まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第25回中国四十九薬師めぐり~第43番「皆成院」(三徳山御幸行列)

2023年05月08日 | 中国四十九薬師

旧国鉄倉吉線跡の訪問を終え、第43番・皆成院がある三徳山三佛寺に向かう。崖にへばりつくように建つ投入堂で有名な寺である。

その位置から「日本一危険な国宝」との呼び名もあるが、三佛寺に参詣するならばぜひとも訪ねる価値がある。ただし、途中鎖場のある崖や幅の狭い箇所も通るなど、一つ間違えば事故につながりかねない道のりのため、一人での入山は禁止されてる。それは一人旅の私にとっては厳しいもので、どうしても上りたければ同じようなお一人様を見つけるか、どこかのグループに混ぜてもらう必要がある。ただ、そう都合よく出会いがあるわけでもない。

もっとも、前回中国観音霊場めぐりで三佛寺を訪ねた時には、同じ路線バスで乗り合わせた人同士で行こうと思えば行けたようにも思われた。ちょっと遠慮しちゃったなあ。

その中で調べてみると、投入堂に上るツアーも存在する。近鉄グループの某旅行会社の主催で、新大阪駅からバスで三佛寺まで来て、投入堂まで往復する日帰りツアーを見つけ、5月のある日分の申込を行ったのだが、参加者が催行人数に達しなかったとして開催中止になった。そのため、もう投入堂にはこだわらず、今回の四十九薬師めぐりでとりあえず皆成院までコマを進めることにした。

倉吉の打吹地区を抜け、三朝温泉を経由する。今回のコースでは、三佛寺まで行ったら帰りに三朝温泉に浸かる予定とした。その中で「ラドン熱気浴」というのがあり、それを体験してみようと前日に温浴施設も予約した。

さて、三徳山の鳥居をくぐり、三佛寺の入口に差し掛かると、前方からぞろぞろ歩く白装束の団体とすれ違い、道端には神輿が出ていてトラックに積み込もうとしている。僧侶が誘導して横を通してもらったが、何か祭りでも行われるのだろうか。

この先の駐車場にクルマを停めて三佛寺の入口まで戻ると、ちょうど神輿を荷台に積んだところである。この神輿には三徳山三所大権現が乗っているとのこと。私はまったく知らなかったのだが、実はこの日(4月23日)、「三徳山御幸行列」という伝統行事が行われていた。先ほどまで三佛寺で法要が行われ、神輿はこれから三朝温泉に向かうという。ちょうど廃線跡めぐりをしていた時間帯だ。

石段を上がり、三佛寺の受付に向かう。この日は御幸行列にともなう法要のため、本堂までの入山料は無料とあった。

皆成院は三佛寺の中の塔頭寺院である。三佛寺は役行者が蔵王権現をはじめとした三所権現を祀ったのが開創とされており、平安時代に慈覚大師円仁が阿弥陀如来、薬師如来、大日如来を祀り、三佛寺という名になったという。往時は大伽藍を有していたが火災等により縮小した。皆成院はその中で残った塔頭寺院であり、現在は宿坊や修行体験ができる場として開かれている。

三佛寺の本堂に続く参道沿いにあり、薬師如来が祀られている。投入堂まで上る前、あるいは下りた後に気軽に立ち寄るといった感じのところでもある。お堂の前にてお勤めとして、受付にて書き置きの朱印をいただく。

三佛寺の本堂に向かう。この先に投入堂への受付があるのだが、下りてくる人の姿はちらほらあってもこれから上ろうという人の姿もなく、また私もこの時は投入堂にそこまでのこだわりもなくなっていたので、ここで折り返す。代わりに、宝物殿に立ち寄り、投入堂で使われていた平安時代のものとされる支柱や、そもそも投入堂に祀られていて現在はこちらで安置されている蔵王権現などを拝観する。

投入堂についてはこの先に遥拝所がある。以前行った時は道端に望遠鏡が備えられていただけだったが、今回来て見ると屋根つきの東屋に、3台分の駐車場が新しく設けられている。ただし・・残念なことに望遠鏡は故障中。投入堂があるのはあの辺りというのはわかるのだが、肉眼ではほんの小さく見えるくらいである。

これで三佛寺を後にして、ラドン熱気浴を予約している三朝温泉に向かう。と、そこで行われていたのは・・・。

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第25回中国四十九薬師めぐり~旧国鉄倉吉線跡を歩く

2023年05月06日 | 中国四十九薬師

かつて、山陰線の倉吉から席金の山守まで国鉄倉吉線というのが走っていた。倉吉駅と、倉吉の町の中心で、現在は観光スポットにもなっている打吹地区とを結ぶ路線として開業したのが始まりで、その後山守まで開業した。将来的には県境を越えて姫新線の中国勝山まで結ぶ構想もあったそうだ。しかし、並行する道路の整備も進んだことで利用者が減少し、1985年に廃止となった。

倉吉線関連については、打吹駅の跡地に倉吉線鉄道記念館があり、当時の資料や写真などで往時の様子をうかがうことができる。また、廃線の一部は40年近く経った現在もそのまま残されており、トレッキングツアーにも利用されている。今回クルマで移動していることもあり、当時の線路が残る泰久寺駅近辺を歩いてみることにした。

案内によると泰久寺駅跡の近辺は私有地につき駐車不可で、訪ねる際は手前の県道沿いにある臨時駐車場を利用とのこと。カーナビでは何を目印に行こうかと思ったが、県道沿いに大きな看板が出ているのですぐわかった。他にも何台か停まっており、結構訪ねる人もいるようだ。駐車場には何かの施設を再利用したような「観光案内所」と扉に書かれた建物があるが、閉まっている様子だった(注:記事を書くにあたり、この「観光案内所」は閉まっていたのではなく、私が訪ねた後の4月29日にオープンを控えた施設ということがわかった)。

駐車場の横から線路跡に入る。しばらく路盤の上を歩く。そこで線路はいったん途切れる。普段は閉鎖されているが、観光バス用の駐車スペースが設けられている。

通り沿いの無人スタンドで売られているのはタケノコ。一人暮らしだと調理にちょっと大きすぎるなあ・・。

再び線路跡が現れる。民家の路地裏を抜けると右手に寺院が見える。字は違うが、駅名、地名の由来ともなっている大久寺である。駅名、地名になるくらいだから由緒ある寺院かと思い検索するが、曹洞宗というくらいでこれといった情報は出て来なかった。

廃線跡というと草に埋もれるなどして荒れているところとのイメージがあるが、こちら倉吉線は一部とはいえよく手入れ、保存されている。昭和の廃線がここまではっきり残るのも貴重だと思うが、廃線当時は線路を引きはがす費用も抑えるとして最小限にしたのかな。そして現在は今や倉吉の観光スポットとしてもPRされている。上に触れたように、新たに観光案内所ができたのもその一つである。

泰久寺駅跡に到着。ホームがそのまま残されているが、やけに短く感じる。2両分ないのではないかと思われる。

ホームの前にガチャガチャがあり、倉吉線の切符3種類のどれかが出るというので試しにやってみた。カプセルから出たのは終着駅・山守の入場券。自分で日付、ハサミを入れることもできる。

山守・入場券で思い出したのは、宮脇俊三の「時刻表2万キロ」と「汽車旅12ヵ月」。国鉄乗りつぶしで三江線とともに訪ねており、終点の山守駅を北海道の白糠線の北進駅と同じくらい「何もない駅」と評したところ。また、「汽車旅12ヵ月」では、乗りつぶしの「証拠」となる切符を作ってもらおうと倉吉線の車掌とのやり取りも触れられている。

泰久寺駅から先が倉吉線の廃線跡の中でも見どころである。ちょうど木々に囲まれ、線路、枕木は当時のまま残っているが、線路を横切るように生える木が、今や枕木よりも太い根を張っている。何だか、アニメの世界にでも出てきそうな景色だ。

そして竹林に差し掛かる。線路の真ん中から竹の木が伸びている光景。幻想的な光景は「日本一美しい廃線跡」としてネット等で紹介され、これを目当てに倉吉を訪ねる人も増えているそうだ。私も今回現物を目にすることができてよかった。

この竹だが、元々は線路の間から3本生えていたのが、2021年秋から枯れ始め、雪の重みで倒れたため伐採されたという。残りの2本もそろそろ寿命かと言われている。そのため、竹を押したりしないようにとの注意板もある。

もう少し進むと山守トンネルに差し掛かる。トンネルは普段は立ち入り禁止で、年に数回のトレッキングツアー時などに公開されるという。それは承知済なのでここで折り返しとするが、トンネルの入口が開いていて、中から光が発せられている。逆に怖いなと思っていると、何か作業でもしていた係の人が顔を出した。「イベントの時だけ通れますんで、またお越しください」と声を掛けられる。

中国四十九薬師めぐり、山陰シリーズに入ってから「可部線」、「幻の広浜鉄道」、「江の川鐡道(三江線の宇都井駅、口羽駅)」、そして「旧国鉄倉吉線」と、鉄道の廃線、未成線の記事が間に入るようになった(後は旧大社駅があったが、修復工事中のため見学できず)。この先鳥取まで進むと、廃線ではないが第三セクターで頑張っている若桜鉄道があるが、立ち寄り、乗車の機会は作りたいものである。

終点の山守駅までは行かずにそのまま駐車場まで引き返し、三朝方面に向けてクルマを走らせる・・・。

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観戦記・ホークス対バファローズ@福岡(平野劇場による「ルーズベルトゲーム」博多座公演)

2023年05月05日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

5月の連休期間。当初は5月4日~6日の予定にて、福岡でのホークス対バファローズの観戦、そしてそのまま大分に移動して九州八十八ヶ所百八霊場めぐりを行うことにしていた。しかし、仕事の都合でどうしても3日連続の日程を取ることができなくなり、とりあえずチケットを確保していた4日の福岡での試合は日帰り観戦ということになった。

朝の新幹線で広島を出発し、ドームに行く前段で博多近辺を回り、ちょうどこの日行われていた博多どんたくもちょっとのぞいたのだが、それはまた改めて書くことにして・・。

この3連戦、バファローズは第1戦を宮城の好投で1対0と勝利し、第2戦は22安打の猛攻で9対4と連勝した。そして私が観戦する第3戦だが、前日打ちすぎて打線がパッタリ止まってしまうのでは・・という不安もあり、また私が2回目の広島勤務となって以来、福岡では一昨年、昨年と計3回観戦しているがいずれもバファローズが敗戦。昨年夏の時は宇田川が周東にサヨナラ打を浴びたなあ・・。そんな不安と楽しみを抱えつつペイペイドームに到着する。

この試合は「ダブルアニバーサルデー」と銘打たれている。ホークス球団の創設85周年、ドーム開業30周年を記念してのイベントである。福岡に開閉式ドームが誕生した辺りから、パ・リーグの新たな盛り上がりが始まったように感じる。ちょうど買い物でコンコースに出ていたので見られなかったが、工藤公康-城島健司という往年のバッテリーによるメモリアルピッチも行われた。南海~ダイエー~ソフトバンクと、親会社の変遷、本拠地の移転もあったが、こうして1本の歴史になっているぶん、ホークスファンの方はいいなあ・・とうらやましくなる。

ホークスの選手はこの日特別ユニフォームを着用して試合に臨む。帽子には懐かしい鷹のマークがあしらわれている。

私が陣取ったのはネット裏のみずほプレミアムシート。当初は三塁側の他のシートを取っていたが、チケットのリセールサイトに出品されていたのでせっかくなので購入した(当初のシートは同じサイトで他の方に譲った)。最寄りのゲートは15番。2000年に病のため現役のまま亡くなった藤井将雄さんの背番号にちなんでのもの。この選手も活躍期間は短かったが、ホークスの歴史の1ページである。背番号15は永久欠番ではないが、藤井さん以来現在までつけた選手はいない。

早くからスタンドの客足も早く、レフト側上段のビジター応援席も遠征組で埋まっている。

さて試合。ホークスの先発はベテランの和田。以前からバファローズが苦手としている相手。その和田に対して、一死から宗がライトへの二塁打。続く中川がセンターへの三塁打を放ち1点先制。さらにホークスの守備の乱れで中川も生還し、一気に2対0とする。前日の当たりがまだ続いているようだ。

バファローズの先発は小野。タイガースでは先発で7勝を挙げた年もあったが、昨年で自由規約。そして育成契約を経て支配下に復帰。今季初登板である。しかし、一死から柳町、近藤に連続四球でピンチを招く。続く柳田は打ち取ったが、栗原がレフトへのタイムリーを放ち、2対2の同点となる。

さらにアストゥディーヨ、今宮にも連続四球で二死満塁となる。一気に逆転されてしまうのでは・・というところで、がルビスを何とか退けて2失点でしのぐ。それにしても、1イニング4四球といっても判定が微妙なボールというよりは、ワンバウンドしたり、大きく横に逸れたりという荒れっぷりだった。

続く2回表は先頭の若月がヒットで出塁するも、紅林が三振、そして盗塁失敗。それでも野口、山足が連打でチャンスを作るも、茶野が凡退。なかなか上手くいかない。

その中で迎えた3回表、中川がレフトスタンド最前列への本塁打を放ち、3対2と勝ち越し。

2回はヒット1本許したものの無失点だった小野だが、3回からは漆原が登板。小野もせっかくめぐってきたチャンスだし、先発として5回くらいまでは行きたかったところだが、やはり四球が・・。この日はブルペン総動員になりそうというのは最初からある程度予想できたとして、小野に次のチャンスはあるのだろうか。

その漆原に対し、ホークスはアストゥディーヨ、今宮の連打でチャンスを作り、続くがルビスもライトへのヒット。二塁からアストゥディーヨが本塁を狙うが、茶野の好返球でタッチアウト。同点とはならなかったが、序盤から動きの激しい試合だ。

4回表、先頭の若月が再びヒットで出塁。続く紅林は今度はバントしたが小フライ。そこに和田が飛び込んでキャッチ。若月も帰塁できず一塁に送球してダブルプレーとした。和田は送球の時に転倒した影響か一度ベンチに下がったが、しばらくして登場し、スタンドもベテランの年齢を感じさせない気迫のプレーに大きな拍手が起きる。

4回からはコットンが登板。序盤が序盤だけに、早い回からの登板となった。ホークスは一死から中村、柳町の連打でチャンスを作り、近藤。

嫌な相手が来たな・・と思ったその初球、詰まったように見えたがホームランテラスに飛び込む3ランとなった。京セラドームだったら平凡なライトフライだったかもしれないが、それを言っても仕方ない。5対3とホークスが逆転し、スタンドも大いに盛り上がる。和田のプレーが呼び込んだのかな。

これで5回を抑えれば和田に勝ち投手の権利が出るところだが、先ほどのプレーで大事を取ってか、5回からは同じ左腕の田浦が登板。二死から宗のヒット、中川死球、森も四球で満塁とする。ここで田浦から大津に交代となり、ゴンザレスとの勝負。同点、逆転を願ったが一塁ゴロで三者残塁・・。

5回裏はコットンが三者凡退。ようやく5回まで終わったが、このままホークスが逃げ切ってしまうのか。私のいつ以来になるだろうか、福岡観戦勝利はあるのか・・。

6回表、ホークスは4人目の松本が登板。3たび先頭打者となった若月がヒットで出塁。そして紅林は今度は打って出たが、レフトフライでどうすることもできない。しかし野口がヒットでつなぎ、代打・小田が登場。

ここで小田がセンターへのタイムリーを放ち、5対4と詰め寄る。さらに一・三塁の形となり、茶野がスクイズ。これが決まって5対5の同点に追いついた。

さらに宗がタイムリーを放ち、6対5と勝ち越し。今度はレフトスタンドが沸く番だ。

中盤でリードしてどのような継投になるかだが、6回もコットンが続投。近藤にヒットを許すも柳田を打ち取って無失点に抑える。これで3イニングをまかない、近藤の3ランはあったもののチームの逆転で勝ち投手の権利を得て次に託す。

そしてホークスのラッキー7で「いざゆけ若鷹軍団」が流れるが、ビジョンにはかつてのダイエーホークスの優勝、日本一での王監督の胴上げの映像が流れる。2000年には長嶋監督率いるジャイアンツと日本シリーズでの「ON対決」も実現し、オールドファンも盛り上がった。

先の7回表の津森に続き、7回裏は阿部が3人で無難に退ける。

8回表、ホークスは6人目の嘉弥真が登板、一死から野口が四球で出塁し、代走の佐野が盗塁を決める。追加点のチャンスに、茶野がレフトへのタイムリーを放つ。7対5、これでバファローズも逃げ切り、3連戦3連勝が見えてきた。

8回裏は山﨑颯が登板。ようやくここにつながり、9回は平野で締める筋書きはできた。

ただ、アニバーサリーデーというのは何かあるのか、そういえばかつて「閉店間際のダイエー野球」という言葉もあったような。途中出場の先頭・川瀬がヒットで出塁。一死で迎えるのは中村。

ここでライトスタンドへの一発が出て、7対7となる。スタンドからも大歓声だ。

どうも山﨑颯も万全ではない。さらに柳町が四球で出塁し、代走に周東が登場。スタンドからは「走れ」コールが響く。そして近藤を迎えマウンドに内野陣が集まる。結局近藤も四球で、柳田。いや~、ここで回って来るか。

再逆転もあるなと覚悟したが、山﨑颯が踏ん張って二塁ゴロからのダブルプレーに打ち取る。何とか同点で食い止めたが・・。

9回表、ホークスは同点ながら抑えのオスナが登板。ここはさすがにあっさりと三者凡退として、9回裏を迎える。

こちらは同点ということで平野は温存し、吉田が登板。点が入ればサヨナラだが、ここは三者凡退として延長戦に突入する。先日もマリーンズとの延長戦を観戦したばかりだが・・。

10回表、8人目でモイネロが登板。先頭はここまで無安打のゴンザレスだが、二塁打で出塁。そして若月がバントで一死三塁と勝ち越しのチャンスを作り、迎えるのは紅林。ここまでいいところがないが、最後に決めてくれるか。

しかし結果はショートへのゴロ。飛び出していたゴンザレスが三本間に挟まれ、タッチアウト。紅林はその間に二塁をうかがうこともできず、一塁止まり。シーズンの中にはこういう、何をやっても結果につながらない(むしろチャンスを潰している)日もあるだろうが・・・。代打のシュウィンデルも凡退して無得点。

10回裏も吉田が続投。二死から中村にヒットが出たが周東が凡退してこちらも無得点。

11回表、二死から宗がセーフティバント。一塁はセーフ。藤本監督から物言いがつくも、ビデオ判定でも軍配通り。ここからチャンスを広げたいが中川が倒れて無得点。

11回裏、ここで平野が登板した。近藤、柳田、栗原と主軸が続くだけにここでの出番となったのだろう。この回を抑えれば通算200ホールドとなり、プロ野球初の日米通算200セーブ&200ホールド達成となる。その場合、12回は小木田、本田で何とかしようというところか。

しかし先頭の近藤に四球を与え、柳田にもヒットが出ていきなり無死一・二塁となる。200ホールドどころか、「平野劇場の博多座公演」になってしまうかもしれない。

そして栗原のフラフラっと上がった打球が、前進守備を敷いていた中川の頭上を越えた。近藤が生還し、8対7とホークスがサヨナラ勝ち! 

いわゆる「ルーズベルトゲーム」となった試合は、ちょうど行われていた博多どんたくとも合わさってこれ以上のない盛り上がりとなった。最後まで二転三転して、観るほうもしびれたというか疲れたというか・・・ほんまに、博多座顔負けの大舞台となった。もっとも、ここで平野一人を責めるものではないだろう。先発の小野にしても早い回から崩れることも十分想定できただろうし、ここはホークスが地元の意地、勝利への執念を見せたということでよいではないか。

この日の試合時間は4時間14分。この日はアニバーサリーデーということで勝敗に関係なく花火も打ちあがる。さらにこの日は試合終了後のグラウンドに下りることができるイベントがあり、私も前売り券を購入していた。試合後はこれらのイベントを楽しんでから博多駅に戻り新幹線に乗る・・という予定だったが、さすがに延長戦で4時間超えになるとは思わなかった。結局、栗原のヒーローインタビューも聞くことなく、それほど混雑しないうちに駅に戻ることにして直通バス乗り場に並ぶ。

博多駅から新幹線に乗車。みどりの窓口、みどりの券売機にはバファローズのユニフォーム姿のファンもちらほら。福岡遠征お疲れ様・・・。

それにしても、福岡観戦で勝てないなあ・・・。

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第25回中国四十九薬師めぐり~第42番「大日寺」(伯耆の里山にて)

2023年05月04日 | 中国四十九薬師

鳥取県中部を回る中国四十九薬師めぐり。4月22日は琴浦町の「サンシャインとうはく」で宿泊。日本海の波の音を聴きながらの1泊となった。

翌23日の5時過ぎ、部屋からの景色はすでに明るくなっていた。日の出は5時24分、せっかくなので日の出を見ようとホテルからすぐの海岸に出る。

海岸に着くとちょうど太陽が顔を出したところで、常に打ち寄せる波の音を聞きつつ、ゆっくりのぼるのを遠く眺める。今日もいい1日になることを期待する。

部屋でもう少しゆっくりした後、朝食である。一通りのバイキングメニューが揃い、家庭的な味である。大山の白バラ牛乳のパックもある。普段牛乳は飲まないのだが、せっかくなので1本いただく。この白バラ牛乳を製造する大山乳業も琴浦町にある。

さてこの日の行程だが、琴浦町から倉吉市に入り、第42番・大日寺に参詣。その後、関金地区をたどることもあり、旧国鉄倉吉線の廃線跡に立ち寄る。そして三朝町に入って第43番の皆成院に行くが、この皆成院、三徳山三佛寺の塔頭寺院である。

三佛寺といえば国宝の投入堂で有名なところ。投入堂にたどり着くには修行用の山道を進む必要があるが、危険防止のため1人での参詣はお断りとある。前回、中国観音霊場めぐりで三佛寺を訪ねた時も、同じバスに乗って来た個人客どうしで声をかけ合えば一緒に上ることができたかもしれないが、断念している。今回も一人旅だが、投入堂まではまあいいかなという思いもあるし、上れるなら上ろうという気もある。現地に行ってからのことにしよう。

8時前にホテルをチェックアウト。地図を見ると大日寺はちょうど南の方角にある。道順を考えても、前日倉吉まで行って戻るより、琴浦町に泊まったのは正解だったようだ。琴浦町役場の横を過ぎ、右手には大山の北壁から船上山にかけての景色も見ることができる。船上山は、隠岐に流された後醍醐天皇が名和長年の手引きにより迎えられたところで、倒幕の狼煙を挙げたところである。

その大山の手前に風力発電設備が10基ほど建っている。鳥取県内にも複数の風力発電所が存在しているが、琴浦町の風力発電所では2020年にブレードの折損事故があったそうである。風の力を利用して電力を起こすのに、風が強すぎてもいけないというから難しいものだ。

倉吉市に入り、集落の細道を通って大日寺に到着する。石州瓦の建物で、里山の素朴な寺院の佇まいである。

こちらも最近建て替えられたのか、本堂も新しい。

大日寺が開かれたのは平安時代、慈覚大師円仁によるとも、恵信僧都源信によるともされる。古くは、高野山に則り上院・中院・安養院にわかれて300あまりの坊を擁する大伽藍があったそうだ。これだけの規模となると大山寺に匹敵するのではないだろうか。しかし戦国の兵火により荒廃し、その後は小さな一つの寺として現在にいたる。

本堂の前でお勤めとして、箱に入った書き置きの朱印をいただく。

寺の奥には収蔵庫がある。四十九薬師の本尊である平安時代作の薬師如来像のほか、鎌倉時代作の阿弥陀如来像、石造の大日如来像などが祀られているとある。また他に、日本最古とされる瓦経も多数出土しているそうだ。こんな里山に、と思うところだが、歴史をさかのぼれば伯耆の国府は現在の倉吉にあり、また大山信仰の文化、大陸に近いということもあり、文化的に進んでいたところだったのだろう。収蔵庫の見学(拝観)もできるが事前予約が必要のようだ。

先ほど見た船上山に後醍醐天皇が迎えられたのも、別にどこの山でもよいことではなく、熊野権現を祀る山岳修行の場であり、多くの僧兵も抱える要塞だったことによるそうだ。

もし、後醍醐天皇が隠岐ではなく別の地に流されていたら、倒幕もまた違った形になったのかな。

これで大山の東西の札所を回り、三佛寺に向かう。その前に、旧国鉄倉吉線の廃線跡である・・・。

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第25回中国四十九薬師めぐり~琴浦の鳴り石の浜、海岸沿いのホテルで癒される

2023年05月03日 | 中国四十九薬師

大山の北側の麓へと一気に下る。この日(4月22日)に宿泊するのは琴浦町で、山陰線の浦安駅近くである。この辺りまで来れば宿泊施設の多い倉吉に泊まればよさそうなものだが、倉吉には以前も宿泊しているし、日本海に近いところということで琴浦での宿泊としている。

国道9号線に出る。ちょうど「鳴り石の浜」が近く、立ち寄ることにした。「鳴り砂(鳴き砂)」というのは他で見たことがあるが、石が鳴るというのも珍しいところだろう。少し前にテレビで紹介されていたのを見て、近くを通るなら行ってみようということで。

海岸には楕円形の石が無数に転がっている。各地で護岸工事が進む中、数少ない自然のままの礫石の海岸である。波が打ち寄せるたびに石どうしがぶつかってコロコロと音を立てる。地元では、この「よく鳴る」を「良くなる」として、縁起のよいパワースポットとしてPRしている。石に水性マジックで願いごとを書いて海に投げ入れ、その石が波の動きに合わせて鳴れば叶うという仕掛けもある。

風は強いが海が荒れているということもなく、波もほどよい高さのようである。そして波が寄せ、引く時にカラコロと音がする。これらの石は大山の火山活動でできた花崗岩質だが、ここまで丸くなるまでにどのくらいの年月がかかったことだろうか。しばらく音に耳を傾ける。

また、先ほどの賽の河原ではないが、これらの楕円形の石があちこちに積まれている。丸くて滑らかな石をいかに積み上げるかのテクニックを競っているかのようで、初級、中級、上級のサンプルのパネルもかかげられている。上級など、物理的に可能なのかと思わせるほどだ。

この「鳴り石の浜」がパワースポットとして知られるようになるには、地元の人たちの地道な活動によるところも大きいそうだ。ボランティアで清掃活動をしたり、海岸にひまわり畑を作るなどして美しい景観を維持しているそうだ。

そのまま国道9号線を東に向かい、浦安駅近くの交差点で駅とは反対の海側に折れる。着いたのは「サンジャインとうはく」。3階建ての小ぢんまりしたホテルだが、玄関前には結構な数のクルマが停まっている。

通されたのは3階の部屋。窓の向こう、50メートルほど先、いくつかの建物と墓地のはもうは海岸である。部屋の窓が二重になっている。防寒対策もあるのだろうが、ずっと波の音が響いており、防音の役目を果たしているようだ。

その海べりに行ってみる。防波堤はあるが、その向こうは先ほどの「鳴り石の浜」と同じように花崗岩質の丸い礫石が無数に転がっている。波打ち際に近づくとこちらでもコロコロという音がする。「鳴り石の浜」は何も1ヶ所だけではないようだ。

ただ、先ほどの海岸と違うのは、海岸がありのままの姿をしているところだ。ありのままとはオブラートに包んだ言い方のようだが、要は海からの流木、ゴミなどが流れ着くままに海岸に打ち上げられているのだ。漂着物の中にはこうしたハングルや簡体字のものもあり、環境面ではあまりよろしくない事象だが、こういうのを見ると日本海に来たと実感するところでもある。南の海から伊良湖岬にたどり着いた椰子の実なら歌にもなるが、日本海を漂流して山陰にたどり着いたペットボトルとは・・。

もっとも、ビン・缶・ペットボトルくらいならかわいいものだが、ハングルが書かれた浮き輪がある小舟については、どう説明すればいいだろうか。まさか北の国からの流れ者・・・?

確かにいろんなものが打ち上げられてはいるが、波の景色というのは見ていて飽きない。冬の荒れた天候でもなく、よい時季に来たなと思う。

さて夕方の一献だが、事前の情報ではこの辺りでふらっと一見で入れそうな店はなかなかないようで(ホテルにはイタリア料理店が併設されているし、現地に来てみるとすぐ裏の海べりに個人経営の居酒屋もあったのだが)、最初から部屋でのんびりするつもりで、近くのディスカウントスーパー「トライアル」で飲食物をいろいろ購入した。海べりということで、刺身の盛り合わせや総菜、にぎり寿司もしっかり揃っていた。

鳥取名物の牛骨ラーメンはカップ麺で済ませよう(結局この夜はいただかず、そのまま自宅に持ち帰ったが)。

図らずも、部屋から海を眺めながらの一献となった。多少風が入るのは我慢して、二重窓を両党とも開けてみる。こうしたひと時を楽しめただけでも、このホテルを選んで正解だと思った(部屋が反対側だったら残念だっただろうが・・)。

夕方からテレビをつけており、ローカル番組も流れる。山陰といえばテレビの民放は3局でテレビ朝日系列はないのだが、こちらのホテルではケーブルテレビに加入しているようで、テレビ朝日系列の瀬戸内海放送、さらにテレビ東京系列のテレビせとうちも映る(ただし、設備がないためBSは映らず)。これで全国5局をカバーしているのだが、それぞれの本局の所在地が日本海テレビ(鳥取)、山陰放送(米子)、さんいん中央テレビ(松江)、瀬戸内海放送(高松)、テレビせとうち(岡山)とバラバラなのが面白い。かえって、広島よりも幅広いネットワークではないかと思う。山陰にいながら瀬戸内、四国の情報も得られるわけだ。

先ほどは海べりでの一献を楽しんだが、その一方、夜になると人通りもほとんどなく、街灯もほとんどない。そのため、夜中に窓の外を見て、あえて部屋の照明を消して目を凝らしていると、満天とはいかないがいくつもの星を見ることができる。さすがは「星取県」である。

ここも札所めぐりだからこそ訪ねることができたとして、翌日のコースも楽しみに眠ることにする。ちなみに、翌朝の琴浦町の日の出時刻は5時24分頃とある。せっかくなので見に行くとしようか・・・。

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第25回中国四十九薬師めぐり~大山寺、大神山神社奥宮に参詣

2023年05月02日 | 中国四十九薬師

伯耆溝口から長昌寺、枡水高原を経て大山寺に向かう。中国観音霊場めぐりで訪れ、その時は大山寺にほど近いリゾートホテルで1泊した。季節は3月中旬。下界は春の様相だったが大山寺近辺は日陰にはまだまだ雪が積もっていた。

中国四十九薬師霊場めぐりとは言いつつも、それ以外の寺社でもぜひこの機に訪ねてみたいところがあるもので、大山寺も正にその一つである。

ナショナルパークセンター近くの大駐車場に軽自動車を停める。ナショナルパークセンターは大山寺のバス停でもあり、登山客向けの情報提供や休憩室・シャワー室を持つ。登山客らしい人、大山一帯を自転車で回ろうという人の姿も見える。大山寺方面からもぞろぞろと下山する姿も目立つ。早朝から上り、昼過ぎはちょうど戻って来る時間帯なのかな。この日は稜線の姿をはっきり捉えることができる。

それではお参りとしよう。まずは寺に続く参道の坂を上る。

山門に到着する。中国観音霊場めぐりで訪ねた時は、3月ということで納経所が閉まっており、山門のところに書き置きの朱印が収められたケースが置かれていた。中国観音霊場めぐりの時は墨書式の納経帳で回っており、住職不在で墨書ができないと言われ、後日改めて出直した札所もあった。しかしコロナ禍以降、ちょうど島根県から鳥取県に差し掛かる中で、コロナを理由に頑として納経帳を預かろうとしなかった札所に遭遇し、その時点で書き置きもやむなしとなった。そこに来て、大山寺は冬季休業・・。

そんなことも思いつつ、春の装いの境内を歩く。中国観音霊場の本尊である下山観音堂に立ち寄り、その後に本堂に向かう。寺としての本尊は地蔵菩薩だ。

薬師霊場めぐりとか、このお堂の本尊は何々だと言っているが、大山そのものが古くから山岳信仰の対象であり、さまざまな言い伝えも残されている。大山寺が開かれたのは奈良時代、金蓮という人物によるとされる。元々は出雲の玉造の人だったが、ある日、金色の狼を追って山に入り、矢を射かけるとその前方に地蔵菩薩が現れ、信心の心が起こり矢を捨てた。そして出家して大山に入ったという。

また別の言い伝えでは、天空のかなたから兜率天の角が地上に落ちてきて、3つに割れたという。その一つが熊野山、もう一つが金峯山、そして最後の一つが大山になったと言われている。

平安時代に神仏習合の考えが広まると、大山地蔵権現を大智明菩薩とする勅命が出て、本尊は大神山神社に祀られ、現在の大山寺はその別当の役割を果たしていた。しかし明治の神仏分離により地蔵菩薩は大山寺に戻り、そして現在に至る。

・・まあ、長々書いたが、大山寺まで来たならその先の大神山神社奥宮まではお参りしようということだ。本堂の横から奥宮への参道に出る。江戸時代に整備されたという自然石の道である。こうした参道の脇にも石仏があるし、岩に彫られた地蔵菩薩もある。こうしたところも神仏習合の名残である。

銅の鳥居を抜けたところに御神水がある。先ほどまで奥大山の天然水が入っていたサントリーのペットボトルに入れさせていただく。これぞまさに大山のめぐみ・・。

奥宮の境内に入る。石段の向こうに立派な建物が見えるが、足場材で覆われている。昨年から社殿の修復工事を行っているとのことだ。そして御祭神は隣接する下山神社にいったん遷宮して祀られているとのことで、改めてそちらにて手を合わせる。

ここで折り返し、帰りは「賽の河原」がある金門に向かう。前回来た時は途中の雪道に阻まれてたどり着くことができなかったところ。ちょうど大山の北壁を仰ぐポイントである。

その北壁からくずれた石が無数に堆積している。いつの頃からか、河原のあちこちで石が積まれているのを、「賽の河原」として地獄の責め苦の一つとされているが、明るい青空の下で見る限りでは心霊スポットとも、おどろおどろしいスポットとも感じない。

いつしか、こういう怪獣を思わせるような形に積まれた石もある。そこに私も一つ置いてみよう。

順序が逆になったが、大神山神社の鳥居に着く。右に山門、左に鳥居というのも神仏習合の名残である。中国四十九薬師めぐり(直接薬師如来は祀っていないが)にも一つアクセントがついた。

これで大山の西から北へと回る形になり、続きは翌日にするとして宿泊の琴浦町に向かうことにする・・・。

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観戦記・バファローズ対マリーンズ@京セラドーム大阪(EZ DO DANCEからの「しゃかりきコロンブス」)

2023年05月01日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

世間は大型連休に突入。私も、仕事とのやり繰りがいろいろある中で、4月29日に日帰りで関西に出向き、神仏霊場めぐりと合わせてバファローズ対マリーンズ戦を観戦する予定にしていた。28日~30日の3連戦は「帰って来たオリ達デー」ということで各種イベントがあり、前売りの先着購入でオリジナルメッセージタオルが配布されるという。

・・ところが、こういう予定を入れた時に限って何かあるもので、直前になり、どうしても29日は出社ということになった。代わりに当初出社予定だった30日を空けることができたが、京セラドームのチケットは売れ行き好評で、上段席でも通路側の空きとなると三塁側からの観戦となった。それでもいいからと30日の早朝、広島を出発する。

午前中は京都市内での神仏霊場めぐりを行い、いったん天王寺まで南下し、再び大正に向かう。この道中についてはまた別に書くこととして・・・。

マリーンズ戦の生観戦も久しぶりである。今季から声出し応援が復活したことで、マリーンズファンのあの熱狂的な声援を目の前にすることができる。もっとも、諸般の事情によりジャンプ、指笛は禁止とのことだが・・。

まずはマリーンズのスタメン発表。先発は種市である。

そしてバファローズのスタメン発表。このアナウンスを務めるのは、TRFのリーダー、クリエイトであるDJ KOOさん。TRFかぁ! 「EZ DO DANCE」がリリースされたのは1993年のこと。当時大学生の私も、(こう見えても)カラオケで熱唱したことがあるぞ。あれから30年、DJ KOOさんも還暦を過ぎたそうだが、その盛り上げ方は往年そのままで、懐かしく感じる。ある意味、「KANSAI CLASSIC」のノリにも近いのだが、スクリーンの演出その他はあくまで現在のものだ。

試合前には、BsGirlsとM☆Splash!!との共演もあった。

そして「オリ達デー」ということで、両チームのファンによる綱引き対決も。終始優位に進めたバファローズファンの勝利で、さて実際の試合もこのように快勝となるかどうか・・?

さらには始球式、DJ KOOさんが登場する。背番号は、TRFのデビュー30年ということで「30」。野球経験はないとのことだが、見事にノーバウンドの投球を見せてスタンドも沸く。最近は落語好きとしても知られているし、ええおっちゃんやなと思う。

・・前置きが長くなったが、試合開始である。

バファローズの先発は中11日で山岡。4月はローテーション編成の都合、あるいは多くの先発投手陣の見極めもあり、間隔を空けての登板が目立つ。そんな中でも細腕繁盛記に期待だ。まず初回は2者連続三振の後、角中に内野安打を許すが井上を打ち取って無失点。

1回裏、1番に復帰した茶野が種市からヒットを放つ。宗の内野ゴロの間に二塁に進み、続く中川がセンター前に放つ。これで幸先よく1点先制。続く森が併殺に倒れたが、接戦続きの3連戦でまず先制は大きい。

続く2回裏も杉本のヒット、頓宮の二塁打で無死二・三塁と追加点のチャンス。しかし、紅林が三振、宜保が内野ゴロ、若月がフライで無得点。下位打線とはいえ、ここで点が取れるのと取れないのとではこの後の展開も変わりそうだ。

案の定、3回表、先頭の佐藤が二塁打を放ち、その後一死一・三塁となってルーキーの友杉。ここは山岡がミスショットを誘ったが、犠牲フライとなって1対1の同点となる。

中盤は山岡、種市とも安定した投球を見せる。バファローズベンチも何とかしようというところだが(三塁側のこの位置からだとベンチの様子もよく見える)、種市を打ちあぐねる。その中、5回には紅林のセンターへの当たりを藤原がジャンピングキャッチする好プレーも出る。3連戦2試合とも拮抗した展開らしい。

5回裏終了後。ここでDJ KOOさんが再びグラウンドへ。流れるのはもちろん「EZ DO DANCE」!!。よく考えれば30年前のナンバーで、この日スタジアム、少なくとも私の周りにいる観客の半分はまだ生まれていないのではないかと思うが、何かの時に耳にしたことはあるのでは。さあ、これでバファローズもノッて行けるか・・・(という発想も現在ではおっさんなのだろうが・・)。

6回裏、先頭の茶野がセンター・藤原の落球で出塁し、宗のヒットで無死一・三塁とする。ここで中川がこの日2本目となるタイムリーで待望の勝ち越し点を挙げる。2対1。さらに頓宮のタイムリーで3対1とリードを広げる。

7回表からバファローズは継投に入る。ブルペンから平野、ワゲスパック、宇田川が外れる中、2番手で登場したのはコットン。

しかし一死から安田の二塁打、中村の死球でピンチを迎えると、ポランコの当たりはセンターへのタイムリーとなる。中嶋監督から物言いがつくも、軍配通りホームインが認められ3対2とマリーンズが詰め寄る。さらにマリーンズのチャンスが続くが、コットンが何とかしのいで1点差でチェンジ。

7回裏のバファローズの攻撃は、マリーンズ2人目の西村の前に無得点。

8回表、マウンドにはルーキーの曽谷が上がる。先日1軍デビューしたばかりである。

その曽谷に対して先頭の平沢がヒットで出塁。続く友杉のバントは曽谷のところへ。一塁へ送球しアウトの判定となるが、井口監督から物言い。ビデオ判定の結果、今度は軍配差し違えでセーフ。これで無死一・二塁となって中軸を迎える。

ここでマリーンズは次の角中にもバント。これも決まって一死二・三塁となって迎えるのは井上。ここで曽谷は降板し、吉田に交代。

井上の打球はセンターへ。犠牲フライには十分で、3対3の同点となった。残念ながら山岡の勝ち投手の権利は消滅。ベンチの雰囲気も何だかなあ・・という感じに見えなくもない。

8回裏のバファローズはマリーンズ3人目のペルドモからチャンスを作るも無得点で、9回表は山﨑颯が登板。無難に三者凡退として、チームのサヨナラ勝ちを待つ。

その9回裏だが、今季マリーンズに復帰した澤村が簡単に三者凡退として、延長戦に入る。大変な試合になった。

10回表はイニングまたぎで山﨑颯が登板。ブルペンに他の投手もいる中で、12回までかかると想定しての続投だったのだろう。先頭の藤原にヒットを許すも、この日キーとなっている友杉、角中を打ち取って無失点。

10回裏は益田が登板。二死から中川が二塁打を放ってサヨナラのチャンスを作るが、代打のシュウィンデルが凡退。

11回表には小木田が登板。12回まで行くことを見据えればこの起用なのかなと。先に書いたように平野、ワゲスパック、宇田川を欠き、山﨑颯に2イニング投げさせる起用は昨年終盤と比べると苦しい事情である。そしてマリーンズは二死一・三塁として打席には佐藤。さすがに厳しいかと思ったが、内野ゴロに打ち取ってマリーンズの得点を許さない。やれやれ・・・。

11回裏。マリーンズのマウンドは小野。抑えパターンの投手を使った後だけに何とか凌ぐしかない。二死となり、迎えた紅林がセンターへの大きな当たりを放つ。フェンス直撃の二塁打とサヨナラのチャンスを迎える。続く宜保は死球で出塁。まあ、同点からのサヨナラなので一塁を埋めて守りやすくする形になっただけだが・・。

ここで打席には若月。チャンス時の出囃子は光GENJIの「パラダイス銀河」。光GENJIって・・デビューしたのはぎりぎり「昭和」である。昭和から平成への移り変わりの時で、TRFよりも随分前のこと。私も当時中学生だったな。当時の同級生女子の間で圧倒的な人気の光GENJIだったが、30年以上を経たメンバーの現状となると・・・(まあ、人生いろいろですな)。

極端にいえば、「パラダイス銀河」は若月が生まれるより前のヒット曲。しかし昭和の風情を漂わせる若月の当たりはライトへ。平沢の頭上を越え、文句なしのサヨナラヒットとなった。二塁付近ではしゃぎ回るバファローズの選手たち。マリーンズとの3連戦を2勝1敗として、これでマリーンズと並んだ首位タイで4月を終えることとなった。混戦のパ・リーグだがまずはうれしい限りである。

お立ち台にはサヨナラ打の若月とともに、この試合でプロ初勝利となった小木田が上がる。山本、山﨑颯、宇田川らと同じ1998年生まれだが、あえて「小木田世代」と呼ばれる投手。ブルペン陣も厳しい中、思わぬところでうれしいスポットライトを浴びたことで、この先も大事なところで起用されるようになってくれればと思う。

そして若月である。今の気持ち「しゃかりきコロンブス」と表現した。この意図するところはいろんな解釈があるだろうが、TRFで昔を懐かしんだ後に、さらに昔、昭和から活躍の光GENJIで結ぶことになるとは・・・まさに「しゃかりきコロンブス」だ。

これで4月を終え、5月からはペナントレースのエンジンも本格的になるだろうし、5月末からは交流戦も始まる。仕事のしがらみもいろいろあるが、ビジターも含めて、観戦できるところは足を運ぼうと思うのである・・・。

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