先日、フランシス・レイさんが亡くなりました。享年86歳。天寿を全うしか形なのでしょう。私が彼の音楽で強烈に覚えているのは、クロード・ルルーシュ&フランソワ・レシャンバック監督の1968年作品『白い恋人たち』を中学生の時にテレビで見た時の記憶で、「何てすばらしい音楽で、何とすばらしい映画なのだろう!」と一人で感激したことです。その後も何回も『白い恋人たち』はテレビで見ましたが、映画自体からは初回見たときほどの感動は得られなかったものの、音楽はやはり美しい、特にメインテーマの作曲、編曲が素晴らしいと思いました。
先日来日したミシェル・ルグランはフランシス・レイと1歳違いの85歳ですが、声は枯れていたものの、ピアノは現役バリバリで、その元気さには舌を巻きました。やはり仲間に囲まれて過ごしている人はいつまでも元気でいられるのかな、などと思いました。
さて、先日、NHKのBSプレミアムで、加藤泰監督、伊福部昭音楽の1960年作品『炎の城』を見ました。
「今から四百年近く以前━━瀬戸内海の沿岸に━━」の字幕。武士を乗せた2騎の馬が早掛けで走っていく。やがて城に着くと、その武士たちは、正人(まさと・大川橋蔵)が1年半ぶりに明(みん)から帰ってきたことを告げる。彼は平和を愛する父・藩主の意思のもと、新しい知識を得るため、明へ渡っていたのだった。
が、正人が不在だった間に、父は謎の死を遂げ、代わってその弟の師景(大河内伝次郎)が藩主となり、正人の母(高峰三枝子)と再婚していた。正人は父の死の謎を解くため、わざと狂人のふりをして師景らの前に現われ、婚約者である雪野(三田佳子)の前でもその態度を崩そうとしない。
一方、師景は藩主が変わったことを理由に新たに田畑の測り直しをし、年貢を以前より厳しく取り立てると発表し、農民たちの怒りを買う。無実の者が次々と逮捕され、道端で折檻される。それを見た師景は「手ぬるい。どんどん捕まえてどんどん殺せ」と命じ、実際に大量の公開処刑が実行される。農民たちは師景に対し一揆を起こすことにし、正人は彼らの味方として迎えられ、一揆の際には農民側で戦うことを約束する。
やがて父の死の原因が師景による毒殺だと知った正人は、その証拠を得るため、主人をその弟と妻が共謀して殺すという内容の能を皆の前で演じさせ、師景を怒らせ、母を取り乱させ、自分の得た知識が正しかったことを確信する。
雪野は正人の正気を信じて正人に話しかけるが、父の仇を取ることで頭が一杯な正人は雪野を相手にしない。絶望した雪野は海の深みへと身を進めていく。
正人は改めて母と話をし、母が無理やり師景から犯されたことを知るが、その時屏風の後ろにいた者を師景と思って槍で刺すと、それは雪野の父であった。
雪野の兄は正人を父の敵としたい旨を師景に伝えると、師景は試合の前に正人に毒入りの酒を飲ませ、雪野の兄の刀にも猛毒を塗って、正人を殺す算段をする。
そして師景らが見守る中、正人と雪野の兄との戦いが始まる。出された酒を正人が飲もうとすると、正人の母は「それは毒が入っているから飲んではいけない」と言い、正人は酒をこぼし、皿を落として割る。そして試合が始まるが、雪野の兄の刀が飛ばされて柱に刺さってしまい、正人は自分の刀を雪野の兄に投げてやり、正人は兄の刀を柱から引き抜いて使うようになる。雪野の兄を倒し、その後は師景の部下たち大勢から鉄砲の一斉攻撃を受けた正人をかばおうと、駆け寄った母は正人に替わって銃弾を浴びる。その後も戸口から出たところを矢の一斉攻撃を受け、 「卑怯だぞ」と叫ぶ正人。結局、師景を倒すことなく正人は倒れる。
ちょうどその時、一揆が始まる。正人を囲んでいた者たちはみな城を守るためにその場からいなくなり、城の門は閉められる。
無数の松明がたかれ、それが門を閉じた城の中に投げ入れられる。壁の上から一斉射撃してくる射撃隊は竹ヤリでやっつけ、先に鎌のついた縄を壁の上へ投げ入れて、その縄をつたって城内に入っていく。やがて門が開かれると、白兵戦となり、農民たちは武士たちを圧倒していく。一方、正人は意識が戻り、自分が一人になっていることに気付くと、師景がいるであろう楼閣を登ってゆく。果たしてそこにいた師景は最上段まで上がっていき、部下は次々と正人に倒され、最後には師景も正人の一太刀を頭に受ける。
翌朝、黒焦げとなった城跡を両肩を担がれて正人が歩いていく。すると向こうから海で遺体で発見された雪野が戸板に乗せられてやってくる。「お前だけは死なせたくなかった」という正人。正人が雪野の顔に自分の顔を寄せるショットで映画は終わる。
既にローアングルのショットが多く、ワンシーンワンカットも多用されていました。伊福部昭の音楽は1960年の元祖『ゴジラ』とまったく同じメロディーが一部使われていたことも付け加えておこうと思います。
→サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
先日来日したミシェル・ルグランはフランシス・レイと1歳違いの85歳ですが、声は枯れていたものの、ピアノは現役バリバリで、その元気さには舌を巻きました。やはり仲間に囲まれて過ごしている人はいつまでも元気でいられるのかな、などと思いました。
さて、先日、NHKのBSプレミアムで、加藤泰監督、伊福部昭音楽の1960年作品『炎の城』を見ました。
「今から四百年近く以前━━瀬戸内海の沿岸に━━」の字幕。武士を乗せた2騎の馬が早掛けで走っていく。やがて城に着くと、その武士たちは、正人(まさと・大川橋蔵)が1年半ぶりに明(みん)から帰ってきたことを告げる。彼は平和を愛する父・藩主の意思のもと、新しい知識を得るため、明へ渡っていたのだった。
が、正人が不在だった間に、父は謎の死を遂げ、代わってその弟の師景(大河内伝次郎)が藩主となり、正人の母(高峰三枝子)と再婚していた。正人は父の死の謎を解くため、わざと狂人のふりをして師景らの前に現われ、婚約者である雪野(三田佳子)の前でもその態度を崩そうとしない。
一方、師景は藩主が変わったことを理由に新たに田畑の測り直しをし、年貢を以前より厳しく取り立てると発表し、農民たちの怒りを買う。無実の者が次々と逮捕され、道端で折檻される。それを見た師景は「手ぬるい。どんどん捕まえてどんどん殺せ」と命じ、実際に大量の公開処刑が実行される。農民たちは師景に対し一揆を起こすことにし、正人は彼らの味方として迎えられ、一揆の際には農民側で戦うことを約束する。
やがて父の死の原因が師景による毒殺だと知った正人は、その証拠を得るため、主人をその弟と妻が共謀して殺すという内容の能を皆の前で演じさせ、師景を怒らせ、母を取り乱させ、自分の得た知識が正しかったことを確信する。
雪野は正人の正気を信じて正人に話しかけるが、父の仇を取ることで頭が一杯な正人は雪野を相手にしない。絶望した雪野は海の深みへと身を進めていく。
正人は改めて母と話をし、母が無理やり師景から犯されたことを知るが、その時屏風の後ろにいた者を師景と思って槍で刺すと、それは雪野の父であった。
雪野の兄は正人を父の敵としたい旨を師景に伝えると、師景は試合の前に正人に毒入りの酒を飲ませ、雪野の兄の刀にも猛毒を塗って、正人を殺す算段をする。
そして師景らが見守る中、正人と雪野の兄との戦いが始まる。出された酒を正人が飲もうとすると、正人の母は「それは毒が入っているから飲んではいけない」と言い、正人は酒をこぼし、皿を落として割る。そして試合が始まるが、雪野の兄の刀が飛ばされて柱に刺さってしまい、正人は自分の刀を雪野の兄に投げてやり、正人は兄の刀を柱から引き抜いて使うようになる。雪野の兄を倒し、その後は師景の部下たち大勢から鉄砲の一斉攻撃を受けた正人をかばおうと、駆け寄った母は正人に替わって銃弾を浴びる。その後も戸口から出たところを矢の一斉攻撃を受け、 「卑怯だぞ」と叫ぶ正人。結局、師景を倒すことなく正人は倒れる。
ちょうどその時、一揆が始まる。正人を囲んでいた者たちはみな城を守るためにその場からいなくなり、城の門は閉められる。
無数の松明がたかれ、それが門を閉じた城の中に投げ入れられる。壁の上から一斉射撃してくる射撃隊は竹ヤリでやっつけ、先に鎌のついた縄を壁の上へ投げ入れて、その縄をつたって城内に入っていく。やがて門が開かれると、白兵戦となり、農民たちは武士たちを圧倒していく。一方、正人は意識が戻り、自分が一人になっていることに気付くと、師景がいるであろう楼閣を登ってゆく。果たしてそこにいた師景は最上段まで上がっていき、部下は次々と正人に倒され、最後には師景も正人の一太刀を頭に受ける。
翌朝、黒焦げとなった城跡を両肩を担がれて正人が歩いていく。すると向こうから海で遺体で発見された雪野が戸板に乗せられてやってくる。「お前だけは死なせたくなかった」という正人。正人が雪野の顔に自分の顔を寄せるショットで映画は終わる。
既にローアングルのショットが多く、ワンシーンワンカットも多用されていました。伊福部昭の音楽は1960年の元祖『ゴジラ』とまったく同じメロディーが一部使われていたことも付け加えておこうと思います。
→サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)