みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

イチジク・バナーネのコンポート/ひと:開沼博さん/放射能とケガレ=精神科医・斎藤環

2011-09-01 21:11:36 | おいしいもの/食について
台風が近づいているので、家の周りを見回り、
色づいているイチジクを早めに収穫しておくことにしました。

イチジク・バナーネは、いろんで来ると、大きな実が垂れ下がってきます。
  
口は開かないので、触ってみてやわらかくなったら収穫時期。
これがむずかしくて、少し遅れるとアリに入られてしまいます。
   
アリに入られたイチジク・バナーネの実は、ざっと洗って金属のバットに入れて数分冷凍庫に。
   
そうするとアリさんたちは、外に出てバタバタと凍え死んでいます(ゴメンネ)。

イチジクは日持ちがしない果物なので、生で食べられない分は早めに加工します。
コンポートにしておけば、しょうしょう早目でもおいしく食べられます。

バナーネは西洋イチジクなので、ほんとは皮まで食べられるのですが、
アリに食べられて汚くなっている皮はむくことにしました。
   
はちみつと白ワインを入れて、時どきあくをとりながら、
中火で焦げ付かないように煮ます。
   
煮すぎるとコンポートにならないので、5分間煮て火を止めます。
   

少し冷ましてから、ビンヅメ。
よく覚めたら、冷蔵庫で保存します。
   

イチジク・バナーネのコンポートの出来上がり。
生で食べてもおいしいのですが、トロリと溶けるコンポートはまた違ったおいしさです。

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話はぜんぜん変わりますが、
今日の毎日新聞の「ひと」欄に
「『フクシマ』論 原子力ムラはなぜ生まれたのか」を書かれた開沼博さんが紹介されていました。

ひと:開沼博さん 「フクシマ」を記録し続ける研究者 

 福島原発の歴史を通して戦後成長を論じる初の著書を出した。大半は今年初めにまとめた修士論文。震災後の出版が話題を呼び、「気鋭の論客」と脚光を浴びる。面はゆい半面、「注目されてはならない研究だった」と思う。
 福島県いわき市生まれ。40キロ先の原発を強く意識したことはなかった。転機は5年前。原子力施設が集中する青森県六ケ所村で「危ないモノを押しつけられてうんざりしているんじゃないか」という先入観が覆された。
 年配の女性は、雇用をもたらした施設への感謝を口にし「東京の人は黙っていてください」と言った。豊かさに貪欲な都会と、「服従」する地方。原発と共生する地域を内側から見つめ、沖縄の基地問題にも通底する戦後日本のひずみを問い直せないか。福島原発をテーマに定め、佐藤栄佐久前知事や住民ら約50人にインタビューを重ねた。

それでも福島の事故は「想像もしなかった」という。「私たちはいつの間にか原発のある生活、未来を選んだ。それを反省せずに『原発なき幸せ』を追求するのは難しい」と自戒を込めて語る。いずれ事故が収束したら人々の原発への関心が薄らぐことを懸念する。
 新宿・歌舞伎町の客引きを通して経済成長を考える「盛り場研究」と並行して、月に10日は「地元の生の声を聞き続ける」ため福島に通う。福島が「フクシマ」になる過程を、はからずも記録することになった研究者としての責務と考える。【八田浩輔】
 【略歴】開沼博(かいぬま・ひろし)さん 東京大大学院博士課程に在籍。専攻は社会学。「『フクシマ』論 原子力ムラはなぜ生まれたのか」は青土社から。27歳。
毎日新聞 2011年9月1日  


毎週日曜日に掲載される「時代の風」の28日分は、斎藤環さんの「放射能とケガレ」。
「・・・しかし「原発」は決して「ケガレ」ではない。その「罪」と「怒り」とは、
キヨメではなく「補償」と「対策」によって癒やされるほかはないのだ。」という言葉は
ほんとうにその通りだと思います。

時代の風:放射能とケガレ=精神科医・斎藤環 

◇キヨメでは癒やされぬ
 岩手県陸前高田市の高田松原と言えば、かつては「日本百景」にも選ばれた美しい海岸だ。私も子供時代に、何度か遊んだことがある。
 その見事な松並木が、東日本大震災の津波でなぎ倒された。この松を巡って繰り広げられた一連のドタバタは、いまだ記憶に新しい。岩手出身の私にとっては、あの美しい松たちがこうむった悲哀を、とても人ごとに思えなかった。
 経緯をかいつまんで振り返ってみよう。
 今年6月、大分市の美術家の発案で、高田松原の松で作った薪に犠牲者の名前などを書き、京都市の「五山送り火」で燃やすという計画が立てられた。しかし市民から被ばくを恐れる声が相次いだため、計画は中止となった。集められた薪から放射性物質は検出されなかったにもかかわらず、である。
 ところが今度は京都市などに「風評被害を助長する」などの2000件以上もの抗議が殺到した。そこで、もう一度新たに薪を取り寄せたところ、今度は薪の表皮から放射性セシウムが検出されてしまった。
 これで計画は再度中止となり、門川大作・京都市長は記者会見で謝罪した。陸前高田の戸羽太市長は、「もっと慎重にやっていただきたかった」と京都市に対して苦言を呈している。
 事件はさまざまな反響を呼んだ。もっとも多かったのは京都市の対応に対する批判だ。ただし、この一事をもって京都市民を排他的であるとか差別的であるとか断ずることは、同じ過ちを繰り返すことになる。
 ただ、被災地の側に立つ者として、中止の判断を下した人々には一言言っておきたい。被災地の「こころ」にかかわるものには、善意を発揮した「責任」が生ずる。覚悟と根気なしに「こころ」にかかわるべきではない。後腐れのない善意を発揮したい人たち向けには、「義援金」という方法がある。
 すでに指摘されているように、この一連の経緯からは、いまや「放射能」が一種の「ケガレ」として受けとめられていることがよくわかる。
 放射能が測定されていないにもかかわらず、不安を訴える人々がいたこと。送り火をおこなう僧侶たち以上に、一般市民が過敏な反応を示したこと。これらの点にも、「ケガレ」の問題がみてとれる。日本神話起源の「ケガレ」感覚は、仏教以上に、われわれの日常生活に深く根を下ろしているからだ。
 もっとも、震災直後からその兆候はあった。“フクシマ”差別である。タクシーの乗車拒否、ホテルでの宿泊拒否、福島からの転校生へのいじめ、等々の問題である。
 放射能が「ケガレ」と思われているもうひとつの根拠として、どうやら「キヨメ」が有効とみなされているらしい、ということもある。確かに清拭(せいしき)や洗浄は有効なのだが、なぜか「うがい薬」や「消毒液」の飲用が有効というデマが流布したことがあった。ほかにも便乗商法としては「放射能分解水」「米のとぎ汁乳酸菌」などが販売されているらしい。水や「液体」が頻用されるあたりにも、典型的なキヨメの発想が見て取れる。
 ケガレ-キヨメの発想は、われわれの日常にも深く浸透している。「お祓(はら)い」の儀式から「お清め」の作法、エンガチョ遊びや直(じか)ばしのタブーなどがそうだ。汚職議員が「みそぎ」で復活したりするのも、われわれが恨みは「水に流す」という作法を普段から身につけているからだ。
 ケガレの思想そのものの起源は、イザナミとイザナギの神話にさかのぼるとされる。国造りの後、火の神を産んで死んだイザナミを取り戻すべく、イザナギは黄泉(よみ)の国へ赴く。そこでイザナギは妻との約束を破って、ウジのわいた彼女の体を見てしまう。怒ったイザナミはイザナギを追うが、イザナギはなんとか逃げ切り、水で体を清める。
 イザナギが体を清めるのは、黄泉の国に入り、腐った妻の体を見たからだ。このときケガレとは、ほとんど実体のない象徴的なしるしでしかない。ケガレの感染は、見たり、ふれたり、そばにいたりするだけで起こる。また、だからこそお清めも、儀礼的に完了するのだ。そこには何も実質的な変化は起きていない。ケガレのしるしとは、単なる空虚である。
 だからこそ、放射能を「ケガレ」ととらえてはいけない。なぜか。
 差別を助長するから? それだけではない。物理量が測定できる放射性物質まで、実体なき空虚と扱ってしまいかねないからだ。不可視で不吉な放射能を「ケガレ」に読み替えたくなる気持ちはわかる。しかしその姿勢は、放射能までも、あたかも勝手に発生した自然現象であるかのような理解をうながしてしまう。本来「ケガレ」とはそうしたものなのだから。
 人間の罪や責任を、まるで自然現象のようにとらえる感性は、つらい経験を受け流すうえでは役にたつ。しかし「原発」は決して「ケガレ」ではない。その「罪」と「怒り」とは、キヨメではなく「補償」と「対策」によって癒やされるほかはないのだ。=毎週日曜日に掲載
毎日新聞 2011年8月28日  



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