ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

人間が近寄れない、目で見られない、そんな不気味な問題が、改善されているような幻想を抱くべからず!

2012年05月24日 | 日本とわたし
最近、文字起こしをするエネルギーがなくて、kiikoさんのブログから拝借させてもらうことが多くなりました。
すみませ~ん!
みんな楽しくHappy♡がいい♪のブログに、小出先生が淡々と、とても恐ろしいことをおっしゃっている記事が載っていました。
それは……。

たねまきジャーナル「1号機の水位について」小出裕章氏(内容書き出し・参考あり) 5/23




1号機「水位40センチ」 格納容器下部に穴 漏水か

東京新聞 2012年5月22日 07時02分

『東京電力福島第一原発1号機には、毎時6トン前後の冷却水が注入されているのに、
格納容器内の水位は、わずか40センチほどしかない
可能性が、原子力安全基盤機構(JNES)の解析で分かった。
2号機の水位は、約60センチしかないことが、実測で判明しており、格納容器損傷の深刻さを、あらためてうかがわせた。 

解析は、注水量や、格納容器への窒素の注入量と、格納容器内の圧力変化の関係を調べ、
どこにどれくらいの損傷があれば、変化をうまく説明できるか、探る手法を使った。

その結果、格納容器本体と、下部の圧力抑制室をつなぐ配管周辺に、直径数センチの穴が開いている
▽穴の場所は、格納容器のコンクリート床面から約40センチの高さで、穴から大量に水が漏れ、水はそれより上にはない-との結論になった。

漏れた水は、原子炉建屋地下に流れた後、配管やケーブルなどを通す穴を通じ、隣接するタービン建屋地下に流れ込んでいるとみられている。
東電は、1号機の格納容器の水位は、約1.8メートルあると推定しているが、それより大幅に低い。

格納容器の厚みは、3センチほどあるが、穴があるとみられる配管(直径1.75メートル)の厚みは7.5ミリと、4分の1程度しかない。
専門家からは、配管は構造的に弱い、との指摘が出ていた。

溶け落ちた核燃料が、完全に水に漬かっていないことも懸念されるが、
JNESの担当者は、「格納容器内の温度は、30度程度と高くはない。水に漬かって冷やされているとみられる」と指摘する。

廃炉を実現するためには、格納容器の損傷部を補修し、圧力容器ごと水没させる、水棺にすることが必要。
担当者は、「解析結果は、損傷部の特定に役立つ。今後は、カメラによる実測も、検討しなければならない」と話した』



水野:今日はまず、福島第一原発の1号機について、教えていただきたいと思います。
格納容器の中に、どれだけの水があるのか、という事についてうかがいたいんですね。
といいますのは、格納容器の水の高さ、水位が、非常に問題だというのは小出先生、
言うたら、核燃料が、水に全部浸かっているのが、本来の姿ですよね。

小出:浸かっていないと困るのですね。

水野:浸かっていないと、エライ事になるんですよね。
それは結局、放射性物質が放出されることに、つながるっていうことですよね。

小出:そうです、はい。

水野:で、その大切な水位について、ちょっと久しぶりの情報だと思うんですが、非常に気になるものが出てまいりました。
この水位は、1号機は、東電が今まで、「およそ1.8mある」と言っていたんです。
推定ですけれどもね、1.8mと言っていたんですが、
今回、原子力安全基盤機構というところが、解析をしました。
そうしたところ、「40cmしかない、という可能性がある」という、情報が出てまいりました。
小出さん、これはどういう意味なのか、教えていただけますか?

小出:一番問題なことは……「分からない」という事なんですね。

水野:これ、東電も分からないし、原子力安全基盤機構にしたって、本当のところは分からないという事ですか、

小出:そうです。
今度の基盤機構にしても、単に計算してみて、なるべく測定値にあうようにしてみたらば、40cmなんだろうと、そういう事なのです。

水野:実際に、誰かが測りに行ったわけでもなく、カメラを入れて調べたわけでもないんですよね。

小出:そうです。
2号機の場合に、以前、東京電力が、多分「水がかなり入っているだろ」として、カメラを入れてみたら、全然水面が見えなかった、という事がありました。
そして、もう一度、もっと低い位置でカメラを入れてみたら、
東京電力の予想とは全然違って、「実は、60cmしか水がなかった」という事が、2号機で前に分かりました。

水野:はい、そうでした。愕然としたのを覚えております。

小出:今回も、東京電力は、1.何mあるというふうに、希望しているのでしょうけれども、

水野:希望でしょうね

小出:はい、もちろん、そんな希望をしたところで、そうなっているかどうかなんてわからない訳ですし、
基盤機構の40cmというものが、合っているのかもしれません。
でも、本当にどうなのか?という事は、やはりカメラを入れてみなければわからない、と思います。

水野:ただこれ、毎時間6トンほど、冷却するための水を入れているんですよ。

小出:はい。

水野:毎時、毎時6トン入れているのに、40cmしかない可能性がある、という計算結果な訳です。

小出:要するに、何トン入れようと、穴が空いていれば、そこから出てしまう訳ですから、
基盤機構の推定によれば、40cmしか水がたまらない高さのどこかに、破損がある、という推定になっているのですね。
そしてそれが、いわゆる、サプレッションチェンバーと呼ばれている、ドーナツ状のリングがある
んですが、

水野:下のところですよね、

小出:そうです。
そこと繋いでいるパイプがあるのですが、ちょうどその、パイプの位置にあたっているし、
そこが破れているというのが、基盤機構の推定なのだ
と思います。

水野:この推定に関して、確率として、「そうだろうな」と、小出さんはお思いになるんですか?

小出:そう思います。

水野:あ、そうですか

小出:この部分は、昔から、GEがこのタイプの格納容器を造った時から、「この部分が弱点だ」と言われていた部分でして、
この部分が破壊される可能性は、高い
と思います。

水野:えぇ~……最初から弱点ってわかっていたのに、

小出:そうです。

水野:使ってたんですか、ずっと。

小出:まあ、あの、GEが設計して、これでいいと思って設計したわけですね、初めは。
それで、米国内にも、この対応の原子炉を造ったわけですし、日本に売り込む時には、これしかなかった。
当時、GEは、これしかもっていなかったものですから、それを、ま、売ったと。
しかし、GEの内部でも、「やはりこれは問題だ」という事で、別の形の格納容器が、造られるようになってきました。

水野:こうした水位が、40cmしかない可能性がある、ということを、
じゃあどう見るか、という事につきまして、原子力安全基盤機構は、こう見ているんです。

「格納容器の中の温度は30度程度なので、核燃料は今も、水に浸かって冷やされているとみられる」

こういうふうに言っています。
この見方について、小出さんいかがでしょうか?

小出:それは不適当だと思います。
たとえば、核燃料が、すでに格納容器の底を抜いてしまって、さらに下に沈んでいるとすれば、
格納容器の中には、核燃料はないわけですから、格納容器の中の温度が上がらないのは、むしろ当たり前
で、

水野:そうですよね、もうそこにないんですから。

小出:そうです

水野:温度が上がる訳がないんですね。
なのに、その温度をもって「いや、水に浸かって冷やされているから大丈夫」というこの見方をする原子力安全基盤機構というのは、どういう組織なんですか?

小出:ま……安全保安院の下請け機関ですし、もともと原子炉メーカーとか、さまざまな原子力を進めてきた人たちの中から、かなり精鋭部隊が集まっている組織ですけれども、
基本的には、原子力を進めようとしてきた人たち
です。

水野:近藤さ~ん、じゃ、今まで調べていた側の人達が、今度は調べられる側になったという事ですやんね。

近藤:ん……先生、あの、今話が出ているのは1号機でしょ、2号機3号機は、どうなっているんですか?

小出:わかりませんね。
2号機も、東京電力が期待した通りには、水が無かったと言っている訳で、かなり格納容器の下の方で、穴が開いてしまっている。
冷却のために、いくら水を入れても、全部漏れてしまう、という状態なのです。
結局、本当に、炉心がどこにあるのかという事を突きとめるためには、何年、ひょっとすると、何十年かかるかもしれません。

水野:あのみなさん、ここのところ、こうした情報が少なくなっていたので、なんか改善されたのではないかという、幻想の中にいたかもしれませんが、なーんにも状況は変わってない訳ですね。

小出:はい。
要するに、手を付けることができない相手が、見ることのできない場所にいるのですね。
それがどうなっているのかすらが、今はまだ、分からないという状態です。

水野:原子力安全基盤機構が、こうした状況でも、「燃料が水に浸かって冷やされている」という推測をする訳って何ですか?

小出:なるべく、国民に安心感を植え付けたい、という事ではないか、と私は思いますが。

水野:ただ、小出さんが見られているように、もう穴を通って下に出てしまっているんだと。
核燃料は、そこにないんだということになると、もう工程表が、全く意味をなさなくなる
、という事はないんですか?

小出:はい。
ただ、東京電力にしても、私が恐れているような事態の可能性を、ゼロだとは思っていないのですね。
ですから、東京電力自身も、地下にバリアを、ようするに、遮水壁というものを張るという事は、彼らの工程表には入っている訳です。
ですから、いろいろな可能性を考えながら、対処しなければならない訳ですが、
私自身は、とにかく環境の汚染を少しでも減らしたいので、「遮水壁の工事は早急にやるべきだ」と、去年の5月から言っているのですけれど、

水野:ずーっとおっしゃっていますが

小出:はい、残念ながら、そうはなっていないのです。

水野:ならないままですね

近藤:これで、じゃあ本当に、どういう状態になっているのかという事の、知る術っていうのは、これはもうずっとないんですか?

小出:えー……、今壊れているのが、火力発電所であれば簡単なんですよね。
見に行けばいいんです。

でも、原子力発電所の場合には、相手が放射能であるが為に、近寄る事が出来ない。
人間が近寄れない、目で見られないことには、何がしかの測定器で、それを推察するしかないのですが、
こんな事故が起きるなんていう事は、全く考えていなかったので、測定器すら、全く配置もされていなかったのです。


水野:あ~っ……。

小出:ですから、まがりなりに、ところどころあった測定器の値を見ながら、計算をしてみたり、推測をしてみたりしているのですけれども、
それが本当に、正しいかどうかという事は、やはりわからない、という事になってしまっている訳です。

水野:火力発電所だったら、事故はどこかで収束しますけれど、

小出:必ずそうです。

水野:原発は、今も事故はある意味続いている。
近寄ることもできないという、そこですね、大きな違いは。

はい、わからないという事が最大の恐ろしい事なんだという事を今日も知らせていただきました。
どうもありがとうございました。



今だに、だ~れもわかってへん。
どんねん偉い人でも、どんねん経験のある人でも、どんねん勇気のある人でも、
東京電力福島第一原子力発電所の事故の内情を、詳しく実証できる人はおらへん。

近寄れへんから。
目で見られへんから。

せやのに、希望的観測丸出しの数字を言うてみたり、あるかどうかもわからんもんが、まるであるみたいに言うてみたり、
それをまた、発表されるたんびに、そのまんま伝えるだけの、伝言板化したマスコミ。

最近、原発の事故の収集作業のニュース、まるで報道されへんね。
スカイツリーやの、どこぞの阿呆がまた、オリンピックやらパラリンピックやら言い出してるし、
瓦礫は本末転倒の、意味不明な輩のために、あちこちの土地に運ばれては、放射能をまき散らせてる。

新聞ってなんやの?
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電力会社ってなんやの?
政治家ってなんやの?
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大阪市教育条例の可決、ちょっと待った~!

2012年05月24日 | 日本とわたし
ゆりひななさんのブログ『軒づけ日記』の記事、『大阪市教育条例の可決、ちょっと待った~!』を紹介します。


「発言する保護者ネットワークfrom 大阪」が、大阪市議会各会派に下記の申入れをしました~!


保護者ネットブログより転載。
要請書PDFファイル      

教育の場には、「管理と競争」よりも「励ましと支え合い」が必要だと思います
子育て世代の声を、じっくり聞いてください

大阪市教育行政基本条例・学校活性化条例の拙速な成立に反対します

2012年5月24日
発言する保護者ネットワーク from 大阪

【要請の趣旨】

① 大阪市会で審議されている「大阪市教育行政基本条例(案)」と「大阪市立学校活性化条例(案)」について、
拙速な採決・成立をしないでください。

② 上記2つの条例案については、多数の保護者から不安や危惧の声が出ていますので、
そのことに十分に配慮していただき、条例案の根本的な再検討あるいは廃案を検討してください。

③ 学校は、管理と競争の場ではなく、一人一人が個性豊かに、発達成長できる場です。
ところが、2つの条例案は、「目標」や「評価」を打ち出して、徹底的に子ども・保護者・教員を競争させようとしています。
学校に格差や序列化が生じ、さらには、学校選択制と学校統廃合が進められることを危惧します。
いま一度、立ち止まって、保護者の声にじっくりと耳を傾けてください。
 
この要請書の後半に、保護者28名の生の声を掲載していますので、ぜひお読みください。

【要請の理由】

私たち「発言する保護者ネットワークfrom 大阪」は、約90名の現役子育て世代が作るネットワークです。
「競争に追い立てるのではなく、子どもに寄り添った教育を」という願いをもって、学んだり語り合ったりしながら、情報や意見を発信しています。
今回、大阪市会で審議されている「大阪市教育行政基本条例(案)」と「大阪市立学校活性化条例(案)」には、
次のとおり、重大な問題点があると考えています。


① 政治家である市長が、教育の「目標」を決めてよいのでしょうか? (教育行政基本条例)
 
教育行政基本条例は、大阪市長が「目標」を含む、基本計画を作成すると定めています。
教育委員会と協議することになっていますが、その結果として、教育委員会が反対しても、計画案を決定できることになっています。
専門家や、学校現場の意見を聴取する手続もないままに、政治家である市長や議会だけの決定で、教育の「目標」が決められてしまいます。
このことに、強い違和感を感じます。
また、テストの点数や出席率などの数値を、「目標」にされることにも、不安を感じます。
子どもたち一人一人が、かかえる課題や悩みに寄り添わず、学校現場の実態からもかけ離れた「目標」が、押し付けられるのではないか、とても心配です。


② 学校ごとの「目標」が、先生の評価基準にされることの怖さ (学校活性化条例)
 
学校活性化条例では、各校の「学校協議会」が、目標達成度を評価したり、先生たち一人一人の職務状況に、意見を言えることになっています。
しかし、保護者でも卒業生でもない人が、「学校協議会」のメンバーになり、
教室での仕事ぶりや、子どもとの向き合い方について、点検したり批判したりできるのでしょうか。
学校ごとの「目標」は、校長先生が決めることになっています。
その目標達成の度合いが、先生たちの勤務評価につながります。
これでは、先生たちが、一人一人の子どもに向き合うことよりも、市長や校長先生が決定した「目標」を達成することに、追い立てられてしまいます。
先生たちの日々の努力への「評価」は、すぐに決まるものではありません。
学校を巣立った子どもたちが、社会で生きていくなかで、先生たちから教わったことが生きてくるのです。
テストの点数や出席率などで、簡単に「評価」できるものではないと思います。


③ 教育は、市民の「意向」や「選択」によって左右されるもの? (教育行政基本条例)
 
教育行政基本条例は、市民の「意向」や「選択」を把握するのが、行政の仕事だとしています。
一見すると、いいことにも思います。
しかし、何が「市民の意向」なのかを見極めるのは大変です。
しかも、「多数の市民の声」によって、教育が左右されることがあってはならないと思います。
 
私たちが望むのは、「一人一人の子どもに寄り添った教育」です。
そのためには、一人一人それぞれの子どもたちに、平等に教育の機会が保障され、あたたかい教育の場が確保されることが必要です。
どの地域に住んでいても、どの学校に入学しても、そこで十分な教育を受けられること。
これこそが、本当に大切だと思います。

橋下市長は、「市民は学校選択制を望んでいる。それが民意だ」と言っています。
しかし、実際には、市民の意見は一色ではありません。
学校選択制には、不安の声も出ています。
もし教育行政基本条例が成立したら、
市長が「これが市民の意向だ、市民の選択だ」と決めたり、「公募された区長の意見が、民意だ」とすることによって、
結局は、一人一人の保護者の意見を聞くこともなく、教育制度が変えられてしまうのではないでしょうか。
とても不安です。


④ 学校の格差や統廃合をもたらす「情報公開」でいいの? (教育行政基本条例、学校活性化条例)

2つの条例には、教育や学校についての、「情報公開」が掲げられています。
これも、一見すると、いいことにも思えます。
しかし、これまで市長が述べてきた、「学校ごとの点数の公表」や、最近の修正案で出てきた「教師の評価の公 表」などは、
私たち保護者が、望むことではありません。
テスト結果を公表することは、先生たちが「学校全体の平均点数」を上げることに追い立てられ、
一人一人の子どもの「つまづき」の原因を、取り除こうとする余裕を失わせてしまいます。
むしろ、平均点数を上げるためには、「低い点数の子は無理だから放っておいて、中くらいの点数の子を伸ばすことに集中する」とか、
「低い子は、テストの日に休ませる」などという弊害をもたらします。
そのような実例は、国内にも海外にも実在します。
テスト点数や、勤務評価についての情報公開は、学校選択制のもとで、学校を選ぶ判断材料とされます。
それによって、児童生徒の集中、学校間格差、学校統廃合が、急速に進むのではないでしょうか。
競争にさらされるなかで、居場所のない子どもたちを、排除してしまう結果にならないでしょうか。
そのことも、とても心配です。

私たちは、そんな殺伐とした競争をもたらす、「情報公開」は望んでいません。


⑤ 政治が、家庭の教育力を「向上」させるとは、どういうことでしょうか (教育行政基本条例)
 
教育行政基本条例は、政治の力によって、「家庭の教育力を向上させる」としています。
しかし、これは、今年5月8日に撤回された、「家庭教育支援条例」と同じ違和感を感じます。
特定の「子育て法」を、押し付けるものにならないか、とても心配です。
 
子育ては、一定の尺度で、「向上」とか「低下」などと、測れるものではないと思います。
むしろ、行政が支援するべきなのは、「家庭の教育力の向上」ではなく、各家庭それぞれの、子育てに寄り添った支援です。
政治や行政が掲げる「教育力」を、「身につけさせること、向上させること」が必要だというのは、
家庭の子育てへの、過度の介入を招かないか、不安を感じます。


⑥ このほかにも、保護者からの不安の声が寄せられています
 
次のように、たくさんの保護者から、条例案への不安と心配の声が寄せられています。
その一部を紹介します。

*教育2条例案を採決しないでください。 
「市長及び市教委、市会」が、「教育に寄せる市民の多様な願いや思い」を汲み取るなら、各区の懇談会での学校選択制を、疑問視する声は無視できないはず。
拙速な議論に反対します。(0・3歳児の父)

*市はこれまで、多くの保護者の声を、それが意向に反する場合は、汲み取ってくれませんでした。
アピールしてきたのですが……。
前文「市民の多様な願いや思いを汲み取って、施策に十分に反映」とされても、到底信じられず辛い。
採決しないでください。(小4児の母)

*市議会議員さん、貴方の選挙区の子ども達みんな、笑顔になれますか? 
地域、恩師、親御さんの意見を聞きましたか? 
突っ走るばかりでなく、市民の声にじっくりと耳を傾けるのが、政治家のあるべき姿です。
もう一度立ち止まって、よく考えて下さい! (中学・高校生の母)

*「家庭の教育力」とは何でしょう。
家庭に介入しないでください。
それが仮に塾などの、純粋に学習的なものであるにしても。
「学校教育と家庭教育の連携に配慮」とありますが、先生の評価法など、連携を壊すことになる。
子どもを不幸にします。(小4児の母)

*先生を管理すれば、生徒の能力が上がるというのは間違いです。
先生への管理は、先生から、子どもと接する時間、子どもを見守る時間を奪います。
先生が、生徒を教えることに専念できる環境を作るのが、行政の役目。
先生の余計な仕事ばかり増やすこの大阪市教育条例には、大反対です。(2歳児の母)

*教育・学校の中心は、先生です。
それは、今まで、子ども二人が学校で世話になって、つくづく感じるところです。
その先生方が、力を発揮することに、何の配慮も示さない、この教育行政基本条例案に強く反対します。(中3の父)

*もう、これ以上、学校とか子どもに関する施策、いじらんといて! 
そんなむちゃくちゃな施策のほうを、グレート・リセットしたいわ! (小2の父)

*保護者とともに、手を取り合って子どもを育てていく現場の先生方に、管理と強制ばかりを強いても、子ども達が健やかに成長するはずありません。
即刻廃案にすべきです。(高2・中2の保護者)

*競争・管理・評価を、押しつけられた教育現場で、心の通い合う教育ができるのでしょうか?
現在その原理に縛られている民間の方達にも、ぜひお聞きしたい。
人は、ひとりで生きていけないし、みんな違う。
だからこそ、支え合う思いやりと、それに感謝する心が育まれる教育を望みます。(大学生の母)

*教育関連2条例案、拙速な採決をしないでください。 
教育は、サービスと違います。
子どもも親も、ユーザーと違います。
先生も親も、地域も、一緒に子どもの成長を助けて行くもの。
押しつけとランク付けの教育条例は、そんな関係をつぶしてしまいます。(小1・中1・中3の親)

*現場で働く、いわばプレーヤーの教師が、みな、こんなルールはおかしい、と主張しているのに、
無理矢理押し付け、さぁ試合開始という、乱暴なことは許せない。
笑顔の教師に、子どもを預けたいのは当然です。
先生が笑っていない学校で、子どもが笑えますか?(3・0歳児の母)

*教師が、この条例を支持していますか?
学校選択制を支持していますか?
わが子を、議員や政治家に、預けるわけではありません。
子どもたちと直に接する、現場の先生の声を聞き、子どもたちが過ごす、学校の声を大事にしてください。(3・0歳児の母)

*「みんなに幸せになってほしい」という立場で、教育にあたるのが当たり前。
厳しい条件を背負っている子には、手厚いケアーがされるのが当たり前。
所詮世の中、「勝ち組と負け組があるんだ」「おまえはどっちだ」と、子どもと保護者に迫るような教育は、許せません。(大学1年生の父)

*今でも息苦しい空気が充満している大阪の学校を、これ以上、要らぬ条例でしめつけないでほしい。
既に、息子の自尊感情は、ずたずたになっている。
教育のことは、現場に任せろ。
政治家は口を出すな。
子どもたちに、自由と誇りをとりもどさせてほしい。(中2の父親)

*大阪市議会で、可決されようとしている教育条例。
保護者と教育者は、本来手を結べるもの。
子ども同士も、学び合いができます。
この条例が、教育現場にいらぬ分断を持ち込むのでは、と強い懸念を抱きます。
拙速な議論に反対します。(0歳・3歳の父)

*評価や免職といった言葉が並ぶ条例案。
読んでいるだけで、息がつまります。
四方八方から、先生を監視して、追い詰める……教室から笑顔が消えてしまいます。
条例案、採決しないで下さい。(4歳・1歳の母)

*教育に、政治を持ち込むのは危険です。
太平洋戦争で、日本は何を学んだのでしょう?
子ども達を、政治の道具にする、そんな教育条例を、大阪に住む保護者は認めません! (3人の年子の母)

*大阪市議会で、可決されようとしている教育条例。 
条例案で示されているのは、教育目標の上意下達システムと、徹底した管理。
先生も子どもも、ロボットではありません!
これは、学校から「活気」を奪う、条例案だと思います。(4歳・1歳の母)

*「学校に保護者の声を」というのであれば、保護者と先生が、じっくり対話できるような余裕をください。
これ以上、先生から、時間と心を奪わないでください。
一方的な「評価」では、現場が混乱するだけだと思います。(2児の母)

*地域を分断して、こどもを選別する今回の条例案に、断固反対です。
完璧ではないのは分かっていますが、教職員を信じたいです。
人間らしい“ゆとり”を持って、私は、教育現場とこどもを見守っていきます。
数年先に成人する子どもを思えば、この条例の可決を看過できません。
お願いです。
教育を、政治の道具に使わないでください。(17歳の娘の父)

*先生も子どもも、機械ではありません。
一面的なランク付けで、切り捨てないでください。
子どもたちの無限の可能性を、否定しないでください。
強制や命令や脅しでは、人は育ちません。(大1・高2・中2の保護者)
  
*人間は、多様な人々の中で、共に支え合い、学び会いながら、豊かな成長を遂げる。
子ども達を競争させることで、分断・排除するところからは、豊かな人間性は生まれない。
こんな時代でも、親や学校、地域の人が連携して、豊かな心をはぐくむ教育が出来るはずです。
排除より共生を。(小4の父)

*子どもも、先生も、どちらも、しんどくなるな……。
この先、心の豊かさなんて、どうでもよくなる時代になるのかな……と、不安でいっぱいです。(高1・中2・小4の母)

*日々、子供達のために、心を砕いてくださっている先生方に足りないのは、何よりも時間と余裕です。
外形的な評価や、管理や競争を押し付けるのではなく、先生方や子供達を、サポートする政治を望みます。(小4・中2の子の母)

*教員と保護者は、「敵対」ではなく、「連帯」で、子どもたちを育てていくべきだと思います。
現代の、さまざまな教育を取り巻く問題は、その個人、そして家族に対する、パーソナルサポートで改善していくべき。
学力等の表層部分だけに目を奪われず、その深部にある、深刻な学びの「貧困」・家庭の貧困・こどもたちの苦悩を、まず改善すべきではないでしょうか?(未就学児の母)

*教育条例が施行されて、校長や教員への「評価」が厳しくなれば、校内・学級内で起こった問題が、隠蔽されるようになり、
必要な情報が、むしろ保護者に届かなくなるのではないか、と危惧します。
保護者にとっては、学力テストの結果や、教員評価分布よりも、日々の学校生活について、先生と率直に情報交換する方が、ずっと大切です。(2児の母)

*教育条例によって、教員同士がライバルになり、さらに、保護者と教員が、評価する側とされる側に分断されてしまえば、チームワークが期待できなくなります。
私は、そんな学校に、子どもたちを通わせたくありません。(未就学児の母)

* 橋下さんは、「何かを変えてくれそうだ」と期待していました。
でも、昨年9月に、大阪府議会で、「教育基本条例案」が出てきたときから、大阪の教育はどこへ進むのか、心配になりました。
学校が、殺風景な「勝ち残りゲーム」の場になる……、そんなことを、橋下さんに期待したのではありません。(3歳・小1・小2の父)


このほかにも、多数の現役子育て世代が、教育関連2条例への不安の声をあげています。
 
結論を急がず、一歩立ち止まって、現役子育て世代の声をじっくりと聞いていただくよう、強く願います。
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20年だぜぃ!

2012年05月24日 | 家族とわたし
今日は20回目の結婚記念日。



書類上では24日だが、正確にいうとちょいと違う。

旦那とわたしと息子達の暮らしは、今から20年前の5月1日に始まった。

そして、今から12年前の5月1日に、アメリカでの暮らしが始まった。

なぜかいっつも5月1日……。



どちらの始まりも、部屋の灯をつけてもつけても、不安の影が部屋のあちこちに居座っていた。

いくら家の中で楽しくやっていても、カーテンの向こうの窓ガラスには、たくさんの人達の悲しそうな顔が、ぼんやりと浮かんで見えた。

けれどもわたし達は、毎日こつこつと暮らし、息子達は大きくなった。

わたしとの暮らしを選んだ日から、ふたりの幼児の父親になった26才の青年は、46才の信頼される鍼灸師になった。

雨降りが続く中、いちごの実が真っ赤になっていた。


みんな、見事にずぶ濡れ。当たり前だけど……。


今年の虫食いの標的はツユクサ?おかげで、他の草花は無事。


茎だけになっていたブロッコリーに、こんなに葉っぱが出てきた。


花が終わり、いよいよブラックベリーの赤ちゃんか?



旦那よ、こんな女に20年も付き合うてくれて、ほんまにありがとさん。感謝してます。これからもよろしゅうに。
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