神仏霊場めぐりの吉野郡丹生川上神社シリーズ。東吉野村の丹生川上神社(中社)に続いて訪ねるのは川上村の丹生川上神社上社である。
高見川に沿って走り、国道370号線に出る。高見川はこの先吉野川に合流し、紀の川と名を変えて紀伊水道に注がれるが、この辺りは川の流れも曲がりくねっている。
いったん県道に入り、吉野川の上流をさかのぼる。今度は国道169号線に出る。
前方に巨大なダムが現れた。大滝ダムという。こんな山奥に要塞を思わせるインフラが登場して驚く。この大滝ダムは、1959年に発生した伊勢湾台風によって紀の川流域にも大きな被害が出たことで、洪水調節機能を持つダムの建設が求められるようになり、1988年にダム本体の工事に着手、2013年に竣工した。当初の洪水調節にとどまらず、工業用水、水力発電にも役割を果たしているという。
道の駅杉の湯川上を過ぎて国道から脇道に入り、坂を上る。丹生川上神社上社の幟が並ぶ。境内の拝殿前までクルマが入れそうなのでそのまま上がる。拝殿や境内は最近整備されたように見える。
丹生川上神社上社は明治以前は高龗(たかおかみ)神社という小さな祠だった。明治になり、「丹生川上神社はどこにあるか」という研究、調査が行われる中で、川上村の高龗神社が比定された。そして同じ時期に丹生川上神社に比定された下市町の神社を口の宮~下社、川上村の高龗神社を奥の宮~上社として、丹生川上神社とされた。大正になり、東吉野村の蟻通神社が中社として比定されたことは先の記事の通りである。
祭神は高龗神で、山の峰を司る龍神、水の神である。丹生川上神社に比定された時期は罔象女神(みつはのめのかみ)を祭神としていたが、上社となってからは高龗神に戻されたという。
案内文には、後醍醐天皇が吉野に朝廷を構えていた時に丹生川上神社に寄せて詠んだ歌が紹介されている。
「この里は 丹生の川上ほど近し 祈らば晴れよ 五月雨の空」
上社はその後も変遷する。先ほど見た大滝ダムの建設にともない、境内地が水没することになった。そして1998年に現在の場所に移された。なるほど、20数年ならまだ新しく見えるはずだ。その後、かつての境内地の発掘調査が行われて、奈良時代~平安時代と推測される祭壇や社殿の跡が見つかったという。それなら、この上社が丹生川上神社だったと言ってもよかったのではと思うが・・。
境内からダム湖を見下ろす。今はダムをはじめとした土木技術での治水が行われているが、古くからの龍神、水の神、雨の神への信仰というのも尊重するところだろう。このところ毎年のように発生するゲリラ豪雨、線状降水帯での豪雨災害を思うと、龍神が何かメッセージを出しているのかなと想像してみるのもよいかもしれない。
朱印をいただく。丹生川上神社の三社まいりというのもあるようだ。
上社を後にして、道の駅で休憩。川上村役場、道の駅、杉の湯ホテルが並んでいる。そばで簡単な昼食として(本格的な食事なら杉の湯ホテルでとのこと)、奈良に来たのだからと柿の葉寿司を購入。これは帰りの新幹線でいただこう。