どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

へへ~んだ!老化じゃないんだ!

2010年01月09日 | 日記
初出勤も無事に終えた次の日のことだった

帰宅しようとビルの外に出たとたん 右ひざに違和感を覚えた

それは徐々に痛みに変わり それでも大したことはないだろうとたかをくくっていた

翌日もそれは続き ことに階段の下りが最悪とわかった

私は 東京人にはありがちの早歩き

コンパスの長い男性にこそは負けるが それでも地下鉄の通路では かなりの人を追い越すほうである

それが ゆるゆるとしか歩けない

何より下りの階段は恐怖で 人さえいなければ 手摺に掴まり 一段一段両足をそろえながら降りたいところ

会社の仲間に話すと 返ってくるのは トシだよ トシ という言葉(誰がじゃぁ~!)

所詮 痛みなんてものは自分だけのものであるし 何より休まれると困るというのが本音なのだ


正座や屈伸はこなせる

日常生活に大きく困るという問題は無かった 

しかし 健康を害す事 とりわけ痛みがあるというのは かなり不愉快なものだ

日頃 持病も無く そこそこ健康であるがゆえに テンションは否応無しに下がった


というわけで 今日 整形外科なるところに生まれて初めて行ってみた

膝のレントゲンを2枚撮られた(まぁ~ 奇麗^^)

骨に異常は無いとのことだった(それぐらいは 素人診断でもわかる)

靭帯の 損傷とまではいかず 炎症だろうということで 湿布と痛み止めの飲み薬を処方された

私は 結果があるということは 何か原因があるはずだと考えてしまう

考えたところで仕方の無いこともあるが 同じ轍を踏まない為には それが必要なこともあるからだ

診察室のドアの横に 質問がある方は遠慮なく といった張り紙がしてあったので 早速尋ねてみた

長い休暇でダラダラと過ごした後の出社で しかも急激に寒くなった

そのことが関係しているかどうかと

何しろ 他に思い当たる節は何も無いのだから

先生は そういうことも無いとはいえない と

もう一つ と言って これは老化のせいでしょうか と訊くと 先生 笑って それは無いですね と

へへ~~~んだ!ザマミロ!と 会社の連中の顔を思い浮かべる


治療法としては 出来る限り安静にして 必要とあればコルセットの類 痛み止めの注射と方法はあるようだが

今の段階では それは必要ないだろうと

というわけで この天気の良い連休は 望まずしてのダルダル日となってしまった

それにしても 今まで縁が無かったために気がつかなかったのだが 整形外科病院の数の多さには驚いた

患者は老齢の人ばかりかと思っていたが そうでもないことも知った

健康は実にありがたいものだと 日頃から思ってはいたが 再確認もした

ヒトも動物である以上 動いてナンボ

度を越したダルダル生活は 弊害を生むらしいとも悟った


まぁ 生きていればいろいろある

特に 健康に関しては これから益々増えていく課題であるのは間違いのないことなのだ

新春早々 新春だからこそ これはこれで私にとってはそう悪くも無い経験となった
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景気付けってことで

2010年01月03日 | 日記
元日 姉と電話で話すことに成功した

何度か 時間をあけての短いメールが交換されたあと(どっちかが 電話すればいいのに 互いに遠慮だ)

やっと 姉からの電話

私の携帯は滅多に使用することの無い緊急用でしかなく 月額基本料は毎月ほとんど繰り越しなので

私から かけ直した


お節は作らなかったという

きけば(確かに去年会った時に聞いてはいたが)ヘモグロビンA1cという数値が高いのだそうで

血糖値は高くないというが これも糖尿病に関係する数値らしい


姉は この数ヶ月 医者の指導をきちんと守り カロリーに気をつけ なんと正常値近くまで下がったという

おせち料理は 意外に糖分が多いからと それで用意しなかったようだ


私は 度々 この日記に姉を登場させている

中学生の頃は 図画や家庭科の作品を提出しなかった大胆な(私からすれば)姉

文系の成績は悪くなかったが 数学の教科書を開けば居眠りしていた姉

音大の付属高校に進んだものの 早く帰宅したのは入学してかっきり一週間だけ

それからは ピアノの練習があるというのに どこで何をしているのか 上げ潮のゴミ(あちこちでひっかかる)

母の小言が絶えた日は無いような そんな姉だったのだ

毎年の里帰りの時にも時間にはルーズで 家族はやきもき いらいらしたものだった


姉のどこにそんな几帳面さがあったのだろうかと思うほど 最近は姉に感心することが多い

学校では 授業以外にもあらゆる活動があり それも手を抜く事なくやっているようだった

教育現場の色々な問題も さんざん聞かされたが~^^


やる時はやる しかも前向きに

当たり前のことだが 大事なことだ

このお正月 私は 新年を迎えるということの何がめでたいのかと思いながら過ごした

一日の重さは 決して日々違うということはないと思っている

そうは言っても ルーティンな日々の前ではそれを見失うことが多いのも 事実である

とにもかくにも 一年生きた

それがおめでたいこと なのであり 感謝でもあるのだと マジで思った


明日からは また労働者だ

色々なことが起こるだろうし グチりたくなることもあるだろう

昨年 もはやボーナスとも呼べないような 前年比にして15%ほどだったそれが 今年どうなるかもわからない

それでも やる時はやる

そんなことを ビールを飲みながら語っているようじゃ 信憑性も薄れるが

まぁ 明日からの日々に向けての景気付けってことで
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生涯の抱負

2010年01月01日 | 日記
本を読みながら 除夜の鐘を耳にする前に 寝てしまった

仕事の夢を見た

それは 特に何かが起こっているというわけでもなく 淡々とした日常だった

これは断じて初夢なんかじゃない あってたまるかと 起きてから思った

第一 意味わからん~でしょ

どうせ見るのなら 労働とは無縁 時間に追われることもなく ちょっとリッチで 自由気侭に生きている夢がいい

所詮夢なのだから そのくらいは許されてもいいはず


そうしようと決めていたわけではないのだが 結局は早起きをし 寒波の元旦を迎えた

二日前に個人的元日を迎えている私としては 今日が最終日となる

明日からはリハビリ

そうして 労働の日々にもどるわけだ


今朝 オーストラリアの友人から久しぶりにチャットが入った

お義母様が先月 脳梗塞で倒れられて 一旦は回復したものの 再び悪化して 生命維持装置もはずしたとのこと

すでに離婚が成立していて 彼女とは一応縁の切れた人ではあるが とても良い人のようで

おそらくは 彼女の親以上に近い存在かもしれない

もう これからは何も話せなくなるのだと思うと 寂しいと

でもね そんなことないんだって

これからね 長い長いおしゃべりが始まるんだよ

だからね 本当に出逢った人との別れは無い っていうのは本当なんだ


まっ そんな気分に浸りながら 残り少なくなったお節を整理してのイッパイ

姉に携帯メールを送ったら すぐに返事が来たのはいいけれど 今年は暖冬だといっていたのに・・・と

雪かきで忙しいのか それっきりだ


気が早いかもしれないが せっかちな江戸っ子としては 正月は冥途の旅の一里塚なのだと 年々強く思う

だからこそ 本当の出会いを求めているし そういうものを大切にしようと決めている

それは 勿論 人に限ったことではない

今年の抱負なんてものは無い

とっくの昔に そんなのはやめにした

死ぬまで(それが何時訪れようとも)健康で 本当の出会いをできるだけ多く持つこと

多分 これが私の 今年の ではなく 生涯の抱負だと思う
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