どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

ホッファーって人はね

2005年01月22日 | 日記
1902年 ドイツ系移民の子として ニューヨークのブロンクスで生まれた

5歳の時 母親に抱かれたまま階段から落ち 2年後に母は亡くなり 彼は失明した

15歳の時 彼の視力は奇跡的に回復し その3年後に父親も亡くなると 一人南カリフォルニアへと向かったわけ

理由がいいんだよね あそこなら暖かいから野宿も出来るし 道端にオレンジがなっているから 食うにも困らないと

学校教育というものの恩恵は全く受けていない

貧しい移民の子でありながら 彼の家には ドイツ語と英語の蔵書があったという

それも 哲学や数学や科学や音楽と 多岐にわたるものだったようだ

彼の父はベートーヴェンの第9が好きで 特に第3楽章が壮大だと

これらは面白いことだ なんとドイツ人らしいことか―続く―
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今日はエリック・ホッファーについて語ろう

2005年01月22日 | 日記
彼の存在を知ったのは 昨年のことだった

書評か本の広告か 今となってはもう記憶に無いことだが

しかし脳裏の片隅には彼のことがしっかりと刻み込まれ 年末休暇は彼と過ごす計画だった

だが 計画は変更を余儀なくされ・・・

―計画とはしばしばそんなものだが― 

数日前 ようやく私は彼の世界へと船出したのだ

60年代後半から70年代にかけて 日本でも話題の人だったようだが

私がもしその当時 その話題を耳にしていたとしたら 相当早熟な子供ということになる

彼の著作の背表紙を 書店や図書館の棚で目にしたことはあったかもしれぬが

そうだとしても 前知識なしでは 食指は動かなかっただろう

彼に興味を抱いたのは 彼につけられたネーミングに目が留まったからだ

「沖仲仕の哲人」この言葉が 私を強烈に魅了した

そして 私は 彼と出会った―続く―


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天を貫くほどの

2005年01月15日 | 日記
最高級の喜び

45日間の闘いの後 ようやく結実し始めた

今 その手応えを確かに感じている

神がいたら 抱きしめて いたるところに感謝のキスの嵐を

どうか拒否なさらないで 私だからといって
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外出禁止令

2005年01月15日 | 日記
週末の外出禁止令発令中

飲み過ぎて反省の日々というわけではありません

勿論 深酒でめげたりもしませんし

そもそも 反省なんていう意味のないこともしません

週末のお散歩は 私にとっては身体と頭脳と心のエクササイズですから

ストレス溜まるだろうと思っていました

ところが おっとどっこい そうでもありませんでした

大好きだったJ・Jおじさんは ニューヨークのお洒落なお店や 書店の場所

何番街にあるか ちゃ~んと頭の中に入っていました

一度も行った事がなかったのにです

ずっと後になって海を越え 満喫していましたけれど

澁澤龍彦さんも 始めて欧州に行ったのは晩年のことでした

機が熟する時というのがあるのでしょう

だから私も しばらく机上でお散歩します

独自の 超個性的な散策ルートの研究です

運動不足が解消されないことだけは チョイ不満ですが

さて 今日は映画「バグダッド・カフェ」のテーマ曲「コーリング・ユー」からいきます

ちなみに この映画も曲もお気に入りです
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断章 (fragment)

2005年01月10日 | 日記
時として 自分を見失ったり 解らなくなったり

自分を再発見したり 再認識したり

この摩訶不思議な自分と対峙して

自分発見の旅は 果てしなく続く

この航海は 独りでは乗り切れない

自分を取り巻くあらゆる有形無形の物と

一切の過去と未来とをダイナミックに取り込んで

愛し 感謝し 力強く包括し

そして私は 私になる

あるべき私に あるがままの私に 
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