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山田宏一『映画の夢、夢のスター』

2011-06-10 06:12:00 | ノンジャンル
 山田宏一さんの'10年作品『映画の夢、夢のスター』を読みました。前書きの部分から引用すると、「あくまでも映画を映画的に、映画の言葉で思考し、語ることをめざして」試みられたスター論であり、あとがきから引用すると、その元となったものは、「映画がビデオで見られる時代になって『よみがえる世界のスターたち』を『毎日新聞』日曜版に紹介・連載したのがきっかけとなり、次いで青山学院大学における『映像文化論』講義と学習院大学院における『身体表象文化としての映画誌』講座のために毎週1時間半から2時間分の講義ノートとして準備したもの」なのだそうです。
 取り上げられているスターは、ダグラス・フェアバンクス、ルドルフ・ヴァレンチノ、ロナルド・コールマン、ゲーリー・クーパー、クラーク・ゲーブル、ケーリー・グラント、エロール・フリン、ジェームズ・キャグニー、ジョージ・ラフト、ヘンリー・フォンダ、ジェームズ・スチュアート、ジャン・ギャバン、リリアン・ギッシュ、グレタ・ガルボ、クララ・ボウ、ルイズ・ブルックス、マレーネ・ディートリッヒ、ツァラー・レアンダー、ジーン・アーサー、キャロル・ロンバート、ジョーン・クロフォード、ベティ・デイヴィス、バーバラ・スタンウィック、キャサリン・ヘプバーン。また巻末に、映画において映画スターがいかにして生まれてきたかについての歴史的考察が書かれています。実際に映画史を自らの人生として生きてきた著者の記憶の生々しさには、今回ももう圧倒されるしかなく、例えば、ゲーリー・クーパーについて述べる以下の文章「ルーベン・マムーリアン監督『市街』(1931)の「悪く思うなよ」という名せりふとともにわすれがたい粋な若いギャング、キング・ヴィダー監督『結婚の夜』(1935)の静かで知的な心やさしい小説家、フランク・キャプラ監督『オペラ・ハット』(1936)のチューバと消防自動車の大好きな田舎出のやんちゃな青年、アーチー・メイヨ監督『マルコ・ポーロの冒険』(1938)のさわやかだがたくましい征服者、H・C・ポッター監督『牧童と貴婦人』(1938)の一途で純真なカウボーイ、ヘンリー・ハサウェイ監督『暁の討伐隊』(1939)の戦う軍医、ウィリアム・ワイラー監督『西部の男』(1940)の正義をつらぬく頭脳的な流れ者、ハワード・ホークス監督『ヨーク軍曹』(1941)の素朴なヒーローぶりと『教授と美女』(1941)の礼儀正しい不器用さ、サム・ウッド監督『打撃王』(1942)の実直な非運の野球選手、原作者のアーネスト・ヘミングウェイがゲーリー・クーパーをイメージして書いたとすらいわれた『誰が為に鐘は鳴る』(サム・ウッド監督、1943)の戦士、レオ・マッケリー監督『善人サム』(1948)の題名どおりの善人ぶり、等等、文句なしにさわやかで心地よく人なつっこい、飄々たる愛すべき姿、どんな役をやっても魅力的だ。」、こうした文章を書くことができる人は世界中で探しても、おそらく数えるほどしかいないでしょう。この文章の後に続く『教授と美女』に関する文章を読んで、確かDVDを持っているはずだと棚を探し出し、結局見つからず、アマゾンで調べると4000円もすると分かりガッカリしたりといった、言及されている映画をどうしても見たいという行動に駆り立てる力を持つ文章という点では、山田さんの右に出る人はいないのではないかとも思えます。1932年から66年まで72本のアメリカ映画に出演したケーリー・グラントが、最もアメリカ的なジャンルである西部劇だけには1本も出ていないとか、「ヘンリー・フォンダの静かで敏捷で優雅な歩きっぷりに匹敵する長く美しい脚と歩きかたが印象的な男優がいるとしたら、『荒野の用心棒』(セルジオ・レオーネ監督、1964)から『ダーティ・ハリー』(ドン・シーゲル監督、1971)に至るクリント・イーストウッドぐらいのものだろう」とか、映画好きには堪らない豆知識や描写にあふれた本でもありました。
 とにかく映画が好きな人は必携の書です。最近の映画しか見たことがなく、もっと映画について知りたいと思っている方にも絶対に買うことをオススメします。

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto