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川上未映子『夏の入り口、模様の出口』その2

2011-09-23 09:08:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
 エッセイの具体的な内容については、未映子さんのかわいらしさが特に強く感じられる冒頭のエッセイを、これまた反則技ながらまるごと引用させていただきたいと思います。(抗議をいただければ、即刻削除いたします。)
「生きていればそのときどきに様々な分野の現場に身を置くことになるけれど、これまでの人生を振り返って『ああ、あのころは冴えまくりであったなあ』と遠い目をしながらよくわからない感慨にふける、ということはありませんか。ないですか。
 わたしの冴えはいま現在! と断言できたらいいけれど、そうもいかず、冴えにも色々と種類があるのだけれど、思い起こすのは20代の恋愛におけるこもごもでありました。
 20代は歌の仕事に精を出し、おまけにいつレコード会社から契約を切られるかの満身創痍で頑張ってはいたのだけれども、いまにくらべると時間は余るほどあったわけで、その余剰に滲みでてくるのはわたしの場合、恋愛にかんする情念であったのだ。
 10代の半ばから10年近く交際していた恋人がいて、期間もそれだけ長くなればスローガンを掲げなくても人間はやはり生まれもっての個人主義、秘密や内緒が芽生えるわけです。
 そしてわたしの場合は『なんか怪しい』とぼやっと思うわけでもなく、真夜中などに突然『あ! 他の女の人と接触してる! ピッコン!』と閃いて布団を蹴りあげるという衝動的な『正しさ』がやってきて、そこから怒濤の追及が始まるのであった。
 しかしこれは単なる閃き、いいとこ啓示でしかないのだから証拠はなにもない状態。持久戦にもつれこみ『ほんまのこと言って』『なんもない』の繰り返し。しかし負けじと毎日6時間くらい『あのこと、わたしはもう知ってるから』『せめて本人の口から聞きたい』といった脅迫と懇願を叩きこむ。まるで恐山のイタコのようなトーンで会っても電話でも『ほんまのことを‥‥ほんまのことを‥‥』と明け暮れ延々やってると相手のひるむ瞬間が必ずあるので、間髪を容れず『内容はもうどうでもいいねん‥‥正直に言ってさえくれたらいい』と柔らかめに促すとそのころにはほとんどグロッキーな相手は『じつは‥‥』とうなだれて自供を始めるのが常であった。
 このようにしてわたしはまるで特高か土の手触りだけで水脈を当てる井戸掘り職人のように数々の不義理を検挙してきたのであり、それは一度として外れたことがないのだった。
 しかし例の『ピッコン!』は当のわたしでさえまったく根拠を知らぬわけで、あのピッコンていったいなんであるのだろう。
 勘というには突然すぎるし相手の女性問題に限られる点で具体的。第六感とかそんなドリーミイなものでもない。もちろん日常における相手のふるまいの集積から何気に生まれる予見ではあるのだろうけれど、なんでか知らん『わかってしまう』。
 恋愛におけるピッコン! は百発百中であり(百発もないけど)あのころわたしは冴えまくりであったよな、と半ば寒々しい気持ちで思い返すのであった。
 今般流行の霊視とかヒーリングには縁がないし信じてないけれど、あのピッコン! を本気で磨きあげたらけっこう、そういうことになるんでないの、と思わなくもなかったり。
 そういえば『気がみえる』までは言わなくても顔を見るだけで『調子が良さそう』なんてことは普通に言うしね。前世や先祖もそんなピッコン! の延長で見えるのか知らん。
 できる限り世界には客観性をもって臨みたいけど『わかってしまう』のあの不思議。無根拠ゆえの絶望感。なむー。」(またまた明日に続きます‥‥)

→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/