャンスを広げる。ここで菊池は空振り三振となったが、中村奨がセンター前に転がして1点が入る。

3回までアンダーソンの前に三者凡退が続いたが、4回先頭の福田がヒットで初めてのランナーが出ると、宗が同様に送りバント。ここで杉本がレフト前へ。足元が悪い中福田が激走して生還、送球の間に杉本も二塁へ滑り込んだ。ユニフォームも泥だらけだが、これで1対1の同点に追いつく。後続が倒れたのは残念だが・・。

直後の4回、カープは一死から曾澤の当たりは三塁へのボテボテのゴロ。宗が拾い上げて矢のような送球で一塁アウト。佐々岡監督から物言いがつくが、ビデオ検証の結果判定は変わらず。カープはこの後、堂林、上本の連打でチャンスを作るも、打順がまわったアンダーソンが三振となり無得点。カープとしては打順の巡り合わせが・・。

5回表、先頭の伏見がヒットで出塁。続く野口はバントの構えだが、右足への死球でチャンスを広げる。次の紅林にはどうさせるのかな・・と見るがそのままヒッティング。しかし力のない内野フライで一死一・二塁。続く宮城はさすがにバントの構えだが、バスターを仕掛ける。さすがにバスター作戦は当たらず、こちらも力のないファウルフライ。福田も倒れて無死一・二塁から勝ち越しのチャンスを逃す。もったいない。

5回裏は宮城が三者凡退に打ち取り、とりあえず雨の中試合は成立した。

6回裏、先頭のマクブルームがヒットで出塁。そして坂倉が左中間への当たりを放つ。これがタイムリー二塁打となり、カープが2対1と勝ち越す。この試合、アンダーソンの調子がよいものだから大きな勝ち越し点で、さすがにこのままカープが行くかな・・と思った。

カープは続く曾澤の内野ゴロの間に一死三塁として、次は堂林。犠牲フライでももう1点というところだが、ここは宮城が三振に打ち取る。次はここまで2安打の上本だが、バファローズベンチは申告敬遠とする。上本が宮城に当たっているのと、次がアンダーソンということでそこで攻撃を切るためだろう。

しかしカープはアンダーソンに代えて、代打にルーキーの中村健を出す。あくまでもう1点を取りに来たか。その中村も起用に応えようと何球もファウルで粘るが、最後は内野フライに倒れる。2対1とカープがリードしたが、アンダーソンが交代となったことがバファローズにとって良いほうに転ばないかと、わずかな期待を持つ。

7回表のカープのマウンドには左腕の塹江。9回は栗林という絶対的な抑えがいるので、7・8回をどうしのぐかが、カープが開幕当初好調だった時からの課題。

その塹江、先頭のT-岡田にストレートの四球。スタンドにもざわつきが起こる。続く伏見は送りバントの構えを見せるが、ボールが続き結局は四球で無死一・二塁とチャンスを広げる。期待が一気に膨らむ。カープは塹江をあきらめ、ケムナにスイッチ。

続く野口は送りバントを決めるが、曾澤の一塁への送球が少しそれてベースカバーの足が離れたとしてセーフ。無死満塁と絶好のチャンス。これはいくら何でも1点は入るだろう。逆に、ここで0点だったらバファローズの負け。

ここで紅林に代えて、安達が登場。このベテランなら何とかしてくれる、何とかしてほしい・・。そう思っているとおっつけた打球はライトへ。2点タイムリー二塁打となり、3対2と一気に逆転する。

次の宮城への代打・中川圭は見逃し三振に倒れたが、続く福田がスクイズを決める。これで4対2。さらに宗の内野安打でもう1点入る。5対2と、一気にバファローズが有利となった。これでアンダーソンの勝ちが消え、逆に宮城に勝ち投手の権利が出た。宮城は先ほどは三塁側でこの後の打席~さらには8回の登板に向けて肩ならしをしていたが、ここでベンチに下がり、T-岡田とともに戦況を見守る。

7回裏、宮城に代わって近藤が登板。先頭の野間にいきなり3ボールとして、先ほどのT-岡田と同じようになりやしないかとヒヤヒヤしたが、次の投球でストライク(野間はボールと思って一塁に歩き出す)、もう1球ストライクとして最後はボール球を空振り三振。反撃の芽を摘んで、この回を三者凡退に抑える。雨がずっと降っていることもあり、7回あたりから席を立つ人が出始めた。

8回はカープがターリー、バファローズが前日見せ場を作った本田がそれぞれ三者凡退に退け、試合は9回へ。

9回裏には平野が登板。3点差、カープは下位打線ということで、先頭の代打・宇草に四球を与えるも、代打・松山(なぜこんな場面で出てくるかな?)も含めて後続を断ち、そのまま5対2でバファローズの勝利。三塁側内野席からもところどころからパラパラと拍手が起こる。

これでバファローズの対カープ交流戦連勝が12に伸びた。両チームの交流戦の成績はバファローズが7勝5敗、カープが3勝9敗となり、いずれもシーズンの勝率がちょうど5割になった。ただ同じ勝率5割でも、バファローズは1ヶ月ほどで借金を返済しての5割に対して。カープは開幕以来の貯金が底をついての5割である。ネット上では、カープファンのボヤキというのか、佐々岡監督の采配への批判の声も出ている。アンダーソンの交代、7回の塹江の起用に対するものも多いが、この投手交代のタイミング(打順との兼ね合い)というのも、セ・リーグ野球の面白さであり、難しいところなのだなと感じたところである。

・・それはいいが、マツダスタジアムで、ビジターチームのヒーローインタビューの音声を場内に流さないというのはええ加減に改善してほしい(ビジターパフォーマンス席を長崎の出島のように押し込める行為も含めて)。まして、パ・リーグチームにそれをやられると、また私の腹の中で「広島はパ・リーグを見下しやがって・・・」という怒りの気持ちがふつふつと湧いてくる。まあ、広島の人がそういうメンタリティなのなら、それまでのことだ。

スタジアムを後に広島駅に向かう。皮肉なもので、試合終了とともに雨も小降りになった。このままユニフォーム姿で山陽線~広電と乗り継いで帰宅しよう・・・。

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「奥出雲おろち号」から定期列車に移ってスイッチバックを上り下り

2022年06月05日 | 旅行記F・中国

「奥出雲おろち号」は12時36分、備後落合に到着。木次から2時間半ほどの乗車であった。

この先広島に戻るなら芸備線の三次行きに乗るところだが、次の三次行きは14時43分と2時間の待ち時間がある。「おろち号」はあくまで島根県内の列車であり、備後落合から広島、(新見経由)岡山との間の連絡は想定していない。確か一時期、試験的に芸備線との接続列車が運転されていたこともあるが、なかなか継続というわけにはいかないのだろうか。

駅から徒歩15分ほどで「ドライブインおちあい」に行くことができるし、かつての要衝駅にたたずみ、もし国鉄OBのボランティアガイドがいれば案内を聞くこともできるが、さすがに2時間は持て余しそうだ。そこで、復路となる12時57分発の「おろち号」にも乗り、次の備後落合行きとすれ違う出雲坂根まで行くことにした。スイッチバックを合計3回通ることになる。こういうこともあるかと指定席は押さえていた。

備後落合発の「おろち号」には空席が目立つ。芸備線からの接続がないため、乗るには往復での乗車か、クルマか何かで駅に来るくらいしか方法がない。一方で、備後落合のホームに残る人もそれなりにいる。2時間待って、三次行き、あるいは新見行きに乗り継ぐのだろう。

木次行きは機関車が客車2両を牽引する形。窓のないトロッコ車両に乗っているが、前に乗った9月は機関車からの熱風で暑く感じたものだ。

三井野原からも乗客があり、スイッチバックを下っていく。スピードを落として、まずは奥出雲おろちループを眺める。

後でわかったのだが、三井野原から出雲坂根を経て出雲横田まで奥出雲交通の路線バスが出ており、時刻表によると、備後落合からの「おろち号」からだと三井野原を13時38分に出発し、おろちループを下って13時44分に出雲坂根着の便がある。「おろち号」がスイッチバックを行ったり来たりする間にループを下り、出雲坂根に先着する。こうした乗り比べも面白そうだ。

車掌から、「次の出雲坂根で備後落合行きに乗り換えのお客様はお知らせください」とある。私のほかにもう1~2人希望者がいたようだ。

そしてこの日2回目のスイッチバック。こうやって観光列車に乗っている分には楽しい時間ではあるが、運転士もいちいち運転台まで移動しなければならないし、その都度操作確認や安全確認を行う必要があるから手間といえば手間である(「おろち号」の場合は、機関車と客車側の運転台を行き来しなければならない)。もしこの区間を通勤・通学・通院等で日常的に利用する人がいたとして、いつもこれをやられていたらたまらないだろう。バスのほうが少ないながらも本数があるし、両駅間をわずか6分で結ぶとあれば、そちらを選ぶだろう。

2段目の坂を下り、出雲坂根に到着。「おろち号」は18分停車するが、折り返しとなる備後落合行きの普通列車は「おろち号」が着くとすぐに発車する。気動車は線路を渡った駅舎側に停まっているが、渡ろうとするとホームにいた係員が制止する。だから、乗り換えるって事前に車掌に言ってるやろ・・とそれを振り切って乗り込む。

この同時乗り継ぎ、もう少し何とかならないものかと思う。「おろち号」がここまで1分でも2分でも早く着いていれば、ここまで慌てることもないだろう。まあ、この「出雲坂根折り返し」ができるのも2023年度までである。後継の観光列車は「天地(あめつち)」が充当されるが、木次線は出雲横田までの運転で、スイッチバックには入らないという。

折り返しの気動車はそこそこの客がいて、これからスイッチバックを上るということで運転席の横にも何人かが立って展望を眺めている。この日3回目のスイッチバックだが、1回目に「おろち号」で上った時よりも速度がゆっくりと感じる。これは展望を楽しんでもらうサービスというよりは、線路にダメージを与えないように恐る恐る上っているように見える。

この列車でも、三井野原で下車する人が結構いた。駅の外にはバスが停まっていて、この人たちも「おろち号」ではないがスイッチバックを体験ということで短区間利用したようだ。

三井野原を過ぎると淡々と走り、備後落合着。ホームには国鉄OBのボランティアガイドもいたが、「三次行き、新見行き、反対ホーム急いでください」と降りてきた客に声をかけて乗り換えを促す。木次線の列車が定刻より少し遅れて到着したようだ。そのまま三次行きに乗り込む。すぐに反対側の新見行きが発車し、続けて三次行きが発車する。木次線ホームからはボランティアガイドが大きく手を振っての見送りである。

三次行きはオールロングシート。適当な間隔を開けて着席できるくらいの乗客数である。やはり木次線~芸備線は定期列車どうしの乗り継ぎでの利用となる。スイッチバックを3回も通った後だけに景色としてはお腹いっぱいで、三次までの車内はぼんやりとして過ごしていた。

三次からは16時09分発の快速広島行きに乗り継ぐ。さまざまな列車を乗り継いだ最後はキハ47のタラコ色である。1日数本の快速列車で、普通列車とはまた違った走りを見せる。17時34分、まだ明るい広島駅に到着した。

ここまで乗って来た「広島市内~広島市内」の乗車券だが、別に手元に残しておくつもりもなく、あっさりと自動改札を通して吸収される。さまざまな列車を楽しむ2日間となった・・・。

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木次から「奥出雲おろち号」で地元グルメを楽しむ

2022年06月04日 | 旅行記F・中国

5月22日、出雲の湯村温泉で静かな一夜を過ごした後、8時30分発のコミュニティバスで出発する。湯村温泉からもう一人乗車したし(宿泊客かどうかはわからない)、先客も一人いた。また途中のバス停からも地元の人が運転手と「久しぶりに顔見るなあ」などと言葉を交わして乗り込む。ただ、やはり途中のバス停のアナウンスはなく、そのまま木次駅に着いて自然と皆下車した。行き帰りとも降りそこねることはなかったが、初めて乗るにはちょっと不安である。この手のバスに乗る時には、確認の意味で「○○に行きたいのだが」と運転手に言っておいたほうがよさそうだ。

時刻は9時すぎで、10時08分発の「奥出雲おろち号」まではまだ時間がある。ちょうど駅前にショッピングセンターがあり、この時間からメインのスーパーはじめ、2階にある書店も開いていた。立ち読みと文庫本購入で時間をつぶし、スーパーで飲食物を入手する。

その後は木次のホームでそよ風を受けながら「おろち号」が入るのを待つ。そうするうちに駅前には観光バスが横付けされ、さまざまな年齢層の人たちが降りてくる。どうやら、この後「おろち号」に乗るらしい団体さんのようだ。「おろち号」が連日満員御礼なのもこうした日帰りツアーによるところが大きく、広島発のコースを設ける旅行会社もある。トロッコ車両に乗り、出雲坂根でのスイッチバックを体験し、三井野原まで先行したバスに再び乗って昼食・温泉・観光のスポットに向かうのが定番である。単に乗るだけではなく、沿線のスポットを訪ねることでお客も喜ぶし、地元も潤う。私はそのまま通過するだけということで、せめてということで今回湯村温泉に宿泊した。

トロッコ車両を先頭に「おろち号」が入線。出雲市からすでに何割かの座席は埋まっていたが、木次からの乗客のほうが多く、これでほぼ満席となった。

トロッコ車両のところどころに空席も見えるが、席の主は控え車両に行っているのだろう。私も荷物を置くために控え車両に行ってみたが、ツアーの添乗員は(荷物もあるので)こちらを定位置にしていた。他にも、相席を嫌ってあえてこの車両にいる様子の人、またトロッコよりもむしろ「ひと昔前の客車列車の雰囲気」を楽しむ様子の人など、さまざまだ。簡易リクライニングシートというのが残るのも、JRではこの車両だけではないだろうか。

自席に座る。進行前向きの通路側である。このブロックは個人向けのようで、隣、向かいにはそれぞれ一人乗車の客が座って、それぞれ一眼レフカメラやビデオカメラで外の景色をいろいろ撮影している。通路側なので外の撮影には不向きだが、車内をいろいろ移ったりする分にはこちらのほうが気を遣わずに済む。

トロッコは風を受けて走る。線路際に伸びた木々がバサバサと車内に入り、窓側の客がびっくりするのもトロッコならではである。トンネルでは車両中央の屋根に龍のイルミネーションが浮かび、乗客の注目を集める。

日登を過ぎ、下久野に停車。地元の人たちからの見送りを受ける。

下久野トンネルに入る。木次線で最長の2241メートルあるが、トンネルがずっとまっすぐに掘られているために2キロ先の出口の光を見ることができるのが特徴である。このトンネルのおかげで奥出雲まで鉄道が開通したわけだが、かなりの難工事だったという。

出雲八代からは車内販売として大福が売られ、次の出雲三成からは「仁多牛べんとう」のワゴン販売が来る。「仁多牛べんとう」は予約も取り扱っていて、前回乗った時は予約していただいたのだが、今回はいいかと見送っていた。ただ、予約の引き取りが終わった後で、なおかつ当日分があり、「出来たていかがですか~」とワゴンを押すのを見て、思わず買ってしまう。これは後ほど、控え車両に席を移して美味しくいただいた。米といい牛肉といい、「仁多」という言葉にはブランドを感じてしまう。

出雲三成の次は亀嵩。「砂の器」、「そば屋の駅舎」として木次線の中でも知名度が高い駅である。こちらでは予約制の「そば弁当」の引き取りがある。ホームで出迎える係の人が次々に名前を呼び、車内から代金とともに手が伸びる。昔の汽車旅でのホームでの弁当売りはこんな景色だったのかなと想像を掻き立てる。こちらの「そば弁当」も、後程控え車両にて美味しくいただいた。また機会があれば、駅舎の中でいただきたい味である。

画像はないが、トロッコの風を受けての飲み鉄も順調に進んでいる。

奥出雲の中心である出雲横田に到着。「奥出雲おろち号」の引退後に運転される「天地号」は出雲横田止まりの予定である。出雲横田もさまざまな魅力があるところだが、この先の難所を前に運行をあきらめる判断のように見えてしまう。

そのホームでは地元の人たちの見送りがあり、「笹寿し」を購入。前回は立ち売りでの売り切れを見たため、今回は予約していた。これは帰宅後の夕食としたが、同じように葉っぱでくるんだ奈良の「柿の葉寿司」と比べて、それが笹の葉の特徴なのかさっぱりした味に感じた。季節にもよるが、舞茸なんかも具材にするのが土地の知恵である。

出雲横田の次は八川。ここもそばが名物で、ホームに八川そばの立ち売りが出る。ここでも予約していた。木次線の「そば弁当」は亀嵩、八川とあり、八川を推す向きも結構ある。こちらは笹寿しとともに帰宅後の夕食としたが、亀嵩よりも素朴な味わいである。今の感覚だと結構パサパサなのだが、そもそもそばの味というのはこういうものだと言われれば、そうですかと納得する味である。

八川の次は出雲坂根。この先が木次線の車窓でもっとも盛り上がるところである。沿道の撮り鉄も増え、国道を並走するクルマからも手が振られる。「おろち号」も先を急ぐわけでもなく、沿線客にその姿をじっくり見せるかのように進む。

出雲坂根に到着。多くの見物客が出迎える。5分の停車時間で向かうのは駅の外にある延命水。この停車時間を見越してのことだが、「おろち号」に乗って、いくつかの駅での弁当販売はあるものの、飲み物は購入できない。文字通り「給水」のポイントである。それでも時間はわずかで、慌ただしく追い立てるように車掌が笛を鳴らす。もう2~3分でもいいので停車時間が取れないものだろうか。

ここからがスイッチバックである。乗客も一斉に立ってトロッコの外の景色に目が行くところだが、私はここで控え車両に移り、窓を全開にする。このほうがかぶりつきで車窓を楽しめる。

スイッチバックの2段目を終えて、機関車から運転士が客車内を通って再び客車側の運転台に向かう。ここからの3段目が車窓のよい区間である。そろりそろりと走り、右手におろちループが現れる。かつて国鉄でローカル線の廃止が行われた際、その除外条件の一つに「並走する国道が積雪などで不通となる日数が多いこと」があり、木次線はそれに該当したために廃止を免れたことがあった。しかし時代が進み、並走する国道のほうはおろちループが建設され、利便性が高まった。今では立場はすっかり逆転して、木次線のほうが積雪のために長期運休となるケースが増え、「冬眠」とまで言われるのだが、それでも困る人がほとんどいないという状況である。

おろちループを見た後に三井野原に到着して、団体客を中心に多くの下車がある。

この先は広島県境を越えてののんびりした移動である。控え車両にて、先ほど買い求めた弁当をいただく。

「おろち号」の右手に芸備線の線路が見えて、山間のジャンクションである備後落合に到着。2回目の広島勤務になってから何度目になるか、またこの駅に降り立つことに・・・。

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島根の湯村温泉にて一泊

2022年06月02日 | 旅行記F・中国

特急「やくも9号」で出雲市まで到着後、いったん改札を出る。手元の「広島市内~広島市内」の乗車券は宍道から木次線に入るルートのため、宍道~出雲市間は飛び出し乗車となり、別運賃を改札口で支払う。

当初はここで21日の乗車を終えて出雲市宿泊としていたが、出発の数日前になり予定を変更した。この日のうちに木次線に乗車して木次まで行って宿泊、22日の「奥出雲おろち号」には出雲市からではなく木次からの乗車とした。同じ乗るなら、沿線に宿泊したほうが少しでも木次線のためになるだろう。ならば「やくも9号」を宍道で降りればすぐに接続の木次線に乗れたが、最後まで乗りたかったのと、あまり早く木次に着いても宿のチェックインができないのとでそのまま出雲市まで行った。

今度はICカードで改札を通り、14時50分発の米子行きに乗車。宍道には15時19分に到着し、次の16時01分発出雲横田行きまで待つ。ホームにはすでにタラコ色の気動車2両は入っているが、省エネのため発車10分前までドアは開けないとの案内がある。いったん改札を出る。

その間に普通の益田行きが到着し、その行き違いで先ほど乗った国鉄色が「やくも24号」岡山行きとして到着。反対側ホームから見送るが、やはりこの車両にはこの塗装が一番似合っているように思う。新車導入まではまだ少し時間があるようだが、そのうち引退へのカウントダウンが始まると撮り鉄、乗り鉄がまた大勢押し掛けるのだろうな・・。乗るなら今のうち。

木次線の気動車もエンジンがかかり、車内灯もついてドアが開く。2両とも出雲横田まで行くが、乗ったのは4~5人。平日なら下校生が利用する時間帯でもう少し多いのだろうが。いずれもボックス席のある車両で、4人掛けにゆったりと腰かける。

宍道を出ると、次の南宍道にかけて上り勾配を行き、加茂中からは田園風景となる。この区間もトロッコに乗ることができたが、あくまで延長運転によるもの。普通のローカル列車に乗って移動するのもよいものだ。

16時39分、木次着。ここまで来た乗客は全員下車した。11分停車して出雲横田に向かうが、その間に乗って来る客はいるだろうか。確かに「奥出雲おろち号」は連日満員御礼だが、それ以外の定期列車となると・・。

さてこの日は木次に宿泊である。前年に「おろち号」に乗りに来た時は、松江道の三刀屋木次インター近く、国道54号線沿いにあるホテルに宿泊した。そのホテルでもよかったのだが、今回見つけたのは木次駅から雲南市のコミュニティバスで奥に入った吉田地区にある湯村温泉。一応、JTB時刻表にも路線図と時刻の記載がある。最近リニューアルしたという国民宿舎「清嵐荘」というのを見つけ、2食つきで予約した。翌日の「おろち号」の木次発は10時08分ということで、朝もゆっくりできる。

コミュニティバスは16時45分発。やって来たのはマイクロバスで、運賃は200円均一。まずは木次の町中を走り、吉田方面に向かう。それはいいのだが、途中のバス停の案内も何もない。乗客は私一人で途中のバス停にも人の姿が見えないから案内が省略されているのかもしれないが、ちょっと不安である。清嵐荘の最寄りバス停は湯村温泉だが、乗り過ごしてはいけない。

スマホの地図に表示される位置情報をチェックしていると、湯村温泉の案内板が出て、清嵐荘の建物が見えたところで降車ボタンを押す。バス停は清嵐荘の敷地に入った玄関前にあった。これで明日の朝も逃すことはないだろう。

湯村温泉といえば兵庫県にある温泉を連想するが、古くは奈良時代の「出雲国風土記」に「漆仁の川辺の薬湯」としてこの温泉の記載があり、その頃から湯治場の歴史があるようだ。ただ、温泉地といってもホテルが林立するわけではなく、清嵐荘の他には斐伊川を挟んでホテルがもう1軒、元湯の公衆浴場が1軒あるくらいと静かなところだ。

着いたのは17時10分すぎで、夕食は18時からでお願いしていた。ちょっと入浴には慌ただしいかと、温泉は食後としてそれまではテレビで大相撲中継を見る。この日は14日目で、横綱照ノ富士と平幕の隆の勝が優勝争いの先頭だったが、隆の勝が佐田の海に敗れて後退。前半苦しんだ照ノ富士が優勝争いの単独トップとなった(結果、翌日の千秋楽にも勝ってそのまま7回目の優勝となった)。

相撲中継を見た後でレストランへ。地元の産物を活かした会席料理である。まずは生ビールを注文し、前菜やら牛肉の陶板焼きなどをいただく。

雲南の地酒の飲み比べ。「純米無濾過原酒 要四郎」、「純米 KAKEYA」、「純米吟醸 美波太平洋」。

出雲ということでそば(割子1枚)も出る。木次の本田商店(創業約70年)のものという。

しかるべく飲んで食べて、最後は吉田産のコシヒカリ。近くには有名な仁多米があるが、町の名前を出すところにプライドがあるのだろう。

食後に、出雲国風土記からの歴史がある温泉に浸かる。元湯の公衆浴場と同じ湯を引いているそうだ。庭園風の露天風呂もあり、ちょうど日が落ちて周りの山々の稜線が広がる景色を楽しむ。こうした自然を感じるところに泊まるのも久しぶり。

あとは部屋でくつろぐだけ。但馬の湯村温泉と比べて静かすぎるところだが、素朴な雰囲気を真新しいお宿で過ごすことができてよかった。

さて翌朝。夜と入れ替えの大浴場で朝風呂。6時ともなれば外はすっかり明るく、山間の庭園風情を楽しみながらの入浴である。

朝食はこちら。雲南市吉田町は卵かけごはんでPRしているという。だし醤油も関東風、関西風それぞれある。ただ個人的に目玉と思ったのが、コンロでの焼き魚。のどぐろの干物である。のどぐろという魚、なぜそこまで高級魚としてもてはやされるのかいまだにわからないのだが、山陰に来ればごく普通に出回っている。

朝からしっかりいただき、また部屋でのんびりして、また周りを少し散策して、8時30分発のコミュニティバスで湯村温泉を後にする。さてこれから木次線「奥出雲おろち号」である・・・。

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