どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

8月8日日曜日―その参―

2010年08月13日 | 日記
堅田教会は駅から徒歩で15分ほどの住宅街の一角にあった

外観だけを見て引き返すつもりだったのだが 運良く?牧師さんに見つかってしまい

まぁ どうぞどうぞ 中も見ていってくださいと

おそらく相当数のこうした見学者が来るのだろう

説明も慣れたものだ

ここの教会の魅力は 各処に見られる統一されたアーチと とんがり帽子のような尖った塔と 低い赤煉瓦の塀

そして 天然のステンドグラスだろうと思う

ステンドグラスそのものは無いのだが 教会の中からガラス越しにうっすら見える蔦の葉が なんとも美しい


竹中牧師は 教会の実情も含めて歴史を説明してくださり なんと二階の和室まで見せてくださった

そうして当然だがヴォーリズの宗教心についても 熱く語っておられた

無論 この教会が自慢であることも言葉にはしなかったが よくわかった

建築そのものにも興味のある方なのかもしれない

私が右近家に言った話をすると 行ったことがある 道路を隔てて北前船の模型があるところでしょうと


お金が無かったがゆえに さほど手を加えることもなかったことが幸いしたようだ

やはり窓には木枠が似合う

アルミサッシュだったら がっかりだもの

屋根の修復の資金集めとしてポストカードも作っているというので さんざん説明も聞いたことだし

募金箱に500円入れた


そろそろ戻らないと友人との待ち合わせに遅れると 御礼を述べて玄関を出たら

やはり教会を見に来たらしき人が 写真を撮っている

あぁ~ 同じような人がいるものだと思った瞬間 おぅ~と その人物が声を上げた

なんだ なんだ?と思ったら なんと待ち合わせをするはずの友人だった

牧師さんの誘いに乗った友人は ちょっとだけ見ていこうとばかりに中に消えていった


教会から琵琶湖大橋の西詰までは 歩いて20分ぐらいだっただろうか

遠くから見た橋は中央が高くなっているために どれだけ勾配があるかと思っていたのだが

いざ歩き始めると それほどには感じられなかった

ただ 振動で揺れるのはちょっと気持ちが悪かった


真っ青な広い空と大きな湖と吹き抜ける風 と 照りつける太陽^^

途中のベンチで腰を下ろし360度のパノラマを見渡す

何故 橋を渡ろうなどと思ったのか

多分 橋があって そこを渡れると知ったからだろう

そして きっとこんな眺めだろうと想像したら それを体感したくなったのだ

それだけのこと


渡りきるのに休憩も入れて30分ほどだろうか

渡った先には守山駅がありバスも通じているが 湖からは離れているために乗っている時間は長い

ちょうど堅田に帰るバスがそろそろ来るという時刻だったので それを待って駅まで戻った


それにしても琵琶湖畔を走る特別快速は すごい

以前 近江八幡への旅をした時 友人と早くて便利でしかも特急料金などないこの電車に いたく感動したものだった

何しろ敦賀から姫路まで3時間ほどで走るのだ

いつか乗ってみたくなる


京都の一つ手前の山科で友人と別れ 私は3泊の予定の彦根へと向かった
 
まだまだ元気 明日も強行軍
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8月8日日曜日―その弐―

2010年08月13日 | 日記
この先どんどん話を進めないと えらいこっちゃになる

読んでくださる方にも 私にも大事な時間だ

もっとも安心して欲しい(の予定)

ここからはメインディッシュが二つほどだ(メインが二つだが 魚料理と肉料理だと思って欲しい)

あとはデザートと食後のコーヒー程度だから


今津では完全ヴォーリズ散策

近江八幡を中心として関西と関東にかなりの建築物を建てた人だし 建築会社としての仕事もある

教会は言うに及ばず 学校 病院 ホテル 公共の建物から個人邸までと幅広く手がけたその数は1600とも

昨日見た右近家洋館でさえ 彼のものと書いてあるものも見たほどだ(それはありえないだろう)

さて 肉じゃがも出来上がったのでイッパイやりながら話を続けようか


この地は 琵琶湖周航の歌 発祥の地として有名だそうだ

ヴォーリズ建築は 3棟

まず 今津ヴォーリズ資料館(旧百三十三銀行・現在の滋賀銀行)

これは銀行として利用されたあと 図書館になった

その時 改修が行われたようだが 元の姿に復元したものがこれ

一見して銀行だとわかる 私には感動の薄い建築物だ

次は今津基督教会館

これはまずまずだ(今津だけに~^^)

正面の 大きくとった妻壁がいい

その屋根の勾配と並行する張り出した玄関部分があるおかげで だだっ広いだけになりそうな正面を美しく見せている

こじんまりとした鍾塔も仰々しさが無くどこか明るく温かみのある教会になっている

おそらくは併設されている幼稚園も そんな教育を行っているのだろう

手入れはされているがほどよく昔のままを残し 今も立派に使われている建築物というのが最高だ

旧今津郵便局

語りたくない

あればいいってもんじゃない


堅田へと向かう

ここで関西に住む友人と待ち合わせ

酔狂にも琵琶湖大橋を渡るのに付き合うという

予定は2時だが まだ時間はある

その前に堅田教会を見ておかなくては
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8月8日日曜日―その壱―

2010年08月13日 | 日記
またまた早朝からの出発

小浜の聖ルカ教会を見てからバスで近江今津まで行き そこでヴォーリズ建築

更に堅田でも彼の教会を見てから 徒歩で琵琶湖大橋を渡る

再び堅田に戻り彦根で宿泊という かなりの移動距離の日となる予定


小浜の聖ルカ教会は 駅から歩いて2キロちょっとだ

今津へはバスで行くほうがショートカットになるので これは逃せない

そしてその後の計画を遂行するためには 10時発に乗らなければならない

間に合うとは思うが1時間とちょっとの寄り道時間なので せかされる

いつも駆け足なのが情けない

これも貧乏性のせいだ

だから 聖ルカ教会はあきらめようかとも考えた

写真で見る限り 感動的なものではない

だが 私の好きなガーディナーの作品だ(明治20年 一階部分のみ)

[増築の上部は昭和5年バーガミニーによるもので ガーディナーはすでにその時 日光の教会の下で永眠していた]

迷った時は決行するに限るというのが 私の持論である

そして結局は いつもせかせかすることになるのだが


小浜湾に注ぎ込む南川の河口近くにそれはある

途中に 杉田玄白の名を冠した病院があった

その道路の向かいには小さな公園があり 銅像も建てられている

知らなかった

彼は小浜藩士の子供だったのだ

二十歳そこそこで小浜藩医となる

「解体新書」(ターヘル・アナトミア)のことは多くの人が知っているだろうが 出身地は試験には出ないものだ


歩きに歩き 川にぶつかったその右手に教会はあった

佇まいは実に質素

隅棟に使われる鬼瓦の(隅鬼というのか)十字架が可愛らしい

小さな緑のドーマーに小さな十字架

鯖街道の起点であり 北朝鮮拉致被害者の住んでいた町

繁栄と慟哭を生んだ海


小浜まで今来た道を引き返す

バスは小浜線の上中という駅に寄ってから 近江今津へと向かう

次第に山道になる

そうか これが昔の街道だったわけか

と 急に 急にだ 

少しひらけた場所に沢山の人がいるではないか

今まで山道だったのにだ

誰も乗らない停留所をいくつも いくつも通り過ぎてきたのに 

これはなんだ?


「熊川宿」とあった

どうやら観光名所になっているということは 後で知ったこと

この路線が比較的多くバスが出ているのも ショートカットのせいだけではなく このせいかもしれない

現在 上中と近江今津を結ぶ鉄道も計画中とのことだったが そうなればこれも廃線になるのだろうか

それにしても 今日も長い日記だ

休暇中には全て書き終えたいのだが ちょっと休憩して肉じゃがなど作りたい

決して料理上手ではないのだが 旅で唯一恋しかったのは 自分の手料理だった

ここで呑んでしまうと日記の先行きが心配なのだが 夏休みだ!勘弁して欲しい
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8月7日土曜日―その参―

2010年08月13日 | 日記
王子保駅で 再び待つ 待つ 待つ

空は広く 青い

そんな当たり前のことにさえ感動してしまうほどの都会人間であることを 再認識させられる

どこから来たのかと尋ねられた時に 東京と答えるその響きの歯がゆさや気恥ずかしさ

それは 誰もが知っている大都会でありながら 胸を張って自慢できるものの無いせいか

無論 そんなに卑下したものでもないことは十分承知している

東京にだって名所旧跡も緑の多い公園もあり 立派な美術館も数多く存在する

だが やはり消費が美徳のような一面は隠せない

東京で 王子保から来たと言われたならば それはどこ?何があるの?と尋ねたくなるだろう


そんなことを思いながら 電車に乗った

向かい合わせの4人掛けに 一人の女性が座っていたので そこに腰を下ろした

地方の電車はいつも迷う

自分でボタンを押してドアの開閉をすることもあるし ワンマンカーもある

どこから乗ったのかを証明する番号札を取るものもあり 車掌が回ってくる場合もあり 中で精算するものもあり

とにかく慣れていないものだから 不安は募る


その女性に 無人駅から乗ったのだがどうすれば良いのか尋ねてみた

その話が終わって ちょっと間があってから やはりどこからいらしたのかと

東京から王子保に洋館を見に来たという話をした

敦賀に住む彼女は 通過地点ではあるがそんなものがあるとは知らなかったという

地元というのは 案外とそんなものかもしれない

実は 今日明日と試験があって 今日はその帰りなのだという彼女

年齢は 40代中頃だろうか

私のようなドタバタ人間とは違う 上品で奇麗な人だった

今日 ほとんど一日をかけてその洋館を見に来たのだというと そんな贅沢な旅は素敵だと言われた

憧れるけれど 荷物もそんなにコンパクトにはまとめられないし 時刻表の見方もわからないしと

私だって数多く持ちたいのを 削りに削って最小限にしているのだ

弟が東京(私と同区だった)に住んでいるのだけれど 行ったことはなくてと

まだ家を留守にする余裕はないのだけれど 私もいつかそんな旅がしたいと 心底憧れるような目で見られ

それは決してお世辞ではなく おそらくはまだ学生だろうお子さんがいる主婦の本音だろうと思われた


いつか 彼女にも 彼女なりの徘徊を楽しんで欲しい

あのガラガラと引っ張るスーツケースなんかじゃなく 私の様にザックを背負って

一人の徘徊がどんなに自由で 刺激的で 時に選択を迫られ 責任を持って行動しなければならないか

まぁ それは日常でも同じことだが


敦賀の駅で 明日の試験の健闘を 気をつけて旅を とお互いに励ましあって別れた

ホテルに着いて すぐにお風呂

ここには部屋のバスとは別に 小さいけれども大浴場がある

汗を掻きに掻いた身体には 最高のご馳走だ

外での食事はやめて ホテルで食事をすることにした

やっとビールだ!

何しろ朝は簡単に済ませ 昼は駅でのお蕎麦だけという一日だったのだ

メニューはありきたりのものだったが それでも私には大満足だった

こうして初日は終わった


部屋であらためて右近家のパンフレットを見る

「河野・今泉は小敦賀でござる」といわれるように この一帯は船上家業で裕福だったという

住民の多くが右近家の船員だったこともあって 郷土愛は一層深いものとなったのだろう

社員は家族同然 というところか

南北朝時代 伊予の水軍河野氏の末裔が戦いに敗れて流浪の末に築いた村でもあるという

先の難波した「関東」の乗組員を救った村人の話と重なり 有利な地形ならではの海運業の発展も 愛郷心も

すべてが必然的であったことに気がつかされる

初日に大満足しながら 翌日の計画に悩みつつ早めに寝た
 
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8月7日土曜日―その弐―

2010年08月13日 | 日記
鈍行列車で王子保へ向かう

ここからバスに乗るのだが 実はこのバスは一つ先の武生駅から出るバスである

武生まで行っても時間的に余裕はあるのだが わずかな(おそらく400円ほどだろうか)お金をケチった

それが失敗だった

無人駅!

いや 正確には違う

駅員らしき人は一人いたが 列車の発着時刻にだけ駅舎に詰めるようだ

その人にバス停を尋ね それを確認している間に 彼は車で立ち去ってしまった

それで 無人駅になったのだ


駅前から人家こそあれ 酒屋が一軒

それだけ 何も足さない 何も引かない

いや 気分がちょっとひけた^^

バスは1時間近く待たなければならない

日陰は無い

小さな駅舎は風通しが悪く(北国としては当然だ) 暑い

ワタシ ココデ マツノカ・・・・?!


酒屋でビールでも飲みながら待たせてもらおうかとも思ったが 入ってみたらそう涼しくもない

椅子も無さそうだし とても頼めそうもない雰囲気だった

あっちをウロウロ こっちをウロウロ 座ったり立ったりしながら まっ昼間を過ごした


河野営業所で降りる

日本海に面した通り沿いのそのバス停の目の前に 右近家があった

手前の日本家屋には そう興味はない

すぐ裏山にある洋館まで 石段を登っていく

酔っ払っていたら絶対に危険な 急で滑りやすい石段だ(そんなシチュエーションを想像する自分が情けない^^)

そうして今回の旅の目玉でもある館に やっと会えた


前回触れた大和田荘七や 小説の題材にもなっている銭屋五兵衛と共に数えられる五大船主の一人

明治の中期に蒸気船を取り入れたり 海上保険業にも進出したりと その歴史や業績もとても面白いのだが

ここでそれは書かない(下手な話が長くなるだけだ)

興味のある方は 是非ネットで検索を


洋館は11代の時の昭和10年に建てられたもの

日本家屋の横にサークル状の花壇があるのだが これは明らかにこの洋館から眺めるように作られていると思われる

この配慮が憎い

一階部分は誰が見てもわかるスパニッシュ風だ

明るいクリーム色のスタッコをコテ跡粗く塗った外観

二階部分は 校倉作りで太い角材が突き出ている(スイスのシャレー風とある)

室内にもベランダ部分にもタイルをふんだんに使い ステンドグラスには八幡丸があしらわれている

門扉から玄関の小窓に至るまで デザインの完成度の高さには感動する


だが これほどの館でも 下から見上げた時にはほとんど山小屋としか見えない

それが ここの町並みや裏山と実に溶け合っているのだ

周囲の景観を損なうような 異様に目立つ洋館では決してない

これは大事な要素である

そして最高なのは ここから眺める日本海

この屋敷の裏には 見晴台まで続く小路もあり 

そこから海を見ながら なぜ この地にこんなものが存在するのかと不思議にすら思えてきた


帰りのバスは4時近くまで来ない

近くの図書館で待つことにした

一階は展示ホールになているが 誰もいない

汗が引くのを待ってから 展示を眺める

大正13年 特務艦「関東」がこの付近で 吹雪の中座礁破船した

この時 旧河野村民は遭難者の献身的な救助にあたったという

特に女性の活躍が目覚しかったのは 多くの男性は出稼ぎに出ていたからだ

若い女性は全裸で死にかけている乗員の身体を温めたという(若い女性かぁ・・・)


北前船の模型や船具を見たりして こっそりと時間を潰したが それにも飽きて二階にも行ってみることにした

福井全域の郷土史のコーナーが面白く なんだ もっと早く二階に上がればよかったと後悔


バスに乗り損なったらもう帰る術がない

タクシーを呼んだとしても5000円以上はかかるだろうし 到底歩けるものでもない

早めに図書館を出て バスを待つことにした

道路端の草取りをしていた女性に バス停の確認をした

旅をしているとよくきかれる事だが どこから来なさったと

それからが まぁ・・・

実はこの女性 右近家の庭掃除の方だった

あたり一帯 右近さんのもので 昔は山守もいたらしい

八幡神社の神主さんもその一家だとか 右近さんがどれだけこの村(郷土)の発展に尽くしたかとか

それでもあの洋館のことなど昔は知らなくて 最近は見学者が多く お年の学者さんも上っていかれるとか

大林組の設計・施工とあるが どうやら神戸にも屋敷があったようで その関係による依頼だということも

草取りをほとんど終えたところに ちょうど良い話し相手が見つかったとばかりに 次々と話が出てくる


こちらはバスの時間が気になり始め もう向こう側に渡って待っていたいのだが それを言い出すきっかけを失った

と 一台のバスが目の前を去っていく

あっ あれじゃないかしら というと 女性は時計を見て あれは違うと

ホントだろうか・・・不安でいっぱいになる

お礼を言って 道路を渡る

もしもバスが来なかったら ヒッチハイクをするか タクシーを呼んでもらおうか

あのトンネルを歩いて帰るのだけは絶対にいやだとか あれこれ考える

ほぼ時間通りに向こうから走ってくるバスを見た時の安心感といったら もうそれはそれは

嬉しかったのでバスの運転手に話しかけた

このあたりのバスは時間に正確ですね 東京ではバスの時間なんて あって無いようなものだと話すと

渋滞もないし 時間通りだという

遅れるのはまだいいが 早く出られでもしたら日に数本のバスだ

だがそんな時は バス停で時間調整をちゃんとするのだということも知った

田舎のバスは~オンボロぐるまぁ~~♪

ってなことはなく 時間に正確な頼もしいバスなのである

眠くなったので その参は 起きてからにする

しかし こんな調子でグダグダしていたら 秋になっちまうなぁ~
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