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川上未映子『ウィステリアと三人の女たち』その10

2018-11-09 05:15:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
 何事もなく毎日は過ぎる。しかしウィステリアが夜の苦しさから解放されることはない。(中略)暗闇の中でウィステリアはお腹に置いた手にちからをこめる。瞬きをくりかえす。このときの彼女の年齢は三十八歳。わたしが子どもを産むことはなかった。(中略)けれどもその夜は、子どもというものをめぐる想像がウィステリアを捉えて離さなかった。(中略)そんなことを考えながら暗闇を見つめていると、どこからかかすかな声が聞こえてくる。それは赤ん坊の声で、ウィステリアは縁側の陽だまりのなかにいて、太陽の光の下でほとんど白色に見える外国人教師とおなじ髪をした、小さな赤ん坊を抱いている。(中略)誰が産んだのかもわからない。でも彼女はわたしたちの娘なのだ。(中略)彼女は暗闇の中で嗚咽する。そして思う。あんな赤ん坊はどこにもいない。(中略)なぜならわたしは女で、彼女もまた、女だからだ。
 そして外国人教師は去る。イギリスで暮らす母親が病気になり、帰国して彼女が世話をしなければならなくなったからだ。(中略)「わたしが住んでいた家の庭にも、藤の木があった」外国人教師が小さな声で言う。「イギリスにもあるの」「もちろん。イギリスにも藤の木はあるよ。たくさんある」(中略)しばらくして、外国人教師はまっすぐに藤の木を見あげたまま、わたしには子どもがいたんだ、とウィステリアに告げる。(中略)でも今はいない。死んじゃったんだよ。ずいぶん昔の話。(中略)わたしはとても若かった。若すぎたせいか、それとも自分で理解していた以上に辛かったせいか、ときどきあれは本当のことだったのかどうかわからなくなる。(中略)わたしは本当に赤ん坊を産んだんだろうか。もちろんわたしは赤ん坊を産んだ。そしてその赤ん坊は死んでしまった。でも、記憶の肝心な部分、すごく大切なところへ足を踏み入れてそこから先に進もうとすると、粘り気のある泥土にはまり込んだみたいに、もう一歩だって動けなくなる。(中略)赤ん坊が生まれたのは三月の寒い朝で、わたしはその冬から春の終わり頃まで毎日病院へ通った。家を出るとき、帰ってきたとき、藤の木はいつもそこにあった。春が終わると花はぜんぶ落ちてしまうけれど、ある日、その中でもひとつだけ残っている房があった。(中略)いつ死んでもおかしくない生まれたばかりのわたしの赤ん坊がかろうじて息をしている。(中略)そして、あれはわたしの赤ん坊なんだと思った。(中略)もし赤ん坊が死んでしまったら、わたしはあの房を自分の赤ん坊として、そうやって生きていくんだと思った。(中略)実際はどうだったか。春になると変わらず藤の花は咲いたけど、でもあんなふうに最後まで残る房はなかった。(中略)イギリスへ帰った外国人教師から、帰国してすぐの頃は月に二度届いていた手紙もやがてふた月に一度となり、半年に一度となり、そして一年に一度、クリスマスカードが届くだけになっていった。(中略)ウィステリアはひとりで英語塾をつづけていた。(中略)最初は生徒の人数を減らすのに苦労したけれど、次第にそんな必要もなくなっていった。(中略)英語塾や学習塾がそこらじゅうにできたことでおのずと需要が減っていったからだ。(中略)ウィステリアは外国人教師に、ときどき手紙を書いた。本当は毎日でも書きたかったけれど、もはや一年に一度カードを送るだけになってしまっている相手の気持ちとのバランスを思うとそういうわけにはいかなかった。(中略)ウィステリアはどうしても、もう一度だけでも、外国人教師に会いたかった。彼女は日本へ帰ってこない。そうであれば自分がイギリスへ行くしか方法はないとウィステリアは考えた。(中略)ウィステリアは六十半ばになっていた。遠くまで行くのはこれが最初で最後の機会になるかもしれない。何日もかけて、ウィステリアは彼女への手紙を書きあげた。しかし外国人教師から返事はなかった。(中略)不安とあきらめを抱いたまま年を越し、冬のいちばん深いところを最後の風が通過し、やがて春の匂いが流れだしてそれがあたり一面に充満する頃、ウィステリアに一通の手紙が届く。(中略)それは外国人教師の訃報だった。彼女の同僚だという女性は書いていた。彼女は肺腺がんを患い、残念なことにすでに手遅れの状態で、癌が発見されてから三ヶ月もしないうちに亡くなってしまいました。(中略)彼女が亡くなったあとに届けられたあなたからの手紙を発見したのがきっかけです。さらに遺品を細かく整理していたところ、あなたから送られてきた手紙の束が見つかり、お知らせしておいたほうがいいと思いました。どうかお気を落とさないでください。彼女は苦しまずに天国へ
旅立ちました。(また明日へ続きます……)

 また昨日の続きです。
 何事もなく毎日は過ぎる。しかしウィステリアが夜の苦しさから解放されることはない。(中略)暗闇の中でウィステリアはお腹に置いた手にちからをこめる。瞬きをくりかえす。このときの彼女の年齢は三十八歳。わたしが子どもを産むことはなかった。(中略)けれどもその夜は、子どもというものをめぐる想像がウィステリアを捉えて離さなかった。(中略)そんなことを考えながら暗闇を見つめていると、どこからかかすかな声が聞こえてくる。それは赤ん坊の声で、ウィステリアは縁側の陽だまりのなかにいて、太陽の光の下でほとんど白色に見える外国人教師とおなじ髪をした、小さな赤ん坊を抱いている。(中略)誰が産んだのかもわからない。でも彼女はわたしたちの娘なのだ。(中略)彼女は暗闇の中で嗚咽する。そして思う。あんな赤ん坊はどこにもいない。(中略)なぜならわたしは女で、彼女もまた、女だからだ。
 そして外国人教師は去る。イギリスで暮らす母親が病気になり、帰国して彼女が世話をしなければならなくなったからだ。(中略)「わたしが住んでいた家の庭にも、藤の木があった」外国人教師が小さな声で言う。「イギリスにもあるの」「もちろん。イギリスにも藤の木はあるよ。たくさんある」(中略)しばらくして、外国人教師はまっすぐに藤の木を見あげたまま、わたしには子どもがいたんだ、とウィステリアに告げる。(中略)でも今はいない。死んじゃったんだよ。ずいぶん昔の話。(中略)わたしはとても若かった。若すぎたせいか、それとも自分で理解していた以上に辛かったせいか、ときどきあれは本当のことだったのかどうかわからなくなる。(中略)わたしは本当に赤ん坊を産んだんだろうか。もちろんわたしは赤ん坊を産んだ。そしてその赤ん坊は死んでしまった。でも、記憶の肝心な部分、すごく大切なところへ足を踏み入れてそこから先に進もうとすると、粘り気のある泥土にはまり込んだみたいに、もう一歩だって動けなくなる。(中略)赤ん坊が生まれたのは三月の寒い朝で、わたしはその冬から春の終わり頃まで毎日病院へ通った。家を出るとき、帰ってきたとき、藤の木はいつもそこにあった。春が終わると花はぜんぶ落ちてしまうけれど、ある日、その中でもひとつだけ残っている房があった。(中略)いつ死んでもおかしくない生まれたばかりのわたしの赤ん坊がかろうじて息をしている。(中略)そして、あれはわたしの赤ん坊なんだと思った。(中略)もし赤ん坊が死んでしまったら、わたしはあの房を自分の赤ん坊として、そうやって生きていくんだと思った。(中略)実際はどうだったか。春になると変わらず藤の花は咲いたけど、でもあんなふうに最後まで残る房はなかった。(中略)イギリスへ帰った外国人教師から、帰国してすぐの頃は月に二度届いていた手紙もやがてふた月に一度となり、半年に一度となり、そして一年に一度、クリスマスカードが届くだけになっていった。(中略)ウィステリアはひとりで英語塾をつづけていた。(中略)最初は生徒の人数を減らすのに苦労したけれど、次第にそんな必要もなくなっていった。(中略)英語塾や学習塾がそこらじゅうにできたことでおのずと需要が減っていったからだ。(中略)ウィステリアは外国人教師に、ときどき手紙を書いた。本当は毎日でも書きたかったけれど、もはや一年に一度カードを送るだけになってしまっている相手の気持ちとのバランスを思うとそういうわけにはいかなかった。(中略)ウィステリアはどうしても、もう一度だけでも、外国人教師に会いたかった。彼女は日本へ帰ってこない。そうであれば自分がイギリスへ行くしか方法はないとウィステリアは考えた。(中略)ウィステリアは六十半ばになっていた。遠くまで行くのはこれが最初で最後の機会になるかもしれない。何日もかけて、ウィステリアは彼女への手紙を書きあげた。しかし外国人教師から返事はなかった。(中略)不安とあきらめを抱いたまま年を越し、冬のいちばん深いところを最後の風が通過し、やがて春の匂いが流れだしてそれがあたり一面に充満する頃、ウィステリアに一通の手紙が届く。(中略)それは外国人教師の訃報だった。彼女の同僚だという女性は書いていた。彼女は肺腺がんを患い、残念なことにすでに手遅れの状態で、癌が発見されてから三ヶ月もしないうちに亡くなってしまいました。(中略)彼女が亡くなったあとに届けられたあなたからの手紙を発見したのがきっかけです。さらに遺品を細かく整理していたところ、あなたから送られてきた手紙の束が見つかり、お知らせしておいたほうがいいと思いました。どうかお気を落とさないでください。彼女は苦しまずに天国へ
旅立ちました。(また明日へ続きます……)

 →サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto