常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

2015年11月04日 | 日記


今日は霧に包まれて朝が来た。1000m先が見えなくなるのを霧というらしいが、今日の視界は凡そ100m、さしづめ濃霧というべきか。霞と霧は現象的には同じもので、春に出るものを霞、秋は霧と使い分けられる。夜霧、狭霧、山霧、川霧などなど詩や歌に唄われてきた。ずいぶん昔のことだが、山霧に中に立つ恋人を写真に収めてポートレートにして、額に入れて居間に飾ってあるのをみたことがある。霧の記憶は、青春時代のものが多い。

霧冷のけふいちにちに髪白む 森川 暁水

霧は空気中の水蒸気が冷気のために塵を核にして凝縮し、空中にただよう現象である。山中で霧に会うと、見通しがきかず道を見失うことも稀ではない。蔵王山に仙人沢という深い渓谷がある。蔵王の馬の背を源頭とし坊平へと続く蔵王川の大渓谷である。この沢は霧が深く、幾本もの滝がかかり、登山者を遭難に誘いこんだ。斎藤茂吉もここを詠んで

この山に登れる人の幾たりは仙人澤のさ霧にまよふ 茂吉

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