ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

大飯原発、再稼働を承認したこの人らに、みんなで手紙を送ろう!

2012年05月14日 | 日本とわたし
大飯原発近くの斜面が崩落の恐れ 関電解析、14年度に工事へ 2012/05/14 20:31 【共同通信】

関西電力大飯原発(右から)1号機と2号機。

写真上が北側斜面=2011年11月、福井県おおい町

経済産業省原子力安全・保安院は、14日に開いた原発の耐震性を検討する専門家会議で、
関西電力大飯原発1,2号機(福井県)の、近くにある斜面が、地震で崩落する可能性を否定できない、とする関電の解析結果を明らかにした。
関電は、崩落防止のため、表面の一部を削り取る工事を、2014年度に始めるという。

斜面は、原子炉建屋から数十メートル程度しか離れておらず、万一、地震時に崩れれば、事故対応などに影響する可能性もある。

関電が、大飯原発で、想定する最大の揺れの強さ(基準地震動)で斜面の強度を解析したところ、
1,2号機北側斜面の表層の弱い部分が、わずかに滑り落ちる場合があることが判明した。


↓この方々は、大飯原発が、こんな状態であることを充分承知の上で、再稼働をしましょうと思ってるのやろうか。


・防波堤がまだできてない。
・水素除去装置もまだ。
・ベントフィルターに至っては未定で、多分2015年ぐらいまでには……。
・免震施設は、一年前倒ししたとしても2015年まで無し。

ほんでおまけに、原発が貼り付くように建ってる斜面は、滑り落ちる可能性有りで、その崩落防止工事は2014年に開始やて……。

そんなことよりなにより、原発までの一本道は陥没する恐れが大やっちゅうのに、事故起こったらバケツリレーでもするつもりか?

とにかく、この人らが容認したらしい。お手紙書いて、よう教えたってください。お願いします。わたしも書きますよってに。

原発再稼働を容認された、おおい町議会議員の方々

森内 正美    おおい町名田庄下19-9

小川 宗一    おおい町名田庄三重53-6-4

渡辺  均    おおい町川上18-10-1

中塚  寛    おおい町名田庄挙野22-6

新谷 欣也    おおい町川上104-7-3

松井 榮治    おおい町広岡1-10

田中 景子    おおい町笹谷6-7

中本  茂    おおい町大島28-19-1

中川 忠彦    おおい町鹿野30-11

小野 泰孝    おおい町名田庄久坂8-39

浦松清八郎    おおい町野尻26-10

寺澤 繁夫    おおい町大島94-47


ただひとり、反対をされた議員の方

猿橋 巧     おおい町本郷124-44




原発を押し付けられた挙げ句、今度は反対や抗議を受けて、廃炉させられる地元の人達は、そらもう言いたいことが山ほどあるやろう。

わたしらも、なんも好きで引き受けたんちゃうよ。
だいぶ必死で反対したよ。
かなんかったよ。
せやけどもう、それこそ、ありとあらゆる手を使て、押し付けられた。
そら、お金もいっぱい入ってきた。
けど、おっきな地震が揺って事故が起きてみいな。今の福島みたいになるんやから、当然の報酬や。
ちょっとぐらい、原発が動いてる間の何十年間ぐらい、この村の人間が贅沢してもええんちゃうか?
なんも、おらが村だけのために、こんな危ないもん抱えて暮らしてるんちゃうねんから。
そらな、あの惨状見せられたら、ゾッとしたよ。
自分らもああなるんやろなあ。
いや、ひょっとしたら、うちの場合はもっと酷なるかもしれん。
現場まで行き様ないんやから……。


廃炉にするにもまた時間とお金がかかる。
停止してしまうねんから、なんの儲けにもならん。
ただただ時間とお金がかかるだけ。
けど、いつかはせなあかんことやった。
それが何年か早よなるだけ。
なんで早よなるかっていうたら、地球がうごめき始めてるから。
しゃあないねん。
自然は人間の都合なんか関係あらへんねんから。
もしもまた、東北大震災みたいなんが大飯原発で起こったら、っていうのが、今ではもう、確率の低い話では無いねん。

廃炉にするいうても、こんだけの作業が必要やねん。

制御棒の挿入後の数時間は蒸気が発生するので、原子力発電所自体の稼働は続いている。
核燃料の冷却も、6箇月から3年ほどかかるため、実際の廃炉作業は約3年後から始まる。
また、使用済み核燃料の運び出しとの兼ね合いも、考慮しなければならない。

例えばやけど、東海発電所の場合は、1998年3月に運転終了して、廃止・解体作業(23年間)を開始、
原子炉領域の解体撤去は、16年後の2014年から、6年間で完了する予定になっているらしい。
運転を終了した日から計算して、22年もかかる予定や。

廃炉って決めてからでも、約3年も待たなあかんねん。
その3年の間に、おっきな地震が来んっていう保証なんか誰にもできひん。
それだけでも恐ろしいと思わん?
それだけでも、めちゃくちゃ無責任やと思わん?

廃炉の作業でまた人が来る。
儲からんのは電力会社だけで、村はまた活気づく。
恐い思いする年月は、少なくとも減る。
20年もの時間があったら、原発以外の、村おこしも考えられる。

お願いやから、これ以上国の言いなりになって犠牲者増やす手伝いせんといて!
頼むから目ぇ覚まして! 
コメント (7)
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友へ 高木仁三郎からの最後のメッセージ

2012年05月14日 | 日本とわたし
「死が間近い」と覚悟したときに思ったことのひとつに、
なるべく多くのメッセージを多様な形で多様な人々に残しておきたいということがありました。
そんな一環として、私はこの間少なからぬ本を書き上げたり、また未完にして終わったりしました。

未完にして終わってはならないもののひとつが、この今書いているメッセージ。
仮に「偲ぶ会のためのあらかじめのメッセージ」と名付けますが、このメッセージです。

私は大げさな葬式のようなことはやらないでほしい。
もし皆にその気があるなら「偲ぶ会」を適当な時期にやってほしい、と遺言しました。
そうである以上、それに向けた私からの最低限のメッセージも必要でしょう。

まず皆さん、ほんとうに長いことありがとうございました。
体制内のごく標準的な一科学者として一生を終わっても何の不思議もない人間を、多くの方たちが暖かい手を差しのべて鍛え直して呉れました。
それによってとにかくも「反原発の市民科学者」としての一生を貫徹することができました。

反原発に生きることは、苦しいこともありましたが、
全国、全世界に真摯に生きる人々と共にあることと、歴史の大道に沿って歩んでいることの確信から来る喜びは、
小さな困難などをはるかに超えるものとして、いつも私を前に向かって進めてくれました。
幸いにして私は、ライトライブリフット賞を始め、いくつかの賞に恵まれることになりましたが、
繰り返し言って来たように、多くの志を共にする人たちと分かち合うべきものとしての受賞でした。

残念ながら、原子力最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、
せめて「プルトニウムの最後の日」くらいは、目にしたかったです。
でもそれはもう時間の問題でしょう。
すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。
なお、楽観できないのは、この末期症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。
JCO事故からロシア原潜事故までのこの1年間を考えるとき、
原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物が垂れ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、
今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。

後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、
一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な結局に英知を結集されることを願ってやみません。
私はどこかで、必ず、その皆さまの活動を見守っていることでしょう。

私から一つだけ皆さんにお願いするとしたら、どうか今日を悲しい日にしないでください。
泣き声や泣き顔は、私にはふさわしくありません。

今日は、脱原発、反原発、そしてより平和で持続的な未来に向かっての、心新たな誓いの日、スタートの楽しい日にして皆で楽しみましょう。
高木仁三郎というバカな奴もいたなと、ちょっぴり思い出してくれながら、核のない社会に向けて、皆が楽しく夢を語る。
そんな日にしましょう。

いつまでも皆さんとともに

高木仁三郎

世紀末にあたり、新しい世紀をのぞみつつ



以上は、高木仁三郎氏の「偲ぶ会」で読み上げられた「最後のメッセージ」です。

高木氏は、群馬県前橋市出身の物理学者、理学博士(東京大学)、 専門は核化学の学者で、
「地震」とともに、「津波」に襲われた際の「原子力災害」を予見されていた方です。

以下は、ウィキペディア『高木仁三郎』からの引用です。

「地震によって長期間外部との連絡や外部からの電力や水の供給が断たれた場合には、大事故に発展」するとして、早急な対策を訴えた。

福島第一原発について、老朽化により耐震性が劣化している「老朽化原発」であり、「廃炉」に向けた議論が必要な時期に来ていると(1995年の時点で)指摘。
加えて、福島浜通りの「集中立地」についても、「大きな地震が直撃した場合など、どう対処したらよいのか、想像を絶する」と、その危険に警鐘を鳴らしていた。 


『考えられる事態とは、(中略)地震とともに津波に襲われたとき』

・原子炉容器や1次冷却材の主配管を直撃するような破損が生じなくても、給水配管の破断と緊急炉心冷却系の破壊、非常用ディーゼル発電機の起動失敗といった故障が重なれば、メルトダウンから大量の放射能放出に至るだろう。

・老朽化原発が大きな地震に襲われると、いわゆる共通要因故障(一つの要因で多くの機器が共倒れする事故)に発展し、冷却材喪失事故などに発展していく可能性は十分ある。

・原発サイトには使用済み核燃料も貯蔵され、(中略)集中立地が目立つ(福島浜通り、福井県若狭、新潟県柏崎、青森県六ヶ所村など)が、どう対処したらよいのか、想像を絶する (中略) これから徹底的に議論し、非常時対策を考えて行くべき。

・「原発は地震に対して大丈夫」という言い方は、上述のような疑問や不確かさに対して、すべてを楽観的に解釈した場合にのみ成り立つもの (中略)。 
国や電力事業者は、「原発は地震で壊れない」ことを前提にしてしまっているため、そこから先に一歩も進まず、地震時の緊急対策を考えようとしない。

・行政側(注:通産省)にも事業者側にも原発の安全性を見直して、この大災害(注:阪神大震災)をよい教訓にするという姿勢が少しも見られなかった。

・「原発は壊れない」建て前になっているため、今のような機会(注:阪神大震災の教訓)を生かして、
原発が被災した場合の緊急時体制や老朽化原発対策などを、真剣に考えるという姿勢もまったくみられない。 

・そのような事態を想定して、原発の安全や防災対策を論じることは、「想定不適当」とか「ためにする議論」として避けられてきた。
しかし、(中略) 考えうるあらゆる想定をして対策を考えていくことが、むしろ冷静で現実的な態度と思われる。



わたしは、こう思う。
今から20年近くも前に、現在起こってしまった事故を、まるで見たかのように予言できた人や、その人と思いを同じくする人と、

既に起こってしまった事故を、まるで無かったかのように振る舞ったり、今だにもう事故など起こらないと、ろくな信念も検証も無いくせに言う人と、

いったいどっちを信じるのだと。

わたしは、非科学的だの、大げさだの、放射脳だの、よそ者だの、無責任だの、
なんと言われようと、考えうるあらゆる想定をしたら対策の取りようがなくなってしまうような物を、これからも使おうとすることは間違うてるのであって、
そんな物は早急に止めて、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけんとあかんと確信してる。
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