ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

おせちとうろこ雲と夕焼けと

2012年01月08日 | ひとりごと
今日こそは、おせちの残り物整理をすっぞぉ~。
地下室で、冷蔵庫で、鍋やガラスの器の中で静かに変身の時を待っとる元おせち君たち。

カニ鍋(というても蒸し蟹の冷凍もん)の汁は雑炊に。
昆布巻の汁は大根煮に。


クリスマスから残ってたターキーで、旦那が作ってくれたスープもなんとか無事?!

伊達巻はあっという間に無くなったし、黒豆はあっちゃこっちゃにお裾分け。
あんこはぜんざい王子が完食。
筑前煮は、旦那が毎朝、トーストと一緒にちょこちょこと、「根野菜はやっぱ健康健康!」とか満足げに言いながら食らう。

今年の冬は、零下の日が少のうて、地下室でも腐らんともつかどうか心配やったけど、とりあえず一週間、無事にいてくれた。

夕方の台所の楽しみのひとつは空。
作業をする所の真正面の窓から、こんな雲が見えてしもた日にゃ~、そらもう、ちょっと中断して外に出るっきゃないですやん。


夕日が枯れ木に直球の愛を送ってる。枯れ木はそれを受けて、嬉しそうに全身を朱色に染める。あ~神様!


こんな日は多分、夕焼けがおもろいぞぉ~とホクホクしながら料理の続きをやってると……きたきた、窓の向こうに!


うちから見える夕焼けは、お向かいの家と家の間の三角のくぼみ。


朱色から紫に。


前にも何度も書いたけど、この素晴らしき相棒老カメラくん、夕焼けだけは苦手(もしくは撮り手のわたしの知識不足)で、実際の色や雰囲気を、そのまま伝えられへんのがとっても残念っ!

なにはともあれ、今年も無事に、なにひとつもったいないことにならずに済んだ。
お正月に感謝!
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『世界最悪企業2012』投票だぜぃ!がぉ~!

2012年01月08日 | 日本とわたし


日本で唯一の「環境金融」の内外情報サイト『Finance GreenWatch』でやってるよ!
これで一位になったからっちゅうて、いったいそれが何?って言われても困るけど、
こんなことでもして晴らさんと、長丁場の闘いに挑むエネルギーが潤ってけえへんねん。

さあさあ、みんなも清き御一票を!

投票はこちらから。
TEPCOをクリックして、VOTE NOWをクリックしたら完了です。

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測ってガイガー!

2012年01月08日 | 日本とわたし
測ってガイガー!』というウェブサイトがあることを、ツィッターで知りました。

測ってガイガー!では、地区ごとの放射線マップや除染マップも公表されています。

測量をリクエストすると詳しく測ってももらえます。

どうか、ご心配な方は、ここを覗いてみてください!
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まだ日本には、まともな社説を書く新聞社が存在する。そんなことを心の支えにしなければならない今の異常さ

2012年01月08日 | 日本とわたし
1月8日付けの、健全なスタンスを保っていると思われる社説を読みました。
事故以来、大手新聞、大手テレビ局には、ほとほとがっかりしてきたので、こういうまともさに出会うと胸が熱くなります。
そのことの異常さに、新たな失望を感じながら……。


【信濃毎日新聞】

40年で廃炉 脱原発への一歩とせよ

原発の運転期間を原則として40年に―。
細野豪志原発事故担当相が、原子炉等規制法の見直し案を明らかにした。
脱原発への足掛かりと位置付けたい。

ただ、確かな工程を示したというわけではない。
見直し案には抜け穴も用意されている。
廃炉に向けた、より具体的なスケジュールを野田佳彦政権に求める。

見直し案の柱の一つは、発電用の原子炉に「40年運転制限制」を導入することだ。
細野氏は「40年を期限に基本的に廃炉にしていく。
政治的判断が入り込む余地はない」と明言した。

原発の“寿命”は当初30~40年程度とされていたが、運転期間を定めた法律はない。
電力会社は「十分な管理をすれば60年間は可能」とし、経済産業省も認めてきた経緯がある。

人類史上まれにみる福島第1原発の事故を踏まえれば、運転期間を40年で区切るのは当然だ。
古くなった原発を「老朽化」と言わず、「高経年化」と呼び、運転延長を目指してきた電力会社と経産省の姿勢が問われた。

国内の原発54基のうち、30年を超えたものは19基ある。
「40年定年」が実現し新規建設がないとすれば、原発は確実に減り続け、最終的にはすべて廃炉になる。
見直し案を土台に、脱原発への具体的な工程表をつくるときだ。

注意すべき点がある。

政府案には、条件を満たせば一定期間の延長を認める例外規定が設けられている。
「原子炉の保全を遂行する技術的能力」などを審査したうえで延長を認めるというものだ。
これでは「40年定年」が空洞化しかねない。

もう一つ、見直し案だけでは廃炉までに時間がかかりすぎる。

昨年の事故は、原発災害の深刻さを見せつけた。
いったん大事故が起きれば、極めて広い範囲の地域が汚染され、健康への影響も長期にわたってみていかなければならない。
原発は経済的な利益と比べることができない、けた外れのリスクをはらんでいる。

福島の事故を受け、ドイツのメルケル政権は昨年夏、2022年末までに国内すべての原発を閉鎖する法律を成立させている。
高まる原発反対の声に迅速に対応した政策転換である。

日本は地震列島だ。
いつまた大地震が襲うか分からない。
ドイツ以上に短い期間で、原発に頼らない社会を築くことが望ましい。
エネルギー政策の転換を含め、脱原発に向けた明確な青写真を急ぐ必要がある。


【中国新聞】


原発の寿命「40年」曖昧さへの懸念拭えぬ

原発の安全性を高めるため、原子炉等規制法の見直し案を細野豪志原発事故担当相が発表した。
運転開始から40年たてば原則として廃炉にするという。

これまでは運用上、30年を超えると国が安全審査し、10年刻みでの運転延長を認めていた。
初めて原発の寿命を法に定める意味は小さくない。

だが手放しでは歓迎できない。
40年を超えても延命が可能な「抜け道」が残るからだ。
「延長できるのは例外的だ」と細野氏は厳格な運用を強調するが、多くの国民は納得しづらいのではないか。

国内の商業炉54基のうち、福島第1原発の6基も含めた19基が運転開始から30年を超えた。
福島第1の1号機など、うち3基は40年を過ぎている。

年数がたった原発が多いのは、新増設が進まないことが大きい。
既存原発を長持ちさせる方がコスト面からも有利とされる。

ところが運転開始から36年の玄海1号機(佐賀県)では、原子炉の圧力容器が中性子を浴びることで、想定以上に劣化が進んでいる可能性が指摘されている。

これに対し見直し案では、原発事業者が40年を超える延命運転を申請した場合、経年劣化の状況などを調べて問題がなければ認めるとの項目が盛り込まれた。
その詳しい基準を明示していないことも含め、違和感は拭えない。


国のエネルギー政策全般に通じる曖昧さが今回も露呈したと言えないだろうか。

野田佳彦首相は原発の輸出に前のめりで、前政権が掲げた「脱原発依存」はかすみつつある。
太陽光や風力など再生可能エネルギーをどう増やしていくかの工程表もはっきりしていない。

そうした段階での寿命の法定化である。
厳密に実行すれば自然と脱原発依存は進むことになろう。
だが、曖昧な延命措置が残れば、当面の再稼働に向けた「地ならし」が最大の目的とみられても仕方あるまい。

少なくとも国民が納得できるまで説明を尽くすことが、例外扱いの大前提となろう。
40年を超えた敦賀と美浜の各1号機(いずれも福井県)への判断が注目されるゆえんだ。

中国地方では島根1号機が運転開始から38年近い。
今回の見直し案に地元の松江市長が「不明な点がある」と述べるなど、地域が困惑するのも無理はない。

見直し案には、炉心溶融(メルトダウン)など過酷な事故への対策を全ての原発に義務付ける内容も盛り込まれた。
これまで電力会社の自主的な取り組みに委ねていた。
規制強化は遅すぎるほどだ。

福島の事故をみても、国と電力会社とのなれ合いが危機管理意識の甘さにつながった面は否定できない。
4月に発足する原子力安全庁はまず、互いの緊張関係が不可欠だと肝に銘じてもらいたい。

安全の「お墨付き」をする重さを自覚し、意識改革も進めなければ、規制の実効性は上がらない。


【南日本新聞】

[原発40年制限] 加速するか廃炉の流れ

わが国の商業用原子力発電所の“寿命”はいったい何年なのか。
原発の老朽化が懸念され、廃炉の是非が問われる中、政府は「40年制限」の方針を打ち出した。

細野豪志原発事故担当相が原子炉等規制法を改正し、運転開始から40年で原則廃炉とする案を発表した。
定めのなかった原発の寿命を法律で規定するのは初めてである。
40年が妥当な年限かどうかは賛否あるが、40年制限ルールを設けることは、原発の安全性を最優先する野田政権の姿勢の表れとみていいだろう。

野田佳彦首相は昨年9月の就任会見で「寿命が来た原発は廃炉。新設は無理」と明言しており、運転期間の法制化は「脱原発」の流れに沿ったものだ。
原発の運用条件を厳格にして安全性を確保することで、東京電力福島第1原発事故で失われた信頼回復を図る狙いが背景にはある。

これまで原発は運転開始から30年を迎える前に、経済産業省原子力安全・保安院が高経年化対策として施設の安全性を確認し、10年ごとに運転延長を認めていた。
保安院と電力業界は60年の安全を担保してきた。

そのため国内54基の原発のうち既に30年を超えたものが19基あり、うち重大事故を起こした福島第1原発1号機を含め3基が40年を超えている。
九州電力の玄海原発1号機は37年、2号機31年、川内原発も1号機28年、2号機27年
になる。

40年制限ルールが厳格に適用されれば、2020年末までに18基、30年末にはさらに18基の原発が廃炉になる。
原発はその後も減り続け、50年にはゼロになる。
民意をくんで脱原発を推し進めるなら、新たなエネルギー開発と、省エネ社会の実現に本腰を入れる必要がある。

気がかりなのは、このルールには例外規定があることだ。
事業者の申請で国が施設の老朽化を評価し、安全性に問題がなければ一定期間の運転延長を認めるという。

だが、原子炉は燃料の核分裂で生じる中性子による材料劣化など重大な損傷も想定され、チェックミスは許されない。
国は厳しく検査し、データを公開しなければならない。
例外規定が抜け穴として多用されると法改正も骨抜きにされかねない。

さらに、うがった見方をすれば、国は老朽化した原発の廃炉をアピールする一方で、電力不足に対処するため別の原発の再稼働を急ごうとしているとも見て取れる。
40年制限ルールの運用の在り方に注視したい。
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やがて哀しき外国語

2012年01月07日 | ひとりごと
2012年の第一回目の、ACMAディレクター会議があった。
会議の前に必ず、長い長い企画書や、話し合いたい事項が書かれたメールが送られてくる。
わたしのような、英会話力の乏しい者は、まずはそれを詳しく読んで、わからない単語などと調べ、自分の意見をまとめてから会議に臨むべきなのだが、
英語を読むと必ず、脳ミソと気分に薄いグレーの膜が覆い被さってきて、眠くなるか、面倒になるか、悲しくなるかのどれかなので、
なかなかきちんとした準備ができないまま、旦那が運転してくれる車の中で、焦りまくって何ページにも及ぶ英文をガリガリと読むことになる。
それがまた、その短い時間でガリガリと読むと、なぜかよく読めるのである。
全然自慢にならないのだけど……。

肝臓癌の治療が続いているマーティンと、家庭の事情で会議どころではなくなったマルガリータの替わりに、タンゴダンサーのセリーナが新しくディレクターになった。
彼女は生粋のニューヨーカーで、華奢で美人で頭がきれる女性。とても穏やかに、理知的な意見を話す。
この会議に参加するたびに、マジでわたしはここに居ていいのだろうか……と悩んでしまう。
みんなの言ってることがわからなくなることがあるし、自分の意見も、わたしの乏しい英語を察してくれるジェーンの通訳が無くては通じない時がある。
行く度にドド~ンと落ち込むのだけど、だからといって、英語力の低さを理由にディレクターを辞するのも悔しい。
それならもっと、英語の本を読むなり、大学にまた通うなりして、努力せえよ!と、息子達から叱られそうだ。
ううう……。

今日は、数日前の極寒がうそのような、アメリカンが半袖を着たくなるような暖かな気温。15℃は超えている。

わたしのツィッターのアイコン、Lucyの名前のレストラン。ただその理由だけで撮った。


やっぱりこのビルディングだけは撮らずにおられよか!すんません!


会議が終わって頭がぼぉ~っとしていたので、旦那と待ち合わせをしていた駅を間違えて降りてしまった。
West 14th Streetの地下鉄の駅には、こんな楽しいやつらが。


週末の地下鉄は、恐ろしく待たされるので、充分遊べた。

旦那とワシントン・スクエアへ。暖かいので、楽器を持ち寄った人達がそれぞれにジャムセッション。


鳩ぽっぽおじさんもいた!


そして、その鳩ぽっぽおじさんの腕をチャイチャイして餌をねだるこやつ。こんな人慣れしたリスは初めて。


ベンチに座り、あちこちから聞こえてくる音楽に耳をすませながら空を見上げると、


あら?


どうも彼女の視線の向こうには、このお方が。


チョークで描かれたダイナミックな絵。周りにバケツが置いてあり、気に入った人はお金を入れて、と書いてあった。


大道芸人さんの舞台。今日は黒人3人の若者が、お客の中から白人、東洋人、スペイン人、黒人の女性を選び、そのたびに人種ジョークをぶちかまして笑わせる。


最後に東洋人の男性を呼んできて、ここでまた笑わせ、さあいよいよ5人越えのジャンプ!かと思うと、おもむろに見物料を集める大きな袋が出てきて……、
もう待ちきれなくなった旦那の、はよ~はよ~光線を浴びて、最後まで見たい気持ちを抑えて退散。

バイバイ、ワシントン・スクエア!


会議中に頼んだビーフシチューが、アメリカンなボリュームだったので、ちょいと軽く、美味しいお酒にありつけそうなお店に。


入り口の真正面にダダ~ン!上の段にもずらりと並んでいた。


バーのカウンターに座り、ちょこっとずつのお試しセット。兵庫、広島、徳島のお酒。


セットでついてきた野菜チップス。牛蒡と蓮根とサツマイモ。めちゃウマ!


これもおばんざいのちょこっとずつセット。


ウェスト・ヴィレッジに行かれた時には、ここ、お勧めです!


ほろりと酔って、凹んでたくぼみもまた元通り。
さんきゅ、旦那!
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チェルノブイリは遺伝子の中で荒れ狂っている!

2012年01月06日 | 日本とわたし
「これから日本の方々を襲おうとしている健康問題は想像を絶します」ドイツ女医の更なる警告---ドイツTAZ紙:デルテ・ジーデントプフ医学博士インタビュー

Tomoさん(ドイツ在住)のブログより転載させていただきます。
この記事は、ドイツの新聞に載ったジーデントプフ医学博士のインタビューを、Tomoさんが翻訳してくださったものです。
このような膨大な量の文章を翻訳するのは、想像を絶する大変さだと思います。
貴重な内容なので、本当にありがたいと思っています。


低線量被曝による「脳障害」「不妊」「糖尿病」などを警告するドイツ女医のインタビュー

12月初旬、ジーデントプフ博士は私達取材班を、ベルリン・パンコフの市民公園沿いにある、彼女の小さな屋根裏のアパートに迎え入れてくれた。
お茶とクッキーをはさんで、今までの救援活動や経験について語ってくれる。

『一番ひどいのは、責任者達が、チェルノブイリから何一つ学んでいないことです。
チェルノブイリ事故よりもさらに規模の大きい福島原発事故に対する対応ぶりには、私は茫然自失としています。
日本政府が、避難地区を事故に見合った範囲に拡大しなかったこと、
女性や子供達を、即座に安全な南へ避難させなかったことに対しては、ただただやり場のない怒りを感じるだけです。
そうした適切な措置を取る代わりに、国民はシステマティックに騙されてきました。
実際の危険に関する情報は伝えられない、あるいは伝えられても誤った情報である。
なんという無責任でしょう。
これから日本の方々を襲おうとしている健康問題は想像を絶します。
しかも、政治と原子力産業はそのことを黙認しているのです!世界中で!


チェルノブイリの先例を見れば、事故の規模については、ある程度想像が出来るでしょう。
多くの人々が、チェルノブイリははるか昔のことだ、ウィキペディアで調べられるような過去の事故だ、と考えています。
しかし、汚染地域の住民達は、1986年から現在までチェルノブイリ事故と共に生活してきているのです。
事故による被害は、収束するということを知りません。
自然災害と違って、原発事故の被害は、時間の経過と共に減少していく代わりに増大していくのです。
しかも、その期間は、今後少なくとも300年間にも及びます。

このことに関しては、後ほどもっと詳しくお話しましょう(Gesundheitliche Folgen von Tschernobyl, 20 Jahre nach der Reaktor- Katastrophe )」


人々は何十年にも渡って汚染地域で生活してきた

「その前にまず、何故私達が援助活動をベラルーシーで始めるようになったのか、手短にお話しましょう。
チェルノブイリ事故による汚染地域の大部分は、ベラルーシーにあるのです。
当時のソ連邦に降下した放射性物質の70%が、当時の旧ソ連ベラルーシー共和国に降り注ぎ、国土のおよそ4分の1が放射能汚染されました。
ベラルーシーの国境は、原子炉から約15キロの距離にあります。

それだけではありません。
事故後、風向きが変わって、放射能雲がモスクワに向かい始めたとき、
ヨウ化銀を用いた人工雨によって、大急ぎで、放射性物質のベラルーシー領域への降下が促進された
のでした。
もちろん、住民には何も知らされませんでした。
五月初旬のよく晴れた日、突然空からべとべとした黄色い雨が落ちて来た、と人々は語ります。
このことは、長年の間、住民に明らかにされず、ただ移住が行われ、指令が出され、人々をなだめすかせるようなことが行われただけでした。
計測器は、厳重に禁止されていました。

特に汚染がひどかったのが、ゴメルとモギリョフでした。
このモギリョフ地方にあるのが、私が20年来足を運び続けている小都市コスジュコヴィッチなのです。
ゴメルとモギリョフ両地方は、大きな面積が放射能汚染され、約百万人が移住させられましたが、
移住を実行するためには、まず大きな都市や区域に家々を建設しなければなりませんでした。

ミンスク(ベラルーシー首都)周辺には、大きな街が建てられました。
新しい住居に移住できるようになるまで、多くの人々は、十年間も、汚染地域に住み続けなければなりませんでした。
そして今でも、多くの人々が、汚染された土の上に住み、農業に従事しています。

ソ連邦が崩壊した後には、こうした措置の責任は、すべてベラルーシーが負うことになりました。
私達の「区域」だけでも、8000人の住民が移住させられました。
26の村が取り壊され、土に埋められました。
放射能汚染地域の村々の多くは、空っぽのまま取り残されています。
そこには老人達が帰郷したり、町で生活していけないアフガニスタンやチェチェン戦争の旧軍人達が住み着いたりしています。

チェルノブイリ周辺の閉鎖区域でも、似たような光景が見られます。
古い村に、人々は電気も水道もないまま住み続け、自分達の手でなんとか生き延びています。
この地域の地面は砂地です。
ベルリンと同じで、白樺の森は、ベルリンからモスクワまで続いています。
この土地では地下水は浅く、放射性物質が年に2センチずつ沈下していくと考えると、現在では、地下50センチまで達していることになり、地下水まであとわずかです。


国家予算の半分

そういうわけですから、彼の地では、大々的な変革が起こりました。
ベラルーシーは、莫大な医療費を負担しなければいけませんでした。
チェルノブイリ事故後10年、15年に渡って行われてきた国土に対する対策、校庭の除染ですとか、取り壊しなど。
いったいその汚染土がどこに運ばれていったのか、私は知りません。
こうした費用は、すべてベラルーシーが負担しなければなりませんでした。
おそらく、国家予算の半分は、チェルノブイリ事故処理のために消えていったと思われます。

とうとうある時期、ソ連時代のような、比較的気前の良い措置を実施し続けることは望まれなくなり、また続けることも不可能になったのです。
ルカシェンコ大統領が、チェルノブイリ事故は収束したものであり、博物館に収めるべき過去の出来事である、と発表したのはそのためです。
放射能汚染されていたベラルーシーの地域は、すべて安全になった、と公式表明されました。

事故処理除染作業で、証明書を保持する者には、事故後20年間、「石棺費」と呼ばれる補償が支払われてきました。
また、移住をさせられた人々も、請求権を所持していました。
こう言った手当てが、広範囲に中止されてしまったのです。
決して多額ではありませんでしたが、その他に、無料に施されていた医療手当も廃止されてしまいました。
また、チェルノブイリ事故の影響と認められてきた幾つかの病気も、現在では容易には認められなくなりました。
事故を起こしたチェルノブイリ原発とその周辺地域には、およそ100万人の「事故処理除染作業員」が送られました。
ほとんどが若者です。
そして多くが、ベラルーシー出身でした。
今日、こうした作業員のほとんどが身障者です。
肺癌、甲状腺癌、心臓疾患、腎臓や胃腸の障害、白血病のほか、精神病を病んでいる者もあります。
すでに約10万人が、40~50代で亡くなっています。
自殺をした者も数多くあります。
それなのにあっさりと、「チェルノブイリは過去のものだ」といわれるのです。

ミンスクでは、抗議運動が起こりました。
そして現在、キエフでも彼らが、ウクライナ政府が目論んでいる年金や手当て打ち切りに対して、ハンガーストライキを行ったところです。

例えばベラルーシーでは、被害者達は、幼稚園や学校給食が無料だったり、子供達は、特別のヴィタミン剤や保養を受けることも出来ました。
保養こそ、今でも年に一度受けることが出来ますが、その他の措置は、すべて打ち切られてしまいました。
ヴィタミンたっぷりの給食もです。
被害者達は今でも証明書を所持していて、私達に見せてくれますが、実際には価値がなくなってしまったわけです。
事故当時の請求権は、すべて廃止されてしまったのです。

そもそも収入が少ない上に、体も壊している人々にとって、こうした廃止や短縮はすぐに響きます。
今も、ちょうど毎年恒例の地方税増税を行ったところです。
つまり、水道代と暖房費。
例えばこの暖房ですが、田園地帯を通って、耐寒措置の施されていない配管から、都市や大きな住宅や団地に送られるので、途中で多くの熱が失われてしまいます。
そして人々は、失われた暖房分も支払わなければなりませんから、村に住んだ方が安くあがることになります。

国民の生活を圧迫する国家巨大赤字は、確かにチェルノブイリ事故処理を原因、とする面もありますが、ずさん極まりない経済体制によるところも大きいのです。
ベラルーシーのハイパー・インフレは、目下113パーセントにも昇ります。
国民の平均所得は、月々150~300ユーロ(約1万5千円~3万円)です。
外国での就労は認められていません。


反対運動はまったく存在を許されない


ベラルーシーと、新たなEU参加国であるポーランドやラトヴィア、リトアニアへの国境は、非常に近いです。
しかし、問題は、お金や国家破綻の脅威だけではありません。
20年間、この国は、どうにも民主主義を樹立させられずにいるのです。
政権に対する反抗は、まったく許されません。
それでもなお、抗議運動が起こるのです。
新しい原発建設と言う、とんでもない政治決定に対する抗議です。

ベラルーシーは、原発を所持しません。
しかし、福島原発事故後間もなく、ルカシェンコは、ロシアの支援を受けて、
リトアニアとの国境から20キロの場所にあるオストロヴェッツに、原発を建設する、と発表しました。
その後、ルカシェンコとプーチンの間で、契約も締結されました。
建設費用は、50億ユーロ以上掛かると言われていますが、
この新型で、まったく安全な原発により、クリーンで安価なエネルギーの供給が可能になり、雇用も増加するという、お決まりのプロパガンダが行われています。
東でも西でも、原発産業はまったく変わりません。


(中略:デルテさんのベラルーシー訪問や、支援活動について語られますが、長いのでいったん略させていただきます)

さて、現地の人々の健康状態についてお話しましょう。
ドイツでは、耳にすることのない内容です。
次のことを、よく念頭に入れておくことが重要です。
事故から時間が経過するとともに、人々の健康と生物学上の被害は、甚大になっていくのです。
ドイツ政府もマスコミも、ルカシェンコ大統領と同じ様に、この事実から目を逸らそうとしています。
事故は過去のもの、博物館入りしたもの、と言う政治決定がなされたからです。


身を隠す母親たち

チェルノブイリ事故後、様々な、異なる被害の波が発生しました。
最初の波は、まず成人に襲いかかりました。
除染作業員達、放射能汚染した村を訪れた医者やその他の人々、そして、そういう場所に住んでいた人々の多くが、間もなく癌で亡くなったのです。
またもう一方で、間もなく、子供達も被害を受け始めました。
ベラルーシーでは、ヨード不足が蔓延しています。
ベラルーシーには海岸がありませんから。
その点日本は幸運でした。
蔓延するヨード不足のため、ベラルーシーの子供達は、甲状腺に大量の放射性ヨウ素を取り込んでしまいました。
放射性ヨウ素は半減期が短いので、最初の十日間で取り込まれたことになります。

また、チェルノブイリ事故後、被害を受けた妊婦を、全員堕胎させる試みが行われました。
しかし、一部の妊婦達は、身を隠してしまったのです。
そして、その翌年生まれてきた子供達の間にも、甲状腺癌が現われたのでした。
甲状腺癌は、チェルノブイリ事故以前には、子供にはまったく見られなかったのに、今では4000人の子供の甲状腺癌が、ベラルーシーでは公的に認められています。
この子供達は手術を受け、放射性治療を受けました。
それでも、一生ホルモン投与を続けなければ、クレチン病(甲状腺機能低下による先天性の病気; 体の奇形・白痴症状を伴う)を患ってしまいます。
こうした一連の治療は、後年発症した機能障害のケースも含めて、事故から25年が経過した今日でも、無料で行われるべきです。

続く世代には、血液の病気が増発しました。
ですから私達は、「チェルノブイリは遺伝子の中で荒れ狂っている」と表現するのです。
そしてこの現象は、あと300年間続くことになるでしょう。
これは、ストロンチウムとセシウムの半減期30年を、十倍して計算した大まかな期間です。
そして少なくとも、7から8世代を意味します。
半減期が2万4千年のプルトニウムには言及しません。
糖尿病も問題の一つで、成人のみならず、子供や特に新生児に見られます。
かつてはありえなかったことです。

糖尿病に対して、ベラルーシーは、二種類のインシュリンを購入して、すべての患者に対応しようとしています。
しかし、子供には少なくとも、三種類のインシュリンが必要です。
これは、NGOが面倒を見なければ、手に入らない状態です。
NGOはまた、不足している知識を人々に広める役割も果たしています。
さらなる問題としては、子供の視力障害、白内障が挙げられます。
また、女性の間では乳癌が増加し、患者の多くは、5年以内に命を落としてしまいました。
もしかしたら、被曝によって引き起こされる癌は、通常の生活の中で発生する癌よりもタチが悪いのでしょうか?

奇形の数も増えました。
堕胎は大きなテーマです。
ベラルーシーには、避妊費用を負担できる人がほとんどいないのです。
ですからこれは大きな問題です。
また逆に、不妊に悩む夫婦の問題も発生しています。
コスチュコヴィッチでは、30%の夫婦が、望まない不妊に悩んでいます。
また、現在6~9歳の子供達の間で、悪性腫瘍が増加し、新たな問題となっています。
脳腫瘍や骨の腫瘍です。

まだまだ問題はあります。
放射能汚染した地域では、傷口がなかなか癒えないのです。
これはドラマチックでした。
原因は、免疫力の低下。
骨に取り込まれたストロンチウムのせいです。
骨の中では血液が製造されますが、それが常に被曝を続ける状態になるわけです。
ちょうどエイズと同じような状況で、抗体が製造されなくなるために、予防接種が効かないのです。
そのために、予防接種にも関わらず、急性灰白髄炎(ポリオ)が増加しました。
予防接種が効かなくなったせいと、栄養状態が悪いせいで、結核も増加しました。
その上人々は、自家菜園に雨水を撒き、秋になると、今でも汚染度の極めて高いキノコや野いちごを収穫します。

傷ついた細胞

被曝が直接引き起こす健康被害にはまた、身体、又は精神に、障害を持つ子供の増加があります。
女性の卵巣は、胎児の状態ですでに形成されることを、よく知っておかなければなりません。
そして、細胞の多くは、約8百万個の卵胞に発達します。
母体が受けている傷は、すべてこうした細胞に伝達されます。
胎盤という保護膜がありますが、よりによって放射性物質は、この部分に凝縮しやすいのです。
傷ついた卵子は、修復されることができません。
誕生時に、1~2百万個が傷ついていることになります。
思春期では、約40万個がまだ残っています。
依然傷ついたままの卵子を持った母体が妊娠すると、それに応じた障害が引き起こされるのです。
もう一つ知っておかなければならない大事なことがあります。
こうした遺伝子の障害や癌といった症状の原因は、すべて低線量被曝だということです。
これは、除染作業員達を襲った被曝症状とは別物なのです。
そして、責任者達は、このことを頑なに認めようとしていません。

身体に取り込まれた人工放射性物質が、内臓器官を傷つけるのは、波長の短い放射線を発するためです。
放射性物質が、細胞を傷けた場合、起こりえる現象は4通りあります。

1) 細胞は死亡する 
2) 細胞の機能が障害を受ける
3) 細胞は劣化し癌に変わっていく
4) 細胞は修復される


4)が可能なのは、成長した細胞だけです。
胎児には、修復機能は全く備わっていませんし、子供の細胞も修復はできません。
子供の細胞は、成長と分裂を行うように出来ているだけで、修復機能は徐々に取得されていくものなのです。
そのため、子供達は、ひときわ被曝の脅威にさらされています。
福島の妊婦と子供達が、即座に避難させられなければいけなかったのもそのためなのです!

原子力産業の規模というものは、私達などにはまるで想像も及ばないほど巨大なものです。
あまりに多くの経済的利権、お金が、背景に絡んでいます。
そして、原子力産業とそのロビイスト達(これに含まれるのは政治家や関連組織ですが)は、徹底して冷笑的な存在であり、それに見合った行動を取ることだけは私達にもわかります。
まずは、被曝許容基準量が一番の例
です。
ベラルーシーとウクライナでさえ、被曝許容基準は、私達(ヨーロッパ)よりも低いのです。
とにかく、世界には、完全に中立の機関が一つとして存在しないのです。
WHOには、放射線防護の専門家は、たった1人しかいません。
それに、どっちみち、WHOは発言なんてできないのです。
放射線問題に関しては、完全に口を封じられてしまっているからです。
1957年に、IAEA(世界原子力機構)との間に結んだ協定によって、WHOは、本当の放射能危機に関するいかなる報告を行うことも阻止されているのです。
私達は、この口封じの協定を、断固として弾劾しなければなりません。
IPPNWは、この協定の破棄を求めています!
この協定を破棄することで、WHOは、ようやく自らの憲章前文を、正当に実施することが出来るようになるかもしれません。
「最高水準の健康に恵まれることは、あらゆる人々にとっての基本的人権のひとつです」

IPPNWは、2011年8月に公表したFoodwatchリポートにおいて、明白な表現を行っています。
「許容基準の設定とは、結局のところ社会が許容する死亡者数を意味するのである。」

*******       *******       *******

医学博士デルテ・ジーデントプフ。
1942年オルデンブルグ(北ドイツ)生まれ。
同地でアビトゥア(大学入学資格)まで学び、1961年からヴュルツブルグ、ベルリン、ゲッティンゲンで人間医学を学ぶ。
1966年学位取得試験、1968年博士号取得。
1967年結婚し、子供二人を持つ。
1970年からは、ヘッセン州ディーツェンバッハの共同診療所に、一般医・心理セラピストとして常勤。
2003年現役引退。

ジーデントプフ博士は、1981年の創設当時から、IPPNW(核戦争防止国際医師の会)に所属する。
90年代はじめ「ディーツェンバッハ・コスチュコヴィッチ友の会財団」を設立。
年二回、ベラルーシに医療器具、衣服、自転車、ミシン、コンピューターなどの、支援物資を送付するなどしている。

ドイツでは20年来、チェルノブイリの子供達のための療養滞在が組織されて来ている。
ディーツェンバッハ市では、ホストファミリーが、毎年夏にベラルーシーの子供達を迎える。
今では、「友の会」はメンバーの数も増え、コスチュコヴィッチ市との間に、数々の交友を実現させてきた。
何人かの実行グループのメンバーが、世話を一手に引き受け、寄付金や物資支援も募集している。
2009年チェルノブイリ事故から23周年の日には、両市は姉妹都市となった。
ジーデントプフ博士は、医師の夫を持ち、子供が二人いる。
父親は地方医、母親は教師で主婦だった。



チェルノブイリが見せてくれた辛く酷い現実を、日本でまた繰り返したいか?
別にええやん、と思える人間は人間とちゃう。
別にええやん、とシラを切る政治は政治とちゃう。
別にええやん、と突き放す国は国とちゃう。

日本の大人は、今ここでまず、自分の体がいかれてしまわんように猛烈に大事にしながら、放射能の攻撃にひとたまりもなくやられてしまう子供を守る。
子供を守らな未来が亡くなる。
コンセントの向こうでほくそ笑んでる、わたしらがうっかりしてる間に作り上げられてしもたシステムに、わたしらは石を投げつけ続けなあかん。
石の上にも三年て言うやんか。
システムの壁には何年かかるか知らん。けど、大勢の人間が寄ってたかって投げ続けたら、絶対にどこかに亀裂ができて、そこからヒビが入り、いつかは崩れるはず。
自分の子のため、よその子のため、日本の子のために、わたしら大人が自分の手で石掴んで投げなあかんねん。
もうフクシマは、遺伝子の中で荒れ狂てしもてる。
もうフクシマだけでたくさんちゃうの?
これ以上、日本のどこの地名も、世界からカタカナで呼び捨てされとうないやんか。
せやから闘おう!
廃炉はわたしらが考えてるほど簡単なこととちゃう。
ものすごいお金と時間がかかる。
けど、ここで日本が核と手を切らなカッコ悪すぎや!
大人がひとりひとり、一個の石をぎゅっと掴んで集まろう!
どんなとこでも方法でもええから、集まって大きな数を作ろうな!
わたしらが力を示せるのは数やねん。数がもの言うねん。
核いらん年!
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守るべきものは

2012年01月06日 | ひとりごと
2012年最初の、気功瞑想のクラスに行った。


15分の立ちながらの瞑想から、1時間の座っての瞑想に移り、そのあといろんなことを話し合った。

瞑想中に、濃い緑や赤や白、それから黄金に紫、各臓器に合わせて色をイメージするのだけれど、
そしていつもは、このことに関しては、けっこう問題なくできていたのだが、今日はどうしてもこの色が浮かんでこなくて少し焦った。
それでそのことを言うと、「わたしもそうだった」と言う人がいて、
ではそのことについてちょっと考えてみよう、ということになった。

色をイメージしにくくなるのは当たり前なのかもしれない。
特に今日のような曇った冬の日には。

そんなふうに、当たり前だと、すぐに思えなくなってしまってること。
思えないどころか、どうしてこんな暗い色ばかりしかイメージできないのかと、焦ったり戸惑ったりしてしまうこと。
そこに、現代人の不自然な生き方が影響しているのかもしれない。

人間は、自然の中で生きてるけれど、特にアメリカのような国の在り方に従うには、自然に反することをたくさん、無意識にしてしまっている。
寒くなれば温かく、暑くなれば涼しく、暗くなれば明るく、乾燥すれば湿気を加え、
眠るべき時間にも電気を煌煌とつけ、神経を休めることなく目を使い、手を使い、
その間、小腹が空いてきたからと、食べるべき時間でもないのにスナック菓子や茶を口にして、後で後悔する。
そして、大手農家や大企業は、自分の家族には絶対に口にさせない物を作って売り、
行政は、水道水内の有害物質の除去基準を甘くし、蛇口からの水を信用できなくさせ、困った市民が渋々買い始めた水も、いったい本当に大丈夫なのかどうかも誰も知らない。
それ専用のボトルのためにプラスティックがまたまた大活躍し、そのプラスティックの容器が、夏の炎天下の下で放置され、水に溶けている。

今日本は、大きな原発事故が起こって、放射能の汚染と対峙しなければならないけれど、事故が起こったから、いろんな物を調べ始めている。
事故が起こっていないここでは、よほど危機感を抱いている者以外、誰ひとり調べようとする者はいない。
だから、知らないだけで、とんでもなく汚染されてしまっている物があるかもしれない。
隠匿されたまま、騙されたまま、大人も子供も動物も、じわじわと、大きな力を持つ者によって作られた不自然の世界の中で生きている。

どこの国もそれぞれに、それぞれの問題を抱え、混乱し、闘っている。
ミリアムが、「イスラエルの人間は、よその国の人から、『よくこんな所で暮らしていられるな』と言われることが多い」と言った。
けれども、イスラエルよりいろんな物事が整っていて、幸福度も高いと言われているスウェーデンの人の方が、自殺度が高い。
どの国の人も、そこにたまたま生まれ、そこでたまたま生きていく事情があるから、そこに留まり生き続けている。
人はどんなに頑張っても、世界をコントロールすることはできないけれど、自分の周りを自分の生きよいように整えることはできる。
そしてそこで、一日一日を生きていく。

でも、その毎日の中で最も大切なことは、全力をかけて自分を守ること。
親から受け継いだもともとの力(これをミリアムはいつも定期預金のようなものと言う)に手を出さなくてもよいように、自分の力(普通預金のようなもの)をしっかり管理すること。
そのために良いと思われること、ミリアムや我々の場合は気功や瞑想、他にヨガや運動、人によってそれぞれ違うものに取り組みながら、
早寝早起きをし、腹八分目の分量の食べ物をよく噛んで食べ、一日に必ず一回、静かに何もしない時間を作る。
そうやって、自分の心身を鍛えることが、我々を取り巻く悪意や毒から身を守ることになる。
そして子育てしている大人は、自分の子供を我が事のように、その子が自分のことを自分で管理できるようになるまで守らなければならない。

まるで昨日の、肥田医師の言葉の続きのようなミーティングになった。


おまけとして、ミリアムから聞いた、ポテトチップスの話をひとつ。

彼女は若い頃、イスラエルで、ポテトチップスの工場で働いていたことがある。
その時以来彼女は、ポテトチップスを一切口に入れなくなった。
ポテトチップスを作るには、当然ポテトが要る。
広大な畑から採取したポテトはまず、

最高品種→高級スーパー
普通品種→普通のスーパー
やや劣る品種→貧民街のスーパー
かなり劣る品種→冷凍食品&缶詰
最低品種→スターチなどの粉
どうにもこうにも食べ物とは言えない品種→ポテトチップス

に分けられ、当然のように売りに出されたり、加工されていったのだそうだ。

どうにもこうにも、もはやジャガイモなどとは言えないものをまず煮て、粉にし、腐敗やカビの臭いを除去し、危険な油で揚げ、そこに強烈な味と匂いの化学物質を加え、過多な塩分を加え、そして袋詰めされる。

というわけで、ポテトチップスを食べる時には、それ相応の覚悟をして食べてください。

わたし達の生きている現代は、本当に、マジで、けっこう狂っている。
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放射線に対抗する手段は、これまでの「動物としての人間の生き方」に学ぶしかない

2012年01月05日 | 日本とわたし
日刊SPAに1月5日付で掲載された記事を転載します。

内部被曝の恐怖「何ミリシーベルト以下なら大丈夫」はウソ

―“最後の被曝医師”が語る人体に与える内部被曝の脅威 ―



【解説:内部被曝と外部被曝】
内部被曝と外部被曝では、被曝の仕方が全く異なる。
内部被曝では、透過性の低いアルファ線、ベータ線のエネルギーがほとんど体外に逃げることなく、人体に影響を与える。
これに対して、外部被曝では透過性の低い放射線は届かず、主に透過性の高いガンマ線で被曝する。
体内に摂取した際に危険なのはアルファ線、 ベータ線を出す核種である。



◆「年間何ミリシーベルト以下だから大丈夫です」というのは大きなウソ 肥田舜太郎

放射線というのは、人間には見えません。
色も臭いもない。見た目には認識できません。

私はこれまでずっと広島・長崎で被曝した患者を診続けてきました。
原爆のときは、火傷をしたり全身の粘膜から血が噴き出したり、頭髪が抜けるなどの急性症状がありましたが、
今回の福島原発の場合は、長期的な「内部被曝」の影響が心配されます。

よく年間何ミリシーベルトだとか、毎時何マイクロシーベルトまでなら大丈夫だとか言われていますが、これは外部被曝の場合のことです。
内部被曝というのは外部被曝と違って、放射性物質を体内に取り込んでしまい、1日24時間ずっと被曝し続けるというものです。

その影響は、その人の年齢や健康状態、生活態度、免疫の状態にもよりますし、その症状がいつでてくるかも、誰にもわからないことだからです。
医者である 私にだってわかりません。
個人差があるので「必ず危険」だとも限りませんが、その人が病気になったり死んだりする可能性をアップすることだけは確かです。

日本の政府や学者がついているいちばん大きなウソは、「(外部被曝線量が)年間何ミリシーベルトなら大丈夫です」ということ。
内部被曝のことを全く考慮していません。
体内に入る放射性物質は「それ以下なら大丈夫」ということはない。
少しでも体内に入ったら、長期的に被曝し続ける。
微量なら大丈夫というのは間違いです。


専門家というのは、政府の責任を隠したり、業界の利益を守ったりするために、ときに意識的にウソをつくことがあります。
中には知らなくて言っている人もいますが。
正確には、「今は大丈夫です。でも先々は病気になる可能性もありますし、何とも言えません」と言うべきでしょう。

福島原発事故後の例で私が実際に報告を受けたもので言えば、多くは放射線に敏感な子どもに初期の被曝症状が現れています。

下痢が続いて止まらない、しばらくしたら口内炎が出るとか、のどが腫れて痛いとか。
多くの母親が心配していたのは子どもの鼻血です。
鼻血がずっと続いて止まらない。
そのうちに、両親にもそんな症状が出てくる。
これは福島に限りません。
私のところには、東京や神奈川、静岡などからもこういった相談が寄せられました。

広島・長崎でも、爆心地近くにいて大量の放射線を浴びたわけではないのに、時間がたつにつれて被曝の症状が現れてくる人が数多くいました。
こうした長期 被曝患者に特徴的だったのは、猛烈な倦怠感があって動けなくなり、働けなくなるという症状を訴える人が多かったことです。
集中力がなくなったり下痢が続いたり。
本人もどうすればいいのかわからない。
勤め先や家族の中でも信用されなくなり、社会的な存在価値を失ってしまう。
医学的にはどこも悪くないので、医者にかかると「ノイローゼ」(当時は支援軽水弱)と診断されてしまいます。
私たちはこれを「原爆ぶらぶら病」と呼んでいますが、この人たちは生きていくのが本当につらかっただろうと思います。

被曝をできるだけ少なくするために、「原発からとにかく遠く逃げろ」とか「汚染されてない食べ物を食べろ」などと言われています。
でも、そんなことは誰にでもできるわけではない。

家も仕事も地元の人間関係も放り投げて逃げられる人が、どれだけいるでしょうか。
事故がおきて9か月以上経っています。
これまで1日3食として800食以上、まったく汚染されていない食べ物を食べ続けている人は少ないでしょう。

遠くに逃げても生活できて、汚染されていない食べ物を調達できるというのはごく一部の人々です。
ほとんどの人々は、放射能汚染されたこの日本で生きざるをえない状況になっています。


「放射線に対抗する唯一の方法は?」

「被曝をできるだけ少なくするために、『原発からとにかく遠く逃げろ』とか『汚染されてない食べ物を食べろ』などと言われています。
でも、遠くに逃げても 生活できて、汚染されていない食べ物を調達できるというのはごく一部の人々です。
ほとんどの人々は、放射能汚染されたこの日本で生きざるをえない状況になっています」
と語るのは、広島市への原爆投下により自身も被曝した医師・肥田舜太郎氏。
それでは、今後どうやって放射能から身を守ればよいのだろうか?  

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

◆放射線に対抗する唯一の方法は、生まれつき持っている免疫力を弱めないこと


私は、「自分で自分の身体を守るしかない」とはっきり言います。
特別な方法はありません。
「放射線に対する免疫力を弱めないように、健康に生きる」という、この一点につきます。


人間の祖先は40億年前にこの地球上に現れてから、紫外線と放射線でどんどん死んでいきました。
奇形もどんどん生まれていった。
しかし、長い年月を経て進化を続け、放射線に抵抗できる免疫をつくってきました。
その結果、いま紫外線や放射線の影響を受けても、地球上で毎年生まれれる新生児10万人のうち、1人くらいの奇形が生まれるレベルにまで免疫を高められたんです。

ですから、放射線に対抗する手段は、これまでの「動物としての人間の生き方」に学ぶしかない。
夜更かしして夜遅くまで遊び回るなんて、せいぜいここ数十年のもの。
その前は太陽とともに寝起きしていました。
いちばん大事なのは「早寝早起き」です。
そうしないと、先祖から引き継いできた免疫力が低下してしまいます。


それから、食べ物の食べ方。
日本人の主食はコメですが、よく噛まない人はその8割9割を便として排出してしまっています。
これは、口の中で唾液中の酵素ジアスターゼとコメが十分交わらずに腸がうまく吸収できないためです。
ですから「食事のときによく噛め」というのは、人間の免疫力を保持するための鉄則なんです。
免疫という意味で言えば、味噌や梅干しなど、日本の伝統食品である発酵食品が放射線から守ってくれるというのも頷ける話です。

人間は6つのことしかできません。
睡眠、食事、排泄、働く、遊ぶ、セックスです。
この一つ一つに、健康に生きていくための法則がある。
これは広島・長崎の被爆者を長生きさせるために、被爆者と一緒に研究し、実践してきたことで得た教訓です。
誰にどんな影響がでるかわからないからこそ、免疫力を保持し、健康を守って生きるしかないのです。

多くの学者はそのことを言わない。
「年間何ミリシーベルトまでなら安全です」と言うだけです。
内部被曝を受けていれば、先々は安全かどうかなんて誰にもわからない。
彼らは「わからない」ということを認めたくないのです。



「日本の医学界が被曝の影響を無視してきた理由」

広島市への原爆投下により、自身も被曝した医師・肥田舜太郎氏。
原発を投下された日本で、放射線被曝の研究が進まなかった理由をこう語った。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

◆原爆の長期的な影響は、米国の「軍事機密」として隠されてきた

肥田氏は1944年に軍医となり広島陸軍病院に赴任。
1945年に自らも被曝し、その後被曝者の救助にあたった。

日本の医学界は、被曝の長期的な影響をずっと無視してきました。
なぜそうなったかと言えば、広島・長崎に原爆が落ちてすぐ、日本が降伏して米国の軍隊が占領し、総司令官が統治を始めました。
そして被曝の実態を、「米国の軍事機密」だとして、原爆の影響について研究したり論文を書いたり、学会で論議したりすることを禁じた
からです。

その後、日米安保条約が結ばれ、米国の「核の傘」に守ってもらうために「被曝の実態は軍事機密」としておかなければならない時代がずっと続きました。
ですから、日本人は広島・長崎の原爆で何人被曝し、どんな症状が出て、何人死んだのかという長期的なデータを持たずにきたのです。

日本政府は米国が「してはいけない」と命令したから、何もしなかった。
被爆者が苦しんでいるのに、政府はまったくおかまいなしでした。

そして占領軍が帰って5年後の1950年に、原子爆弾被曝者の医療に関する法律をつくり、本人が申し出た場合だけ「被曝者手帳」を発行するようになりました。

でもこれは、年に1回無料の健康診断をするというだけのものでした。
多くの人にとっては、結婚とか就職とか生命保険に入るときとか、いろいろな場面で被爆者として差別されるようになってしまった。
長期被曝の影響を受けたと思われる人が、名乗り出づらい風潮ができてしまったのです。
そのうち、日本人は誰も原爆の問題で騒がなくなりました。


ソ連でも、チェルノブイリの患者を精密に調べた医師(バンダジェフスキー博士)が、「放射能の影響で心筋梗塞になりやすい」ということを論文に出しました。
すると、政府の「放射線は無害」という方針に反したとして、別の冤罪で捕まって逮捕されるというような時代がありました。
ソ連も核兵器を持ち続ける必要があったからです。

福島原発の事故でも、長期的な被曝の影響が心配されます。
私が広島・長崎で診てきた症状が、先々に出てくる恐れがあります。

きちんと治療と補償が行われるためにも、「軍事機密」として調査を行わなかったかつての過ちを繰り返してはならない。
私たちは政府や東電に徹底した情報公開を求めたうえで、正しい知識と効果的な対処法を身につけていかなければならない
と思います。


肥田氏による、被爆者に対して、わかりやすく解説された「被爆者健康ハンドブック」には、
保険や補償の話から、長生きするための日常生活の心得に至るまで、詳しく書かれている


【肥田舜太郎】
1917年広島生まれ。医師。
広島市への原爆投下により自身が被曝、その後被曝者の救援・治療にあたる。
臨床体験をふまえて「原爆ぶらぶら病」と呼ばれる症状や、内部被曝、低線量被曝の影響に関する研究にも携わった。


撮影/大西史恵 取材・文/北村土龍



重大な原発事故が起きて、手の打ち様も無く、成り行き任せ他人任せにしてる国が、よその国に向かって自国の原発をアピールできる、日本の政治家の厚顔さ。

嘘を作り上げてまでよその国の核事情に茶々入れて、空からボタンひとつで汚い爆弾を落としまくり、
町も自然も破壊した上に、放射能汚染を置き土産にして、さっさと引き上げる米国の政治家と軍人の破廉恥さ。

どこの国にもそれぞれ、ええとこ悪いとこがあるもんやけど、このふたつの国の悪さは突出してるね。

年末あたりから思い始めたことやねんけど、
わたしらの年代(昭和のど真ん中に生まれた人間)て、けっこう放射能とかの汚染を受けてしもてるんちゃうやろか。
一番敏感な子供時代に、地球のあちこちで、そりゃもう盛大に、まるで花火でも打ち上げるみたいに、核実験とやらが行われてた。
堂々と、まるで必要不可欠な正しい行いみたいに、めちゃくちゃな費用を使て。
昭和三十年代は電化製品がどんどん進化していって、快適で便利で豊かな暮らしっていうキャッチフレーズの船に、皆がウキウキと乗り込んでた。
部屋の中にコンセントがどんどん増え、アンペアもどんどんおっきくなり、しまいにゃ電気が余ってるからオール電化の家が流行り出した。
その間にも、わたしらは放射能で汚染された空気を吸い、水を飲み、雨にあたり、魚や野菜や肉を食べ続けてきた。
おっきな事故が起こらん限り、まあ例え起こってもノロノロと、渋々検査をするぐらいやから、誰もほんまのことなんか解らへん。
そんなんやから、透明で臭わん放射能を恐がったり、警鐘を鳴らす人間は疎ましく思われる。
そやから自然と口をつぐんでしまう。
あかんと思てる人間は少数で、そのうちそう思い続けることにも疲れてしまう。
それがあいつらの思うツボ。

ああ悔しい!
そやからわたしは長生きしたる!
早寝早起きと良く噛んで食べる!
これがわたしの新年の誓い。
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鷹が伝えたかったこと

2012年01月05日 | ひとりごと
裏庭の木の枝に、見たこともない大きな鷹がとまっていた。


台所の窓越しに、ズームを最高にして撮ってみたけれど、やっぱりイマイチ。
すると旦那が珍しく、カメラを手に、勝手口のドアをそぉ~っと開けて外に出て行った。
よっしゃよっしゃ、まだもう少し飛ばずにいてくれそうな気配。
カメラの液晶画面に、少しずつ大きくなっていく鷹の姿が見える。どきどきする。


後で大きくしてよくよく見てみると、まだ幼さが残っている。
近視のわたしが背中だと思っていたのはお腹で、仔鷹は真っ正面からわたし達を、かなり長い間見つめていたことになる。
旦那が外に出て行った時も、そのことを知りながら尚、留まり続けていたことになる。

こんなに低い所まで降りてきた鷹の仔。
近くにはきっと、この仔の親が潜んでいるはず。
そういやここ数ヶ月、裏庭の主のグラウンドホッグの親父の姿を見ていないな……。
などと、ちょっと残酷なことも思ってみる。

鷹は、一度狙った獲物を捕まえるまで、ものすごい根気でもって追いかけるのだそうだ。
萎えかけたわたしの根気に、喝を入れに舞い降りてきてくれたのかもしれない。
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脱原発元年

2012年01月04日 | 日本とわたし
信濃毎日新聞(信毎WEB)に掲載された、1月3日の社説を紹介させていただきます。

まなざしの転換 脱原発へ確かな一歩を
 

『海岸沿いに並ぶ4棟の無残な建屋。
ぼろぼろになった福島第1原発の姿を見るたびに、原発災害のすさまじさを実感する。

同時に、核燃料のメルトダウンという人類史上まれにみる事故は、日本の政治の衰退とどこかでつながっているのではないか、そんな疑問を拭い切れないでいる。

年の暮れ、消費税率の引き上げをめぐって民主党は大揺れとなった。
集団離党騒ぎまで起こし、増税案を決める始末である。

「脱原発」はどうしたのか。
論議が盛り上がらないのが不思議でならない。
それどころか、野田佳彦政権は原発の輸出を進めてきた。
福島の事故を受け、直ちに脱原発へとかじを切ったドイツとは対照的だ。

なぜ先端技術を誇る日本で事故が起きたのか。
ドイツとの違いはなにか。
いまなにをなすべきか。

年が明け、なお向き合わなければならない大切な問いである。


<独市民の大規模デモ>

福島の事故から間もない昨年3月26日。
ドイツの各都市で原発の廃炉を求める大規模なデモが起きた。
主催者によると25万人が参加し、東日本大震災の被災者に黙とうをささげた。

その勢いは、バーデン・ビュルテンベルク州の州議会選挙に端的に表れた。
反原発を掲げた野党の90年連合・緑の党が躍進し、キリスト教民主同盟などの与党は大敗を喫した。

メルケル首相の対応は早かった。
先送りの姿勢をあらため、早期の脱原発へと転換を表明。
2022年末までに国内の原発17基すべてを閉鎖する法案を、7月初めに成立させている。

「市民運動の積み重ねに加え、チェルノブイリと福島の大事故が世論を押し上げた」。
昨年11月に来日したブレーメン大学のゲルト・ヴィンター教授は、こう話す。
ドイツのエネルギー政策に詳しく、活動家でもある。

同教授によると、市民運動から生まれた緑の党が80年代に議会に進出し、核エネルギーからの脱却を掲げ活動を続けてきた。
チェルノブイリ後に社会民主党も脱原発へと転換し、保守・中道政党との対立の構図ができあがった。

こうした流れのなかで、社会民主党と緑の党の連立政権は02年、期限を区切って原発を全廃する脱原発法の成立にこぎつけた。
電力業界との粘り強い交渉を重ねた末に日の目を見た法律である。

中道・保守連立のメルケル政権は旧政権の方針は受け入れたものの、産業界に配慮し移行期間を引き伸ばしていた。
福島の事故をきっかけに原発批判が強まり、メルケル政権を動かしたという。

ヴィンター教授と親しい楜沢能生早大教授は「ドイツでは、日本と比べて個人が企業に取り込まれていない。そうした背景にも目を向ける必要がある」と指摘する。


<声をあげることから>

単純な比較はできないにしても、ドイツの脱原発に至る道から学ぶべきことは多い。

一つは、市民が声をあげ、行動することの大切さである。
日ごろの異議申し立てや提言は、政府や企業の原発の管理体制に緊張感を与える効果も大きい。

日本の反対運動は、広がりを持たなかった。
「安全神話」を疑うことなく、国と電力会社に「お任せ」にしてきたことが、両者にもたれ合いの構造をもらしたと言えるだろう。

市民の声は、政治家や官僚をコントロールする手綱である。
それが緩めば、彼らは自らの利権を求めたり、責任を果たさなくなったりして、結局は市民が痛い目を被る―。3.11原発災害の苦い教訓である。


この教訓を、今後の政治にどう生かしていくか。
有権者の今年の最大の課題ととらえたい。

二つ目は、期限を区切った明確な脱原発へと踏み出すことだ。

菅直人前首相の脱原発宣言は多くの共感を得たが、「段階的に原発依存度を下げる」と述べるにとどまり、工程は示していない。

野田首相に至っては、かなり後退したように見える。
所信表明演説で定期検査後の再稼働に前向きの姿勢を示し、原子力安全首脳会合では「安全性を世界最高水準に高める」と表明している。


<期限を区切り停止に>

福島県の避難住民は、いまだに帰郷のめどすら立っていない。
健康への影響も分かっていない。

ひとたび大事故が起きれば、予測不能の被害をもたらす。
経済的利益と比較して考えることができないリスクをはらんでいる。
それが原発の本質である。

福島の現状を踏まえれば、脱原発を急ぐことこそ、野田首相が「不退転の決意」で臨むべき課題ではないか。

日本でも各地でかつてない規模の抗議デモが起き、市民の声は高まりを見せている。
定期検査中の原発を止める選択肢を含め、確実に廃炉への道筋をつける―。
偽りのない「脱原発元年」は、有権者がつくるしかない』



事故を起こした会社の幹部の自宅には、捜査やのうて護衛のために、ポリスボックスまで設置して、大勢の警察官が日夜働いてる。

事故を起こした国の首相は、まだ原発が安全なもんになれると思い込んでる。もしくは思い込みたがってる。

事故を起こした原発を作った会社は、日本ではもう売れんと見切りをつけたんか、大慌てでよその国に売りに回ってる。

事故を起こした原発がある県や隣の県の首長の中には、汚染まみれの土地から住民を逃がさんばかりか、手枷足枷つけて意味の無い除染を強い、致命的な被曝を強要し、モルモット化した人からまだ金を取ろうとしてる。

事故を起こした会社の社員は、今までとさほど変わらん暮らしを続け、給料をもらい、ボーナスをもらい、退職金や年金保証ももらい、

これから続々と生え出してくる毒キノコみたいな除染事業を裏でうまいこと操作して、またまた大儲けという仕組み。

消費税が上がり、電気代が上がり、この事故の人的な原因を作った連中はなにひとつ咎められることも無く、責任をとることもなく、

毎晩温かい風呂に浸かって1日の疲れを癒し、ぬくぬくとした布団でいびきかいて寝てる。

ああアホやしやアホらしや。アホらし過ぎて泣けてくるわい。

脱原発を宣言したドイツは、もう30年以上も前からそのことについて取り組んでた。
始まったばっかりの頃にチェルノブイリの事故が起こって、それでワッと盛り上がったけどまたくすぶって、
それでも草の根の運動を途絶えさせんと頑張ってきたから、今のこの劇的な変化が実現したんかもしれん。
けど、ドイツの国内で別に事故起こってへんやん。
そのこと思たら日本は別格やん。
事故起こした本国やん。
原発っちゅう存在を日本から消すためやったら、なにやっても世界は納得するやん。
なにをウロウロしとるん?
なにをグズグズしとるん?

なにひとつようなってへん事故現場に、一歩も踏み入れんと、そこで日夜必死で、命かけて作業してる人らの顔も知らんと、勝手に『大ウソ宣言』しやがって、
そんな大ウソつきに誰ひとり、「どこが収束やねん!ウソつくな!言い直せ!」と言えんと黙ったまんまの姑息な取り巻きのおっさんおばはん。

電気は使わな暮らしていけへん。
そんなシステムができあがってしもてる。
けど、電気代を自動振込で払うのだけはやめてほしい。
東電だけやのうて、どこの電気会社かて同じ穴のムジナで、体質もやる事もさほど変わらへんのやから、
せめてこのことぐらいやって、意思表示してもらえへんやろか。
声はデモで出すだけが方法とちゃうで。
無言でも、行動で伝わることもあるで。

脱原発元年。

日本は事故を起こした犯人が居直ってる国やねん。
その事故は、全く収束してないまま、今だに毎日凄まじい汚染をし続けてるねん。
それが、こんな地震大国をあんな核物質の化けもんで囲ませてしまうほど、オマカセにしてもたれ合うてきた結果やねん。
恥ずかしい。悔しい。悲しい。
もう二度と戻ってけえへん、事故前の日本。
それをずるずるともっと広げてしもたら、地球の何割がやられてまう。
日本がその元になってしもたら、もうそれこそ恥やん。
そんな大罪を犯す犯人と同朋になりとうないやん。

自分になにやったらできるのか、ほんまに考えて。
できることは必ずあるから。見つかるから。
もうオマカセの人生歩くのはやめような。
日本はな、ひとりひとりが自衛せな殺されてまう国になってん。
市民を、大人も子供も無差別に殺そうとしてる政治家に牛耳られてるねん。
汚い爆弾を、それもミクロの、無臭で透明の、けども破壊力はめちゃくちゃ強い爆弾まいて、それでも足らんと全国に運んで攻撃してんねん。
なめてたらあかんで。
急にたまらんほどの怠さに襲われたり、心臓が止まったり、血管が塞がったり、血が止まらんようになったり、
ガンだけとちゃうねんで。
これは戦いやねん。戦争やねん。
政府と企業と、核物質に異様に執着する連中の組織がまいた核兵器から、自分の身と心を守る戦いやねん。
更なる事故が二度と起こらんようにするための戦いやねん。
戦うにも戦えへん人がいる。
もうすでに攻撃されて弱ってる人がいる。
その人らのためにも、戦えるもんが頑張らなあかんやんか!
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