どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

ニヤッと感動

2008年09月01日 | 日記
9月は月曜から始まった

20分の早朝会議?がある日だ

お題は以前日記に書いたように オリンピックの感動話だった

社員一同 はぁ~~~?(蜘蛛の巣 あるいは長く証明されない数学の世界 あるいは見知らぬ外国語?)

これが2代目ボンボン社長の考えること


悪人じゃない そこそこの大学も出ている

だが な~~~んにもわかっちゃいない

そう思うのは 私だけじゃない

それなりに人生を生きたものなら 彼より年下でも判っている

これが一番疲れるのだ


で今朝のこと 自分で提案したお題なのに 旬が過ぎてしまったし自分も醒めたと

またまた はぁ~~~ である


何に感動するかは 人それぞれ

だから面白いのだ

ハァ~ こういうのもあるのか

それは 私はパス

そう思う? そうなのか

それでいいじゃん


受け入れられないこともある

そもそも 何が正解なのかだって 私は知らない

そうなのか?そういう考えもあるかもね でも私は違う

お互い それでいいじゃん

違うってことを知るのも勉強

自分ではそうは思っていないだろうが あれはファッショだね

頑張ることが素晴らしいと


感動ってなんだろうか

頑張るってなんだろうか

そもそも どちらも必要なことなのだろうか


私の意味合いでは 頑張るという必要は無いもの とりわけ他人に対して

自分が受け入れたら あるべきとか ねばならないとか そうしかないと思ったら そうするのみ

勿論愉しいことに対しても

それは 頑張っているのだろうか


自分の人生や夢や現実も含めて みなそれなりにやってる

頑張って見えようが 頑張ってなかろうが それは大きなお世話

頑張った結果が自分の到達点かどうかも それは己が判断すれば良いこと

私には頑張ることが良いことなのかも判らない


ある年 私は無理は無理と悟った

と同時に 力の出し惜しみもしないと決めた

頑張る人(そう見える人)も 同じだろうと思っている

誰もがそうだろうと思うと 優しくなれるじゃん

そして 優しさは 実は強さでもある


与えられた美談には感動しない

偏屈でヘソ曲がりだから

ごくごく普通の 頑張ってるなんて顔しないで でも ちゃんと人生を大事にしてる

それに ニヤッと感動

それが好きだな それでいいと思う
コメント
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