関西に転勤でやってきた頃より、宮崎シェフがおすすめくださった、日本で初めてフランスパンを焼いたビゴの教室に通い始めました。
広島でパン教室をしていた私は、まだ完全にマスターしていなかったハード系のパンにチャレンジすることにいたしました。私がずっと習ってきたのは、家庭で作るパンで、ビゴのパンはお店でお客さんに食べてもらうパンでしたので、一度にこねる量も1キロ、こね方も違っており戸惑いました。何十年もやってきた自分のやり方を変えることは今までの自分のやり方を否定することになりましたが、究極の美味しいパンを作るビゴのやり方を全て受け入れることに決めました。
ビゴの教室は、一人一人に手取り足取り教えるやり方ではなく、ビゴがこねるのをよく見てからこねるのです。こねる間に、パンについてのお話しをされます。ある時は、ご自身のパンに対する思い、ある時は、小麦粉の性質と、フランスパンが生まれた背景、ある時は、パンのの師匠や日本に来るいきさつのお話、ある時はフランスの文化についての話であったりしました。ベテランの生徒さんは150回以上受講されている方もいらして、全国から飛行機や新幹線で教わりに来る方々もおられました。
そして私も回を重ねてきた頃、介護が始まり、ここ3年はなかなか参加できずにおりました。無理をして認知症の母を連れて一緒に受講したこともありました。いつもベテランの受講生の皆様は初心者の我々にあたたかく接してくださり、同じビゴのパンを愛するものとして幸せなひと時を過ごすことができました。
そして、昨日、200回あまりの教室の幕が閉じました。高齢になってきたビゴには、区切りをつけるのには今が良い時期であるとお話され、まだまだ教わりたいことが沢山あると思っている我々はショックを受けました。
最後の日は、シュトーレンとブリオッシュ・アテット そして、遊び心のクロックミルのレッスンでした。
試食のお茶の時間、今の教室のやり方は皆様方のニーズに本当にあっているのだろうかと疑問を投げかけるビゴに、思わず、
毎回、新しい発見があり、そして新しい感動がありました。
技術もさることながら、パンに対する心得も多く学ぶことができました。
本当に今までありがとうございました。
このようにお礼を述べ、涙が出ました。
そう、パンを作ることは生きることと同じです。パンをどう作るかというよりは、パンをどう扱うか、パンどどう生きるかということをいつも問いかけられておりました。作るパンに食べる人の顔を描いて、思いを込める。これが大事なのです。
このお教室で学んだ様々なことと、そしてそこで出会った素晴らしい方々は私の人生において、大切な宝物として心の中にしまっておきます。
ふと思い立って、また教室を再開されることももちろん待ち望んでいるのも間違いありません。