雪が消えた北側の庭にフキノトウが萌えた。さっそく摘んで、春の香りを食卓にのせる。妻は刻んで味噌と和える蕗みそが好物。熱いご飯にのせる蕗みそで、春の到来を実感する。枯れ草の山道、いつもの散歩道にはまだ出かけないが、この季節の初めて出会うのが、フキノトウの薄緑である。雪が深いほど、この薄緑に再会する喜びは大きい。ラインの北海道の友だちに、フキノトウの写真を撮って送った。どの返信にも、春を待ちこがれる思いが詰まっていた。ある一人は、フキノトウの出る場所だけ、早く雪が融けるように掘り返していると言ってきた。
ふるさとは深雪の底か蕗の薹 石塚 友二
工藤直子に「ふきのとう」と題する詩がある。
夜があけました
朝の光をあびて たけやぶのたけのはっぱが
「さむかったね うん、さむかったね」とささ
やいています
雪がまだ少しのこってあたりはしんとしています
「よいしょ よいしょ おもたいな」
たけやぶのそばのふきのとうです
雪のしたにすこしあたまをだして雪をどけようと
ふんばっています
「よいしょ よいしょ そとがみたいな」
ごめんね、と雪がいいました
「わたしもはやくとけて水になり とおくへいって
あそびたい」
とうえをみあげます
「でも竹やぶのかげになってひがあたあらない」
とざんねんそうです
詩はさらに続く。ゆきや竹やぶやはるかぜにおひさま、そしてふきのとうが会話をはずませなながら、春のすばらしさを謳歌する。この詩はすばらしい春の詩である。