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鈴木則文監督『トラック野郎 男一匹桃次郎』

2018-12-17 06:22:00 | ノンジャンル
 WOWOWシネマで、鈴木則文監督・共同脚本の1977年作品『トラック野郎 男一匹桃次郎』を見ました。
 砂浜沿いの道。起床時計で目を覚ます桃次郎(菅原文太)。やもめのジョナサン(愛川欽也)も目を覚まし、桃次郎は焼き魚、ジョナサンは洋食を食べる。日の出に柏手を打つ2人。「よーし、出発だ」。
 小便を我慢できず瓶の中にする桃次郎。ランニングする女学生に缶ジュースを投げてあげる桃次郎とジョナサン。
 喉が渇いた警官(桂歌丸と三遊亭小円遊)にもと、桃次郎は小便の入った瓶を渡し、ジョナサンは自分が飲んでいた酒瓶を渡す。小便の瓶を争って飲む警官。
 “九州”“熊本”の字幕。「殺される」と言って桃次郎の冷凍車の中に隠れる男(左とん平)。ヤクザたちがシマ荒らしをしたと追いかけてきて、男のくしゃみを聞き付け、桃次郎たちとケンカになるが、撃退される。桃次郎のトラックの星の飾りを盗む少年。追いかける桃次郎だったが見失う。「そう言えば男を冷凍庫に入れっぱなしだった」。扉を開けると凍っている男。
 男は桃次郎にふぐの肝を御馳走するが、やがて桃次郎は手足がしびれてくる。男「ふぐに当った!」店主「うちは鯛チリしかだしてないよ。毒抜きのために砂に埋めよう」。
 砂から頭だけ出して埋められた桃次郎。“唐津焼 恵山坊釜”と書かれた車から降りた女性はハイヒール姿で、桃次郎を踏み越える。その女性(夏目雅子)に一目ぼれした桃次郎は、自分は地質学者で研究のためにこんなことをしていると言う。やって来たジョナサンはトルコの話をし始めるが、桃次郎は取り合わない。
 食堂。先程の女性・マサコは店の者(湯原昌幸)に剣道の稽古日なのでお供すると言われる。(中略)
 “東京”の字幕。桃次郎、ジョナサンに「まっすぐ家に帰ろよ」。車椅子の青年に熊本土産のザボンをあげる。ジョナサン、電話で妻(春川ますみ)に「今、沼津だ。明日の朝、仕込みをやるから準備しとけ」。
 小料理屋。ジョナサン「一番乗りだな。カズヨちゃん(浜木綿子)。これお土産のザボン。どうせ家に帰っても独りぼっち。妻は実家に帰った。子供ができないから」。
 家に帰るジョナサン。10人の子供の点呼。「みやげはザボンだ。貴重品だぞ」。妻「みんなゆっくりと銭湯に行ってきなさい。父ちゃん、好物のスタミナ料理がたっぷりあるよ」。桃次郎がやって来る。「2時に築地に着いた。これから唐津に行く」。“寄生木”(やどりぎ)のマッチを発見するジョナサンの妻。ジョナサン「今日一緒に一日中いたよな」子供「もっと上手な嘘をつきなさい」妻「今夜ゆっくりと話しましょう」。
 トルコ風呂。桃次郎「えらく豪勢だな」「桃さん専用の部屋よ」「さんざん投資したからな。でもそれも今日限りだ。身を固める決心をした」「また?」。冷凍庫の男、やって来てマサコが唐津焼の名門の出で、剣道3段だと教えくれる。
 “唐津”の字幕。武道館で剣道のけいこ中。審判係の桃次郎「お見事、マサコさん」「桃次郎さん、しばらく」「私も恥ずかしながら幼少時から剣道をたしなんできました」「流派は?」「円影殺法です。(中略)お手合わせを。どっからでもかかって来てください」。滅多打ちにあう桃次郎は、最後は伸びてしまう。
 ジョナサンに「一番星、見つかったか?」「1カ月音信不明だ」「あんな負け方したら顔を出せない」「山中で首でも吊って犬にでも食われてるんじゃ?」。
 山中で特訓する桃次郎。葉隠れで剣の極意を知る。滝行に打たれ、頭にザボンがおっこちてきて気を失う。
 釣りをしていた少年。「ちゃん、人が!」。男(若山富三郎)、桃次郎を助ける。「助けてくれてありがとうございます。お名前は?」「人呼んで子連れ狼」「あっ、泥棒! 俺の星を返せ」子連れ狼「ちゃんと綺麗にして返して謝りなさい」「ごめんなさい。ちゃんの車には飾りはつけないの?」「車は見かけでなく中身たい」。
 桃次郎、武道館へ。マサコ「心配してた」「血のにじむような修行をしてきた」「あたしの負けね。そのひたむきさに。明日の全九州大会にもその心で行くわ」。
 “恵山坊釜”。桃次郎「失礼します。お父上、武道の友として私がマサコさんをお送りします」「マサコは今頃汽車の中だ」。
 桃次郎が運転していると、子連れ狼のトラックにマサコが。「お父上の命令です。降りてください。女を乗せようなんて男はろくな者じゃない」。子連れ狼を停まらせ、「剣道で勝負だ」「ケンカはしない」マサコ「姉の夫の袴田太一です」「これはまた失礼を」。少年、桃次郎のトラックに乗りたがる。「じゃあ、私も」とマサコ。「女は乗せない主義なんですが」。
 「きれいだな。一番星さんのトラック。お父ちゃんのトラックも飾ってやる」。“鹿児島”の字幕。……

 とこの辺まで来て録画が切れてしまっていました。この先はウィキペディアで見ていただきたいと思います。

フィリップ・ロス『プロット・アゲンスト・アメリカ』その3

2018-12-16 10:07:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
「『プロット・アゲンスト・アメリカ』が刊行された2004年といえば、9/11以降のブッシュ政権によるアメリカの理想を踏みにじるふるまいに激しい非難の声が上がった時期であり、この小説で述べられるヒトラー、リンドバーグへの脅威をジョージ・W・ブッシュとその側近の横暴に重ねあわせた読者も多かった(白状すれば、僕も初読時はそうだった)。だがロス本人は、この本は二十一世紀のアメリカを寓話的に語ったものではなく、あくまで1940年代初頭のアメリカ自体に対する純粋な興味に導かれて書いたものだと主張している(もっとも、文学作品の『意味』が社会的文脈によってさまざまに読み換えられていくという事実はロスも認めているが)。いずれにせよ、ブッシュの横暴自体は━━それが残した傷跡はともかく━━ひとまず過去のものとなったいまも、この作品の持つ衝撃力がいささかも失われていないことは、校正刷りを読み進めるなかで十分確認できた。

 1933年に生まれ、59年に『さようなら コロンバス』で本格デビューして以来、半世紀以上に及ぶキャリアを通して旺盛な創作活動を続けてきた作家ロスは、アメリカでもっとも権威ある文学叢書シリーズ〈ライブラリー・オブ・アメリカ〉に存命中に作品が収録された3人目の作家となった。いまやまさしくアメリカ文壇の大御所的存在である。そのキャリアの最盛期を強いて挙げるなら、『アメリカン・スパイラル』(1997)、『ヒューマン・ステイン』(2000)などの非常に濃密な本格長篇を立て続けに4冊発表した1995年から2000年あたりということにおそらくなるだろうが、この『プロット・アゲンスト・アメリカ』もその最盛期にひけをとらない力強さを持つ一冊だと思う。
 ほかの〈ロス本〉との関係でいえば、『父の遺産』で語られたフィリップの両親ハーマン、エリザベスの人生のいわば『前日談』(の改変)としてもこの本は読める。『父の遺産』においては長い人生を逞しく生きてきたことを讃えられる父ハーマンが、この前日談では、まさに男盛りの時期であるにもかかわらず、ファシズムの浸透によってじわじわとその威厳を剝ぎとられていく。そうした展開は、『父の遺産』を念頭におくといっそう切実さを増す。2冊の〈ロス本〉をあわせてお読みいただければと思う。(後略)」

 次に目次を書き写しておくと、
1 1940年6月━━1940年10月
  リンドバーグに一票か、戦争に一票か
2 1940年11月━━1940年6月
  大口叩きのユダヤ人
3 1941年6月━━1941年12月
  キリスト教徒のあとについて
4 1942年1月━━1942年2月
  切株
5 1942年3月━━1942年6月
  いままで一度も
6 1942年5月━━1942年6月
  あの連中の国
7 1942年6月━━1942年10月
  ウィンチェル暴動
8 1942年10月
  暗い日々
9 1942年10月
  終わらない恐怖
と、なっています。

 ちなみに冒頭の部分を書き写してみると、
「恐怖が、絶えまない恐怖が、ここに綴る記憶を覆っている。むろん恐れのない子供時代などありえないが、もしリンドバーグが大統領にならなかったら、あるいは自分がユダヤ人の子孫でなかったら、私はあそこまで怯えた子供だっただろうか。
 1940年6月、最初の衝撃が訪れた。アメリカが世界に誇る英雄飛行士チャールズ・A・リンドバーグが、フィラデルフィア共和党大会において大統領候補に指名されたのだ。当時私の父親は39歳で、中学も終えていない保険外交員として、週に50ドルを少し下回る、いちおう基本的な生活費には足りるがそれ以上はほとんど残らない額を稼いでいた。この時点で36歳だった私の母親は、若いころ教員養成大学に進みたかったものの家に余裕がなくて果たせず、高校を出ると会社秘書となって自宅から通勤し、結婚してからは毎週金曜に父から渡される給料で、もろもろの家事をてきぱきとこなす有能さで上手にやりくりし、大恐慌のどん底の時期にも私たち子供に貧乏な思いをさせなかった。兄のサンディは画才にかけては神童と言っていい12歳の7年生で、私は1年飛び級した3年生、アメリカ中の数百万人の子供と同じく全米一の切手収集家ローズヴェルト大統領に刺激されて収集家の卵となった七歳の子供だった。……」

 以上が約1ページ分で、520ページにわたる大著です。柴田元幸さんの訳であり、面白そうな小説なのですが、何しろこのところ忙しく読む暇がありませんでした。また改めてじっくりと読もうと思っています。

フィリップ・ロス『プロット・アゲンスト・アメリカ』その2

2018-12-15 05:56:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
「リンドバーグに関しても、歴史家アーサー・シュレジンジャーは、1940年、一部の共和党政治家たちがまさに彼を大統領選に担ぎ出すことを検討していたという事実を指摘している。実はロスも、2000年12月、シュレジンジャーのそうした指摘に行きあたって、『もし本当にそうなっていたら?』と考え、この本の執筆を思いついたと語っている。
 また、1930年代においてすでにアメリカで反ユダヤ思想やファシズムがそれなりの脅威だったことを示す傍証として、1935年刊のシンクレア・ルイスの小説『イット・キャント・ハプン・ヒア』(ここではそんなことは起こりえない)を挙げることができる。これは、1936年大統領選という、刊行時から見てすぐ先の未来に、バーゼリアス・〈バズ〉・ウィドリップなる煽動的政治家が勝利を収め、全体主義的、反ユダヤ的政策を推し進めるという設定の小説である(中略)。政治を正面から扱った小説の代表例として、今日でも時おり引合いに出されるし、またフィリップ・ロスの父親ハーマンの愛読書でもあった。ロス自身の小説『アメリカン・パストラル』(1997)でも、登場人物がこの本に言及している。
 とはいえ、当時そのように反ユダヤ主義や全体主義の脅威が現実にあったという事実が、この『プロット・アゲンスト・アメリカ』の作品としての質を保証するわけではないことは言うまでもない。史実に適合していようがいまいが、じわじわ迫害され丸腰にされていくロス一家の恐怖感を我々がどこまで生々しく共有できるかがこの本の鍵であり、それが実に見事なストーリーテリングとも相まって、本書を非常に読み応えのある一冊にしている。
 特に、まだ幼いフィリップ少年が、言語・意識レベルではファシズムやヒトラーの脅威がいかなるものなのかいまひとつ理解していないにもかかわらず(彼にとってはヒトラーの動向より自分の切手コレクションの方がはるかに大事なのだ)、家族が徐々に崩壊していくなか、彼が頭より肌で感じている心細さ、寄るべなさがひしひしと伝わってくる点が、この本の一番大きな魅力であり愛すべき点だと個人的には思う。先達の『イット・キャント・ハプン・ヒア』との違いもそこにある。大人の安定した視点から語られるせいでどうしても戯画的な感じがしてしまう『イット・キャント……』とは異なり、『プロット……』は子供のナイーブな感情と大人の語りの効率性がきわめて巧みにブレンドされていて、読む者を終始惹きつける。『プロット……』を書評したJ・M・クッツェーも、『子供だった自分への成人男性の愛情というものを語りうるとすれば、幼いフィリップに対する作家の情愛と敬意こそこの本のもっとも魅力的な側面のひとつである』と述べている。
 フィリップのみではない。階下に住む、フィリップに付きまとって彼を辟易(へきえき)させる(そういう子供同士の感情が後半では物語を大きく動かすことになる)セルドンや、フィリップの兄サンディ、いとこのアルヴィン等々、この小説に出てくる子供や若者は、みなそれぞれ劇的な形で、ファシズムの擡頭(たいとう)によってその生を損なわれていく。1940年のアメリカという舞台は個別的でも、そのように傷つけられていく若い生の痛みは普遍的である。だから、二十一世紀の日本に生きる我々の胸にも訴えるものをこの本は持っている。
 語りの効率性ということに触れたが、これについては、訳していて何度もつくづく見事だと思った。一部をさりげなく象徴的に語って全体を感じさせるとか、書き連ねていくうちに曖昧さがますます増殖していくとかいった技巧ではない。むしろ、(現代文学の常識からすればそんなことが可能なのかと思いたくもなるのだが)作品世界を過不足なく思い描き、描写すべき事物や心理をきっちり描写していく、serviceable(実用的な)と呼びたいたぐいの見事さである。この作品に限らず、近年のロスの文章で一番光っているのもこの点だと思う。(中略)
『プロット・アゲンスト・アメリカ』は、2013年に刊行された本格的なロス伝『ロス・アンバウンド』(著者はクローディア・ロス・ピアポント、血縁にあらず)によれば、ロスがシュレジンジャーの私的に出会った2000年12月が終わらぬうちに早くも書きはじめられた。タイトルは、1946年に発行された、本書でもある章で大きな役割を演じる政治家バートン・K・ウィーラーを攻撃した政治パンフレットの題名を借用したという。そのパンフレットでは文字どおり『反米陰謀』という意味だったわけだが、この小説でもそういう反米陰謀としての『ファシズムの脅威』の意を基調にしつつ、そこに小説の『筋書き(プロット)』の意味も重ねられているし、また、反ユダヤ主義者がでっち上げた『ユダヤ人による反米陰謀』も念頭に置いているだろう。」(また明日へ続きます……)

フィリップ・ロス『プロット・アゲンスト・アメリカ』その1

2018-12-14 06:09:00 | ノンジャンル
 今年亡くなったフィリップ・ロスの2004年作品『プロット・アゲンスト・アメリカ』を読みました。
 訳者の柴田元幸さんの「訳者あとがき」を転載させていただくと、

「英米の小説では、扉の前で1ページを割き、Also by …またはBooks by…というふうに著者のそれまでの著作を列挙するのが常である。そしてフィリップ・ロスの場合、ただ列挙するのではなく、いくつかの『ジャンル』に著作を分類して並べるのが恒例になっている。最新刊『復讐の女神(ネメシス)』(2010)での分類は、〈ザッカーマン本〉、〈ロス本〉、
〈ケペシュ本〉、〈ネメシスたち短い長篇〉、〈雑文集(ミセレイニアス)〉、〈その他〉。このうち〈ザッカーマン本〉、〈ケペシュ本〉は、それぞれネイサン・ザッカーマン、デイヴィッド・ケペシュという、作者ロスの分身的存在を主人公にした小説であり、〈ロス本〉は文字どおりフィリップ・ロスなる人物が登場する作品である。七歳から九歳までのフィリップ・ロス少年を視点人物とするこの『プロット・アゲンスト・アメリカ』も、ひとまず〈ロス本〉として分類されている。
 フィリップ・ロスが出てくるのだから、自伝的な作品かというと、ここが一筋縄では行かないのがフィリップ・ロスである。長いキャリアを通して━━特に、一連の〈ザッカーマン本〉を通して━━ロスは生きられた生と想像された生、書かれた世界と書かれていない世界との錯綜した関係を追究してきた。フィリップ・ロスが出てくるから自伝、という簡単な話では済まない。
 たとえば〈ロス本〉のひとつ『オペレーション・シャイロック』(1993)では二人のフィリップ・ロスが出てきて、作家ロスはもう一人の、見かけも服装もそっくりなロスが自分の名(といってもそれはそのもう一人の名でもあるわけだが)を騙(かた)って講演などをしていることを知る(しかもこの作品は『小説』ではなく『告白』と銘打たれている)。
『事実(ザ・ファクツ)』(1988)もその名のとおり小説家の半生をおおむね 事実どおりに綴っているように見えるが、最期の章には〈ザッカーマン本〉の作中人物ネイサン・ザッカーマンからの手紙が引用され、この本でのロスの語りの信憑性に(それなりに説得力がある)疑義が呈される。
『父の遺産』(1991)はおそらくもっとも率直に自伝的な作品であり、八十六歳の父親ハーマン・ロスを世話する五十代の息子フィリップの感慨がストレートに伝わってきて、病、老い、死、親子の情愛といったテーマを直球で語るまっすぐさが読み手の胸を打つ。
 そして本書『プロット・アゲンスト・アメリカ』も五冊ある〈ロス本〉の一冊であり、その設定はひとまず明快である。まず、1940年、作家の七歳当時の家族とその環境を━━ほかの作品内外での発言・記述から判断する限りおおよそ忠実に━━再現する。ただし、その『環境』にはひとつ大きなひねりが加えられる。すなわち、史実では民主党の現職フランクリン・D・ローズヴェルトが三選を果たした1940年アメリカ大統領選において、初の大西洋単独横断飛行を成し遂げた空の英雄チャールズ・A・リンドバーグが共和党から出馬してローズヴェルトを破るのである。この〈もうひとつのアメリカ〉の大統領となったリンドバーグは、ヒトラーと結託し、アメリカのユダヤ人の尊厳を破壊しコミュニティを瓦解させるための政策を次々展開する。これによって、それまではアメリカ人であることにほとんど何の疑問も持たずに済んでいたロス一家も、父が職を失い、地元の共同体もばらばらになっていくなか、どんどん追いつめられていく……。
 ロスは以前にも、カフカが病で早世せずアメリカに渡って平凡なヘブライ語教師として生涯を終える(そしてもちろん一連の名作を発表しないまま終わる)という事態を思い描いた文章を書いたことがあり(「『みんなから断食をほめられたいとそればかり考えていたんです』または カフカを見つめて」飛田茂雄訳、『海』1974年11月号掲載)、現在我々がカフカを読めるということがどれほどの奇跡かをあらためて実感させる見事な物語をつくり上げていたが、今回のように、長篇一冊を通して歴史の改変を試みたのは初めてである。
 さて、リンドバーグが大統領に選ばれてユダヤ人を迫害するというのは、決して荒唐無稽な設定ではない。現実のリンドバーグが反ユダヤ思想の持ち主だったことはつとに知られているし、ほかにも、自動車王ヘンリー・フォード、人気の『ラジオ司祭』コグリン神父など、この小説にも登場するような反ユダヤ主義著名人は何人も存在し、ユダヤ系の人々はその脅威を感じていた。当時アメリカでは自動車といえばまずはフォードだったわけだが、ロスが少年時代を過ごしたニュージャージー州ニューアークのユダヤ人街では誰一人フォードに乗っていなかったという。」(明日へ続きます……)

鈴木則文監督『トラック野郎 度胸一番星』その2

2018-12-13 06:20:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
 桃次郎「さらば土佐よ」。一目惚れした時、ミナコを覆っていた星が落ちていく。
 飲酒運転する桃次郎。「新潟どうだった?」とジョージ。「てめえらか。畜生」。競走を始める彼ら。路肩にミナコの姿を見つけ、路肩に乗り上げる桃次郎。改めて見るとただの人形。
 桃次郎「ジョージはなんでトラック野郎に八つ当たりするんだ? 根性を叩き直してやる」。
 “原発予定地”の看板。ジョージ「この死にぞこないたちが。はした金で土地を売りやがって。ここは俺が生まれたところだ。自分で幕を引きに来た」と言い、自分のトラックで村を破壊し始める。八代亜紀「やめて」「うるさい」。
 桃次郎「待ってたぜ。このサメ野郎。なんで無線を嫌う?」「お国自慢をしたりして耳障りでへどが出る」ジョーズ軍団「俺の村は筑豊でもうない」「俺は沖縄だ」「俺の村はダムの底だ」「俺は青森生まれで日本のチベットと言われてる」(中略)桃次郎「お前は自分の国が欲しいだけだ」「俺との勝負はデスマッチだぞ。お前ら手を出すな」。桃次郎とジョージの激しい殴り合い。やがてジョージがトラック野郎たちから殴る蹴るの暴行を受ける。砂利パン、包丁を持って現われ、「寄ってたかって」とジョージを抱き上げる。胴上げされる桃次郎。八代亜紀の歌。ビール飲む桃次郎。見つめ合うジョージと砂利パン。すりよる砂利パン。
 トルコ嬢たち「桃さんが結びの神ね」「俺のふるさとはトルコだ。近くにありて臭いもの。土産は新潟の特選米だ。佐渡では女の先生から尊敬され、結婚を迫られた」「罪な男ね」「罪滅ぼしにもう一発」「手紙が届いてるわよ。『なかなか戻ってこないので心配しています。遠足に連れていってくれるのを待ってます。カナコ』だって」「行くぞ」「行っちゃいや~ん」。
 「あれが夫婦岩だ。(岩の穴を見て)ミナコさん、まだ特出しは早すぎる」。
 ジョナサン「金なんてない」。
 家族写真を見て、子供の名前を呼び、回想し、泣くジョナサン。
 桃次郎「あのバカ、まじめにやってますか?」ミナコ「金沢旅行は一泊」「ミナコさんとは別室で」ジョナサン「金なんて出ねえ。何だ。こんなもの。よく騙してくれたな。俺の生活どうしてくれんだ?」桃次郎「バカ、金はある。妻と10人の子供という、どこにもない立派な金が」。
 “燃える教育者”のプレート。トラックに乗った生徒「喉渇いた」運転席の裏にある自販機からジュースを出す桃次郎。“金沢”の字幕。
 桃次郎「アベックが多すぎますね」生徒「先生も早く結婚したら? 桃次郎さんと。あっ、先生赤くなった」「子供は思いがけないことを言いますね」。
 桃次郎「おじさん、何でもできるんだよ」とタヌキの顔になっている。ミナコ「学芸会で『ぶんぶく茶釜』をするんです」「僕も級長でよく主役をしました。『星の王子様』の時は人気がありましてねえ」。
 ジョナサンに「18万どころか、1円にもならなかった。いきなりネズミ捕りに捕まって」ジョナサン「車の貸し料を頼みにしてたのに」「毎週必ず払うか払わないかで手を打とう。荷物は預かる」。(中略)
 花火。“新潟祭り”の字幕。ミナコが踊る。生徒たちに促され、桃次郎も踊る。楽しいひと時。
 「ジョナサン、俺、乙羽桃次郎になるかも」「性教育は済んだのか?」「金沢兼六園ではっきり分かった」「俺が行ってはっきりさせてやる」。
 ジョナサン、ミナコに「ダメ? ダメなんでしょ? この辺で振られるのは慣れてるから。経歴に傷がつくし」「松下さん、私、自分で言います」「ご自分で?」「好きです。私をお嫁さんに。佐渡で待ってます」「桃さん、やったな」。(中略)
 嵐。(中略)
 老人「流れろ。金も何もかも。金なんかねえ」ミナコ「おじいシャン、卑怯よ。夢を最後になって諦めるなんて」「もう金は掘れねえ。この嵐で道具が流れてしまう」「私、持ってきてあげる」。
 道具を集めるミナコ。金の塊を見つけるが、鉄砲水にミナコは飲みこまれてしまう。
 生徒「先生、何で死んだんだよう」「学芸会、しっかりやるからね」老人「あの子は土から生まれて土に戻ったんだ。そう思って諦めてくれ」。(中略)
 “金沢中央卸売市場”の字幕。重量オーバーを指摘されたジョナサン「このブリを6時までに新潟に運ばないと6千万がパーになる」警官「こんな飾りつけやがって」と飾りを破壊し始める。抵抗するジョナサンは公務執行妨害で逮捕される。
 ジョナサン「荷が腐っちゃう。離婚して首を吊るしかない」(中略)桃次郎「金沢から新潟まで8時間かかるが、5時間で行かないと。一世一代のスピード違反だ。パクるならパクれ」。
 時速100キロオーバーで運転する桃次郎。無線連絡でトラック仲間やジョージ、八代亜紀の協力を得る。(中略)なんとか間に合う桃次郎。(中略)
 海岸近くを進む桃次郎とジョナサンを映して、映画は終わる。
 
 今回も楽しく見られました。