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奥田英朗『向田理髪店』その5

2017-10-16 05:49:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
 その夜、妻の恭子に大輔の結婚のことを話すと、初めは「よかった、よかった」と顔をほころばせたが、相手が中国人とわかると、「そうなの」と一転して表情を曇らせた。和昌は言った。「この前、嫁さんも見た。ホームセンターで大輔さんと買い物してたさ」「話はしたのか」「いいや。こっちがお辞儀して、向こうもお辞儀して、それでおしまい」「どんな人だった?」「普通の女の人だべや」「大輔君はどんな感じだった?」「知らねって、ほんと、挨拶しただけだから」和昌がうるさそうに言い、ご飯を食べ始めた。
 小さな町なので、大輔の結婚はたちまち町民の間に知れ渡った。「大輔君、新婚旅行が終わったら、みんなに紹介するそうだべ。野村さんが言ってた」と瀬川。「じゃあ、それでいいんでないかい」と康彦は言った。そこに佐々木が現れた。「ところで佐々木さん、過疎地での国際結婚って多いわけ?」瀬川が聞いた。「多いです。農業、漁業はどこも跡取り問題で悩んでますからね」「お金はどれくらいかかるんだべか」「わたしが聞いた話では、総額二百万円程度ということですが。それよりも苫沢には昔、縁談促進実行委員会というものがあったそうですね。復活させてみるっていうのはどうですかね。町でも協力を惜しみませんが」「いいねえ。うちの倅もなんとかしてほしいべ」。二人が帰ると、和昌が帰宅した。「ところで、和昌はいくつぐらいで結婚するつもりだ」「なんだべ、いきなり。まだ考えてねえよ」「札幌の理容学校に行ってる間に見つけろ。こっちに帰って来てからだと手遅れになる」「知らねえ、そったらこと」和昌はたちまち不機嫌になり、自分の部屋へと去って行った。
 大輔は依然として中国人妻を披露しようとはしなかった。出没するのはホームセンターを兼ねたスーパーマーケットと郵便局だけらしい。先日は恭子もスーパーで夫婦を見かけた。紙おむつを山ほどカートに載せていたが、これも中国へ送るのだろう。粗悪品だらけの中国では、あらゆる日本の日用品が引っ張りだこだ。母が聞いた話では、大輔の両親も困っているらしい。「親戚を集めて祝言を上げようとしたけど、本人が嫌がるんだって。結局嫁さんを連れて、近しい親戚だけ一軒一軒回って紹介したそうだべ。また手間がかかることをわざわざ……」「ちなみにお奥さんはどうだべさ。ホームシックにかかってるとか」「それが全然。片言の日本語で買い物はするし、自動車教習所でもわからないことがあると教官をつかまえてなんでも質問するし、おまけに家では毎晩ビールを飲んでAKBの歌を唄ってるそうだべ」「そりゃよかった」康彦は苦笑し、安心もした。奥さんは明るい人のようだ。となれば大輔が心を開けば、すべて丸く収まるのである。
 「いっそみんなで押し掛けるか。結婚したそうだけど紹介してくれって。一回でいいべや。それで済んだことになる」瀬川が言った。冗談のつもりだろうが、本当にそれでいいような気がしてきた。
 翌日、客の老人を家まで送るついでに、大輔に会いに行った。「大輔君、結婚したそうだけど、おめでとう」大輔が一瞬赤面した。「あ、どうも」目を見ないで答える。「青年団とか、農協とか、みんなが大輔君のお祝いをしたがってるんだけど。大輔君、受けてもらえねえべか」「ぼくは……遠慮します」。康彦は余計なお世話だったことを詫びて踵を返そうとしたら、「あの」と大輔が声を発した。「おれ、自分でもおかしいと思ってるのさ。なんか、人前に出ると息苦しくなることがあって……」大輔は見合いの実態を話し、随分と疲れるものだったと語った。「やっぱりぼくとしては、敗北感みてえなもんが心の底にあってね。だから、みんなの前に出るのがいやなわけ。たぶん、野村んとこの大輔は中国で嫁を買って来た、みてえなこと言って陰で笑う連中も中にはいるんじゃねえかって------」「いねえ。そんなのいるわけねえ。大輔君、もっと堂々としてろ。いやかもしれねえが、いっぺん披露宴やれ。小さいのでいい。そこで嫁さん紹介しろ。それで全部終わる。たった二時間かそこらで、全部終わるべ」「じゃあ、小さいのなら、農協の井本にでも相談してみっかな」「井本君。いいねえ。彼はいい青年だ。こっちからも話しておくべさ」夕日を浴びた大輔がいい男に見えた。もっとも笑い方は、依然としてぎこちないのだが。(また明日へ続きます……)


奥田英朗『向田理髪店』その4

2017-10-15 08:26:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
 「一年くらいは覚悟した方がいいのかなあ」武司はほとほと困った様子だった。当面は毎週末に帰省すると言う。交通費だけでも馬鹿にならないし、病院は完全看護なのだし、そんなことはしない方がいいと康彦たちは忠告したのだが、淋しく笑うだけで、聞き入れることはなかった。喜八の妻・房江は、平日、毎日昼食を済ませると、午後1時のバスで病院に行った。一度、大雨の日に傘を差して出かけるのを見たときは、思わず店の外に出て、「馬場さん、今日はやめた方がいいんでないかい」と声をかけていた。房江は「平気、平気」と健気に手を振り、夫の見舞いを欠かそうとはしなかった。ただ房江は、息子に毎週帰ることはないと言っているらしい。「それがいいべ。月イチぐらいに減らせ」康彦たちもそれを勧めるのだが、そろそろ喜八は転院を求められていて、新たに病院探しもしなければならず、帰省は避けられないとのことであった。幼馴染としても、近所の住民としても、放っておけないので、康彦は瀬川と谷口に声をかけてサポートを申し出ることにした。月水金と三人が交代で房江を病院に連れて行く。火曜と木曜は自分で行くか、もしくは休むか、毎日行く必要はないと、説得するつもりでもいる。「いい、いい、一人が安気」房江は何度もかぶりを振り、拒絶の構えを崩さなかった。
 喜八が倒れて一ヶ月が過ぎたとき、やっと転院先が見つかった。山縣市の外れにある、まだ新しいリハビリテーション病院である。「武司君はよくやってるべ。ほんと感心した。いったい東京と何往復したべか。会社の管理職を務めながら、まったくたいしたもんだ」康彦が褒めると、武司は小さく笑い、「周りが協力的なんでびっくりした」と肩をすくめた。「ぼくのことを日頃毛嫌いしている役員まで、お父さんは大丈夫かって、気遣ってくれて。自分の父親が九州の実家で倒れたときも、大変な思いをしたから、会社としても出来るだけの配慮はするって------。要するに、ぼくら以上の世代は、みんな親を見送ることについての経験者だから、他人事じゃないんだよね」「ところで、おふくろさんはどうだべさ」「それがね」ここで武司が声を潜めた。「どうも淋しがってる感じはないんだべさ。この前なんか、五年ぶりに映画館に入ったなんて、うれしそうに話すしね」「えっ、そうなの?」「そうなのよ。山縣の町に出て一人で買い物したり、喫茶店でスパゲティ食べたり、なんか知らねえが楽しんでいる節があるわけ」「ははは」三人とも声を上げて笑った。「房江さん、解放されたのよ」ママが口をはさんだ。ママは一人でしゃべった。康彦は自分の老後を想い、胸が痛くなった。喜八はまだ生きているというのに、まったくひどい話である。苫沢の夜は相変わらず静かである。
 翌日、足を悪くして店に来れない老人のために、康彦は出張散髪に出かけた。途中、町の婆さん連中がグラウンドゴルフをしているのを見かけた。うちの母もいるのだろうかと、スピードを緩めると、輪の中心となって興じていた。なるほど女は強い。父も天国で苦笑いしていることだろう。そして立ち去ろうとしたとき、一人の老婆に目が行った。そのとき、大きな声が飛んだ。「次は房江さんの番だべ」康彦は運転席で尻が滑りかけた。おそらく喜八も文句はないだろう。房江が家に閉じこもることなど、誰も望んではいない。ひばりが空で賑やかに啼いていた。
「中国からの花嫁」
 苫沢町に中国人の花嫁がやって来た。農家の長男が中国へ見合いに出かけ、中国人の花嫁を連れて来た。新郎は、四十歳の野村大輔である。康彦が子供の頃から知っている向田理髪店の客で、今でも月に一度のペースで散髪に訪れ、世間話をしていく。ニュースを仕入れてきたのは母の富子だった。「野村さんのところの大輔君、結婚したそうだ」奥から店に出て来て、いきなり言うので、康彦はびっくりした。つい半月前、大輔は客として来ていたが、そんなことはひとことも言わなかったからだ。たまたま瀬川が店にいて、彼も目を丸くして驚いた。そもそも大輔は明るい性格の人間だった。町の行事にも積極的に参加してきたし、年寄り衆の面倒もよく見ていた。それが三十を二つ三つ超えたあたりから急に無口になり、付き合いを避けるようになった。理由はなんとなくわかっていた。いつまでも嫁が見つからず、肩身が狭くなったのだ。決定的な出来事もあったらしい。大輔が農協で働く女子事務員を好きになり、周囲が焚き付け、その気になってプロポーズしたところ、少し考えさせてほしいと言われた。大輔は、その返事に脈があると思い込み、みなに触れ渡った。ところが女子事務員はすぐに断るのは失礼かと思っただけで、時間を置いて、申し訳ないが農家には嫁ぎたくないと断られた。恰好がつかなくなった大輔は、しばらく行方をくらましたらしい。康彦は、明るかった大輔が、結婚出来ないという負い目だけで、これほど人が変わるものなのかと、そのことを辛く思っていた。(また明日へ続きます……)

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奥田英朗『向田理髪店』その3

2017-10-14 06:32:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
 後ほど聞いた房江の話によると、救急車の中ではまだ意識があったが、病院に着く頃には呼びかけても応答がなくなり、検査の結果、くも膜下出血だと診断されたとのこと。今は集中治療室に入っているが、危篤状態にあるとのことだった。武司は「今日にでも八王子からカミさんと子供たちを呼ぶ。圭子にもゆうべ電話した。仙台から駆けつけるって言ってた。そのまま葬式かもしれん」。圭子とは武司の妹だ。「ぼくがいるときでよかったさ。お袋一人なら、風呂から出すことも出来なかった」「うん」「最後に親孝行が出来た。そう思うことにする」「それがええ」「歳も歳だし」「八十二まで生きりゃ充分だべ」。
 祭りの前日ということもあって、向田理髪店は訪れる客がいつもより多かった。会話はもちろん喜八の一件である。倒れたとなると、それぞれに心当たりがあるようで、口々に予兆を報告し合った。ただ悲壮感はあまりなく、仕方がないという諦めの空気が大勢を占めていた。
 夜、美奈が東京から帰って来た。アパレル企業に勤めていて、「忙しい、忙しい」が口癖の長女である。康彦が暮らしぶりを訊ねても、「ちゃんとやってるって」とうるさがるだけで、まともに答えてくれない。恭子が言った。「馬場さん家、奥さんが一人残されて、これからどうするのかなあって、そんなこと思ったら、自分たちの将来も不安になった」「年よりの単身世帯なんて、苫沢じゃあ掃いて捨てるほどある」「そうだけど、甘いこと考えないで、心の準備だけはしておきたいの。最悪の事態を想定しておいた方が、焦らなくて済むじゃない」言い負かされた形で康彦が黙る。恭子の言うことは確かに正論で、みんな不安な思いを抱えつつ、誤魔化しながら生きている。
 祭りが始まっても、喜八の容態は変化なかった。武司は三歩進むごとに町民につかまり、喜八の具合を訊ねられていた。「おめえ、すぐに東京に帰らんといかんべさ。あとのことはわしらに任せ。みんな替わりばんこでお母さんを病院に連れて行ってやる」みなが手助けを申し出、武司はその都度恐縮していた。「で、今日も病院へは行ったんだろ?」瀬川が聞いた。「うん、行った。おふくろが呼びかけると、おー、おーって声を出すんだが、ぼくは辛くて見てられねえな」「何よ、意識あるわけ?」「それがあるのさ。あの晩はもう意識不明で、これは一両日中に臨終だろうなあって、覚悟したんだけど、一夜明けたら目は開けるわ、手足は動かすわで、こっちも驚いたさ。医者も持ちこたえる可能性もあるって所見を変えた。寝たきりに変わりはねえけどね」「そうかあ……、電気屋のシュウちゃんの親父さんが実は同じで、倒れてから点滴だけで一年もったから、家族はみんな大変だったべさ」「一年も?」武司は目を剥いた。「おまけに、植物状態だとしても、症状が安定すれば転院を求められるしな」「それほんと? じゃあ、この状態が続いたらどうしよう。ぼくは東京で仕事があるし、妹だって仙台で契約だけど事務の仕事やってるし、おふくろ一人で出来ることじゃねえべ。何度も帰って来なきゃなんねえし、あれこれお金もかかるし……」「東京は遠いよな……」康彦と瀬川と武司の三人でため息をついた。親を見送るというのは難事業だ。
 夜は盆踊りが開催されたが、康彦は少し顔を出しただけで、瀬川と谷口と連れだって、いつものスナック大黒に行った。「長患いはいやよねえ」ママはたばこを吹かして言う。前町長の悪口で盛り上がっているところへ、青年団の面々がどやどやと店にやって来た。「ああ、惨敗だ。ライダーは来ねえし、隣町の女子も来ねえ。屋台は赤字、機材のレンタル料も出ねえ」瀬川の息子・陽一郎が顔をゆがめて言葉を発した。「ねえ、あんたたち、親が歳とったらどうするつもり」「知らね」回答拒否のような形でそっぽを向いた。親父三人が肩をすくめる。若者たちはすぐに酔っ払い、やがて狭いスナックでどんちゃん騒ぎを繰り広げた。
 祭りが終わっても喜八の容態に進展はなかった。親戚はみな日常生活に戻り、武司だけが有給休暇を取り、実家に残った。「ぼくは十八で家を出て、ずっと自分の都合ばかりで生きて来たから、それに対する負い目もある。やっちゃんみたいに実家を継ぐとか、親の面倒を見るとか、そういう義務を何ひとつ果たしてねえから、どこか罪悪感があるって言うか……」「何言うか。昭和はとっくに終わった。苫沢みたいな過疎地で、町に残れなんて誰が言える」。(また明日へ続きます……)

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奥田英朗『向田理髪店』その2

2017-10-13 02:22:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
 その夜は吹雪になったので、和昌も出かけることが出来ず、夕食後は自室にこもり、何やら机に向かっていた。「和昌は部屋で何やってるべ」泰彦が聞くと、恭子から「佐々木さんに見せるカフェの計画書だって」という答えが返ってきた。「ずいぶん気の早い話だな。まだこれからバイトで金を溜めて、それから札幌の理容学校に2年通って、その先のことだべや」。康彦は、この機会にふと聞いてみたくなった。「なあ、今さらなんだが、和昌がなんで会社辞めたか、おまえ、聞いてねえか」「朝から晩まで上司の命令通りに働くことに虚しくなったんじゃないの? お父さんにも言ってたでしょう」現状に不満はない。理容師という仕事に誇りを持ってるし、自分の技術も自負している。けれど別の人生があったのではないかという思いが、心の奥底にあり、ときどき泰彦を苦しめる。
 3月に入ってすぐに、中学時代の恩師が他界した。85歳だったというから天寿を全うしたと言っていいだろう。生徒から好かれていたので、葬儀には大勢の元教え子が集まった。泰彦も参列した。葬儀は町のホールを借りて、盛大に執り行われた。札幌や仙台、中には東京から駆けつけた者もいて、会場はさながら同窓会のようだった。同級生では一番の出世頭である篠田は「苫沢はやっぱりいいな。うちは親も兄弟も札幌の近くに移ったから、ここに来るのは二十年ぶりくらいかな。昔のまんまだね。うれしくなった。実を言うと、葬儀に出たのは、苫沢を見たかったというのもある」と言った。「勝手なこというな。三十年前から人口は減る一方だべ。オメが家族連れて帰って来い」泰彦が冗談でつつくと、篠田は目を伏せて苦笑した。「それもいいかな」とぽつりと言う。「子育ても終わったし、カミさんと二人、のんびり暮らすのもいいかもしれん」「おい篠田。帰って来る気もねえくせに、そういうこと言うな」泰彦と篠田の間で口論になった。結果、篠田は憤慨して帰っていった。もう苫沢には来ないだろうと思った。
 苫沢にもそろそろ春の気配が訪れた頃、助役の佐々木が東京からイベントプランナーを呼び、町おこし講演会が開催された。和昌たちは、自分たちのプランを専門家にぶつけて意見を聞きたいと、大張り切りで半月前から企画書を練っていた。しかし康彦は皆の前で言った。「こったらこと言うと、町民みんなから叱られると思うけど、苫沢は沈みかけの船だべ。沈む船なら、親としては子供を逃がしてやりたい」「沈む船かどうか、やってみねえとわからねえべ」そのとき、和昌が低い声で唸るように言った。「おれたちだって現実が厳しいことぐらいわかってるべや。でも何かやりたいのさ、おじさんたちに迷惑はかけねえから、好きにやらせてくれてもいいんでないかい」若者たちが反論すると、しばしの沈黙の後、谷口が拍手をした。「いいぞ、いいぞ、その調子だ。年寄りに負けるな」野次を飛ばす。恭子も隣で拍手した。やがてそれは会場中に広がり、康彦は黙らざるを得なかった。康彦は座席に腰を下ろし、大きくため息をついた。一方で、どこか安堵する気持ちもあった。これでよかったのかもしれない。自分が恥をかき、和昌たちの株が上がった。見ない振りをして保たれる平和が世の中にはたくさんある。康彦はあと二十年、この生活を続けるつもりだ。その後店がどうなるかは知らない。和昌が跡を継ぐと言っているが、今でもあてにはしていない。
「祭りのあと」
 苫沢町に夏祭りの季節がやって来た。過疎化が進む元炭鉱町なので、盛大というわけにはいかないが、それでも屋台が立ち並び、盆帰りの宴が三晩繰り広げられ、札幌や本州から里帰りする若者や家族連れもいて、苫沢は一時の活気を得る。常連客の馬場喜八は散髪を終えても、すぐには帰らず、康彦の母・富子とおしゃべりを始めた。そうこうしているうちに、今度は喜八の妻・房江もやって来て、「お父さん、帰って来ねえから心配して見に来たべさ」と言いながら、自分もおしゃべりに加わった。午後になると瀬川が現れた。「ああ、そうだ。今日、馬場さんが散髪に来て言ってたけど、武司君、今夜帰って来るそうだから、明日の晩、一丁麻雀でもやらねえか」康彦が言った。瀬川は三十分ほどおしゃべりをして帰っていった。
 夜、房江がやって来た。「うちのお父さんが風呂場で倒れた」「馬場さんが?」。康彦たちは馬場宅に急行し、康彦と武司と和昌、男三人で喜八を担いだ。家を出て車の後部座席に載せようとすると、突如として喜八がイビキをかき始めた。康彦はすぐに脳溢血だとわかった。自分の父親がそれで死んだからだ。「武司君、やっぱり救急車呼ぼう。うちらでは手に負えね」救急車が着くと、救急隊員は「山縣中央病院に搬送します。奥さんは救急車に同乗願います。息子さんは車でついて来てください」と言った。(また明日へ続きます……)

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奥田英朗『向田理髪店』その1

2017-10-12 05:41:00 | ノンジャンル
 奥田英朗さんの’16年作品『向田理髪店』を読みました。6編の短編からなる本です。
「向田理髪店」
 「向田(むこうだ)理髪店」は北海道の中央部、苫沢町(とまざわちょう)において戦後間もない昭和25年から続く昔ながらの床屋だった。店主の康彦は53歳の平凡な理髪師で、28歳のときに父親から引き継ぎ、四半世紀にわたって夫婦で理髪店を営んできた。向田泰彦が家業を継いだのは、父親がヘルニアを患い、店に立てなくなったからだ。苫沢は、かつて炭鉱で栄えた町だった。しかし40年代に入るとエネルギー政策は石油へと転換され、海外の石炭との競争にも勝てなくなり、衰退が始まった。泰彦の少年時代は、丸々その衰退期だった。打開策として町は映画祭を誘致し、レジャー施設を造るなど観光に力を注いだものの、すべて振るわず、放漫なハコモノ行政のツケは膨らむばかりだった。泰彦が札幌で社会人になった年、苫沢町は財政破綻した。将来性がないから、泰彦は自分の代で終わらせるつもりでいた。25歳の長女・美奈は、東京の服飾専門学校に進み、そのまま東京のアパレル会社で働いている。23歳の長男・和昌(かずまさ)は札幌の私立大学を卒業し、同地で中堅の商事会社に就職した。そんな中、息子の和昌が苫沢に帰って来ると言い出した。
 「おれは地元をなんとかしたいわけさ」今年の正月に帰省したとき、和昌は家族を前にして唐突に言ったのである。和昌が熱く語るのを聞きながら、泰彦は少なからず違和感を覚えていた。はて息子は中学生の頃から床屋は継がないと言っていたはずではないか。和昌の宣言を手放しで歓迎したのは母だった。妻の恭子は、「何もこんな田舎の散髪屋を継がなくてもいいのに」と、将来を案じつつも、内心は喜んでいるようだ。「要するに、従来通りの散髪屋でやって行こうとするから、先が見えねえわけだべさ。おれの計画はね、店を建て増しして同じ空間にカフェを造るわけ。町民の憩いの場にしてもらって、新しい客を取り込むわけさ」。泰彦は反論したいことがたくさんあったが、「とにかくもう少し待て」と諫め、そのときは言わないでおいた。そもそも資金はどうするのか、向田家にそれを捻出する余裕はない。すると一月も経たないうちに、和昌は親に相談もなく会社を辞め、実家に戻ってきた。苫沢で1年間アルバイトをして学費をため、それで再び札幌に行って理容学校で2年間学び、26歳で理容師になると言う。泰彦は息子の決断に困惑するばかりだった。本音を言うなら、我が息子にはもう少し大志を抱いて欲しかったのである。
 和昌は町の木工所でアルバイトを始めた。幼馴染の谷口は康彦に「後継ぎができたのに、何を贅沢言ってる」と言うのだった。
 和昌は木工所での仕事を終えると、家に帰ってきて夕食を食べ、毎晩のように出かけていった。行きつけのスナックに青年団の仲間で集まっているらしい。そしてその輪には市の助役の佐々木が加わり、勉強会の様相を呈してくるときもあると言う。佐々木は霞が関から派遣されてきていた若者だった。
 泰彦の家での収入は家族が充分に食べていけるだけはあるが、贅沢をする余裕はない。ある日、客として佐々木がやって来た。和昌の計画に関して、「資金に関しては、助成金制度を使えば負担軽減できますよ。過疎地で暮らす町民の新事業に無担保無利子で三百万円まで融資する特別制度があって、苫沢町は対象自治体です。とにかくバックアップだけはちゃんとしたいというのが町の方針です。ですから我々が願うのは、町民のやる気なんです」と言う。「ほらあ、お父さん」「うるさい、おまえは黙ってろ」。泰彦は、これなら青年団が佐々木に心酔しているのも納得がいった。
 泰彦は幼馴染の瀬川を訪ねた。瀬川はガソリンスタンドを経営していた。「この前、佐々木さんがうちへ散髪に来たとき聞いたけど、陽一郎君、店舗を改装して書店を併設するのかい?」「漫画に特化すれば客は来るって言うが、オメ、年寄りばっかの町で、どうして漫画で客を呼べる?」「じゃあ、許さねえわけだね」「うん、まあ……」。けれどここでトーンダウンした。「跡を継いでくれるって言うから、そこはなんと言うか、あんまり抑えつけるのもマズイかなって、女房とは話してるんだけど……」。(明日へ続きます……)

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