彦根には3泊の予定
日を重ねるごとに疲れもし 結果 もういいや となるだろうことを想像して 一番遠いところから攻めることにした
甲賀市水口(みなくち)町
草津から貴生(きぶ)川という駅までJR
勿論 例の周遊券の範囲内だ
そこから近江鉄道に乗り換える
話は変わるのだが 私は決して「鉄っちゃん」(鉄道ファン・マニア)ではない
だが 乗り物の中で一番好きなものは列車だ
ところで ここ滋賀県では ライオンズのマークをつけたバスが走り
私の慣れ親しんだ西武鉄道の黄色い電車が 近江鉄道とプレートを変えて走っているではないか
ということは 傘下・グループ企業なのだろうと 旅をしていてそこまでは想像していた
帰宅して調べたところ 創業者堤氏は滋賀県出身だった
私の住む町も彼の学園都市計画から生まれたものだ(それは結局ポシャッたのだが)
そしてこの近江鉄道の経営も戦前からのことだったと 初めて知ったのだ
琵琶湖にプリンス・ホテルがあったのも そういうわけだったのか(とても泊まれないほどお高い~)
水口石橋という駅で降りる
先に書いたようにPC不調もあって このあたりは曖昧に調べただけだったので 昨夜ホテルのPCで確かめておいた
単線で無人駅
駅前からすぐに道は三股にわかれる
その一本が旧東海道で ここは第50番目の宿場町(そんなことも知らなかった^^)
特産物はかんぴょう
4月には水口まつりがあり 三つの町内から曳山が出る
水口囃子というものもあるようだ
線路を渡って水口キリスト教会まで歩く
今津 堅田 と同じくここも近江兄弟社グループということになる
どこかできいたことがある と思った方は正解 メンタームだ
その話は省くとして 昭和5年竣工
ドアや窓は すでに過去のものではなかった
設計もヴォーリズ設計会社になっており 彼自身がどこまで携わったかはわからない
まぁ 素人としてはどうでもいいことだ
赤煉瓦の塀は異常に低い
塀というよりも 境界線といった程度だが それが教会にはふさわしい
長手積み(レンガの家を描けと言われたら おそらく多くの人がこう描くだろう積み方)だったようだが
ところどころ修復の跡が見られ その積み方もすでにランダムになっている箇所あり
それがまた 時の流れを感じさせて微笑ましい
隣に付属の幼稚園があった
ここのジャングルジムが非常に良かった
木製で 木登りも楽しめるし フリー・クライミングもできそうだし 想像が膨らむような仕組みになっている
3年幼稚園に通った私としては(年少の時は こんなのつまらないと あまり行かなかったが)
もう一度 こんな幼稚園に通ってみたいなと^^
駅まで戻り 今度は反対側にある水口小学校へと行く
ここには旧水口図書館がある
今回の旅 決してヴォーリズを訪ねて というコンセプトではないのだが
ここ滋賀県においては 古い建築となると必然的にそうなってしまうのだ
小さな建造物だが これはとても感じが良かった
そういうのは 一目ぼれと似ていて ほとんど一瞬で決まるものだ
椰子科の植物がすっくと何本かあり それが実によく似あっている
内部を見ることはできなかったが 説明によると主要な躯体は鉄筋コンクリート
壁は煉瓦積みらしい
外観でまず目に付くのは 小さな丸い塔だ
ランタンが置かれているとあるが 残念ながらそれは下から見ることはできなかった
次は 入り口の上の窪んだ半円アーチ部分のレリーフ
ここには 中央に燭台 その両側にブックエンドに支えられた本が対照的に描かれ 周囲にはオリーブの葉
こういう細かいところが 彼のファンが多い理由の一つだろうと思う
細長の窓は両開きで 二階には小さな小さなバルコニーもついていて それは無用なだけにお洒落でもある
さほど目立つ外観ではないが 図書館という建物の性質を捉えたものとして 私は美しいと感じた
そのあと例によって 電車の時刻まで町を歩いてみる
からくり時計二箇所あり 古い町並みもありと 小さいけれどさすがは元宿場町だけのことはある
ポツポツと小雨が振り出した
駅前のからくり時計のところに腰掛けて 電車を待つ
60代の(後で年齢を知った)女性に 歩いてらしゃるの?と声をかけられる
清水からこちらに住むきょうだいのところに 昨日来たのだという
元々こちらの出身ではないようで 清水からみてもここは田舎だと
だが お祭りはなかなかのものらしい
この町でも3基 水口全体では16基だそうだ
そんな話をするのも 旅の面白さだ
いつも思うのだが 勿論 建物も自然も最高だけれど やはり それもこれも人あってこそかなと
単に 現存する生の人というだけでなく 有名無名に関らず 過去の人も含めてだ
さて 今日はこれからどこへ?
そうだ!安土に行くんだった!
日を重ねるごとに疲れもし 結果 もういいや となるだろうことを想像して 一番遠いところから攻めることにした
甲賀市水口(みなくち)町
草津から貴生(きぶ)川という駅までJR
勿論 例の周遊券の範囲内だ
そこから近江鉄道に乗り換える
話は変わるのだが 私は決して「鉄っちゃん」(鉄道ファン・マニア)ではない
だが 乗り物の中で一番好きなものは列車だ
ところで ここ滋賀県では ライオンズのマークをつけたバスが走り
私の慣れ親しんだ西武鉄道の黄色い電車が 近江鉄道とプレートを変えて走っているではないか
ということは 傘下・グループ企業なのだろうと 旅をしていてそこまでは想像していた
帰宅して調べたところ 創業者堤氏は滋賀県出身だった
私の住む町も彼の学園都市計画から生まれたものだ(それは結局ポシャッたのだが)
そしてこの近江鉄道の経営も戦前からのことだったと 初めて知ったのだ
琵琶湖にプリンス・ホテルがあったのも そういうわけだったのか(とても泊まれないほどお高い~)
水口石橋という駅で降りる
先に書いたようにPC不調もあって このあたりは曖昧に調べただけだったので 昨夜ホテルのPCで確かめておいた
単線で無人駅
駅前からすぐに道は三股にわかれる
その一本が旧東海道で ここは第50番目の宿場町(そんなことも知らなかった^^)
特産物はかんぴょう
4月には水口まつりがあり 三つの町内から曳山が出る
水口囃子というものもあるようだ
線路を渡って水口キリスト教会まで歩く
今津 堅田 と同じくここも近江兄弟社グループということになる
どこかできいたことがある と思った方は正解 メンタームだ
その話は省くとして 昭和5年竣工
ドアや窓は すでに過去のものではなかった
設計もヴォーリズ設計会社になっており 彼自身がどこまで携わったかはわからない
まぁ 素人としてはどうでもいいことだ
赤煉瓦の塀は異常に低い
塀というよりも 境界線といった程度だが それが教会にはふさわしい
長手積み(レンガの家を描けと言われたら おそらく多くの人がこう描くだろう積み方)だったようだが
ところどころ修復の跡が見られ その積み方もすでにランダムになっている箇所あり
それがまた 時の流れを感じさせて微笑ましい
隣に付属の幼稚園があった
ここのジャングルジムが非常に良かった
木製で 木登りも楽しめるし フリー・クライミングもできそうだし 想像が膨らむような仕組みになっている
3年幼稚園に通った私としては(年少の時は こんなのつまらないと あまり行かなかったが)
もう一度 こんな幼稚園に通ってみたいなと^^
駅まで戻り 今度は反対側にある水口小学校へと行く
ここには旧水口図書館がある
今回の旅 決してヴォーリズを訪ねて というコンセプトではないのだが
ここ滋賀県においては 古い建築となると必然的にそうなってしまうのだ
小さな建造物だが これはとても感じが良かった
そういうのは 一目ぼれと似ていて ほとんど一瞬で決まるものだ
椰子科の植物がすっくと何本かあり それが実によく似あっている
内部を見ることはできなかったが 説明によると主要な躯体は鉄筋コンクリート
壁は煉瓦積みらしい
外観でまず目に付くのは 小さな丸い塔だ
ランタンが置かれているとあるが 残念ながらそれは下から見ることはできなかった
次は 入り口の上の窪んだ半円アーチ部分のレリーフ
ここには 中央に燭台 その両側にブックエンドに支えられた本が対照的に描かれ 周囲にはオリーブの葉
こういう細かいところが 彼のファンが多い理由の一つだろうと思う
細長の窓は両開きで 二階には小さな小さなバルコニーもついていて それは無用なだけにお洒落でもある
さほど目立つ外観ではないが 図書館という建物の性質を捉えたものとして 私は美しいと感じた
そのあと例によって 電車の時刻まで町を歩いてみる
からくり時計二箇所あり 古い町並みもありと 小さいけれどさすがは元宿場町だけのことはある
ポツポツと小雨が振り出した
駅前のからくり時計のところに腰掛けて 電車を待つ
60代の(後で年齢を知った)女性に 歩いてらしゃるの?と声をかけられる
清水からこちらに住むきょうだいのところに 昨日来たのだという
元々こちらの出身ではないようで 清水からみてもここは田舎だと
だが お祭りはなかなかのものらしい
この町でも3基 水口全体では16基だそうだ
そんな話をするのも 旅の面白さだ
いつも思うのだが 勿論 建物も自然も最高だけれど やはり それもこれも人あってこそかなと
単に 現存する生の人というだけでなく 有名無名に関らず 過去の人も含めてだ
さて 今日はこれからどこへ?
そうだ!安土に行くんだった!