また昨日の続きです。
『シャンデリア』
そういうのって楽しいんですかね、と聞かれることがたまにある。(中略)わたしが毎日のようにデパートへ出かけていってそこで一日を過ごしているなんていうどうでもいい話は、完全に消えてしまうのだ。(中略)化粧売り場をチェックするとエスカレーターで四階まで上がり、ハイジュエリーを眺める。(中略)にっこり笑ってわたしはティファニーをあとにする。エスカレーターで七階に上がってレストランのフロアへ行って鮨屋に入る。(中略)食後のお茶が運ばれてきて、わたしはバッグからスマートフォンを取りだしてツイッターをチェックする。フォローしているのは匿名の若い女の子たちだ。わたしよりも十五歳も二十歳もわかい彼女たちは容姿のことしか呟かない。(中略)四階に降りて、シャネルに入る。左手に並んだ時計を眺めて、右手に並んだ財布や小さなバッグを眺める。(中略)シャネルを出て向かいのヴァレンティノに入る。(中略)ちょっと前にヒールを一足買っただけなのによく覚えているなと思いながらほかの洋服を眺める。時計を見ると午後二時すぎだった。もう四時間が経った、とかまだ四時間しか経ってない、とか、わたしは時間についてもうそんなふうに考えないようにしているから、自分が今、一日のどのあたりにいるのかについても考えない。(中略)
最初に大金が入ったのは三年前の夏だ。著作権管理代行会社を名乗るところから電話がかかってきて、わたし宛に印税が振り込まれると説明された。(中略)いやにまっすぐな感じのする口調で、三千六百二十五万円ですとくりかえした。(中略)母親が死んだとき、通帳には六十五万円しか入ってなかった。(中略)母親が死んだ本当の理由はわからない。父が出ていってからはずっとふたりで暮らしていたけど、私が二十歳になってすぐの頃に母親も家を出て、べつの男と一緒になった。(中略)でもその二十数年後、ろくな死にかたをしなかったのはその男ではなくて自分の母親のほうで、ひとり暮らしの部屋で心肺停止の状態で発見されたそうだ。(中略)裁判をするとかしないとか、娘にはこれ以上迷惑をかけたくないから何があっても連絡しないでくれって言われたんだけど、そういうわけにもいかないし、そんなようなことをその男は言って、わたしはそのまま電話を切った。(中略)二十代の頃の数年間、わたしは音楽制作事務所で働いていたことがあって、そのときに友人からちょっとした頼まれ仕事をしたことがあったのだ。それはその友人が勤める会社が当時開発しようとしていたダイエットマシーンに内蔵するメロディーを作って欲しいというものだった。(中略)あんまり予算をかけられないから、買い取りじゃなくて印税というかたちでお願いしたいんだけど、と彼女はすまなそうに言った。(中略)そして、とくにこれといった理由もなくわたしはその事務所を辞めて、派遣の仕事を転々とし、その仕事のことはもちろん、友人のことすらすっかり忘れてしまっていた。こんなことでもなかったら思いだすことなんてぜったいになかったそのマシーンは十何年かをかけて、地道に、色んな国でヒットしたらしい。(中略)六十五万円しかなかったわたしの貯金通帳の数字は定期的に増えつづけた。(中略)
ドルチェ&ガッバーナに入る。(中略)じゃあ、このブラウスとマーメイドのスカート、そう、ベロアのほうのをいただけますか。承知しました。ご用意いたしますので、こちらでお待ちいただけますか。わたしは巨大なソファに案内されて腰を下ろす。向かいのソファには、老婆が座っていた。(中略)しかし着ているものが素晴らしかった。(中略)たぶん店員がすすめるルックをまるごと買ってそのまま着ているんだろう。わたしは頭のなかで老婆の首からうえを消去して着こなしだけを眺めることにした。(中略)本当の金持ちなのだろう。(中略)脇には大きな紙袋が三つ置かれてあった。店で買い物をしてるということは、そんなでもないのかも。まとまった金を落とす重要な顧客には個室が用意されていて、数人の担当者がその客の指示に従って、あるいは好みのものを持ってくるようになっている。(中略)そんなことを考えていたら老婆と目が合った。わたしはにっこりと微笑んだ。そしてまったく感に堪えないといいう表情で、ため息をもらしながら、素晴らしいですね、と呟くように声をかけた。「わたしが?」「はい……もう、さっきから拝見していて、もう本当に素晴らしいなって」「いやだ、そんな」(中略)「ユキムラさま、とおっしゃるんですか。お名前も素敵」「まあ。幸福の幸に、村なの」(中略)「いつもここでお買い物されるんですか?」「ええ、ここには何でもあるから。あちこち行かなくてもいいでしょ」(また明日へ続きます……)
→サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
『シャンデリア』
そういうのって楽しいんですかね、と聞かれることがたまにある。(中略)わたしが毎日のようにデパートへ出かけていってそこで一日を過ごしているなんていうどうでもいい話は、完全に消えてしまうのだ。(中略)化粧売り場をチェックするとエスカレーターで四階まで上がり、ハイジュエリーを眺める。(中略)にっこり笑ってわたしはティファニーをあとにする。エスカレーターで七階に上がってレストランのフロアへ行って鮨屋に入る。(中略)食後のお茶が運ばれてきて、わたしはバッグからスマートフォンを取りだしてツイッターをチェックする。フォローしているのは匿名の若い女の子たちだ。わたしよりも十五歳も二十歳もわかい彼女たちは容姿のことしか呟かない。(中略)四階に降りて、シャネルに入る。左手に並んだ時計を眺めて、右手に並んだ財布や小さなバッグを眺める。(中略)シャネルを出て向かいのヴァレンティノに入る。(中略)ちょっと前にヒールを一足買っただけなのによく覚えているなと思いながらほかの洋服を眺める。時計を見ると午後二時すぎだった。もう四時間が経った、とかまだ四時間しか経ってない、とか、わたしは時間についてもうそんなふうに考えないようにしているから、自分が今、一日のどのあたりにいるのかについても考えない。(中略)
最初に大金が入ったのは三年前の夏だ。著作権管理代行会社を名乗るところから電話がかかってきて、わたし宛に印税が振り込まれると説明された。(中略)いやにまっすぐな感じのする口調で、三千六百二十五万円ですとくりかえした。(中略)母親が死んだとき、通帳には六十五万円しか入ってなかった。(中略)母親が死んだ本当の理由はわからない。父が出ていってからはずっとふたりで暮らしていたけど、私が二十歳になってすぐの頃に母親も家を出て、べつの男と一緒になった。(中略)でもその二十数年後、ろくな死にかたをしなかったのはその男ではなくて自分の母親のほうで、ひとり暮らしの部屋で心肺停止の状態で発見されたそうだ。(中略)裁判をするとかしないとか、娘にはこれ以上迷惑をかけたくないから何があっても連絡しないでくれって言われたんだけど、そういうわけにもいかないし、そんなようなことをその男は言って、わたしはそのまま電話を切った。(中略)二十代の頃の数年間、わたしは音楽制作事務所で働いていたことがあって、そのときに友人からちょっとした頼まれ仕事をしたことがあったのだ。それはその友人が勤める会社が当時開発しようとしていたダイエットマシーンに内蔵するメロディーを作って欲しいというものだった。(中略)あんまり予算をかけられないから、買い取りじゃなくて印税というかたちでお願いしたいんだけど、と彼女はすまなそうに言った。(中略)そして、とくにこれといった理由もなくわたしはその事務所を辞めて、派遣の仕事を転々とし、その仕事のことはもちろん、友人のことすらすっかり忘れてしまっていた。こんなことでもなかったら思いだすことなんてぜったいになかったそのマシーンは十何年かをかけて、地道に、色んな国でヒットしたらしい。(中略)六十五万円しかなかったわたしの貯金通帳の数字は定期的に増えつづけた。(中略)
ドルチェ&ガッバーナに入る。(中略)じゃあ、このブラウスとマーメイドのスカート、そう、ベロアのほうのをいただけますか。承知しました。ご用意いたしますので、こちらでお待ちいただけますか。わたしは巨大なソファに案内されて腰を下ろす。向かいのソファには、老婆が座っていた。(中略)しかし着ているものが素晴らしかった。(中略)たぶん店員がすすめるルックをまるごと買ってそのまま着ているんだろう。わたしは頭のなかで老婆の首からうえを消去して着こなしだけを眺めることにした。(中略)本当の金持ちなのだろう。(中略)脇には大きな紙袋が三つ置かれてあった。店で買い物をしてるということは、そんなでもないのかも。まとまった金を落とす重要な顧客には個室が用意されていて、数人の担当者がその客の指示に従って、あるいは好みのものを持ってくるようになっている。(中略)そんなことを考えていたら老婆と目が合った。わたしはにっこりと微笑んだ。そしてまったく感に堪えないといいう表情で、ため息をもらしながら、素晴らしいですね、と呟くように声をかけた。「わたしが?」「はい……もう、さっきから拝見していて、もう本当に素晴らしいなって」「いやだ、そんな」(中略)「ユキムラさま、とおっしゃるんですか。お名前も素敵」「まあ。幸福の幸に、村なの」(中略)「いつもここでお買い物されるんですか?」「ええ、ここには何でもあるから。あちこち行かなくてもいいでしょ」(また明日へ続きます……)
→サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)