ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

うってかわって極寒の夜空に降り落ちる流星群

2012年01月03日 | ひとりごと
ただ今気温マイナス8℃、これからもうちょっと下がってマイナス10℃になるそうな。
しかも、北風がゴオゴオ吹いているので、体感になるといったいどこまでマイナスか……。
これまでたまぁ~にしか作動しなかったオイルバーナーも、30分置きぐらいにガンガン働いていて、今月のオイル代の支払いを思うと気が重くなる。
そしてまたまたの車の故障……さらに気が重くなる。

そんな極寒の日の夜中に、なんと1時間に百以上もの流星(Quadrantid流星群)が見られるのだそうで、
時間を調べてみたら、夜中の2時半頃……。

(これは十数時間前に、アーカンソー州で撮られた写真)

いやあ、最近はまた夜更かしをしているとはいえ、この時間まで待てるかどうか……。
っつうか、北西の空が良く見える窓は三階にあって、その部屋にはヒーターが無い。
まあ外で待つよりゃマシかもしれないけれど、今ちょっと上がってみたらそれでもかなり寒い。
ヘタレなわたしが、そんな時間まで、しかもクソ寒いとこで頑張れるかどうか……。
けど、せっかくのチャンスを逃すのもなあ……と思案しながらこれを書いている。

今日は旦那が久々に、クリスマスから残っていたターキーの骨と肉を分け、そこに野菜のぶつ切りを豪快に足し、グツグツと煮たスープストックを作ってくれた。
このターキーさん、これまでずっと冷蔵庫でのさばっていらっしゃったので、これは随分助かった。
濃厚なスープに、新たに切った野菜とターキーの肉(すごい量が残っていた)を加え、夜はそこにご飯と茹でた三度豆を足していただいた。
あ~ほっこりほっこり!

スープを作っている時に、家猫にターキーの皮をあげた旦那。
すると、いつもは大抵あまり喜ばない(例えば刺身だったり焼き魚だったり)彼女なのに、夢中でパクついた後、しばらく暴れていたそうな。
旦那いわく、「まるで、なんで今の今までこんなうまいもんくれんかったん?!とでも言いた気やった」のだそうで、
その証拠がこれ。


今年はおいたをせんかったなあと思てたら……。
まあ、このオーナメントは超~安物。
それでも買うのに散々迷った厳しい時代で、パン屋さんが縛る時に使う紐をひとつひとつにつけて飾った、思い出深い物でもある。
家猫は、これに猫パンチを食らわせては追いかけ、またパンチをしては追いかけしてたらしい。

にゃによっ! 


あんたは手招き猫やのうて居直り猫です!
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元旦さんぽ

2012年01月02日 | ひとりごと
あらためまして、気分も新たに、あけましておめでとうございますと、家猫を羽交い締めしながらのご挨拶。


あんまり暖かで、空も気持ち良くすっきり晴れているので、カメラを片手に散歩に出かけた。
青色をバックに、飛行機雲が遊んでいる。


クリスマスの飾りだけど、どこかお正月っぽいなと思うのはわたしだけ?


枯れ木に飾り玉をつけるのも流行っている。


どうしてだか惹かれてしまう雪だるまくん。


旦那がいつも「この木はええなあ~」と見上げる近所の大木。二階建ての家がちびっこく見える。


葉っぱには命の力がみなぎっている。


今日の空はほんとに楽しい。


御用済みのもみの木。うちはいつも、もみの木回収のトラックが来る最終日に間に合うぎりぎりの、1月末ぐらいまで飾る。


一度は横目で見て通り過ぎたのだけど、やっぱり気になって戻って撮ったアライグマくん。


しばらく惚けるように眺めていた。神様からの贈り物。


こんなおっきな巣が枯れ木のあちこちに。


まだまだありまっせ。


などとテクテク歩いていたら、いきなり茜色の光が差してきて……、


日が落ちたらすぐに寒くなった。
急ぎ足で歩いていたら、ちびっこの松ぼっくりを見つけた。
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脱原発世界会議 at パシフィコ横浜 2012年1月14日&15日

2012年01月02日 | 日本とわたし
脱原発世界会議 at パシフィコ横浜 2012年1月14日&15日



↓『賛同者の声』より、抜粋させていただきました。


辻信一さん (ナマケモノ倶楽部世話人、明治学院大学教員)

別れの時だ。

自販機や温水トイレや電気ポットなしでは生きていけないと思っていた自分と。
原発がクリーンエネルギーだと思っていた自分と。
人間のことばかり思って、他の生きものを忘れていた自分と。
陸ばかり見て、海のことを見ずにいた自分と。
国益ばかり思って、他国の人たちを無視していた自分と。
都市のことばかり思って、田舎のことを忘れていた自分と。
自分たちのことばかりで、未来の世代のことを考えずにいた自分と。
経済のためにはもっともっと石油と原発が必要だと思っていた自分と。
チェルノブイリも水俣もどこか遠くのことだと思っていた自分と。
自然より、愛より、大切なのはお金だと思っていた自分と。
何があっても自分だけは大丈夫だと思っていた自分と。
無力な自分に社会を変えることなどできないと思っていた自分と。

そんな自分よ、これまでありがとう。そして、さようなら。

新しい自分と歩きはじめよう。




上野千鶴子さん (NPO法人ウィメンズアクショ ンネットワーク理事長,東京大学名誉教授,社会学者)

日本はいま、思考停止とあなたまかせのツケを支払っている。

無知だったわけではない。
知ろうとせず、見たくない現実に直面しようとしなかったのだ。
そしてわたしもその点では同罪だ。

このツケは高くつきすぎた。
もうたくさんだ。
いま、日本を変えられなければ、いったいいつ変えることができるだろう?



きっこさん (きっこのブログ)

各電力会社や政府は長年に渡って「どんなに大きな地震が起こっても原発は絶対に安全だ」と言い続けてきましたが、
今から3年前の2008年、原発や核関連施設の設計をしたメーカーの内部資料によって、多くの原発の耐震構造に計算ミスや意図的な耐震偽装があったことが発覚しました。
設計したメーカーは、この事実を1997年に把握していましたが、それを公表せずに2008年まで11年間も隠蔽していたのです。
耐震偽装が発覚したのは、現在分かっているだけでも、
女川原発、
福島第一原発、
福島第二原発、
柏崎刈羽原発、
浜岡原発、
志賀原発、
島根原発、
敦賀原発、
東海原発、
そして、何よりも恐ろしい六ヶ所村の核燃料リサイクル施設と高速増殖炉もんじゅ、
これだけの原発と施設が、設計上の数値よりも低い震度の地震で事故を起こす危険性を持っていたことが分かったのです。
そして、今回、この中のひとつが取り返しのつかない大事故を起こしました。
時計の針を3.11以前にもどしてやり直すことができない以上、私たちの進むべき道は「同じ過ちを二度と繰り返さない」という道しかありません。
今、抜本的にエネルギー政策を転換しなければ、この国は必ず「第二の原発事故」で滅びてしまうでしょう。



鎌田慧さん (ジャーナリスト)

地震国での原発運転など、
自殺行為だったのだが、
わたしたちはそれを阻止できなかった。
自国民にだけでなく、
世界に放射性物質を拡散させた責任は重い。
その償いは、世界の反原発運動ともに、
原発を廃炉にし、
核武装につながる再処理工場と高速増殖炉を廃棄させる。
被爆と被曝の教訓をつたえ、
政府が狙っている原発輸出をやめさせる責任がある。



湯浅誠さん (反貧困ネットワーク事務局長)

脱原発世界会議2012YOKOHAMAに賛同します。
コトが起こったら、もう誰にもどうにもできない、究極の「手に余るもの」としての放射能。
「手に負えないんだったら、飼ってはいけません」
ペットを欲しがる子どもに、親が諭すように言うことがあります。
そんな「常識」を、私たちもまた政府や東電に諭してあげなければならないのかもしれません。
悲しく、情けないことです。




Ryo Arsheさん (音楽、映像プロデューサー・コンポーザ・CCAS被害者連合会代表人)

政府東電は、日本が世界有数の地震国でありながら、
事前に講ずべき万全な安全対策や、緊急時における国民への安全確保等の施策を怠ったまま原発事故を起こし、
政府にあっては、自らが監督機関というその重責をいまだ果たさず、
その責任につき、加害者側の立場であるという事実さえも「政府発表」という形で覆い隠した。
国は“自国民を守るもの”という信頼性を利用しながら、
他方では、緊急時における国民の生命にかかわる重要な情報を隠蔽し、国に不利な情報は意図的に隠し、
その結果、ぼくら国民を不安に陥れている。

これまでに、国という加害者が、東電という別の加害者と共同して何をしてきたのかというと、
国民の保護を優先させるでなしに、逆に、立法府という立場を利用して、長年運用されてきた被爆限度基準のハードルをあげるなど(暫定基準値)、
法を自らの都合に合わせて恣意的に運用にするなどした。
当然これがきっかけであらゆる安全の基準が崩壊し、もはや無秩序の連鎖となった。

多くの国民が真実を知らされない中、政府らの安全宣言などの言葉に対し、一丸となって「犯罪者が言っていることを信じる」というようなおかしな状態が続き、
国民は「国が言うのだから間違いない」、「国が何とかしてくれるだろう」などと信じてしまっている。
しかしながら、本来は、国や東電が“加害者”という身分であり、
巧妙な作文でその身分を誤魔化し、
憲法にも違反するべく国民を予期せぬ危険に今もってさらしているのは紛れもない事実である。

ところで、最近、無主物なる言葉が、ツイッターやニュースを舞った。
幸いにして、この東電弁護団弁護士事務所所属の弁護士と、私が代表を務める企業犯罪被害者連合会とは、別件訴訟が係争中であり、
被害当事者らが直接する外部公益通報(内部告発)につき、名誉毀損による損害賠償と、告発記事削除の請求に対し、当方らは内部告発の正当性を争っている。
今問題の原発事故においても、内部告発などによって多くの人命を救うことが出来たのは容易に想像できるところ、
今後、この別件訴訟において、彼らの主張や目的どおり、事故の目撃者や、隠蔽行為の目撃者、犯罪行為の目撃者や被害者などが声を上げられなくなるような裁判例がつくられると、知る権利が侵されることに直結する。

ぼくの役割は声を上げること、法律上の権利、つまり人権上の表現の自由や言論の自由、知る権利などの人権を守ることだが、
脱原発世界会議の趣旨に賛同した以上、これをなしとげるまで、法律の中に動くことにして、音楽や芸術のことは、しばらくボクからは離れていそうだ。




及川アンリ健二さん (映像ジャーナリスト 国境なき記者団・記者)

日本から原発をなくす。
フランスから原発をなくす。

核廃棄物は無害化するまでに約100万年もの年月がかかります。
遡れば、それはアウストラロピテクスの時代です。
保管・管理の技術が見いだせないのに、原発を稼働させれば核廃棄物はさらに増えていき、末代までに負の遺産をのこすことになります。

原子力発電は1950年代のテクノロジーで時代遅れで、人間には統制かつ統御不可能です。

60年経ったいま、定年退職してもらいましょう。




文魯彬(ロビン・ウィンクラー)さん (台湾緑党・共同議長)

世界中から集う友人たち、そして日本の皆様へ

2011年3月11日に端を発した一連の災害は、原子力エネルギー推進が人類の犯した最悪の過ちの1つであったことへの証明となりました。
まず、今回の災害により被災された皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。
原子力エネルギーの即時・包括的廃止は、私たちの進むべき唯一の良識ある道です。
その道筋に向けて世界中から人々が集い、声を発するこの大切なイベントの開催を心から祝福します。

台湾では現在6基の原子炉が稼働しており、世界的にも最も危険な部類に入るものとして知られています。
その原子炉が、台湾総人口2300万人の半数が暮らす50km圏内に位置しています。
台湾は小さな島国であり、一つの原子力事故が全国民の絶滅につながってしまう可能性すらあります。

近々我が国で国政選挙が行われますが、原子力エネルギー問題は今回の選挙の重要な争点の一つとなっています。
選挙と脱原発世界会議の時期が重なるため、私たちの多くは会議への参加がかないません。
しかし、私たちの心は皆さんと共にあり、会議のご成功を一同心よりお祈りしております。



高瀬 毅さん (ジャーナリスト)

うかつだった。
原発によってこれほどの事態が現実のものになることはないと、お前はどこかで高をくくっていたのだ。
核問題といえば、核兵器という図式にいつの間にか落としこまれ、
原発は核の平和利用だと思いこまされていたことを、戦後66年にして、心底、戦慄とともに気づかされた。
被爆都市・長崎で生まれ育った人間として、本当に恥ずかしく、情けない。
原発は核兵器の原料を作る装置。
原発推進の裏に核兵器保有の「裏メッセージ」としての国策があることを知るべきだ。
「脱原発」は「脱核兵器」。
原発と核兵器は双子なのだということを、3・11が被爆国に突きつけた最大のメッセージとして受けて止めなければならない。
どちらかにしか言及しない者は、ニセモノだということを認識することだ。




佐藤真紀さん (日本イラク医療支援ネットワーク(JIM-NET) 事務局長)

米国のイラク攻撃に反対するように、国に意見書を出した県がひとつだけあった。
それが福島だ。
だから僕は福島が大好きだ。
日本政府がイラク戦争を支持した理由は、小泉首相(当時)が明言している。
「米国などの行動を支持することは、国益にかなう」(2003年3月20日 国会)
「国益」ってなんだ!
イラクの市民の命を10万人以上奪った代わりに日本が得た利益とはなんだろう。
こんな戦争は、国連憲章にも違反するし、もちろん、日本国憲法では、戦争を支持するなどは、ありえないはずだ。
原発は、「国益」にかなう。
ここでも同じ構造が見える。
福島の人々を苦しめて、一体どのような利益がこれから転がってくるのか?
これだけの事故を起しても、「原発は安全です。世界に輸出しましょう」ということなのか。
国益を追求するのは結構だ。
しかし、そのことで犠牲になっている人びとの声を私たちは無視するのか?
いや、もう、無視は出来ないはずだ。
今、考えて、行動しよう。




八木啓代さん (ヴォーカリスト&作家)

チェルノブイリを訪れた友人がかつて教えてくれたことがある。
放射能は目に見えない。
だから汚染された山でも森でも草原でも、何事もなかったかのように美しく花が咲き、緑が豊かに繁る。
だからこそ、人々は、目に見えないものを、その地が汚染されている現実を信じることができず、
あるいは信じたくなく、それが避難を遅らせ、二次災害を招く。
汚染されているのに美しい山や森は、ある意味、荒廃した大地の姿よりおそろしい、と。
それから25年後、それと同じことが、わが国で起こるとは、いったい誰に想像ができただろうか。
人間の制御できないものを、制御できるなどと思ってはいけないのだ。



千葉麗子さん (元タレント・実業家)

東京電力がしていることはぶっちゃけ「殺人」だと思います。
早くに亡くなった父が、幼いわたしの手を引いて、福島原発を止めないと大変なことになる、と福島市役所勤務時代に言った言葉をよく覚えています。
いつまで首相でいるかもわからない野田さんや石原都知事に、原発のことを任せることはできません。
母親が、わが子を守るのは当たり前のことだから、わたしたちはもっと勉強しなくちゃいけないんです。
わたしは、脱原発の署名運動のとき、渋谷で呼びかけていますが、109に買い物に来ている若い女の子たちも、いつかは子どもを産み、母親になる。
みんなにもかかわることだから、彼女たちと同じ視線で、わかりやすい言葉で訴えていきたい。




上野千鶴子さん (NPO法人ウィメンズアクショ ンネットワーク理事長,東京大学名誉教授,社会学者)

日本はいま、思考停止とあなたまかせのツケを支払っている。

無知だったわけではない。
知ろうとせず、見たくない現実に直面しようとしなかったのだ。
そしてわたしもその点では同罪だ。

このツケは高くつきすぎた。
もうたくさんだ。
いま、日本を変えられなければ、いったいいつ変えることができるだろう?
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大晦日と元旦にいただいたうまいもん

2012年01月01日 | 家族とわたし
この秋食べ忘れてた栗。


つきたてののし餅を、まだあたたかいうちに切り餅にして。


ひとり台所で励む自分にちょいとトリート。乾燥イチジクとアーモンドのケーキ(めちゃかたい)。


おせちの準備開始。


息子Kの大好物、伊達巻。巻けるだけ巻いてくれと頼まれたけど、1個作るのに卵5つも使うのだよ……。


息子Tの大好物、昆布巻。今年は昆布が手に入らなくて、とりあえず有り合わせの物で。


ガガッと煮の筑前煮。


そんなこんなでバタバタしているわたしの横で、ゲームに勤しむ若者達。実はこれ、ズルしてる現場の証拠写真と、Bあやちゃんにバラしておこう。


直前に、けっこうお腹にこたえるピザをパクついていたので、年越しそばはあっさりときつね揚げととろろ昆布と天かす。
テレビの画面に映るタイムズスクエアのカウントダウンに合わせてお祝いをする。
お正月用にきれいに着飾ったMちゃんが、「Happy New Year!!」と可愛い歓声を上げて、いつもならシラケ気味の新年を盛り上げてくれた。
あぁ~やっぱ娘っていいわぁ~。


本日元旦。
旦那以外は皆、大寝坊して、まずはおせちとお雑煮とお屠蘇で乾杯。寝起き&寝癖爆裂の息子達。


外は快晴。そしてとんでもなく暖かい。


この変なおっさんは誰なのか……。


この巣の中で、雛たちは日向ぼっこしてるのかな。


ほんま、ごっつぅぬくいなかあちゃん。


あ、つかまってもた……と、新年早々ムッとする家猫。



この、いつもと変わらない日常。
家族の皆が揃って、無事に、健康に、年を送り迎えできたことを、今まで以上にありがたく思う。
そして、この奇跡が、これからも続くよう心から祈る。
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2011年が2012年になったので

2012年01月01日 | 日本とわたし
だからとりあえず「あけましておめでとうございます」と言うけれど、心の中はあんまりめでたいとは言えない。

この寒空の下、座り込みをしている人達がいる。
陳情書を渡しに東電に行き、会社の建物の中にも入れてもらえず、門前払いを食わされた福島の人達がいる。
事故を起こした福島第一原発の四号機では、使用済燃料プールのスキマサージタンクの水位が、通常の4倍もの速さで低下している。
そのことをまた、いつものごとく東電は、夜中のメールでこそこそと知らせている。

なにも良くなんかなっていない。
なにも終わってなんかいない。
なにも解決していない。
なにも見通しが立っていない。
地震は毎日のように続き、日本は地面の底からごうごう揺れている。
そして、そのことを知ってる人、知らない人、知ろうとしない人、知ってても無視してる人、知ってることをわかってもらおうともがいている人がいる。

あの悲惨な震災と津波が日本を、そして世界を変え、原子力発電という、救い様の無いバカげた発電方法が、地球を破壊しかけている。
去年9ヶ月もかけて闘ったのに、と憤慨している人達は、この闘いは多分、何ヶ月ではなく、何年何十年と続く、地球の命を賭けた、この惑星に生きる生き物すべてのためのものなのだと、認識を新たにしなければならない。



あの震災と津波の翌日も、原発事故の翌日も、そしてこの2011年最後の夜の翌日も、
こんなふうに、いつものように、当たり前のように、太陽が東の空から姿を現した。
昨日の夕方、おせち料理の食材を買い足しに出かけた時、それはもう見事な、とても大きな、美しい夕日を拝ませてもらった。
運転しながら、振り返ったり、ルームミラーの角度を変えたりして、朱色に燃える大きな太陽を見つめていた。
あんまりきれいで豪快なので、嬉しくなって泣けてきた。
ありのまま、このまま。人間がどれほど愚かなことをして、酷い破壊を加え続けても、自然はいつものようにその営みを繰り返す。
父がたった半年しか暮らせなかった終の住処に戻る車中、その時もこれとよく似た夕日が父の頬をオレンジ色に染めた。
もうとっくに冷たくなっているはずの父の頬に手のひらをあてると、ほんのり温かで、わたしはその手のひらを夕日にすかしてみた。
若かった父が、わたしをおぶって歌ってくれた『七つの子』を、小さな声で歌った。



また今日から、ひとりデモを始めよう。
おせちの食材を選ぶ時、国産という表示があると棚に戻した。
味噌や漬け物も、東日本産の物を避けるのは至難の業だった。
酒も然り。
いつもなら、郷愁と憧れと親しみを感じながら手に取っていたたくさんの物が取れなかった。
ミツワマーケットでは、パッケージの後ろに必ず、英語表記のシールが貼られている。
その貼る場所はいつも、原産地や製造者の住所、そして賞味期限が表記されている部分で、そのことに腹を立てていた。
あの事故以来、わたしはついに、そのシールを注意深くはがし、原産地と製造された場所を確認することにした。
はがしていることを咎められたら、「買う側の立場としては、正しい情報を得てからお金を払いたい」と堂々と申し出るつもり。



わたしの年代の人間は多分、今回の原発事故以上の、酷い汚染食品をすでに口にしているだろう。
子供の頃に、核実験が盛大に行われていたし、チェルノブイリのような大きな事故が起こる以前は、誰も何も検査なんてしなかったし。
なので、どれだけ汚れた物を口にしたり、吸ったり、使っていたりしたか。
本当のことを知る者は、今更なにをギャアギャア騒いでいるのかと、内心呆れているのかもしれない。
騙されたまま、知らないまま、知ろうともしないまま、わたし達はいろんな攻撃を体に受け続けてきた。
ほんの一部の、恥知らずで阿呆で強慾な人間が犯した過ちが、自然や人間の営みの邪魔をする。
1%と99%。
これはひとつのシンボルだけど、わたし達はこのことについて、本当に、真剣に、果敢に、考え、取り組み、行動に移さなければならない時が来たのかもしれない。

それが2012年。闘いの年。
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