どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

図々しくなったもんだね^^

2008年09月27日 | 日記
いやいや 今日は良い仕事しました

お蔭で 夕刻 手料理のイッパイの美味しいことといったら

は? 仕事したのは職人?

そうでした^^

朝の8時半に来た彼に ビシっと指示をし(丸坊主にしちゃって下さいね~) あとは彼任せ


午後 お茶菓子を出した

これで格安にしてもらおうとか ちょっとはサービスがあるんじゃないか なんてことは思っていない

彼に任せた以上はね

だから 見積りも無しだ

大体 それがあったからって幾つか見比べて検討なんてのは面倒だ

私は 庭がさっぱりとし 日がサンサンと当たり 隣家に迷惑がかからなければ それでOK! 


先日 高校の便りが送られたばかりなので 彼とはそんな話になった

訃報がちらちらと載るトシになったね

そこそこ知っている10代だった若き夢多き顔を思い浮かべ・・・そんなに若くして・・

卒業して何年?・・・お互いの頭の中で計算・・・カチャカチャ・・あらら 30年も?


我が高校には おそらくは珍しいと思うが 円形校舎がある

食堂と部室があった(今もそうだと思うが)

建築好きの人は円形に興味があるらしいが 此処東京にもあるんでっせ~


両親が結婚して間もなく 父は結核で入院

骨を切るという生死を賭けた手術に成功していなければ 私はこの世には居なかった

パスを飲み続けた父は 同じお皿から食事を取るというのは許さず それは寿司桶のものでさえだった


同じ器のものを他人と分け合うという経験がなかった私は この円形食堂で 初めて経験したのだった

嫌だった

でも 頓着ない友人に次第に慣れていった


今でも 躊躇することがある

味見させて なんていわれると正直アドレナリンが噴出すこともある


従兄弟はダウン症だ

母の妹の子供だが 第一子ということもあって叔母は相当の悩みと葛藤があったようだ

長い年月をあけて 次の子供を生んだ

その時 母は反対した

その子の負担を考えたからだ

自分は 何を求められてこの世に生を・・・

それは母の考え

母は そういう人だった

そして それもまた愛情


姉は違うが 私は 生まれなかったかもしれない人間

それを知った頃から ちょっとだけ何かが変わった気がする

家の歴史というのは だから面白い

絶対というものは 絶対に無いという奇妙な科白のように

どんな客観も 厳密に言えばありえない

それとも似て この世に居なかったかもしれない自分を考えることは今はない


愛情イッパイに育ち いつも春風少女の どこか頼りなさそうなのに地に足つけた姉を持ち

今では 同じ器から箸をつつくのにも慣れた

正直 鍋物や焼肉を勝手に自分の箸で返すのは ん? と思うが 最近はそれくらいじゃ死なないさ なんて 

図々しくなったもんだね^^
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職人が我が家にやってきた♪

2008年09月27日 | 日記
夜明けが遅くなり 日没も早くなってきた

冬を嫌う一番の理由は実は寒さ以上にこれで だから2月の声をきくと寒さはこれからというのに嬉しくなる


いつもの休日の朝は音など流しながらゆっくりなのだが 今朝は早起きをして飛ばした

すぐにお風呂に入り 朝食と洗濯を同時進行

そして 職人を待つ

8時半にやってきた


庭からは植木バサミのカツン カツン という音が小気味よく聞こえてくる

曇り時々晴天 気温は暑からず 寒からず

外仕事にはうってつけの日

もっと早くに頼みたかったが 暑い時期はあまりに酷で

今日で良かった

職人には 前回同様 ばっさりやってくれと頼んだ

今日は私も家の整理でもしよう

そしてほとんど終わりかけの本を読む

これについては また次回
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