朝日新聞の特集記事「読んで感じる 時代の声」の中で紹介されていた、白取春彦編・訳の'10年作品『超訳 ニーチェの言葉』を読みました。白取さんの書いたまえがきによると「(前略)ニーチェは哲学者だったとはいうものの、いわゆる難解で抽象的な事柄を思索して理論を説いた人ではなかった。彼は当時のキリスト教道徳をあまりにもあの世的だと批判し、この世における真理、善、道徳こそ大事だと強く唱えた。つまり、今生きている人間のための哲学を打ち出したのだった。(中略)その特徴は主に短い警句と断章に発揮されている。本書では、それらの中から現代人のためになるものを選別して編纂した」とのことです。
読んでみて感じた率直な感想は、説教臭く、玉石混交で、今出版されている新書にいかにも書いてありそうな「生きる」うえでのマメ知識集といった本だということでした。説教臭いのは、ニーチェ本人が「断定的にものを言わないと、人を説得できない」と書いているので、そこから来ているのでしょう。命令形や「~すべき」といった文章が圧倒的に多く、著者が最後、正気を失って亡くなってしまったのも判るような気がしました。
それでも、改めて耳を傾ける「べき」言葉も多く、例えば、
1、「活発に活動しているとき、何かに夢中になって打ち込んでいるとき、楽しんでいるとき、反省したり、振り返って考えたりはしない。だから、自分をだめだと思ったり人に対して憎しみを覚えたりしたときは、疲れている証拠だ。そういうときはさっさと自分を休ませなければいけない」(『曙光』より)
2、「自己嫌悪におちいったとき、何もかも面倒でいやになったとき、何をしてもくたびれて仕方ないとき、元気を取り戻すためには何をすべきだろう。(中略)食事をして休んでからたっぷりと眠るのが一番だ。しかも、いつもよりずっと多くだ。(後略)」(『漂泊者とその影』より)
3、「人から信じてもらいたければ、言葉や自己を強調するのではなく、行動で示すしかない。しかも、のっぴきならない状況での真摯な行動のみが、人の信に訴えるのだ」(『漂泊者とその影』より)
4、「自分がどういう者であるか理解したい人は、次のような問いを自分に向け、真摯に答えてみればいい。これまで自分が真実に愛したものは何であったか? (中略)何が自分の心を満たし喜ばせたか? これまでにどういうものに自分は夢中になったか? これらの問いに答えたとき、自分の本質が明らかになるだろう。それがあなた自身だ」(『ショーペンハウアー』より)
5、「(『快楽主義者』と誤解されているエピキュロスがギリシャ時代に)たどりついた頂点が、満足という名の贅沢だった。その贅沢に必要なものは、しかし多くはなかった。すなわち、小さな庭、そこに植わっている数本のイチジクの木。少しばかりのチーズ、三人か四人の友達。これだけで、彼は充分に贅沢に暮らすことができた」(『漂泊者とその影』より)
この調子で書いていくと、30項目近くになってしまうため、この辺で止めておきますが、この本を読んでいた時、疲労で体調を崩していたため、1や2は特に心に響きましたし、5も「清貧」という言葉が好きな私にはうなずけるものでした。これ以降も「無償の愛」「謙虚」「人と付き合うときの程よい距離感」の話が繰り返し出てきて、改めて「今の調子でこれからも生きていっていいんだな~」とちょっと安心させてくれる、そんな本でした。ということで、説教臭い部分をうまく飛ばして読むと、結構楽しく読めるかもしれません。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)
読んでみて感じた率直な感想は、説教臭く、玉石混交で、今出版されている新書にいかにも書いてありそうな「生きる」うえでのマメ知識集といった本だということでした。説教臭いのは、ニーチェ本人が「断定的にものを言わないと、人を説得できない」と書いているので、そこから来ているのでしょう。命令形や「~すべき」といった文章が圧倒的に多く、著者が最後、正気を失って亡くなってしまったのも判るような気がしました。
それでも、改めて耳を傾ける「べき」言葉も多く、例えば、
1、「活発に活動しているとき、何かに夢中になって打ち込んでいるとき、楽しんでいるとき、反省したり、振り返って考えたりはしない。だから、自分をだめだと思ったり人に対して憎しみを覚えたりしたときは、疲れている証拠だ。そういうときはさっさと自分を休ませなければいけない」(『曙光』より)
2、「自己嫌悪におちいったとき、何もかも面倒でいやになったとき、何をしてもくたびれて仕方ないとき、元気を取り戻すためには何をすべきだろう。(中略)食事をして休んでからたっぷりと眠るのが一番だ。しかも、いつもよりずっと多くだ。(後略)」(『漂泊者とその影』より)
3、「人から信じてもらいたければ、言葉や自己を強調するのではなく、行動で示すしかない。しかも、のっぴきならない状況での真摯な行動のみが、人の信に訴えるのだ」(『漂泊者とその影』より)
4、「自分がどういう者であるか理解したい人は、次のような問いを自分に向け、真摯に答えてみればいい。これまで自分が真実に愛したものは何であったか? (中略)何が自分の心を満たし喜ばせたか? これまでにどういうものに自分は夢中になったか? これらの問いに答えたとき、自分の本質が明らかになるだろう。それがあなた自身だ」(『ショーペンハウアー』より)
5、「(『快楽主義者』と誤解されているエピキュロスがギリシャ時代に)たどりついた頂点が、満足という名の贅沢だった。その贅沢に必要なものは、しかし多くはなかった。すなわち、小さな庭、そこに植わっている数本のイチジクの木。少しばかりのチーズ、三人か四人の友達。これだけで、彼は充分に贅沢に暮らすことができた」(『漂泊者とその影』より)
この調子で書いていくと、30項目近くになってしまうため、この辺で止めておきますが、この本を読んでいた時、疲労で体調を崩していたため、1や2は特に心に響きましたし、5も「清貧」という言葉が好きな私にはうなずけるものでした。これ以降も「無償の愛」「謙虚」「人と付き合うときの程よい距離感」の話が繰り返し出てきて、改めて「今の調子でこれからも生きていっていいんだな~」とちょっと安心させてくれる、そんな本でした。ということで、説教臭い部分をうまく飛ばして読むと、結構楽しく読めるかもしれません。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)