梅雨明けから続く熱波。3泊4日の山旅は、晴天に恵まれて、願ってもないものとなった。燕山荘からみた燕岳。その美しい姿は山の女王と呼ばれるふさわしい。7月31日、朝6時に山形を発ち、安曇野の登山駐車には、午後1時に着いた。ここからジャンボタクシーで中房温泉に向かう。
(1)中房温泉
安曇野の市内から1時間ほどの山道を走る。急カーブあり、路上の上部に突き出す岩塊ありで、ほぼ対向車と交差することが難しい道が続く。タクシーの運転手さんは饒舌で、この道での運転の難しさを説き、中房温泉の評判をざっくばらんに話してくれる。この温泉のある山中から明礬が採れ、これ採取する事業と同時に、温泉宿を始めたらしい。明礬は、この地で生産される生糸の艶出しとして用い、国外に輸出されていた。
ここは燕岳の登山口になっているだけに、標高1500mの山地である。旅館風の山小屋というところか。旅館の右手には、湧出する温泉を利用した様々な施設がある。15mほどの温水プール、蒸し風呂、不老湯、露天風呂などなどひと巡りするだけでも時間がかかる。正面玄関には、日本の秘湯を守る会の看板が。一時、温泉好きからもて囃された秘湯である。岩手県に夏油温泉、山形県に姥湯なども秘湯として知られる。
登山家でジャーナリストでもあった松方三郎に「燕から槍」と題する一文がある。明治の第4代総理大臣の15男である。そのなかで、松方が初めて登った山が、中房温泉から燕岳を経て、槍ヶ岳であり、登山道の整備されてない山の熊笹を踏み分けて登る苦労を書いている。そもそも有明から中房温泉に至る谷筋の道が大問題であった。
「中房の谷は途方もなく遠く長いものだった。一つの山鼻を廻ると目の前に別の山の出っぱりが見える。それを廻ると次の奴がひかえている。新米だから、そのたびに期待を裏切られたように深刻なショックをうける。これでは神経だけで参ってしまう。いくら若くても、これでは人間の方が続かない。それに朝からそばの丼を鵜のみしているだけだから、腹の方はとうの昔にすっからかんなのである。こうして、もうひと山こえれば中房温泉だというところまできてとうとう仲間の何人かが坐ってしまって、だましてもすかしても動かなくなってしまったのである。」
松方の時代とは異なり、タクシーで1時間、我々一行を迎えてくれたのは中房温泉の人懐っこい一匹の愛犬である。カメラを向けると、嫌いらしくそっぽを向いてしまう。2時、チェックイン。着替えしてさっそく温泉に浸かる。明日からは、水も不自由な山小屋だ。ゆっくりと風呂を浴びて、ビールで乾杯。
(2)合戦小屋まで
夜、ゆっくりと寝て明ければ晴天。身支度もそこそこに、燕岳の頂上を目指して出発する。平日とは言え、登山道は多くの人が行きかっている。我々一行(男性4名、女性5名)の後ろに付いたのは、ハングルをあやつる韓国からの20名ほどのツアー客だ。日韓の関係が悪化するなか、「アンニョンハセヨ」と挨拶されると、少し複雑な気持ちになる。
登り始めてすぐにジグザグの急登になる。木の根、階段、石。歩きにくいことはなはだしい。一歩、一歩、岩崎元郎氏の教えのままに歩幅を小さくして登っていく。1時間と少しで第一ベンチ、その上に第二、第三、富士見ベンチと休憩できるベンチが設けられている。合戦尾根、合戦小屋という名前の由来が気になった。帰宅してネットで調べてみると、この山の周辺に山賊の頭領が住んでいた。近隣のを荒し、盗みをHタラくので、朝廷の命を受けた坂上田村麻呂が大合戦をしてこの頭領を成敗した、という伝説に基づいているということらしい。
どの山行にも、長い行程を歩くうちに顔見知りになるグループがいる。今回は昭和15年生まれの男性をリーダーとする4人の男性グループ。少し話を聞くうちに、この男性は13年前に、日本百名山を完登。この度は、もう一度登って見たかった日本アルプスの表銀座コースに来ているという。表銀座コースと云えば中房温泉から燕岳、大天井岳から東鎌尾根、槍ヶ岳へ向かう天空のコースだ。今回の山行には、大天井岳までのコースがその一部である。同世代ということもあって、歩いている間中、このグループが気になった。要所でこのグループが休んでいたり、写真を撮ったりしている。気心も知れて、写真を撮り合ったりする。
もう一つのグループが、3人の子どもを連れた若夫婦だ。上は小学4年の男の子と2年の女の子、4歳の女の子。ある時は寝た子をザックと一緒に抱えて登る父親、母は子どもたちに注意を与えながら登って行く。自分の若い時代には、こんなゆとりはなかったように思う。こんな小さなうちから山に親しめる子どもたちが幸せだと思った。
アクシデントがあって合戦小屋には予定より遅れて12時30分。ここで一切れの冷えたスイカが急登の疲れをいやしてくれる。この大きさで500円。いままで樹林帯を歩いてきたが、ここから視界が開ける。
(3)燕岳山頂
森林限界をこえると、露岩がみえる道になる。ここまで歩いて来て、足の疲労は思ったほどではない。昨年の槍ヶ岳の登頂を思い出す。頂上までの距離を示す看板が出始めた。槍では、表示が出てからの遠さが今も記憶に残っているが、今日は100mが通常の感覚で過ぎて行く。
年齢は残酷だ、年毎に、月ごとに容赦なく蓄積してきた体力を奪っていく。それに対抗する手段はたったひとつ、ペースダウンだ。一定の速度を要求される、何泊ものグループでの山旅はそろそろ限界に近づいているのかも知れない。烏賀陽さんの「ゆっくり山旅」が心に響く。残された年齢で楽しめる山旅。空の雲、眼前に迫る北アルプスの山々の山容、聞こえてくる鳥の声、その瞬間、瞬間が私には限りなく大切だ。一瞬を切りとるシャッターチャンス、誰にも邪魔されたくはない。
2時燕山荘に着く。チェックインを済ませ、山頂へ向かう。イルカ岩、メガネ岩など奇岩。斜面には、コマクサの大群落が今を盛りと咲いている。リーダーが語った。前回、この山に来たチームの一人が思わず、極楽浄土だと、言ったという。花崗岩の白い砂礫が、この山を神聖なものに見せている。その砂礫の斜面には、一面のコマクサ。
燕の上は言葉通り清浄そのものの世界だった。
白い花崗岩の間にはかわいらしい駒草が風にゆれていた。
松方三郎は、初めて見た燕岳の山頂をこんな風に表現している。この山の美しさは、ここへ登った人の心を等しくうつ。「持っているね。」この日、一日靄がかかったような空気で、霞んでいた景色が、この山頂へ来てすっきりと見せてくれことへの感想である。小屋に帰って、着替えをすると、待ちきれずに大ジョッキで乾杯。他の小屋のジョッキの2倍の量の入る大ジョッキ。「山には、温泉とビールしかないよ」途中、登ってきた人が、すれ違いざまに吐いた言葉だ。