今日は映画監督で映画批評家、そして映画作家へのインタビューでも活躍したフランソワ・トリュフォー氏の34回忌にあたる日です。彼が亡くなってからもう18年の年月が経つのですね。しかし彼の映画は少しも古びてないどころか、年々力を増しているようにも思えます。私は彼の映画では『アメリカの夜』が一番好きですが、みなさんはどの映画がお好きでしょうか? お知らせいただけると幸いです。
さて、また昨日の続きです。
次の土曜日、こんどはエキストラのオーディションがあった。町民ホールの会議室で行われ、映画会社からはチーフ助監督が審査にあたった。康彦が金物屋の亭主役でエントリーしたら、瀬川も谷口も申し込んでいて、会場で鉢合わせした。三人とも譲らず、順にオーディションを受けることになった。すぐに決まると言うので、ロビーで談笑しながら待っていたら、掲示板にオーディション結果が張られ、金物屋の店主役は農協の職員が選ばれた。「なんだよ、出来レースとちがうのか」瀬川が口をとがらせている。ほかの役を見ると、死体を見つけて腰を抜かす老婆役は、母の富子が選ばれていた。どうやらエントリーしたのが母だけだったらしい。それ以外には、農家の中国人妻の香蘭や、スナックさなえのママなどが台詞付きのエキストラに選ばれていた。こうなると楽しみが増えた。知人がスクリーンに映るのだ。和昭も帰省してきたが、「オーディションはだめだった。でも、頼み込んで裏方で使ってもらうことになった」と目尻を下げて言った。「学校はどうすんだ」「現場実習の授業があるから、その代わりに充ててもらう。あらかじめ学校に話して許可ももらってる」康彦は息子の積極性に驚いた。ちゃんと成長しているようである。
一度スケジュールが決まると、ロケ隊の動きは迅速だった。そして十二月の第一週、ロケ本体がいよいよ苫沢にやって来た。康彦は子供の頃、サーカス団がやって来たことを想い出した。今回のロケ隊は、久しく忘れていた慰問の一座なのだ。
ロケが始まると、町中が四六時中そわそわしている感じだった。大原涼子は、撮影以外はほとんどホテルから出ない様子だった。ただ、ロケのクルーは大半が若者たちなので、夜になると居酒屋やスナックに繰り出し、町が祭りのように賑わった。母のエキストラ出演には、康彦が同行した。一張羅を着て行くと駄々をこねる母を説き伏せ、地味な防寒服を着せて、車に乗せて撮影現場に向かった。和昌は朝から晩までアシスタントとしてついて回り、刺激を受けていた。「おれ、いっぺん東京へ行きたくなった」と、穏やかならぬことも言う。妻は焦っていたが、康彦はそれならそれでいいと思った。苫沢で理髪店を継ぐことの方が、将来性はないのだ。
そんなこんなで、ロケの二週間はあっという間に過ぎた。カーチェイスも、車が崖から転落するシーンも、町民の知らないところで行われ、誰も見た者はいなかった。最後にまた俳優陣の挨拶があるのかなと思っていたら、そういうことはなく、出番が終わった俳優から順に東京に帰っていったと、あとになって聞かされた。康彦の店に来る客は、口々に映画のロケの話をした。映画の完成は春と聞かされた。それまでは、まだまだ楽しめそうである。
映画「赤い雪」が完成したというニュースは、三月になって町役場のホームページで公表された。公開に先立ち、町民ホールで特別試写会が開かれることになった。ただ、始めから一悶着あった。中学生以下が観られない「R15指定」だったのである。きっと刺激的なシーンがいくつかあるのだろう。藤原は、「R15指定」になることを事前に聞かされていなかったと言い訳したらしい。
試写会は土曜日の夕方から行われた。いよいよ上映である。そもそも映画が上映されるのはいつ以来のことか。冒頭のシーンで《ようこそ苫沢町へ》の看板が映っただけで、会場からどよめきが沸き起こる。続いて、かまくらで子供たちが遊んでいるシーンに変わった。今度はスクリーンに町民が登場して歓声が上がった。「おー、川田さん家の浩太君だ」「はは、裏のユキちゃん、可愛く映ってるべ」そんな声があちこちから漏れる。こうなると「R15指定」が恨めしかった。本人たちが観たらどれだけよろこぶか。ただし、会場の雰囲気が温かかったのは最初の三十分だけだった。殺人が起きてからは急に空気が重くなり、陰惨なシーンがいくつも続いた。田舎の人間模様とムラ社会が、諧謔味たっぷりに描かれていて、容赦ない。大原涼子は若い殺人犯をかくまう設定だったが、初めて見せる汚れ役だった。康彦は途中から居心地が悪くなった。町民の中には、田舎を馬鹿にされたと不愉快に思う人がいるかもしれない。(また明日へ続きます……)
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
さて、また昨日の続きです。
次の土曜日、こんどはエキストラのオーディションがあった。町民ホールの会議室で行われ、映画会社からはチーフ助監督が審査にあたった。康彦が金物屋の亭主役でエントリーしたら、瀬川も谷口も申し込んでいて、会場で鉢合わせした。三人とも譲らず、順にオーディションを受けることになった。すぐに決まると言うので、ロビーで談笑しながら待っていたら、掲示板にオーディション結果が張られ、金物屋の店主役は農協の職員が選ばれた。「なんだよ、出来レースとちがうのか」瀬川が口をとがらせている。ほかの役を見ると、死体を見つけて腰を抜かす老婆役は、母の富子が選ばれていた。どうやらエントリーしたのが母だけだったらしい。それ以外には、農家の中国人妻の香蘭や、スナックさなえのママなどが台詞付きのエキストラに選ばれていた。こうなると楽しみが増えた。知人がスクリーンに映るのだ。和昭も帰省してきたが、「オーディションはだめだった。でも、頼み込んで裏方で使ってもらうことになった」と目尻を下げて言った。「学校はどうすんだ」「現場実習の授業があるから、その代わりに充ててもらう。あらかじめ学校に話して許可ももらってる」康彦は息子の積極性に驚いた。ちゃんと成長しているようである。
一度スケジュールが決まると、ロケ隊の動きは迅速だった。そして十二月の第一週、ロケ本体がいよいよ苫沢にやって来た。康彦は子供の頃、サーカス団がやって来たことを想い出した。今回のロケ隊は、久しく忘れていた慰問の一座なのだ。
ロケが始まると、町中が四六時中そわそわしている感じだった。大原涼子は、撮影以外はほとんどホテルから出ない様子だった。ただ、ロケのクルーは大半が若者たちなので、夜になると居酒屋やスナックに繰り出し、町が祭りのように賑わった。母のエキストラ出演には、康彦が同行した。一張羅を着て行くと駄々をこねる母を説き伏せ、地味な防寒服を着せて、車に乗せて撮影現場に向かった。和昌は朝から晩までアシスタントとしてついて回り、刺激を受けていた。「おれ、いっぺん東京へ行きたくなった」と、穏やかならぬことも言う。妻は焦っていたが、康彦はそれならそれでいいと思った。苫沢で理髪店を継ぐことの方が、将来性はないのだ。
そんなこんなで、ロケの二週間はあっという間に過ぎた。カーチェイスも、車が崖から転落するシーンも、町民の知らないところで行われ、誰も見た者はいなかった。最後にまた俳優陣の挨拶があるのかなと思っていたら、そういうことはなく、出番が終わった俳優から順に東京に帰っていったと、あとになって聞かされた。康彦の店に来る客は、口々に映画のロケの話をした。映画の完成は春と聞かされた。それまでは、まだまだ楽しめそうである。
映画「赤い雪」が完成したというニュースは、三月になって町役場のホームページで公表された。公開に先立ち、町民ホールで特別試写会が開かれることになった。ただ、始めから一悶着あった。中学生以下が観られない「R15指定」だったのである。きっと刺激的なシーンがいくつかあるのだろう。藤原は、「R15指定」になることを事前に聞かされていなかったと言い訳したらしい。
試写会は土曜日の夕方から行われた。いよいよ上映である。そもそも映画が上映されるのはいつ以来のことか。冒頭のシーンで《ようこそ苫沢町へ》の看板が映っただけで、会場からどよめきが沸き起こる。続いて、かまくらで子供たちが遊んでいるシーンに変わった。今度はスクリーンに町民が登場して歓声が上がった。「おー、川田さん家の浩太君だ」「はは、裏のユキちゃん、可愛く映ってるべ」そんな声があちこちから漏れる。こうなると「R15指定」が恨めしかった。本人たちが観たらどれだけよろこぶか。ただし、会場の雰囲気が温かかったのは最初の三十分だけだった。殺人が起きてからは急に空気が重くなり、陰惨なシーンがいくつも続いた。田舎の人間模様とムラ社会が、諧謔味たっぷりに描かれていて、容赦ない。大原涼子は若い殺人犯をかくまう設定だったが、初めて見せる汚れ役だった。康彦は途中から居心地が悪くなった。町民の中には、田舎を馬鹿にされたと不愉快に思う人がいるかもしれない。(また明日へ続きます……)
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)