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ウォーレン・ビーティ監督『レッズ』

2011-06-25 05:21:00 | ノンジャンル
 ウォーレン・ビーティ監督・製作・共同脚本の'81年作品『レッズ』をスカパーの洋画★シネフィル・イマジカで見ました。
 ジャック・リードとルイーズの思い出を語る老人たち。「ポートランド 1915年」の字幕。美術品の即売会でルイーズ(ダイアン・キートン)は自分のヌード写真が展示されていることを夫から非難されます。名士たちのクラブで第一次世界大戦への参戦を訴える演説を受けて、戦争の目撃者として紹介された作家のジャック・リード(ウォーレン・ビーティ)は「戦争は単なる利益だ」とだけ言うと座ってしまいます。雑誌『マッセ(大衆)』の記者のルイーズはジャックにインタビューを申し込み、その後自ら進歩派を名乗ってジャックを誘い野外セックスに至ります。歯科医の夫と離婚したルイーズは、自由の気風あふれるグリニッジ・ヴィレッジに引越し、そこでジャックら左翼の過激運動家に合流します。世界の労働者との団結と平和を説くジャック。彼とルイーズは仲間とともに漁村へ移り住み、そこでユージン・オニール(ジャック・ニコルソン)の書いた前衛劇の練習をしますが、ジャックが留守をしている間にルイーズはユージンと同棲します。「クロトン・オン・ハドソン 1916年」の字幕。引越し中のルイーズを訪ねたユージンは愛の詩を送り、束縛しないのでこれからも会ってくれと言いますが、ルイーズはジャックと結婚したことを告げます。反戦演説で逮捕されたジャックは腎臓が弱っていることを知らされ、帰宅してユージンの詩を見つけてると自分も浮気していたとルイーズに言い、ルイーズは家を飛び出します。「パリ 1917年」の字幕。片方の腎臓を摘出されたジャックは、フランスの前線で取材をしているルイーズに会いに行き、自分はロシアに向かうことを告げると、ルイーズも同行することにします。ロシア国境にあふれる、戦線放棄をしたボルシェビキの兵士たち。ジャックはボルシェビキの集会で壇上に迎えられ、世界の労働者の団結と革命の勝利を宣言すると、インターナショナルの合唱が起こり、その歌声をバックに、街頭デモに参加するジャックとルイーズ、愛し合う二人、冬宮襲撃の様子が描かれます。「休憩」「ニューヨーク 1918年」の字幕。著書『世界をゆるがせた十日間』の大成功で自信を得たジャックでしたが、過激な彼らを除名した社会党の執行部に対して、新党を結成しようというフレイナ(ポール・ソフヴィーノ)と党の主導権を奪還しようというジャックの間で対立が起きます。ジャックは結局フレイナの作った米共産党に対抗して14人の仲間とともに米共産労働党を作り、自らモスクワへ行ってコミンテルンの承認を得ようとしますが、ルイーズからは権力争いから身を引いて作家に戻れと言われます。米連邦政府からの逮捕状が出る直前に彼はソ連への密出国に成功しますが、コミンテルンでは米共産党と合併することを求めまれます。ソ連からの滞在延期要請を断ってルイーズの元へ戻ろうとしたジャックでしたが、フィンランドの国境で捕まり、壊血病を患った上、フィンランドの教授との交換でソ連に戻される一方、ルイーズはジャックを追ってフィンランドへ向けて密出国します。「ペトログラード 1920年」の字幕。何度もルイーズの元に電報を打ちますが返事がもらえないジャックは、アメリカから亡命してきた左翼運動家エマ(モーリン・ステイプルトン)からルイーズから送られてきていた電報がフィンランドで握りつぶされていたこと、ルイーズがもうニューヨークにはいないことを知らされます。ジャックは自国の実情を理解してくれない官僚化したソ連に対して不信感を募らせつつも、プロパガンダを施した汽車で中東へ向かいます。エマはバクー行きの列車への切符を求めるルイーズと再会しますが、一方、ジャックは集会での演説の内容がソ連の官僚によって勝手に改変されていることに列車内で抗議しているところを、中東の政府軍に攻撃されます。ボロボロになってモスクワに帰ってきた汽車に駆け寄るルイーズはジャックとの再会を果たしますが、彼はすぐに入院を余儀無くされ、彼女が水を取りに病室を離れたわずかの間にジャックは亡くなるのでした。
 ビットリオ・ストラーロの質感あふれる撮影が見事で、インターナショナルが歌い上げられるシーンには胸が熱くなりました。当時の関係者本人が彼らのことを証言する様子が度々挿入されるという構成も良かったと思います。3時間を超える映画で、デヴィッド・リーンの『ドクトル・ジバゴ』を見直したくなる、そんな気持ちにもなった映画でした。

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

長嶋有『電化製品列伝』

2011-06-24 05:40:00 | ノンジャンル
 今年の5月14日に日比谷野音で行われたパフィのライブ『Time For Action』をWOWOWで見ました。以前から亜美さんのファンで、『パパパパパフィ』放映時には番組を欠かさず見、また当時、カラオケに行くと『マザー』や『渚にまつわるエトセトラ』などをよく歌っていた、彼女と同じ誕生日である私にとっては、「Grey」のボーカルの方の妻となり彼の子供も産んだ今の彼女であっても、やはり強烈に魅力的で、つい見入ってしまいました。

 さて、山田詠美さんが著書『ライ麦畑で熱血ポンちゃん』の中で紹介していた、長嶋有さんの'08年作品『電化製品列伝』を読みました。さまざまな文学・映画・マンガ作品の中の電化製品について描かれている場面「だけ」を抜き出して熱く語った本で、ポプラ社Webマガジン「ポプラビーチ」と「小説現代」で連載されていたものの中から精選し、それに書下ろしを加えて一冊にまとめてできた本です。
 取り上げているのは、川上弘美『センセイの鞄』の電池、伊藤たかみ『ミカ!』のホットプレート、吉田修一『日曜日たち』のリモコン、柴崎友香『フルタイムライフ』のシュレッダー、福永信一『アクロバット前夜』のマグライト、尾辻克彦『肌ざわり』のブラウン管テレビ、映画『哀しい気分でジョーク』のレーザーディスク、吉本ばなな『キッチン』のジューサー、生田紗代『雲をつくる』の加湿器、アーヴィン・ウェルシュ『トレインスポッティング』の電気毛布、小川洋子『博士の愛した数式』のアイロン、干刈あがた『ゆっくり東京女子マラソン』のグローランプ、高野文子『奥村さんのお茄子』の「オクムラ電器店」、栗田有起『しろとりどり』のズボンプレッサー、映画『グレゴリーガールズ』の電動歯ブラシ、花輪和一『刑務所の中』の電気カミソリ、長嶋有『猛スピードで母は』の炊飯ジャー。中でも著者の文章で私が気に入った部分を引用させていただくと、「『日曜日たち』では『男たち』のつかうリモコンが実にうまく描かれているが、僕は女性がリモコンをつかう様も好きだ。ノースリーブの女性がえいっと確信をこめて押す。上品な女性が、おずおずと押し込む。疲れた女性がソファに倒れ込んで卓上のリモコンにかろうじて手をのばす。リモコンは『意思』を具現化させる道具だから、意思の表明する瞬間は、それがつまらない意思でも、少し美しい。」「柴崎友香は会社でシュレッダー作業を連載小説の第一回の、それも冒頭に持ってきた。そのことは特筆すべきことだ。連載時、この冒頭に出会って、ほとんど身もだえするくらいに嫉妬した。俺がこれを書きたかった! と。」「この作品を、経済的に潤っていた時代のフィクションと捉える人もいるかもしれないが、作者は舞い上がっていない。地に足が着いている。この主人公はたとえジューサーを気軽に買えないような世界に暮らしても、その世界のなにかをきっかけにいつでも『思ったり感じたり』するだろう。」などでした。
 2回に渡って取り上げられている、高野文子さんのマンガ『奥村さんのお茄子』(『棒がいっぽん』に所収)は是非手に取って読んでみたいと思いました。身の回りにあるモノを描くことへの愛に満ち満ちた本です。

マキノ雅弘監督『千姫と秀頼』

2011-06-23 05:21:00 | ノンジャンル
 マキノ雅弘監督の'62年作品『千姫と秀頼』をスカパーの東映チャンネルで見ました。
 「元和元年五月」「大阪城最後の日」の字幕。豊臣秀頼(中村錦之助)は、家康の意向により自分の妻となっていた家康の孫・千姫(美空ひばり)を、家康(東野英治郎)に命じられて千姫を助けに来た出羽守(平幹二郎)に託して、自害します。自分を愛してくれた秀頼のことを思い、以後も豊臣方の一人として生きて行くことを誓う千姫。「彦根城」の字幕。顔にひどいケガを負った出羽守は、江戸まで警護すると千姫に言いに来ます。山車を囲んで歌い踊る江戸の町人たち。「江戸城」の字幕。一旦は出羽守に千姫との婚姻を許した家康でしたが、土佐守(北竜二)の進言を取り入れ、千姫を政略結婚させることにし、邪魔な出羽守を殺すことにします。顔の半分に醜い傷痕を負った出羽守は、千姫を幸せにさせるという秀頼との約束を守るため、千姫の真意を聞こうと千姫とのお目通りを願いますが、但馬守(近衛十四郎)は必死に彼を制止します。酔って泣いている出羽守の元へ、輿入れ先の本田平八郎の元へ向かうはずの千姫の行列が、鉄砲隊を率いてわざと自分の元へ向かっているとの知らせが入り、侮辱されたと思った出羽守は、周囲の制止を振りきり邸外へと出、待ち伏せしていた鉄砲隊に射殺されます。千姫は出羽守の位牌を持ち、平八郎に対し、名ばかりの夫婦を通すことを宣言します。半年後、酒に溺れ労咳にかかった平八郎は死に、それを知らされた家康は、以後千姫の意思を尊重するように周囲の者に言い付けます。桜の季節となり、宴で舞っていた千姫の元に、以前豊臣の武将の生き残りがいることを通報して家康から褒美を賜ったという町人がまかり出ますが、千姫はその男をその場で斬って捨て、怒りと嘆きにまかせて、たまたまその場に居合わせた家康方の町人も家来に斬らせ、以降、豊臣の生き残りとして、家康と自分の父・秀忠を生涯困らせてやると宣言します。夫を殺された妻が半分正気を失って道を歩いているのを見て、千姫のことを罵る町人たち。千姫はそれからも家来を使って無実の町人を次々と殺め、やがてそれは家康の耳にも届き、土佐守は千姫を亡き者にしようと家康に進言しますが、但馬守がこれは千姫が家康を恨んでいることから生じた凶行なのだと家康に言うと、家康はならば千姫の気が済むまで待とうと言います。夫を殺された女は、千姫を暗殺せんと千姫の行列に乱入し、取り押さえられますが、千姫が女を自由にして自分を殺せと言うと、女は泣き崩れます。そこへ千姫を売女呼ばわりする男(高倉健)が乱入しますが、男は自ら刀を放り出して捕えられます。千姫太郎としか名乗ろうとしない男に対して、千姫は本名を言えと打ち据えますが、男は相変わらず売女呼ばわりを続けます。しかし千姫が、今でも持っている豊臣の紋の入った短刀を男に見せると、男は自分は豊臣方の武将の生き残りであることを明かし、千姫への無礼を詫びて千姫の短刀で自害します。泣き崩れる千姫。数日後、家康の前でなぎなたの舞を見せる千姫を見て、家康はやっとこの時が来たと御満悦でしたが、但馬守は千姫の殺気を感じて警戒します。家康に対して白刃を向ける千姫と、家康と千姫との間に立ちはだかる但馬守。千姫は心情を吐露しますが、結局家康を殺せない自分を認めます。そして出家した千姫は但馬守が見送る中、江戸を旅立つのでした。
 全く期待していなかったのですが、出羽守がお目通りを願って進み出るところをカメラがズームアップしていくところや、町人を切り捨てた後の千姫を追うカメラのクレーン移動や横移動、また冒頭のシークエンスであの美空ひばりが見せる、なよなよとした身ぶりなどは、まさにマキノ映画ならではのものであり、高倉健の登場シーンにも後のマキノの任侠映画における彼の原型が見てとれました。ほとんど知られていない映画だと思いますが、見る価値は十分にあると思います。映画好きな方にはオススメです。

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内田樹『街場の中国論』その3

2011-06-22 05:29:00 | ノンジャンル
(またまた昨日の続きです。)
25、近代史において全中国人が一丸となって事に当たったのは、抗日戦争しかなく、それが国民的統合の象徴とならざるをえないこと

26、日本は国民的統合を実感できるような歴史的出来事を近代史において全く持ち合わせていないこと

27、中国で'66年に始まった文化大革命は全世界の新左翼運動と完全にシンクロしていること('66~'69年における日本の学生運動、アメリカの公民権運動、ブラックパンサーやSDS(全米最大の新左翼運動)、ドイツの新左翼運動、'68年におけるフランスでの五月革命などなど)

28、私たちが今日使っている社会科学・自然科学の用語は、明治時代の先達たち(加藤弘之、中江兆民、西周ら)が苦心の末に産んでくれた訳語であること

29、ルネッサンスから近代市民革命までの時期のヨーロッパには『すべての人間はその本然の姿において平等であり、兄弟である』というかなり闊達な人間観が広まっていて、異文化、異民族に対して比較的に開放的で、異文化間のコミュニケーションについてもかなり楽観的であったこと

30、普遍性を掲げる宗教は、『異民族の異教であっても、それは完成へと至る途上なのだから、それが熟してゆく過程に対して、根気良く温かいまなざしを向けるべきだ』という寛容的態度と、『彼らの宗教を尊重することなく、彼らの霊魂を救済するため、速やかに改宗させるべきだ』という強圧的な教化的態度に分かれるということ

31、13億という国民を擁した現在の中国のような国家というのはこれまで存在したことがなく、それを統治する方法はこれから新たに編み出していかねばならないということ

32、森林破壊をしないで済ませた文明というものは過去存在したことがなく、その結果ヨーロッパには自然林はほとんど存在せず、イギリスの森林面積は人工林を含めても国土の7%、フランスでも20%しかないのに対し、日本では例外的に70%もの森林に恵まれていること

33、中国は人口が農業生産力を超えるたびに、飢饉と戦争で人口調整を行ってきたこと

34、前代未聞の環境問題を抱えているのは中国だけという訳ではなく、アメリカでも大規模な土壌破壊が起こったりしていること

35、都市化・近代化・産業化が起こって制度が激変した19世紀末のヨーロッパでは、人心の安定のためにスケープゴートとしてユダヤ陰謀説が採用されたこと

36、日清戦争に勝利した後、1年後に日露戦争を控えた'03年に東京で行われた第五回内国勧業博覧会は、国際社会に対して『近代国家・アジアの盟主』としてのセルフイメージを日本が露出したエポックメイキングなイベントであって、5ヶ月間に530万人もの人が入場し、これは日本人の10人に1人が見に行った計算になること

37、そこには生身の人間を展示する『人類館』があり、『北海道アイヌ』『台湾の生蕃』『琉球』『朝鮮』『支那』『印度』『爪哇(ジャワ)』が『異人種』として展示されたこと

38、エッフェル塔はフランス革命百周年記念として行われたパリ万博で、産業革命と都市化の象徴として建設されたこと

 以上のようなことが、この本を読んで新たに知ったことでした。それに加えて、例えばナショナリストというのは「自国の国益が損なわれることを喜ぶ」倒錯した傾向があるということ(国家の維新を傷つけられるようなことが起こると「ほら、言わんこっちゃない」と得意満面になる傾向)とか、どの国にも愛国的熱狂のさなかにも涼しい顔をして、そうした風潮を受け流している人が存在してくれているはずであることなど、改めて再認識させてくれたことも多々ありました。
 著者はあとがきで「あと十年くらいして、この本を読み返したときに、どの箇所が『腐らずに』残っている(でしょうか?)」と謙虚に書いていらっしゃいますが、私はかなりの部分が腐らずに残るのではと思いました。これまでの日中関係、ひいては世界における日本の立ち位置を理解するために、一読することを強くオススメしたい本です。

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内田樹『街場の中国論』その2

2011-06-21 05:08:00 | ノンジャンル
(昨日の続きです。)
12、中華思想とは、中心に中華があり、その周辺に王化が及ばない『化外の民』がいて、二つの間に朝貢と下賜品に象徴される精神上の主従関係があればそれでいいという、非常に緩い権力関係を示していること

13、内容的に均質な国家が国境によって他国と分断されているという現在の国民国家の考え方は、宗教戦争であった三十年戦争を終結させた1648年のウェストファリア条約で初めて生まれてきた考え方であること

14、中華思想で比較的成功している現在の国というのはアメリカであること

15、中華思想による王道政治の伝統があったからこそ、日中戦争後、中国の人たちは日本兵に対してあれほど寛容であったこと

16、またチベットなどの少数民族が起こす独立運動への苛烈な弾圧は、これも中華思想という観点から説明できること

17、中華思想による王道政治の伝統があるので、もともと中国には、民衆が積極的に政治参加し、その責任を自ら引き受けるという発想は希薄であること

18、日本にとって『親米』と『親中国』はゼロサム(総量が決まっている)関係になっていること

19、1500年続いた中国を中心とする華夷秩序と、1853年のペリー来航から150年のアメリカ中心の華夷秩序を比べると、中国中心だった時代の方が日本は平和だったし、周辺諸国への迷惑もかけていなかったように思えること

20、華夷秩序の周辺国としての日本という立ち位置は、日本人にとってもう国民的エートスとなっていて、つまりオリジナルを作り出すのではなく『付加価値をつける』商売、昔の言い方で言えば『加工貿易』がすっかり身に付いているのですが、『私はオリジナルではない』というこの立ち位置自体が儒教の教えであり、つまり日本の文化的構えの原点が既に日本オリジナルではないこと

21、『オレが中心で、オレがオリジナルで、オレ的にオレはオレが好きだから、それでいいんだ』というグローバリズムのタフな思想でアメリカ人がやっていけるのは、キリスト教福音主義が『神』のサポートを担保しているからだということ

22、日本は幕末に帝国主義に踏みにじられた経験を糧に近代化を成し遂げたと思っているので、その恐怖と屈辱感をアジアの後進国に味わわせることが、それらの国に近代化の契機を与えてあげることになるのだと考えて、明治以降のアジアにおける帝国主義的蛮行を行ってきたこと

23、明治以降、日本の近代化が急速に進んだ最大の理由は、藩閥体制で日本に270個の藩があり、そこで有能な人材が育てられていたこと

24、そして幕府の中央集権的政策以上に、諸藩がリゾーム的に近代化を押し進めていったこと

(またまた明日へ続きます)

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