常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

藪の中

2013年11月23日 | 登山


上山、不平山。標高1006m、登山道のない山は深い藪に覆われている。伐採した広葉樹林の根方から、背丈をこえるブッシュだ。手で掻き分けながら進むが、いく手のブッシュは深さを増すばかりである。枯れた楢の立ち木にムキタケが出ている。ブッシュの深さに、足を取られ前進が極端に遅くなる。キノコを取りの方が面白くなり、前進の時間が遅くなったので登頂を断念する。登山道のない山行きは、今後は難しい。

ふと、芥川龍之介の『藪の中』を思い出す。人跡のない藪に入って、芥川の書いた藪の中とは趣も違い、人目のない深い山のなかに異界を感じる。幸い風もなく日差しがあるので、さほどの恐怖感はないが、藪の中は日常の生活にない雰囲気に満ちている。どこか普段は感じられない不安とその反対の落ち着ける空気がここにはあるのだ。それは故郷の自然に抱かれる時に感じるやすらぎとその反対の喪失感が交じりあったあの感覚に似ている。

芥川の『藪の中』では、妻を連れて旅をする男が、藪の中で殺されるという悲惨な事件が起きる。だが事件を語る当事者の口から出る言葉は、どれも違った状況が説明される。誰の説明が正しいのか、どうにも証明のしようがない。「藪の中」という密閉された空間で起きた事件は、解明されないまま小説は終わる。

「ただ、胸が冷たくなると、一層あたりがしんとしてしまった。ああ、何と云う静かさだろう。この山陰の藪の空には、小鳥一羽囀りに来ない。ただ杉や竹の杪に、寂しい日影が漂っている。日陰が、---それも次第に薄れて来る。---もう杉や竹も見えない。おれはそこに倒れたまま、深い静かさに包まれている。」

殺された妻の夫は巫女の口を借りて、死んだときの様子をこんな風に話した。不平山の藪もまた深い静かさに包まれ、一緒に登った仲間に話し声だけが響いた。その声は何を語ったか、少しもその意味に注意を向けることはなかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする