また一昨日の続きです。
馬場全体を見渡せる高い場所に立った、八町会総代の仁志岡さんが、マイクを握り、勝っている側の町の名前を呼び、「かき夫を下がらせー、かき夫を下がらせー」と野太い声で指示を出す。のしかかる形で勝っている側が後ろに引かないと、沈み込んでいる側のかき夫たちが危険なためだろう。(中略)
前半最後の鉢合わせに、湯之町大神輿が入場してきた。
乗り手として、飛朗さんの姿がある。(中略)表情は険しく、怖いくらいだけれど……飛朗さん、チョーかっこいいッス。(中略)
互いに優劣がつかず、美しいほどに双方の力が釣り合った時間が続いた。
と思うと、ついに湯之町側の力がわずかながらまさったのか、あるいは相手側に怪我などのアクシデントがあったのか……雛歩の目から、少しだけ湯之町大神輿の屋根が高くなったようにみえたとたん、相手側が沈み込みながら後退した。
すかさず「湯之町下がれー、かき夫を下がらせー」と、仁志岡さんの声が飛ぶ。(中略)
湯之町大神輿の神輿守りたちが、全身を踊らせて勝利を祝い、ブンさんが、ようやった、と手をたたいて讃えている。飛朗さんは拳を振り上げ、自信に満ちた態度で待機場所へと大神輿を導いてゆく。地域の誇りをかけた鉢合わせにおいて、勝利の意義は大きいのだろう。
一方で雛歩は、勝ち負けを超えたものの存在を、鉢合わせに感じていた。人間同士がありったけのエネルギーをぶつけ合うことで、双方の力を引き出し、命をより高めているというか……命の限界を超える勢いあでぶつかることで、生きていられることを祝い、喜び、天に向かって感謝を捧げているようにも、受け止められた。
「……乗りたい」
「え、ヒナ、なんて言うたん?」
「大神輿の上に乗りたい……鉢合わせの乗り手になりたい」
人々が応援し疲れて、ひと息ついたところだったから、雛歩の声は由茉だけでなく、福駒さんや磐戸屋の会長さんにまで届いたらしく、三人の視線が彼女に向けられた。
(中略)
「けどヒナ、女の子は、大神輿の鉢合わせの乗り手にはなれんよ」
由茉は、雛歩が祭りのことを知らずに口にしたと思ったのだろう、さとす口調で言った。
「うん、わかってる」
それはわかっているのだけれど……。(中略)
「鉢合わせの、あの真ん真ん中にいたら、すごい力をもらえて……小さな自分なんて、ぶつかった瞬間に消えて、押し合いの中で……うまく言えませんけど、粘土をこねるみたいに、別の自分、ていうか、新しい自分が作られて……命があることの意味みたいなものも、理解できるのかもしれないって、そんなふうに感じて」(中略)
「なるほど……まひわさんが、巫女さんとして可愛がっとる意味が少うしわかった」
磐戸屋の会長さんがつぶやくように言った。(中略)
「おい、鳩村雛歩」
雛歩は背後からフルネームで呼ばれた。(中略)
あ……伯父の家の、二人の子だった。(中略)
「おい、おまえ、なんで変な嘘をつきよるん?」(中略)
「嘘って……なんのこと」(中略)
「だから、両親の行方がわからん、てこと。いつか帰ってきたら、一緒に温泉に入りたいって、みんなの前で発表したんやろ」
「そうだけど……」
「無理やろ、そんなん。だって、おまえの両親、死んでるやろ」(中略)
「海まで流されてた車の中で、二人とも見つかったろ」(中略)
嘘じゃないよ、みんなで葬式に行ったんやから、なぁ、兄ちゃん。(中略)
「黙れ。もう、黙っていなさい」
不快な響きを断ち切るような、それまでと違った鋭い調子の声が割って入った。(中略)
「雛歩ちゃん……」
飛朗さんがいたわるような声で言った。(中略)
たすけて……雛歩の口からしぜんと言葉が洩れた……たすけて……。
(中略)
ごうごうと激しい音を立てて、増水した川が流れている。濁流が目の前に迫る。
雛歩ははね起きた。
部屋で寝ていることに気づいた。雨が激しく窓に打ちつけている。(中略)
雛歩ちゃん……雛歩ちゃん……
聞き覚えのある男の人の声だった。
雛歩ちゃん、寝てるのかな……挨拶に来たんだ、もう空港に行かなきゃいけない時間だから……二度目の鉢合わせは、負けちゃったよ(中略)……やっぱり勝利の女神がいないとだめだね……きっと試験に合格して帰ってくるから、そのときはいつもの雛歩ちゃんに戻って、明るい笑顔を見せてほしいな……じゃあね。
人の立ち去る気配がする。(中略)
いつのまにか、ごうごうという音が消えていた。
目を開ける。部屋の電灯がついて、女将さんが枕もとに座っている。
長い長い夢を見ていたような気がした。
「広間に下りましょう」(中略)
「雛歩ちゃん、お風呂、一緒に入らない?」
女将さんに誘われた。
一階の浴室に、雛歩は女将さんと入り、背中と髪まで洗ってもらった。(中略)
(また明日へ続きます……)
馬場全体を見渡せる高い場所に立った、八町会総代の仁志岡さんが、マイクを握り、勝っている側の町の名前を呼び、「かき夫を下がらせー、かき夫を下がらせー」と野太い声で指示を出す。のしかかる形で勝っている側が後ろに引かないと、沈み込んでいる側のかき夫たちが危険なためだろう。(中略)
前半最後の鉢合わせに、湯之町大神輿が入場してきた。
乗り手として、飛朗さんの姿がある。(中略)表情は険しく、怖いくらいだけれど……飛朗さん、チョーかっこいいッス。(中略)
互いに優劣がつかず、美しいほどに双方の力が釣り合った時間が続いた。
と思うと、ついに湯之町側の力がわずかながらまさったのか、あるいは相手側に怪我などのアクシデントがあったのか……雛歩の目から、少しだけ湯之町大神輿の屋根が高くなったようにみえたとたん、相手側が沈み込みながら後退した。
すかさず「湯之町下がれー、かき夫を下がらせー」と、仁志岡さんの声が飛ぶ。(中略)
湯之町大神輿の神輿守りたちが、全身を踊らせて勝利を祝い、ブンさんが、ようやった、と手をたたいて讃えている。飛朗さんは拳を振り上げ、自信に満ちた態度で待機場所へと大神輿を導いてゆく。地域の誇りをかけた鉢合わせにおいて、勝利の意義は大きいのだろう。
一方で雛歩は、勝ち負けを超えたものの存在を、鉢合わせに感じていた。人間同士がありったけのエネルギーをぶつけ合うことで、双方の力を引き出し、命をより高めているというか……命の限界を超える勢いあでぶつかることで、生きていられることを祝い、喜び、天に向かって感謝を捧げているようにも、受け止められた。
「……乗りたい」
「え、ヒナ、なんて言うたん?」
「大神輿の上に乗りたい……鉢合わせの乗り手になりたい」
人々が応援し疲れて、ひと息ついたところだったから、雛歩の声は由茉だけでなく、福駒さんや磐戸屋の会長さんにまで届いたらしく、三人の視線が彼女に向けられた。
(中略)
「けどヒナ、女の子は、大神輿の鉢合わせの乗り手にはなれんよ」
由茉は、雛歩が祭りのことを知らずに口にしたと思ったのだろう、さとす口調で言った。
「うん、わかってる」
それはわかっているのだけれど……。(中略)
「鉢合わせの、あの真ん真ん中にいたら、すごい力をもらえて……小さな自分なんて、ぶつかった瞬間に消えて、押し合いの中で……うまく言えませんけど、粘土をこねるみたいに、別の自分、ていうか、新しい自分が作られて……命があることの意味みたいなものも、理解できるのかもしれないって、そんなふうに感じて」(中略)
「なるほど……まひわさんが、巫女さんとして可愛がっとる意味が少うしわかった」
磐戸屋の会長さんがつぶやくように言った。(中略)
「おい、鳩村雛歩」
雛歩は背後からフルネームで呼ばれた。(中略)
あ……伯父の家の、二人の子だった。(中略)
「おい、おまえ、なんで変な嘘をつきよるん?」(中略)
「嘘って……なんのこと」(中略)
「だから、両親の行方がわからん、てこと。いつか帰ってきたら、一緒に温泉に入りたいって、みんなの前で発表したんやろ」
「そうだけど……」
「無理やろ、そんなん。だって、おまえの両親、死んでるやろ」(中略)
「海まで流されてた車の中で、二人とも見つかったろ」(中略)
嘘じゃないよ、みんなで葬式に行ったんやから、なぁ、兄ちゃん。(中略)
「黙れ。もう、黙っていなさい」
不快な響きを断ち切るような、それまでと違った鋭い調子の声が割って入った。(中略)
「雛歩ちゃん……」
飛朗さんがいたわるような声で言った。(中略)
たすけて……雛歩の口からしぜんと言葉が洩れた……たすけて……。
(中略)
ごうごうと激しい音を立てて、増水した川が流れている。濁流が目の前に迫る。
雛歩ははね起きた。
部屋で寝ていることに気づいた。雨が激しく窓に打ちつけている。(中略)
雛歩ちゃん……雛歩ちゃん……
聞き覚えのある男の人の声だった。
雛歩ちゃん、寝てるのかな……挨拶に来たんだ、もう空港に行かなきゃいけない時間だから……二度目の鉢合わせは、負けちゃったよ(中略)……やっぱり勝利の女神がいないとだめだね……きっと試験に合格して帰ってくるから、そのときはいつもの雛歩ちゃんに戻って、明るい笑顔を見せてほしいな……じゃあね。
人の立ち去る気配がする。(中略)
いつのまにか、ごうごうという音が消えていた。
目を開ける。部屋の電灯がついて、女将さんが枕もとに座っている。
長い長い夢を見ていたような気がした。
「広間に下りましょう」(中略)
「雛歩ちゃん、お風呂、一緒に入らない?」
女将さんに誘われた。
一階の浴室に、雛歩は女将さんと入り、背中と髪まで洗ってもらった。(中略)
(また明日へ続きます……)