ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

みんなで決めよう『原発』都民投票。スタッフの皆さん、署名してくださった皆さん、ありがとう!

2012年02月09日 | 日本とわたし
毎日新聞 2012年2月9日 
原発賛否住民投票:東京で25万人分署名集まる…市民団体

住民投票実施までの流れ


東京都で、原子力発電所の賛否を問う、住民投票条例の制定を目指す市民団体「みんなで決めよう『原発』国民投票」は、
署名集め期間最終日の9日、条例制定を知事に請求するために必要な、約21万4200人分(有権者の50分の1)を超える、約25万人分(8日現在)が集まったと発表した。
期間中に、選挙があった自治体では、署名集めを続けられることもあり、審査を経て有効署名数が確定するのは4月下旬以降の見通しだ。
【武内亮】
 

◇「30万人分」超を目指す…市民団体

団体は昨年12月10日に署名集めを開始。
記者会見した今井一・事務局長は「最終的には30万人分を超え、直接請求は実現できる」と述べ、都議会議員に公開討論会を呼び掛ける考えも示した。
八王子、府中、小金井各市と三宅村は、首長選挙があったため、署名期限が延長されることから、
団体は目標の30万人分に向けて、3月24日まで活動を続ける。

その後、各市区町村の選挙管理委員会に署名簿を提出、署名が有効かの審査を受ける。
 

◇商業施設、団地で運動


「署名をお願いします」。
8日午後、東京都板橋区の高島平団地内のスーパー前。
請求代表者の、柳浦彰さん(35)の呼びかけに、買い物帰りの女性が応じた。
柳浦さんは、「ここは、私たちの説明に耳を傾けてくれる人が多い。10人に1~2人は署名してくれる」。
この1カ月間で、前半1カ月間の2倍強の、17万人分超が集まった。

当初、新宿や渋谷など、主要駅前での街頭活動を中心にしたが、1カ月間で集まった署名数は、目標を大きく下回った。
危機感を抱いた柳浦さんらは、大阪市の仲間を見習って、商業施設や大型団地を重点的に回る方針に転換。
柳浦さんは、「どこで署名を集めているか知らない人が多かった。積極的に地域に分け入ることで、そんな人たちの思いをすくい上げることができたのでは」と分析している。【武内亮】
 

◇都議会は慎重姿勢

東京都は、東京電力の株式4268万株(2.7%)を保有する、第3位の大株主。
団体が作った条例案は、

(1)東電管内の原発の稼働への賛否を都民が投票し
(2)有効投票総数の過半数の結果が、投票資格者総数の4分の1以上に達したときは
(3)(株主として)知事や議会は、東電管内の原発の稼働について、東京電力や国と協議し、「都民の意思が反映されるよう努める」
としている。

条例の成否をにぎる都議会からは、慎重な声が相次いだ。
民主の幹部は、「成立が決まった段階で対応を議論したい」。
自民幹部も「まったく白紙の状態。(手続きが先行している)大阪市議会の影響もありそう。注意深く見守る必要がある」と話す。【武内亮、柳澤一男】




?????
東京都が、株式会社の株の3%近くも所有する、第3位の大株主……。
政治にも法律にも深う関わってるとこが……。
ずっと前から知わかってることやけど、今日は妙~にここにひっかかる。
他の八つの電力会社もそうなんやろ。
そやし、会社って呼ぶのはやっぱおかしい。
この単語を隠れ蓑にして、官僚やら政治屋やら企業がやりたい放題してきてんねんから。

*送電線の解放と、電力会社そのものの解体。
このことについての公開討論会が、日本全国津々浦々のテレビ局を通じて、公にできるとええなあ。

*もちろんその時は、続きで、放射能汚染の実態と、どういうふうに防御するべきかっていう知識の伝達もきちんとする。

*ほんでもって、原発村の連中が悪知恵働かせて拡げた汚染の、事細かな情報も公開する。

マスコミさん、徹夜でがんばってや!
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そろそろ慣れて、飽きて、疲れてきてしもてませんか?

2012年02月08日 | 日本とわたし
放射線被曝からこどもを守る会のブログにて9月発表後一部の語句を修正された論文、

医療ガバナンス学会メールマガジンVol.393 放射線被曝を避けるためにを、今一度読んでください。
そろそろ慣れてきてしまっていませんか?
そろそろ飽きてきてしまっていませんか?
そろそろ疲れてきてしまっていませんか?

そういう気持ちを払拭するためにも、もう一度、心に喝とエネルギーを入れるためにも。



仙台赤十字病院呼吸器内科
東北大学臨床教授
岡山 博

2012年2月6日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  

●原発爆発後初期数週間の放射能汚染

本年3月12日、福島第一原子力発電所が爆発し、その後爆発や漏洩、意図した放出が繰り返され、
3月15日から3日間と3月21日から数日間、それぞれ何度も、莫大な放射能が大気中へ放出されました。
放出された放射性物質は、風に乗って運ばれ風下を汚染し、
空中に浮いていた放射能ほこりが雨や雪が降るとそ れに吸着され、大量に地表に降り注ぎました。
宮城県北部から岩手県南部もこのようにして、仙台などの宮城県中部よりも強く汚染され、
現在も環境放射能は事故 以前の数倍に上がったまま
です。

爆発直後から2~3週間の間、最も危険だったのは、空気中に浮遊しているヨウ素とセシウムの放射能ほこりを、呼吸して吸い込んでしまったことでした。

空気中に存在する放射能は、放射性気体と、小さなほこり=固体に吸着した放射能ですが、
放射性物質のほとんどはほこりに吸着しており、ほこりの放射能が最大の危険物質でした。
人は一日中呼吸しているので、大気中に放射能などの有毒物質があれば、息を吸うと必ず、吸気として吸い込んでしまいます。
水に溶けない気体は 吸ってもほとんどすぐに、呼気として吐き出されますが、
水に溶ける気体は、気管支表面や一番奥の肺胞で体の水に溶け、血液に溶けて全身に広がり、蓄積します。
直径が0.01mmより大きな粒子は、肺の一番奥の肺胞までは到達せず、気管支表面の水に吸着し、
その後、気管支表面の線毛運動によって、ベルトコンベアのように、連続的にのどまで運び出されます。
運ばれたものが大きく硬い場合は、痰として喀出されますが、ほとんどのものは、少しずつ連続的に、のどまで運ばれるので、
気づかずに全て飲み込まれ、放射能のほとんど全部が、腸で吸収されて全身に運ばれます。
0.01mmより小さい粒子は、肺の一番奥の肺胞まで到達します。
肺胞は、線毛運動が無いため、のどまで運んで捨てることはできません。
少しずつ溶けて、全て血液に吸収され、全身に運ばれます。
石の粉やアスベスト、プルトニウムなど、いつまでたっても溶けない物質は、何十年も肺の同じところに留まります。
甲状腺の細胞は、ヨウ素を運び入れるポンプの働きがあるため、肺や腸から吸収されたヨウ素は、甲状腺に集まります。

一方、セシウムは、体内の水に溶け、体中に運ばれて分布します。
セシウムは、体中の水に溶けて分布しますが、細胞外よりは、どの細胞でも、細胞内の水に多く分布します。
セシウムは筋肉に多く含まれる、と説明されることがありますが、
これは、筋肉は細胞の割合が多いこと、筋細胞には、他の細胞よりやや高濃度に含まれることと、
体の中で筋肉の割合が多いので、筋肉の中に多く含まれる、という意味です。

この時期、被曝を防ぐには、放射能ほこりのない地域へ避難することが、最も有効でした。
それができない場合は、マスクをして、ほこりの吸入を減らすことでした。
普通のマスクでも、大きなほこりは防げます。
やや小さなほこりは、花粉症のマスクがさらに有効でした。
目の細かいN95マスクを、適切に使えば、0.001mm のほこりでも、99.9%を防ぐことができました
髪の毛や皮膚についたほこりは、シャワーで簡単に洗い流せます。
放射能ほこりが家の中に落ちると、ほこりが外に出るまで、何年も放射能を出し続け、少しずつ舞い上がるほこりを吸入してしまうので、
衣服や荷物、髪の毛についた放射能ほこりを、家の中に持ち込まないことも大切でした。

次に危険だったのは、放射性物質で汚染された食物を飲食したことです。
初期の2~3週間、空気中に放射能ほこりが浮いていた時期は、ほこりはそのまま、あるいは雨や雪に混じって、野菜など、植物の葉に落ちて留まります。
これは、水洗いをすれば取り除けますが、水洗が不十分だと食物とともに摂取されて、内部被曝を起こします。
時間がたつと、葉の表面に留まったセシウムは、葉から吸収され、葉だけでなく、葉から茎や実に運ばれ、蓄積されました。
これは、洗っても取り除くことはできません。
食べてはいけないのですが、それでも食べる場合は、葉のように薄いものであれば、ゆでて細胞を壊し、細胞内のセシウムを、お湯にしみださせることができます。
水をかえて、2回ゆでると、かなり減るはずです。
大根やイモ類のように、薄くないものは、細胞を壊しても、ゆでる水までの距離が長いため、十分染み出させるのは難しい。
大根を煮て料理しても、醤油の色や味が、なかなか中までしみとおらないのと同じです。
海産物の放射能についてと、ストロンチウムも大切ですが、本論では省略します。


●現在の汚染状況

現在、大気中に浮かんでいる放射能ほこりは、ずっと減っています。
現在、環境中に測定される放射線のほとんど全ては、放射能ほこりが地面に落ちて、地面に留まったセシウムの放射線源からのものです。
3月末と比べると、環境放射能はかなり低くなっていますが、
これは、放射性物質が取り除かれて減ったのではなく、ヨウ素の放射能が弱くなったためです。
ヨウ素の放射能は、半減期が8日で、8日経つと放射能は半分になり、さらに8日経つとその半分に、と弱くなって、
80日経つとはじめの1000分の1に、160日経った(昨年9月)現在では、ヨウ素の放射能は100万分の1に弱まり、ほとんどなくなっています。

現在、地表や環境に残っている放射能は、大部分がセシウムです。
セシウムの放射能半減期は30年なので、1年や2年ではほとんど減りません。
30年経って半分、また30年経ってその半分の1/4というように、
半減期に従って減る以外には、放射能は、自然や人が分解したり減らしたりできません。
普通の毒物は分解されたり、何かに吸着して毒性が減りますが、放射能ではそのようなことはまったくありません。
今後自然に、少し減るのは、放射能が分解されるからではなく、放射能のついた枯れ草やごみが、ほこりとなって飛び散るか、
少しずつ水で流れて地面に入り、やがて湧き水などになって、川に入って運び去られて減るだけ
です。
どちらも、急速に減ることは期待できませんし、急速に減ったとしたら、別の場所の放射能汚染を拡大していることで望ましくありません。
環境中の放射能を減らそうと言うのであれば、セシウムの放射線源を集め、運び去ること以外、放射能を減らすことはできません。
環境の放射線を減らすためには、セシウムで汚染されている枯れ草やごみを、取り除くことが最も簡単で、効率的です。
放置しておくと、その間被曝受け続けるだけでなく、少しずつごみや枯れ草から土に移動するので、
同じ量のセシウムを除くのに、手間や費用が今よりかかります。
今でもセシウムは、土に移動しています。
枯れ草やごみだけでなく、今なら、表土を数センチ除去すると、環境放射能をかなり減らすことができます。
時間がたつと、セシウムは、さらに地面の下までしみとおっていくので、除去するなら、早いほど効率的です。

放射能は、減らすことも、分解することもできません。
人ができることは、移動することだけですから、除染というのは、放射線源を集め、どこかに持ち出し、集めて管理することです。
いくら取り除いても、集めて管理しなければ、別のところに汚染を拡大してしまい、すべきではありません。
十分な集塵機能を持たない焼却処分は、 せっかく集まっている放射能を拡散させてしまうことなので、処分しないことより悪いです。


●野焼きについて

子どもたちの放射線被曝を心配するお母さん達から、野焼きについて相談いただきました。
わらや枯れ草に、放射能雨が降り注いだ後、水は蒸発しますが、放射能はそのまま残ります。
放射能ほこりが降り、放射能雨・雪でぬれて乾いたわらや枯れ草、水溜りが乾いたごみは、最もセシウム放射能がたまっているところです。
宮城県で、雨にぬれた稲わらを、全国の牛に食べさせ、牛肉が高度に汚染されていることがわかり、出荷停止になり、稲わらを食べさせるのも禁止されました。
宮城県は、知事が「宮城県は汚染されていない」という強い信念を持っており、
文部省指示による、降下・雨中放射能を、今でも測定・発表していないただひとつの県
です。
降下放射能の軽視が、稲わらと肉牛の、セシウム放射能汚染の背景にあります。

4月時点で存在し、放射能ほこりが降下し、放射能雨にぬれた植物や枯れ草、わらなどは、強く汚染されています。
これを野焼きすると、放射能は煙になって拡散し、残りは燃えかすや灰になって残ります。
野焼きしているときに見える煙は、気体ではなく、小さな粒子で、これに放射能が含まれています。
放射能は、目に見えない、もっと小さな粒子にも含まれています。
空気中に拡散すれば、それを呼吸して、放射能を肺に吸入、吸収してしまいます。
これは、放射能が枯れ草やわらとして、地表に固まって存在し、そこからの放射線で人が外部被曝するよりはるかに危険なので、すべきではありません。

野焼きで出た煙などの放射能ほこりは、原発の大爆発と違い、比較的近くに、大部分が降下すると予測されます。
それをまた、住民が呼吸し、また、農作物や植物を汚染します。
原発爆発によって起こされた、放射能拡散と放射能被曝を、もう一度繰り返すということです。
原発事故から時間がたち、ヨウ素の放射能はありませんから、ヨウ素剤服用の必要はありませんが、
セシウムによる第二次汚染・第二次被曝と言える、危険な汚染です。

これから行われようとしている野焼きに、4月時点ですでに存在し、放射能雨にあたった、わらや枯れ草が含まれているとしたら危険で、止めるべきです。
止めさせることができなかったら、避難すべきです。
避難できない場合は、マスクをし、家を密閉すべきです。
後で、ほこりを掃除して、家の外に出すよう掃除します。
掃除は、子どもを避難させた上で、良いマスクをして、隙間などのたまったほこりを、掃除機で吸い出してもよいが、
やりにくい場所は、逆噴射して、巻き上げるほうがよいかも知れません。
窓は、全部開放して、巻き上げたほこりを、風で戸外に出します。
目に見える床や、家具の表面は、ぬらした新聞紙をそっと上において、
こするのではなく、ぬれた新聞紙にほこりを吸着させ、そのまま捨てるのがよい
と思います。
雑巾で拭くのは、要注意。
ふき取って取り除けるのは一部で、床に広げて、擦り付けてしまうものもあります。

雑巾に吸着した分だけが、床から取り除かれた分です。
雑巾についた放射能ほこりを、洗い流すのは困難なので、捨てるのがいいです。
もし、4月の草やわらが、既に野焼きで燃やされてしまったとしたら、放射能のかなりは、煙として大気に拡散し、その後地面に降り注いだはずです。
燃えカスと残り灰には、強い放射能が含まれている可能性が高く、きちんと処分すべきです。
煙の中の粒子と、煙になって飛び去らずに残った灰と、燃えカスの重さの合計が、燃やす前の10%に減っていたら、
放射能は減らないので、kgあたりの放射能は10倍になります。
1kgで1000ベクレルだったら、焼いた後は1kgで1万ベクレル、初め1万ベクレルだったら、焼いた後は1kg10万ベクレルの放射能煙と、放射能灰です。
5月以降に育った稲などの汚染は、大部分が、土と水から放射能を吸収して蓄えたものだけなので、
4月以前からあった植物やごみよりは、かなり少ないはずですが、どの程度に危険かは、測定してみないとわかりません。
確認するまでは、大気中に拡散すべきではありません。
9月になって、一関の米から、27ベクレル/kgの放射能が検出されました。
稲わらは、米粒より多量の放射能を含んでいる、と予測されます。


●環境除染と除染後の放射能汚染物質処分

田畑や、道路の水溜り跡のごみなどは、放射能量が多く、放射能実験施設から持ち出し禁止レベルの強い放射能が、いたるところに大量にあります。
これも、取り除いて除染して、安心して生活できるレベルにすべきです。
放射能は、なくすことも減らすこともできません。
人ができるのは、移動することだけです。
放射能処理や除染というのは、散らばっている放射性物質を、集めて管理するということです。
拡散することは、除染・処理と逆のことで、放置よりもまずいことです。
高性能の集塵装置を持つごみ焼却場で焼却すれば、放射能のほとんどを回収することができますが、野焼きでは、全て大気に放出、汚染します。
焼却場で回収はできても、回収した放射能はどこかに集め、管理するしかありませんが、集める所も方法も決まっていません。
高性能でない焼却場で償却すれば、放射能を大気中に、再放出・拡散汚染します。

したがって、放射能除染をするためにまず第一に行うべきことは、
除染して取り除いた放射性物質を、どこにどのような形で、どの程度集めるかという、処分方法と処分場を決めることです。
これなしに、社会全体の、除染の方針を決めることはできませんが、決まっていません。
福島原発近くの、できれば東電敷地内に、すべての汚染物質を集め、数百メートル四方以上の巨大な丘に築き、管理することが正しい処分、管理法と私は考えています。

原発敷地にある、超高レベルの放射能とは違い、放射能レベルはずっと低いので、
地面にしみこまないことと、風で飛ばない対策をするだけで、積み上げておくだけで管理できます。
丘に積み上げるだけなので、無制限に集めることができます。
各地で、地域除染の熱意があれば、集めた汚染物質の保管先を心配せずに、いくらでも除染活動ができます。
処分場の方法や場所、規模を決めない政府は、無責任・無能力です。

これ以外の処分法を言うのは、打算か、考えが浅く、全て誤りだろうと私は考えます
大規模処理場を作らないということは、今後、環境除染をあまりせず、残りは放置するということです。
一日も早く、原発近くに、汚染物を無制限に集めるという、処分場の方針を決めるべきです。
実行するまで、莫大な費用と、放射能拡散を増やしつづけてしまいます。
除染には莫大な費用がかかります。
無駄に使うべきではありません。

(付録)
放射線の安全性、放射線処理を考える参考のために、「電離放射線障害防止規則」の抜粋を示します。
法律の文章を、断片的に紹介するため、言葉を少し変えていますが、内容は元のままです。
現在でも、放射能を扱う大学などの実験施設や、事業所、企業は、この基準で放射線を管理し、繰り返し守られないなどの場合は、罰則を受けます。
放射能管理区域から、持ち出し禁止量の放射能が、生活環境の中に沢山放置されています。

電離放射線障害防止規則抜粋(一部語句をかえています)

第二条 「放射性物質」とは、40Bq/cm2を超えるもの。
74Bq/g以下の固体のもの、及び、密封されたもので、その数量が3.7メガベクレル以下のものを除く。

第三条 管理区域を、標識によって明示しなければならない。
外部放射線と、空気中の放射性物質合計が、3ヵ月間につき、1.3ミリシーベルトを超えるおそれのある区域。
表面密度が、4Bq/cm2を超える恐れのある区域。
必要のある者以外の者を、管理区域に立ち入らせてはならない。
取扱い上の注意事項、事故の応急の措置等を、掲示しなければならない。
施設。遮へい物を設け、密閉する設備を、設けなければいけない。

第四条 業務従事者の受ける実効線量が、5年間につき100ミリシーベルトを超えず、かつ、1年間につき50ミリシーベルトを超えないようにしなければならない。

第二十六条 飛沫、又は粉末が、身体又は衣服、履物に付着しないように

第二十七条 ピンセットなど、用具を他の用途に用いてはならない

第二十八条 汚染した場合、直ちに、汚染のおそれがある区域を標識し、4Bq/cm2(注:およそ400Bq/kgの土、80Bq/kg枯草)以下に、除去しなければならない。

第二十九条 清掃を行なうときは、じんあいの飛散しない方法で、行なわなければならない。

第三十三条 貯蔵は、かぎ閉鎖の貯蔵施設

第三十五条 焼却は、気体がもれるおそれがなく、かつ、灰が飛散するおそれのない構造の焼却炉

第四十四条 放射性物質を誤つて吸入摂取し、又は、経口摂取した者などは、診察、又は処置を受けさせなければならない。

本論は、放射線被曝からこどもを守る会の皆さんからご要望を頂いて、解説し、私の意見を含め書いたものです。
「放射線被曝からこどもを守る会 いわて」ブログ 9月発表後一部語句修正』




原発爆発後の初期数週間、マスコミはいったいなにを伝えてた?
テレビは毎日、どんな番組を放映してた?
ラジオは?
新聞は?

放射能ほこりのない地域へ避難することが、最も有効でした
それができない場合は、マスクをして、ほこりの吸入を減らすことでした
やや小さなほこりは、花粉症のマスクがさらに有効でした
目の細かいN95マスクを、適切に使えば、0.001mm のほこりでも、99.9%を防ぐことができました
髪の毛や皮膚についたほこりは、シャワーで簡単に洗い流せました
放射能ほこりが家の中に落ちると、ほこりが外に出るまで、何年も放射能を出し続け、少しずつ舞い上がるほこりを吸入してしまうので、
衣服や荷物、髪の毛についた放射能ほこりを、家の中に持ち込まないことも大切でした

過去形ばっかり並んでるこの文章を、読んで後悔する人は何人いる?
ほんの10分でも、ほんの数行でも、放射能の被ばくから身を守るための知識を知らせてくれてたら、どんだけ大勢の人達が救われてたか……。

史上最低の、意味不明の、役立たずを通り越して人殺しまがいの政府の片棒を担いでる報道機関。
ちょっとぐらいまともな番組やら特集組んだかて、当時の罪がそれでチャラになると思てたら甘いわ。
ちょっとではすまんねん。
今、政治屋や企業や官僚がしがみついてるシステムをひっくり返すぐらいのことせな。
それくらいやったらどう?
せめてもの罪滅ぼしに。
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桃色対策とどうってこともない話

2012年02月07日 | お家狂想曲
うちの二階の浴室は桃色。
この家を、最初に見に入った時、旦那もわたしも、この桃色タイルにショックを受けた。
ふたりとも、桃色が苦手なんである。
もう少し正直に言うと、嫌いなんである。
おまけに、前のオーナーの老夫婦は、生前ずっと二階だけで暮らしていて、世話も面倒になっていたのか、床も所々剥がれていた。

わたしは即、この家を買おうと思ったけれど、引っ越してもこの二階の浴室だけは使うまい、と勝手に決めていた。
それで、ほぼ二年近く、決めた通りに、一階のシャワー室だけを使ってきたのだけど、
去年の秋に帰省した時、やっぱお風呂に浸かるのはええなあとつくづく思ったので、
あの桃色部屋で過ごすことに対する抵抗を少しでも和らげる(←おおげさ?)ための手段を考えた。
けれども、その手段は、すご~く注意して考えなければならない。
うるさい男がいるからである。
模様の種類、色合いや感じが、奴の気に入るものでないと却下されてしまう。

なので、これを見つけたものの、この感じがどうも奴の嫌いなタイプっぽかったので、一カ所だけやってみた。


アイスキャンディの棒みたいなんで、ゴシゴシ擦って写し絵するやつ。
これはたまたま、ボタンを買いに行った店で見つけたもので、デザインはともかく、色合い的にはオッケーかと思って買った。
予想に反して、旦那も気に入ったようで、これを少しずつ、うるさくならない程度に、増やしていく予定。

ところが……、
この緑のラグ(床の剥がれた部分を隠すため)を見た旦那。
「あんたの色彩感覚を疑う!」と、思いっきり呆れた口調で言い出した。


写真の、ヒーターに近い部分の、ちょいと見えてる緑色のんがそう。
ええぇ~!とびっくりするわたしに、
「どうしてこの部屋に、こんな色を加えるの?これしか無かったの?それとも思いっきり安売りやったってこと?」とガンガン言い足す旦那。
「桃色を抑えるために、わざわざこの色を選んで買うたのに」と言うと、やれやれ……という素振りをしながら出て行った。

さらに、これはちょっと、わたし的にも普段は絶対に買わない種類の物……。

 
二年半ぶりに替えたシャワーカーテンと一緒に買ったワゴン売りの超~安かったカーテンリング。
これも指差して「このチャラチャラしたのはもぎ取る」と言う……およよ……。
 


さて、この家に引っ越してからずっと引っかかっていた、もうひとつのちっちゃいこと。
それはヘアドライヤー。
かなり古くなっていたが、それなりに使えていた。
ところが、半年前ぐらいから、使用中に柄の所の一部がどんどん熱くなってきて、最近ではもうヤケドをしてしまうぐらいになっていた。
なので、ついでに買おうと売り場に行き、息子がマイナスイオンが出るのがいいと言っていたのを思い出して選んだ。
けれども、どこを見ても値段が書かれていない。
箱からすると、ちょいと高そうだったけれど、まあレジで聞いて高かったらやめようと思い、抱えて行った。


「いくらですか?」
「9ドルです」
「え?」
「9ドル」
「9ドル……」(これ以上聞いて、この数字が上がるのは良くない。このままでいってまえ)
いやはや、こういう時の心の葛藤ったら無いわけで、しかもそれを見せるわけにはいかず、ものすごい速さでいろいろ考えるのである。

というわけで、9ドルで手に入れたヘアドライヤー。
家に戻って箱を開けようとすると、あれれ?もう開いているではないか……。
しかも、中身が取り出された形跡がありまくりではないか……。
結局、熱風が出てくる先っぽにつけるプラスティックのノズルが無いことがわかった。
まあでも、どっちにしてもいつもノズル無しで乾かすので、ええんやけどね。
けど、そういう事情で安くなってるならなってると、一言説明してくれてもええんちゃうかと思ったりもする、
アメリカ生活12年目の、ある冬の午後なのであった。
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ずっと「お任せ」で済ませてきた悪習との決別を、原発事故が起きた今でなくていつやるの?by想田監督

2012年02月07日 | 日本とわたし
観察映画作家の想田和弘監督。
まだ一度もお出会いしたことはない。
このブログを始めるきっかけを作ってくれた(というより強引に始めさせられた陰の創始者?)友人Kちゃんが、
マンハッタンで映画作りの勉強をしていた時に、彼の仕事の手伝いをしていて、彼のすごさをいろいろと聞いていた。
いつか直に話ができたらいいなあと、今もひとりであれこれ妄想している。

彼の作品の『選挙』『精神』『PIECE』、まだ部分的に観ただけやけど、
初回作の短編『ア・ナイト・イン・ニューヨーク』を観て大笑いし、ますますファンになった次第。
その想田監督が、原発の存廃を巡る直接投票について、彼の考えをツィートで連投しはった。

わたしが普段、もやもやと思いながらも、きちんとまとめられずにいる考えを、見事に言葉にしてくれはったので、ご本人の承諾を得てここに転載させてもらう。



『原発の存廃を巡る直接投票について、色々な意見をいただきリツイートした。
そこで僕の考えを詳しく連投する。
2012/01/11 13:32:00~14:58:10

・まず、この問題は、原則論と戦略論を分けて考えた方がよいと思う。
最初に原則論。
原発の存廃は、国民投票や住民投票で決めるべき事案かどうか?
僕はイエスだと信じる。
なぜなら、原発は、国民ひとりひとりの生存や財産に、重大な影響を及ぼしかねないから。

・「原発の是非も選挙で決めればよい」という人もいるが、選挙は人や政党を選ぶので、個別の事案について意志を表明しにくい、という難点がある。
この候補者、医療や福祉政策については自分と意見が同じだけど、原発については意見が反対……という悩みがその典型である。
 
・つまり、直接投票には、議会制民主主義の難点を補う役割がある。
原発の是非は、それだけを抜き出して、民意を問うに足る事案だと思う。
以上が原則論。
この点については、脱原発派で直接投票に否定的な人も、賛成してくれるのではないかと思う。

・では、戦略論としてはどうか。
脱原発派で直接投票に反対の人は、たぶんこの点で不安を抱いている。
つまり「負けたらおしまいではないか」、という懸念である。
しかし、負けたら本当におしまいなのか?
欧州での事例を振り返れば、答えは否である。

・例えば、スイスでは、チェルノブイリ事故などをきっかけにして、過去に6回も原発に関する国民投票が行われている。
その度に、設問も懸案も異なり、結果も脱原発側に振れたり、逆に振れたり。
つまり、選挙と同じで、勝ったり負けたりするわけだ。
国民投票はいつでも発議できるわけだから、当然と言えば当然。

・では、直接投票をせずに、現状の流れで推移していけば、脱原発は実現するのだろうか
投票反対派の人は、たぶん「実現するのではないか」と期待しているのだろう。
だからこそ「負けたらどうする?」と不安になる。
でも、そんなに楽観的でいいのだろうか。

・政府は、「原発の寿命は40年」とする法案を提出する。
これは「40年間は廃炉しない」意志とも読める。
例外を認める条項もあり、脱原発を決意しているとは到底思えない。
憶測だが、むしろアメリカがスリーマイルから30年を経て、原発新設を復活させたようなシナリオを描いているのではないか。
 
・少なくとも、耐用年数のきてない現存の原発を、積極的に廃炉にしようという動きは政府内にはない。
つまり、ほとぼりが冷めたら、再稼働させる意志があることは明白だ。
それもなし崩し的に。

もちろん、新増設はしばらくできないだろう。
しかし、今から30年したらどうか?
アメリカのように?
 
・このような状況を鑑みるに、今の状況を放っておけば、僕は原発は維持される公算が高いと思う。
つまり、脱原発はずるずると、土俵を割るように負けていく。
というか、原発の導入以来、いままでずーっと負け続けてきたのだ。
残念ながら、それが続いていくのではないかと僕は思う。
つまり不戦敗。

・このような理由で、僕は原則論からも、戦略論からも、原発直接投票に賛成である。
僕は、チェルノブイリの頃から脱原発派で、地球上のすべての原発は、ただちに廃止を決めるべきだと思う。
だから、直接投票で脱原発派が負けることは、もちろん恐れている。
しかし、それでも投票を実現すべきだと思う。

僕は、負けることを恐れるのではなく、たとえ負けても、何度でも挑戦する粘り強さを保とう、と提案したい。
少なくとも、不戦敗よりはマシである。

また、たとえ脱原発が、とりあえず否決されたとしても、得票数によっては、その後の政治に大きな影響を及ぼす可能性がある。

・それに、直接投票が実現すれば、国民的な議論が起きる。
原発は、我々の生命や財産を左右する一大事だが、それについてすら僕らは、「お任せ」で済ませてきた。
この悪習を、断ち切る必要があるのではないか?
福島原発が事故を起こした今でなくて、いつそれをやるのだ?
というのが、率直な思いである。

・ちなみに、「みんなで決めよう原発国民投票」は、「脱原発をしよう」と呼びかけているわけではない。
にも関わらず、その賛同者の大半は、脱原発派だと見受けられる。
たぶん、原発推進派にとっては、投票無しに、現状で推移していくのが最も好ましいのだ。
でなければ、推進派も、国民投票に熱心になるはず


・ついでに言うと、国民投票は本来、原発に限らず、消費税とかTPPとか、国論を二分する重大事案について、利用できるようにすべきだと思う。
特に、「議会制民主主義」が完全に壊れてしまっている今、国民の意志を政治に反映するには必須だと思う』
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都会で処理できるくらい安全な瓦礫なら、岩手で処理させてくれ!

2012年02月07日 | 日本とわたし
おかんとおとんの原発いらん宣言 http://okaton.blog.fc2.com/ブログを紹介します。

Author:おかとんさん
原発いややなあと思っている子育て中のおかんが集まりました。
ほぼおかんばっかりなんですが、おとんはみな後ろでおかんをちゃんと支えてくれてます。
だから、おかんとおとんです。

最近の記事(2月4日)に、郡山から大阪に避難されている女性の思いが綴られていました。

郡山から大阪に避難して今思うこと おかんの日記


私は、福島県郡山市から大阪府堺市に、
小学生のこどもたちを放射能から守るため、
母子3人で自主的に避難してきました。

夫は、いまだに福島に残って仕事をして、
生活を支えてくれています。

避難してくる前に住んでいた福島県郡山市は、
原発から50~60キロ離れたあたりにあり、
国が定めた避難地域に入っていません。
しかし、いまだに放射線管理区域である0.6マイクロシーベルト/時を超える、
0.7マイクロシーベルト/時の空間線量があり、
非常に放射線の高いホットスポットも存在するところです。

そのため、自主的に避難する人と、避難しない人に分かれる地域です。

そのため、311に大地震が起こり、
原発が爆発してからずっと、
放射能から避難すべきか悩む日々が続きました。
パソコンがなかったため、テレビにかじりついて、
いつ避難指示が出るのか、
どういう状態ならば避難してもいいのか、
判断材料を求め続けました。

しかし、枝野大臣は「ただちに健康に影響はない」というばかりで、
判断材料となるべき情報を何も示してはくれませんでした。

早い段階で、SPEEDIの情報を公表してくれていたら、
原発が大爆発する映像をテレビで流してくれていたら、
もっと早く避難できて、
こどもたちに余計な被曝をさせなくて済んだのに……と、
悔しくてなりません。

何も知らず、避難地域に指定されなかった郡山は、
たいした被害はないのだと思いこんでしまいました。
危険な状態なら、国が何もしない訳がないと思っていました。

そんな中、高い放射能が降る中を、
地震の影響で断水で水が出ないため、
スーパーにもほとんど物資がない中、
生活するための水や食料を得るため、
スーパーの長蛇の列にこどもたちと並んでしまっていました。

それから、私の小学生の長男の体には、
異変が起こりはじめました。
口内炎、湿疹、発熱、鼻血などの症状が出てきたのです。
その時には、まだ知りませんでしたが、
それはチェルノブイリ原発事故の後に、
その周辺の人たちに多く表れた、
放射性物質による健康被害の初期症状そのものでした。

そうした症状は、私の長男だけでなく、
多くの福島県に住むこどもたちや、
東北・関東に住むこどもたちにまで、広くでています。

例年とは違うこどもの体調の変化に、
多くの母親は直感的に危機感を感じ、
データをインターネットで調べて確信を深め、
様々なものを失いながらも避難を決意しています。

もし今、母親の私が避難を決意しなかったことで、
大切なこどもたちが3年後5年後10年後に
命を失うような病気にかかったとしたら、
命を失うとしたら、
私は自分で自分を許せないだろうと思いました。

枝野大臣が言い続けた「ただちに健康に影響はない」とは、
「いずれは健康に影響がある」ということです。
テレビなどでは大々的に公表はされていませんが、
すでにチェルノブイリ原発事故の時のデータでは、
事故から3年後から甲状腺ガンが増えはじめ、
10年後にピークに達していることは分かっています。

ただちに、健康に影響はなくても、
放射線を浴びつづけたら、
近い将来、健康に被害があらわれることは、
すでに分かっているのです。
自分の命に代えても惜しくないこどもたちの命が、
脅かされているとしたら、
何を失っても避難しなくてはと思い、
福島第一原発から600キロ離れた大阪まで避難してきました。

しかし、その安全だと信じた大阪が、今、
放射性物質のついた震災瓦礫を受け入れようとしています。

大阪で受け入れるのは、岩手の瓦礫ということですが、
京都で燃やされようとした岩手の松から、
セシウムが検出されたことがニュースになったように、
岩手といえども、すでに放射性物質に汚染されているのです。

その瓦礫を大阪で焼却したら、今、
奇跡的に汚染を免れて安全な大阪までも、
放射能汚染されてしまいます。

私たちは、放射能からこどもたちを守るために、
はるばる身寄りのない大阪まで避難してきたのに、
その大阪までもが汚染されてしまったら、
私たちはどうすればいいのでしょうか?

震災瓦礫を大阪で受け入れることによって、
私たちのように被曝したものは、
更なる命の危険に脅かされるばかりか、
今まで被曝していない大阪のこどもたちまで、
被曝させる危険があるのです。

大阪の人たちにまで、
私たちと同じ苦しみを味わってほしくありません。

福島でも、原発は安全かのように言われていましたが、
今回の事故によりたくさんの人が健康に被害を受け、
将来に不安を抱え続けることになりました。

大阪でも、瓦礫の受け入れは安全かのように言われていますが、
それを鵜呑みにして受け入れたら、
福島の二の舞になってしまうと思います。

瓦礫の受け入れが、
被災地の支援のように言われていますが、
私はそうは思いません。
大阪で処理できるくらい安全な瓦礫なら、
岩手で処理したいと陸前高田市長は言っています。
その方が被災地の処理業者が潤いますし、雇用が生まれる
からです。

被災地の支援をしたいという気持ちには、
とても感謝していますが、
瓦礫の受け入れだけが、被災地の支援ではないと思います。

被曝しても死なない瓦礫を受け入れるより、
いまだに被曝し続け、
命を脅かされている福島のこどもたちの避難を受け入れること、
その方がずっと、命の方を向いた支援
だと思います。

いまだに、福島に残るこどもたちはたくさんいます。
放射線管理区域以上の空間線量が存在する中を、
放射能汚染された食品を食べさせられて暮らしています。

私たちが住んでいた郡山の学校では、
避難したのはクラスで3人しかいません。
割合で言うと、避難したのは一割で、
残り九割のこどもたちは残っています。

そして、郡山の学校給食では、
去年高い放射能の降った土に育った米を使用したご飯や、
セシウムが18ベクレル検出された牛乳を使用しています。

保護者が、そうした給食を改善するように、
教育委員会や学校に働きかけても、
今までの業者との繋がりがあるからと、改善に至っていません。

また、郡山のこどもたちが集団疎開できるように、
避難の権利を求める裁判をおこしましたが、
棄却され、控訴している
ところです。

郡山の友人には、せめてこどもに給食の牛乳を飲ませないように、
ご飯は安全な産地のものを自宅で炊いたものを持っていくように頼みましたが、
ムラ意識のせいか、「みんなと違うことは、できない」と、
そういった防護すらできない状態です。

チェルノブイリ原発事故のデータから、
被曝してしまったこどもたちでも、
安全な場所に短期間でも避難して、
安全な空気を吸い安全な食べ物を食べれば、
深刻な病気から免れていることが分かっています。

どうか、被災地に遠慮なく、
震災瓦礫の受け入れ反対の声を上げてください。
そして、瓦礫の受け入れより、
避難者の受け入れに目を向けてください。
いまだに、原発から20キロ圏内以外の、
放射能汚染から避難するための補償はされておらず、
それが経済的負担となり、
命を救うための避難を妨げています。

瓦礫受け入れに反対して、
避難できる安全な大阪を守っていただくことが、
福島をはじめとする被曝し続ける人たちの、
命を救う支援になります。

これ以上、福島の悲劇を繰り返さないためにも、
大阪が汚染されないように、
瓦礫受け入れを防ぐこと、
よろしくお願いします。



おかんとおとんの原発いらん宣言ブログでは、大阪府の汚染がれき受け入れに対する反対運動をやってはります。
スタッフの皆さんの持ち出しで頑張ってくださってます。
大阪府にがれきの件で質問状を提出しても、一ヵ月もかかって返送されてきた回答はまるで答える気も考える気も無し丸出しのもの。
役所も役人も、いったんこうせなあかんという指針が決まったら、指定された行動をインプットされたロボットみたいなもんです。
人間を相手にしてると思たらあきません。
めっちゃぎょうさんの市民の身体を張って、その指針とやらの壁をなぎ倒すことでしか解決の道は無いんです。
どうか、こういう活動をしてはる方々を、どんな形でもいいので、支えてあげてください。
お願いします。
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暖かな冬の満月の夜に食らう石焼ビビンバ

2012年02月06日 | ひとりごと
今年の冬は、今のところ超~がつく暖冬。
今朝は、近所のスタバまで、散歩がてら出かけました。
徒歩5分の道中の景色をちょびっと。

このポカポカっぷり、伝わるかなあ……。いつもやったらこの時期、凍ってるはずやのに……。


昔なんかの建物やったのが、アパートにかわりつつあるらしい。


コマツゥ~!!ここでも働く車はKOMATSUが大活躍です!


いちいち立ち止まって写真を撮るわたしを待ちきれない旦那。


お陽さんの光が当たってやけに白い木の幹。でも、すごくでっかい。なんかガイコツを思い出してしまうのは変でしょか?


多分、10月末の突然の雪嵐で倒れた木の残骸。数年この状態で置いておき、根がもう少し痩せてから処分するのだそうです。


冬はやっぱり緑と赤が良く似合います。


こちらの人は、木をとても大切にします。木が思うように大きくなるのをただ見守るのです。
根が変な方向に張ろうが、幹が隣の家のフェンスをぶち破ろうが、隣近所同士でその成長を見守ります。
これもその一例です。


またまた勘違いしたポンちゃん。


ツタだって混乱中。



そして……、
週に一度の、出張レッスン日の仕事を終えて、夜の7時半に家に戻ると、台所からいい匂いが……。
え?まさか旦那が、疲れてるのに作ってくれてるのか?

いえいえ、ちゃいました。
我が家の娘、リンジーちゃんが、出張クッキングに来てくれてたのでした!


彼女は息子Kの高校時代からの友人。
たまに突然やって来ては、こんなふうに夕飯を作ってくれる、すごぉ~く優しい女の子。
今夜はビビンバやそうな。
きゃ~!好物やん!


それぞれの具を炒め、炊きたてのご飯にぶっかけるのかと思いきや、
じゃ~ん!コリアンマーケットで5ドルで手に入れたという、石焼ビビンバ用の瀬戸物の釜が登場!


できました!


超~美味しかったよぉ~!お腹も胸もいっぱいだよぉ~!Thanks!

空にもまん丸の満月。お月さんもお腹いっぱいやね♪
コメント (8)
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石原さんよ

2012年02月05日 | 日本とわたし
石原慎太郎 原発に関するセンチメントの愚 

[日本よ]


人間はさまざまな内的な衝動によって行動を起こす。
内的な衝動には高尚な理念理想もあり、友情、忠誠、責任等々世俗な義理もあり、
オウム真理教の信徒たちを駆り立てた信仰に根差した狂気まである。

これは他の動物たちにはあり得ぬことで、動物のとる行動は飢餓や恐怖、あるいは自衛の本能に駆られたもので、
人間のような理念を踏まえてのさまざまな行動などはありえない。
しかしそれをもって人間の動物としての優位を誇る訳にはいきそうもない。

人間の理念理想なるものが価値あるものとして許容される範囲には当然限りがある。
オウム信者の狂気は社会的には理念としてとても許容され得ないし、キリスト教での魔女狩りなども同断だろう。
それらが表出しての行為は理性をはみだし奇矯で独善排他的で時には有害でもある。
しかしなお当事者たちはそれがある種の理念に依(よ)るものゆえに、理の通ったものと確信してやまない。
この種の逸脱は大小こと欠かないが、それが淘汰されない訳は、
それらの逸脱が人間だけに共通な情念(センチメント)に依るものだからに他ならない。

そしてこのセンチメントほど実は厄介なものはない。
それは理性をも超えて優に人間を左右してしまう。
その最たる現象は恋愛で、一旦誰かに強く惚れてしまうとある場合には見境がつかなくなる。
あんな相手と一緒になったら酷い目にあうぞとはたがいくら忠告しても、ある場合には聞く耳持たずに突き進み人生の破綻をも招いてしまう。

この世で恋愛は茶飯のことだから周囲はそれを常識の枠で捉え眺めて過ごそうとするが、
ある人間にとってはそのセンチメントは枠からはみだして当人自身にも抑制がきかなくなってくる。
以前九州で起こった殺人事件は男が恋人当人ではなしに、その祖母と母親を殺してしまう異常なものだったが、
男のしつこいストーカー行為を取り締まるよう再三依頼された警察の不手際で発生したと指弾されていたが、
ことがそうした軽犯罪を取り締まる生活安全課から刑事課に移されたことが引き金になり悲劇の到来となった節がある。
刑事の専門家からすれば市井のたかが恋愛沙汰にいちいちかまっていられるか、他に深刻な犯罪容疑や未解決の事件もあるのに、
ということで捜査の優先順位はむしろ前の担当部門よりも低いものにならざるを得なかったに違いない。
そのことで警察を非難するのは容易だが、警察というあくまで常識を基準に職務を遂行する立場からすれば、
恋愛に破れて罪を犯す者の衝動のセンチメントについてまで計量するのは埒外(らちがい)のことに違いない。

                   ◇

長々した前節を構えて私がいいたいことは、
福島の原発事故以来かまびすしい原発廃止論の論拠なるものの多くの部分が放射線への恐怖というセンチメントに発していることの危うさだ。
恐怖は何よりも強いセンチメントだろうが、しかしそれに駆られて文明を支える要因の原発を否定してしまうのは軽率を超えて危険な話だ。
軽量の放射能に長期に晒(さら)される経験は人類にとって未曽有のものだけに、かつての原爆被爆のトラウマを背負って倍加される恐怖は頷けるが、
しかしこうした際にこそ人間として備えた理性でものごとを判断する必要があろうに。
理性的判断とはものごとを複合的に捉えてということだ。

ある期間を想定しその間我々がいかなる生活水準を求めるのか、
それを保証するエネルギーを複合的にいかに担保するのかを斟酌計量もせずに、
平和の内での豊穣な生活を求めながら、かつての原爆体験を背に原子力そのものを否定することがさながらある種の理念を実現するようなセンチメンタルな錯覚は結果として己の首を絞めることにもなりかねない

人間の進化進歩は他の動物は及ばない人間のみによるさまざまな技術の開発改良によってもたらされた。
その過程で失敗もありその超克があった。
それは文明の原理で原子力もそれを証すものだ。
そもそも太陽系宇宙にあっては地球を含む生命体は太陽の与える放射線によっても育まれてきたのだ。
それを人為的に活用する術を人間は編み出してきた。
その成果を一度の事故で否定し放棄していいのか、
そうした行為は「人間が進歩することによって文明を築いてきたという近代の考え方を否定するもの
だ。
人間が猿に戻ると言うこと-」と吉本隆明氏も指摘している。

人間だけが持つ英知の所産である原子力の活用を一度の事故で否定するのは、
一見理念的なことに見えるが実はひ弱なセンチメントに駆られた野蛮な行為でしかありはしない。

日本と並んで原子力の活用で他に抜きんじているフランスと比べれば、
世界最大の火山脈の上にあるというどの国に比べてももろく危険な日本の国土の地勢学的条件を斟酌せずにことを進めてきた原発当事者たちの杜撰(ずさん)さこそが欠陥であって、
それをもって原子力そのものを否定してしまうのは無知に近い野蛮なものでしかありはしない。

豊かな生活を支えるエネルギー量に関する確たる計量も代案もなしに、
人知の所産を頭から否定してかかる姿勢は社会全体にとって危険なものでしかない




石原さんよ、
あんたと直接話す事はあるまい。
けれども、今までにも何度も、あんたの極端な言い草は聞いてきた。

わたしらは、核物質を使て電気を作ることを、どんなけ安全なとこに建てられてる発電所でも、もうやめとこうなって思う。
なんでか?
その建物から絶えず漏れてる放射性物質に、殺されてる人らがいるからや。
その建物で働いてる人が、まともな人生を送れへんからや。
人権の損害も甚だしいものやからや。
たかが電気を作るために。

太陽が与える放射線を人為的に活用してるってか?
頭が放射能でいかれてしもたんか?
自然からの放射能と全く別モンやってことぐらいは知ってると思たけど、
やっぱりそんなことも知らんと新聞紙に投稿してるんや。笑えるな。

脱原発を目指すことが、無知で野蛮で、ストーカーに相当する罪を犯す衝動的なセンチメンタリストで、
カルトの信者もどきで、魔女狩りにも相当する狂気にかられてて、猿に戻るようなもんやってか。

あんたの言うてる豊かな生活って、いったいなんやねん?
物が有り余ってて、電気が使い放題で、食べもんに、空気に、水に、放射能がまんべんなく混ざってて、
ちっちゃい子供までもが恐い恐いと思いながら生きる生活かいな?

あんたの年になったらなかなか出てこんやろけど、もう健康を害されてしもてる人がぎょうさん出てきてるねん。
これはセンチメントでもなんでもない、ただの現実やねん。
あんたこそ、原子力センチメントにすっかり囲われてしもてるやん、みっともない。
その、あんたのだぁ~い好きな原子力が出すクソをどないして管理するんか、現実的な案っちゅうのを聞かせて下さいな。 
お迎えが近い爺さんの、無責任極まりない戯言なんか、ほんま意味あらへんし。
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京都市民のみなさん、投票所に行ってください!はがきがなくてもできますよ!

2012年02月05日 | 日本とわたし
中村氏の選挙公約です。

被災地とともに「脱原発宣言自治体会議」の結成を提唱します。
福島を孤立させないためにも、「脱原発」の国づくりの先頭に京都市がたちます。


京都を、「脱原発」の国づくりの先頭に立たせたって!

あの時、私達の手で投票したんやなあと、にっこり笑て思い出せるように。

電子投票する際には、なんかちょっと誤摩化しがあるみたいやから、ようよう注意して。

行ってらっしゃい!
ほんで、日本を助けたって!

これが、わたしら庶民にできる意思表示。
選挙に落ちるのが、なによりも恐い政治家どもに、みんなの意思を突きつけたれ!
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やわらかであれ!しなやかであれ!

2012年02月04日 | 日本とわたし
目に見えるもの、目に見えないもの。
形があるもの、形がないもの。

気功や道教を学んでいると、このことについて考えることが増える。

人には、身体という、目に見えるものある。
そして、心という、目に見えないものがある。

どちらも存在しているし、存在していないともいえる。

この世に生きているけれど、生きていないかもしれない。

そんな、定かではない、あやふやなものごとを思う時は、やわらかさが役に立つ。

やわらかであれ。
しなやかであれ。

乾いたり、硬くなったり、固まったりすると、そこには痛みが発生し、死がまとわりつく。

人の身体も心も、乾いたり硬くなったり固まったりすると、痛みが生じ、時には死に至る。

座位で1時間、瞑想をした後、車座になって道教を学ぶ。
持ち寄る本はそれぞれ違う。
みな、英語で書かれていて、本によって翻訳の仕方も違っているので、読み比べるのも楽しい。
わたしのは、旦那から借りている本。


中はこんなふうに、右側に漢詩と英文、左側に白黒の美しい自然の写真が載っている。


やわらかであれ。

闘いもまた、やわらかさを保つことが勝利へとつながる。

漢詩を英訳したそれぞれの文章を読み聞きしながら、わたしは日本のことを考えていた。

たったひとりでだけども、なんの役にも立てていないのだけども、
それでも毎日、毎晩、なにかと闘っているつもりでいるので、
いったいこのやわらかさとは、今のわたしにとって何を意味するのだろう、などとブツブツ考えていた。

すると、隣に座っていたダイアンが、
「ステレオタイプのようなことは言いたくないのだけれど、でも、往々にして、年をとると凝り固まる人が多いよね」と言った。
「でもそれは、日に日に近づいてくる死への恐怖が、心の奥底にあるのかもしれない。
だから年をとるとともに、身体も心も、少しずつ硬くなってしまって、動きがとりにくくなるのかも。
そんな人ばかりではないと思うけど、恐れっていう感情は人を混乱させて思わぬ行動をとらせたり、全く身動きできなくさせたりするのよね」

恐れ。

その言葉を聞いた時、目の前にパッと、5才の女の子が書いた『ほうしゃのうこわい』という字が思い浮かんだ。

「今日本では、たった5才の子が、『放射能が恐い』という言葉を、たどたどしい字で書いています。
幼児さえも、自分が食べている物に、なにか恐ろしい物が混ぜられているという思いを隠して、出された物を食べています。
今や、政府や役人達の思惑で、全国に拡げられてしまった放射能汚染は、大勢の人達の心に恐怖を植え付けてしまいました」

いつもは言わないように気をつけている、日本の現状の話を、一言言い始めてしまったら止まらなくなってしまった。
皆は黙って、けれども、とても悲しい目をして聞いてくれた。
冷静に話しているつもりだったけれど、涙がこみ上げてきて、こぼれてしまわないように堪えるのがやっとだった。
泣きたくなかった。
泣いてもどうにもならないのだから。

すると、イスラエルから移民でやってきた、講師のミリアムが言った。
「まうみはひとりなのよね。
わたしにはその、ひとりの感じがよくわかる。
そしてひとりで、どうにもならない大きな流れに巻き込まれて痛々しい姿をさらけ出している祖国を思いながら、なにも力になれないことに失望する気持ちも。
だからといって、祖国に戻ってもまた、もうそこの人間ではないという孤独感がいつもつきまとうことも。
まうみはここにいるの?それとも日本にいるの?
そうよね、どちらにもいるのよね。
そして、どちらにもいない。
でも、それを恐れてはいけないの。
ふたつの世界に身を置いたことを、そういう運命をもったことを、幸せだと思って欲しい。
まうみはひとりで、日本を思って、何かを伝えたくて、毎日毎日考えている。
わたしも以前はそうだった。
祖国イスラエルのことを憂いて憂いて、一日中心が波だっていた。
けれども、気功と道教を学んでいるうちに、これではいけないことに気がついたの。
まうみは間違ったことをしていない。
ただ、恐がってはだめ。
最近、腰が痛いと言っているのは、あなたの心に恐怖が場所を取り過ぎていて、それが腎臓に影響しているのだと思う。
日本のことでいろんな資料を調べてるうちに、恐くなることが多いのなら、一日に1時間以上取り組まないようにしなさい。
それ以上はだめ。
正しくても過ぎてはだめ。これは先日学んだでしょ?
日本の運命は日本で今生きている人達にしか変えられない。
だから、なんとかしたいと頑張っている人がいる。
その人達を支えてあげましょう。
わたし達の祈りと気を送りましょう」

皆で祈りの気を送った。
これからもずっと、メンバーは個々に送り続けると言ってくれた。
 
わたし達は仲間だもの。

そう言って抱きしめられているうちに、また泣きそうになって困った。
「どうせまうみは、自分は泣かないとか決めてるんでしょ?でもね、そういう人こそ、たまにはわーんと泣かないとだめなのよ」
ダイアンが、わたしの背中をポンポンと叩きながら言った。

やわらかであれ。
しなやかであれ。

日本のみんな、今回の闘いだけは、負けるわけにはいかないからね。
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「今年の夏、原発が全部停止したら電気は足りない」はいつものウソ!足ります!

2012年02月03日 | 日本とわたし
 
 
ざまあみやがれいブログの記事『今年の夏、全原発停止でも電気は足りる!だが政府試算は「足りない」その理由を徹底追求』に掲載されていたビデオを紹介します。

ビデオをまず観てください。(直接ここに載せる術を知りません。なので文字起こしをしました)
モーニングバード「そもそも総研」より。
去年7月の政府試算によると、原発がすべて停止した場合に、2012年夏の電気は9%足りない、ということになっていたが、実は別の試算があった
公表されなかった電力の試算とは。
菅・前首相の側近だった、前内閣審議官の梶山恵司氏と下村健一氏に聞く。

↓ここからは文字起こしした内容です。

『テレビ朝日「モーニングバード」内コーナー「そもそも総研」
"2012年の夏の電力は足りる!"

『そもそも、原発全停止でも、電気は足りるのだろうか。
去年7月、当時のエネルギー環境会議の議長だった玄葉光一郎氏によって、
原発が全停止すると、2012年の夏の電気は、9%足りないという政府試算が発表されていた。
これが今のところ存在する、唯一の公式な政府の試算。
足りない足りないと新聞も書いている。

ところが、実は、違う試算もあった

その試算をした、元内閣審議官、梶山恵司氏に話を聞く。

Q.この夏を考えた時に、電気は足りるんですか?足りないんですか?原発が全部止まっても。
A.「足ります。
政府が発表した9.2%足りなくなる、という試算なんですけれども、根拠が非常に極端な前提に基づいてのものなんです。
それを再計算し直しますと、大体2%台くらいは、なんとかプラスになるのではないかと。
より楽観的な前提に立てば、プラス6%くらいという結果を、去年の夏くらいに試算しました」



足りないとする試算の内訳
需要  1億7954
供給力 1億6298 
余裕は -1656(-9.2%)

国家戦略室という政府機関には、実はAチームとBチームの二つが存在し、Aは経産省、Bは民間出身の人間で構成されている。

民間出身のチームで計算された二種類(より現実的とやや楽観的)の試算の内訳
需要  1億7076
供給力 1億7558
余裕は 482(2.8%)

需要  1億6822
供給力 1億7828
余裕は 1006(6%)

Q.どういうことがあると、電力が6%余るのと、9%足りないという、違いが出るかということなんですが?
A.「足りないという試算の方は、再生可能エネルギーは,全く想定されていません

Q.ゼロ?
A.「ゼロです」

Q.それから他でいうと、
A.「真夏に定期点検する予定になっている火力発電所があったり(なんでわざわざ真夏に定期点検?!)、
これは計上できるだろうと。これが320万キロワットです」

Q.本当にピークというのはせいぜい2週間くらいの範囲だと思いますけど、わざわざその2週間に定期点検をもってきているということですか、このシナリオは?
A.「まあその、データ上ではそういうふうになっています。わざとかどうかは知りませんけれども」

Q.じゃあ、せいぜい1ヵ月ずらせば済むことだということですよね?
A.「ですからまあ、ここに計上したわけです」

-9.2%という試算は、いろいろ極端な状況をわざわざ設定して出されているようだ。
そこで、項目ごとに詳しく検証していく。



[1] 需要の1億7954と、1億7300の差はどうして出たのか。
・経産省チーム
猛暑だった2010年夏のピークを前提
・民間チーム
昨年夏のピーク時実績(1億5661万キロワット)を元に、もちろん節電の効果もあってのことだが、それでも1億7300で足りるだろうという試算
この時点で、経産省チームと民間チームの間には、878の差が出ている。

[2] 供給力の1億6298と、1億7076の差はどうして出たのか。
・経産省チーム
火力発電の定期点検を、夏のピーク時に行うと設定
・民間チーム
そんな時にわざわざやらなくても、消費が落ち着く時期に行う
この時点で、320の差が出てくる。
さらに、
・経産省チーム
他者からの受電をゼロに、そして自家発電の追加もゼロに設定
・民間チーム
あり。その量144と120
この時点で、584の差が出てくる。
そしてさらに、再生可能エネルギーの供給力において、
経産省チームはゼロ
民間チームは280(太陽発電の分のみ)と設定
政府が認定しているだけで700万キロワット(原発7基以上に相当)ある。

余裕は?
どうも9%足りないという試算は正確ではないようだ。

ではなぜ、公表しなかったのか。

内閣官房審議官 下村健一氏へのインタビューより。

Q.去年の夏の段階で(2012年の夏の電力が)6%余るという試算もあったというのが、今になってでてきている。
これはどういうことなんだということなんですけれども、なんなんですか?
A.「その試算、僕も見ました、当時」

Q.見てるんですか?
A.「見ました、はい。
だけど、政府っていうのは、基本的にまず、調査機関ではないから、やった試算を全部そのままホイホイと出すわけではないわけですよ」

Q.ただあの時、菅政権の時にですよ、やっぱり脱原発という方向に舵を切って、世論の中では菅さんのバッシングがすごかったわけで、
試算をしたら、来年の夏でも電力は足ります、というのを出せば、プラスにこそなれ、マイナスにはならなかったと思うんですよ。
菅さんとしては、6%余裕という方を出した方が、自分のためになったはずですよね?
A.「それはそうですよね。
だけど、そこが本当に政権の責任というもので、威勢よくただ、脱原発を旗を振るだけだったら、この案が出た瞬間に『しめた!よし発表だ!』でしょ?
だけどやっぱり菅さんとしては、政府として本当に脱原発を進めたかったから、だったら責任を持つ形になるまでは出させないね、『本当に出したいね、でも出せない』という気持ちだった
わけですよ。
つまり、これで出した後で、例えばこの点、理論的に弱いじゃないかと突っつかれたり、
またこの6%の余裕が、結果的にそんなになかったみたいな話になったりしたら、
逆に、必要以上に、脱原発の流れに対する不信が生まれるじゃないですか。
やっぱり国民としては、脱原発も望みかもしれないけれども、電力供給を絶対に不安定にしないでほしいというのも望みだから、
一方の電力供給の方に不安をもし与えちゃったら、脱原発の流れ自体にブワッと影響します
よね。
それは出来ない。
絶対に、確かな一歩一歩で、山に登っていかなきゃいけない。
そのためには今は出せない。そういう苦渋の判断だったんですよね」

梶山氏
「楽観シナリオ、中間シナリオという形で、第二弾として、もう少しわかりやすく発表するとか、そういうことも考えられると思うんですけど、
そもそも菅総理が退陣されて、我々としてもそこで役目が終わりましたので、結局そこで、我々の検討は終わったということです」

足りない、という話は言いやすい。
足りないけど足りたっていうのは問題無いけれども、足りる、と言って実際足りなかったら大変なことになる。
ということで、足りるという試算を確実に証明するためにいろいろやっているうちに、政権が終わってしまった。
その後、その試算は闇に葬られたままで、再生可能エネルギーの件に関しても全く無視されたまま
である。

では、足りるという方向で考えた時、電気代はどうなるか?

Q.電気の料金というのは、本当に10%上がらないとダメなのかどうか、ということなんですが?
A.「燃料代がそのうちどれくらいなのかと。そして今回の原発事故の関係費用、これも含まれているのかいないのか。
それも全然わからないわけです。
それと、今回の件は、どこまでが電力会社の責任かというのも、明確ではないわけです。
そうであれば、われわれが本当に負担する義務があるのかですね、そういう倫理的な問題も全く議論されていないわけですね。
それで一方的に10%上げますと通告してくるのは、独占企業でなければできない話
ですね」

Q.総括原価方式ということで、高い燃料を買ってきても、それに利益を乗っけて、電気料金ですよ、というのが今までできてわけですよね。
普通だったら、競争があれば、燃料を安く仕入れようとしますよね。
これを例えば、総括原価方式をやめると、電気代はどれくらい下がるのか、というのはわかりますか?
A.そもそも、いまだに総括原価方式を続けていられること自体が驚きですよね。
これだけのことが起きて、国民のみなさん方に相当な無理を言わなければならない。
福島の人達は、想像を絶する苦労をしているわけですよね。
そうした中で、あたかも3.11が無かったかのごとく、原発の再稼働を無理にさせようとしたり、
電気料金の値上げとか、電力不足をあおったり、そういう全体の仕組みをまずきちんとやっていかない限り、
夏に10%値上げというのは、普通だったらとても理解し得ないものだ
と思います」


では、発送電一体と、総括原価方式をやめたら、電気代は何%下がるのか?
環境エネルギー政策研究所の飯田哲也所長からの返答は、30%

電気料金以外で、総括原価方式を取り入れている事業は何か?
水道、ガス、電車である。
飛行機と電話は、2000年までは総括原価方式であった。
この方式は、まだまだ見直す所はあると思われ、料金も下がる可能性も多々あるが、安定供給ということに関しては効果がある。

とにかく、この夏は、原発が全部停止しても、電気は足りる
このことは確かなのである』
コメント (2)
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