李元大統領「証拠隠滅する人に見えるか」としながらも
事実上の“自宅拘禁”受け入れた
裁判所「4月8日に拘束期間満了、それまでに控訴審が終わらない」
「拘束期間の満了で釈放されれば接見制限など条件もつけられない」
住居地制限・外部人との接見禁止など、条件付きで保釈認める
李元大統領、条件付き保釈受け入れ「公私を区分し、誤解の素地ないように行動する」
「私を証拠隠滅の恐れのある人だと認めるのではないか」不快感示す場面も
賄賂・横領などの容疑で1審で懲役15年の重刑を言い渡された李明博(イ・ミョンバク)元大統領が6日、保釈された。李元大統領は昨年3月22日に拘束収監されてから349日ぶりにソウル論ヒョン洞(ノンヒョンドン)の自宅に戻った。
ソウル高裁刑事1部(チョン・ジュニョン裁判長)は同日、李元大統領が請求した保釈を許可したが、事実上の“自宅拘禁”という厳しい条件を付けた。裁判所は、李元大統領が滞在できる場所を自宅に制限し、外出を禁止した。また、配偶者や直系血族とその配偶者、弁護人以外の外部人との接見および通信を制限した。病気を理由とした裁量保釈は認められなかった。病院の診療が必要な場合は、裁判所に住居や外出制限の一時的な解除を申請し、許可を受けなければならない。1週間に1回「保釈条件遵守に関する報告書」を裁判所に提出し、裁判所は条件がきちんと守られているかどうかを点検する会議を行う。保釈の条件を違反すれば、保釈は取り消しになり、直ちに拘禁され、保釈保証金(10億ウォン)も国庫に帰属される。裁判所は「未決拘禁を減らすための保釈制度が不公正に運営されるという批判世論があり、かなり厳格な条件をつけた」と説明した。
今回の保釈決定は、裁判所の人事などにより新たに構成された李元大統領の控訴審裁判部が、未決拘禁を減らすという原則に加え、様々な“実務的な判断”を下した結果と見られる。李元大統領が1審とは異なり、検察が提出した証拠の大半を否定して、次々と証人尋問を要請した結果、李元大統領の拘束満了期間(4月8日)まで十分な審理が難しいという点を考慮したのだ。
裁判所は同日、保釈許可の事由について、「拘束の満期日に宣告すると仮定しても、43日しか残っていない。その期間中に裁判を終わらせることができず、拘束期間満了で釈放されれば、むしろ被告人は完全に自由な在宅起訴状態で裁判を受けることになる。住居制限や接見制限など条件も付けられなくなる」と説明した。1カ月早く釈放するものの、厳しい条件付きで裁判を続ける方がより望ましいという判断を下したものと見られる。
裁判所から「提示された条件に従うか」という質問を受けた李元大統領は、「(私は)徹底的に公私を区分する人だから、(証人との接触など)そのような問題は心配しなくても良いと思う」と答え、条件付き保釈を受け入れた。保釈決定直後、李元大統領側のカン・フン弁護士は記者団に「李元大統領が保釈条件を受け入れるかどうかに関する話し合いで、『裁判所が私を証拠隠滅の恐れがある人だと認めるのではないか』とし、やや不快な反応を示した」と伝えた。「いずれにしてもすぐ釈放されるのに、どうして屈辱的な条件を受け入れるのか」という参謀もいたという。しかし、結論的に「無罪推定の原則に則って、被告人の防御権の保障を求めて申請した保釈であるため、過酷な保釈条件にもかかわらず、甘んじて受け入れようと説得した」というのがカン弁護士の説明だ。
李元大統領の保釈決定を受け、傍聴席で裁判を見守っていたイ・ジェオ自由韓国党常任顧問とコン・ソンジン元ハンナラ党議員など側近や支持者たちは嬉しさを隠せなかった。裁判後、支持者たちは李元大統領と手を取り合い「お疲れさまでした」「お体には気を付けてください」などと声をかけた。李元大統領はかすかに笑みを浮かべ、「これからがもっと厳しいでしょう。ありがとうございます」と答えた。イ・ジェオ常任顧問は李元大統領を乗せた護送車が東部拘置所に向かう姿を見て、「10億ウォンではなく、100億ウォンを納めても、とりあえず出てこなきゃならない。とにかく出てこなきゃ」とつぶやいた。李元大統領は裁判後、自分が1年近く収監されていた東部拘置所に立ち寄ってから、午後4時頃自宅に戻った。
裁判所は今後、召喚に応じていない証人のリストを高裁のホームページに掲載し、それでも応じなければ、拘引令状を発行する方針だ。裁判所は同日、「以前の裁判部が証人に召喚状を送ったが、閉門不在などを理由に証人尋問が見送られてきた。裁判所はソウル高裁のホームページにて証人訊問対象者の名前と尋問期日を告知する。それでも裁判に出席しなければ、職権で証人拘引のための拘束令状を発行する」と述べた。“拘束裁判”に準ずるスピードで迅速に裁判を進める意志を明らかにしたものと見られる。