朝、散歩の途中に公園を通ると、小鳥のさえずりが心なし活発になったような気がする。小鳥の名を知ろうと図鑑を買ってみたが、スズメやヒヨドリ、セキレイを識別できるくらいで一向に詳しくならない。山に行って鳴き声を聞くウグイスやホトトギスなどは、めったに姿をみることはなく、いまだに木々の間に見かける鳥がそれだと言い切る自信がない。まして、デジカメで小鳥の姿を撮影するなどは夢のような話だ。ブログに鳥の生態を撮影して、紹介されている方が複数いるが、読者になって毎日見るのを楽しみにしている。あのような写真を撮ることができることに尊敬の念を禁じ得ない。公園で聞く鳴き声は3種類ほどある。なかでも元気よく聞こえるのは、スズメたちだ。チッ、チチッと間隔狭く鳴いている。暖かくなると、卵を産むための営巣が始まるのだろうか。
子雀を拾ひぬくめて遣り場なし 岩城のり子
太宰治の『お伽草子』に「舌切り雀」というのがある。小金を持った主人公が、下女を妻にし、無為徒食の暮らしを送っている。屋敷の裏に竹藪があった。竹藪には無数のスズメが棲んでいて、朝から元気よく鳴き騒いでいた。ある日、主人公が脚をくじいて仰向けにあがいている子雀を見つけた。黙って拾い、部屋の炉ばたに置いて餌を与え、脚の癒えるのを待った。雀は脚が癒えても、部屋のなかで遊んで出ていこうとしない。主人公の与える餌をついばみ、あたりに糞をする始末だ。それを見つけた妻は、怒って追い回すが、主人公は懐紙で糞を片付け、スズメを安心させる。スズメはすっかり主人公に馴れてしまった。
ある日、スズメが人間の言葉で、若い女の声だが、主人公に話しかけた。無口の主人公に聞きたかったらしい。「あなたは何も言いやしないじゃないの。」「世の中の人は皆、嘘つきだから話すのがいやになったのさ。」「それは怠け者の言い逃れよ。」ずいぶん、世の中のことを分かったような子スズメと主人公の会話である。その会話を聞きつけたのが、下女あがりの妻である。自分をさておき、どこの女とうれしそうに話をしていたかたと詰め寄る。主人公は、しかたなくそばで遊んでいるスズメを指して、これと話をしていたと、白状する。それを信じたわけではないが、そんな話をできないようにしてやると、スズメを捕らえ舌を抜いてしまった。
驚いたスズメは大きく羽ばたくと、竹やぶのなかに消え去った。翌日から主人公の、スズメ探しが始まる。「シタキリ スズメ オヤドハ ドコダ」念仏のように繰り返し、繰り返し、毎日、毎日、探索を続ける。とうとう屋敷は雪の季節を迎えた。藁沓を履いて、主人公は雪の中でも探索を続けた。とうとう、雪の中に倒れ意識を失ってしまう。結末は、この小説を読んでもらうこととして、昔話の定番、慾深いお婆さんの死が待っている。