お盆の入り。墓参り、この日地獄の釜の蓋が開くと言われる。正月の藪入りと盆の16日は、獄卒も休みをとるので、蓋が開いて、亡者は地獄を抜け出し、生きていたころの家に帰る。迎え火を焚き、盆提灯で先祖を迎えに行く風習は、つい最近まで行われていた。三日間、亡者となった祖先は、他の祖先や家のものと楽しい盆を過ごして、送り火ともに墓へ帰って行く。墓には、現世とあの世に通じる道があるのだろうか。地獄にいるものは期限までに戻らなければならない。もし期限を破ろうものなら、さらに厳しい責め苦が待っている。地獄とは日本人に恐れられた場所である。
立山の室堂付近にある地獄谷は、地獄の恐ろしさを見せる場所として強調されてきた。『今昔物語』には「日本国ノ人、罪ヲ造テ、多ク此ノ立山ノ地獄ニ堕ツ」と強調されている。立山には、この恐ろしい地獄があると同時に、上を仰げば頂上の雄山が見え、ここは日と月が会い合う聖地であり、阿弥陀如来の浄土である。地獄へ堕ちたものへの救済が、立山信仰の中心にある。なかでも、入山を許されない女人の救済ができる布橋灌頂も大きな特色である。
立山信仰の布教に尽力したのは麓の岩峅寺、芦峅寺の宗徒、御師たちである。その救済を「立山曼荼羅」という絵図にして解説し、この山のはかり知れない霊験を説いた。その際、山伏生活のなかで見つけた毒消しや薬を持参した。これが近年まで続いた富山の薬売りの始まりであった。