
山形県の山域に行くと、内陸では概ね900m、日本海に面したところでは300mぐらいからブナの林が見られる。残雪の芽吹きから新緑、秋の紅葉とブナ林の美しさはかけがえのないものである。秋にはブナの倒木にブナシメジやブナカノカ、ナメコなどのきのこの恵みをもたらしてくれる。さらにブナ林帯には、栗、トチなどの木の実が多く採れる木が並存して、山ろくに住む人々の貴重な食糧源になっていた。ちなみにブナの実は、冬眠に入る前の熊の栄養源で、この実が不作の年は熊が冬眠に入れず、人里に降りてくる原因でもあった。
木曽人よあが田の稲を刈らん日やとりて焚くらん栗の強飯 長塚 節
ブナの実は熊の食糧になるだけではなく、かつては人々の食糧にもなっていた。ブナの根元には秋になると、小さな実がたくさん落ちている。拾って食べてみると、脂肪を含んでいてとてもおいしい。だが、松の実と同様にこの実を取り出すには、想像を超える手間がかかるので次第に用いられなくなった。こんにち、食べるものに手をかけないのはあたかも文明の進化のように考えらる面もあるが、人が自然のおいしいものを失っていく退化でもある。
トチはマロニエと呼ばれフランスの街路樹として美しい並木は有名である。かつては食糧として用いられたため、ブナ林帯の山村では直径1mを超える天然林が残されている。たしか昨年の秋のことであったと思うが、登山道の入り口でハケゴを背負った数人のご婦人に出会った。聞けば新潟から山形の山にトチの実を拾いに来たと話していた。山にある温泉地では、土産用にトチ餅が売られている。トチの実にはタンニンが含まれているので、餅にするには驚くほどの手数がかかる。それだけに珍しい山の珍味として多くの人から好まれている。
ブナの生存地の分布をみると積雪と関係があるようだ。秋田から青森にかけての白神山地、月山から鳥海、飯豊、苗場山など日本海側の積雪地にブナの原生林が見られる。これらの地域の雪は湿って湿気が多い豪雪だが、それに強いのがブナである。ブナの老木が倒れ、日差しが山地に差し込むと、そこにはマンサクやリョウブ、ササなどが群生する。その低木から抜き出てブナが成長するには、この低木の勢力に耐えなければならない。そして大きな枝が日を遮るようになると、跋扈していた低木が勢力を弱めてブナの純林が初めて形成される。それだけに、長い時間が必要である。