常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

関山峠

2015年11月21日 | 登山


関山峠は山形県東根市と宮城県青葉区を結ぶ奥羽山脈越えの要所である。明治15年に三島通庸の具申によって関山トンネルが開通すると、山形と仙台を結ぶ交通の要衝として現在もなおその存在感を示している。昭和43年に新関山トンネルができると、三島時代のトンネルは新トンネルにとって代わられるが、山形に笹谷トンネルができるまで、仙台に行くにはほとんどの人が関山峠を通った。

今回訪れたのはトンネルができる以前に峠越えをした峰渡りの道である。関山トンネルを宮城側へぬけて3キロほどのところに入口がある。トンネル開削の際に、ダイナマイトが暴発して亡くなった人の供養塔も建っていた。尾根に取りつくまでわずかに道が作られ、ロープや梯子も用意してあった。山中には急坂を登るジクザクの道がついている。ほかに旧車道もあって現在の幹線以前の山中の様子が偲ばれる。

旧トンネルの旧道通ったことのあるSさんやTさんの回顧談も聞かれた。この街道は幽霊がでるという噂がドライバーの間に広まっていたらしい。ある人が雪のある街道を通行していた。暗い道で、幽霊の話を思い浮かべながら車を走らせいると、カーブのところで後にぴたりとつく車がきた。うす気味悪くなってスピードを上げても後の車もスピードを上げてついてくる。カーブで必死の思いで振り切ろうとしても、離れるようすがない。あまりに気味が悪いので車を停めると、後車も止まった。車から出て、「何で付いてくるんだ」と怒声を上げた。相手は恐縮して、「済みません。暗い道が心細く誰か来ないかとカーブのところで待っていたんです。おたくが来てほっとしてついてきました」。こういわれて起こる気持ちも消え、2台は一緒に峠を越えた。



峠道は落葉におおわれ、ふかふかとした歩き易い道だ。11月の暖かい気温に勘違いしたのか、イワイチョウやツツジの返り花が所々に咲いている。木々の冬芽もふくらんいるように見える。ブナの奇形が峠の幽霊のような姿を見せていた。キノコが出ていなか注視していると、路の下り斜面のナラの枯れ木に出ているナメコ、登山道わきに一か所出ていた。参加者が家づとにできるナメコがみつかった。歩行距離5.5キロ、歩行時間4時間、県境のピークである関山は標高900m。山形側の道の入口で昼食。それにしても江戸時代の人々の交通事情がここを歩いてみて実感できる。現代人は交通に車や通行が容易な道を手にしたが、歩くことそのものが人生である知恵や習慣、強い脚、健康など様々なものを失っている。

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