常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

朝焼け

2019年08月15日 | 日記

台風10号が四国に上陸しようとしている。大型の台風は、上陸する前から、大雨などの大きな影響を与え続けている。今朝、5時こちらでは朝焼けになった。7時には31℃という高温である。台風がもたらす、南からの熱い湿った風が吹き込んでいるためだ。早朝に、畑の作業を終える。

このお盆のあいだ、梅原猛『地獄の思想』を読んだ。昭和46年に書かれた本だが、知的刺激に満ちた本だ。地獄とは何か。梅原は言う。「地獄は、長い間お前が親しみ住んだ国ではないか。戦争中に青春を送ったお前は、近い未来に確実に存在するかのような死をみつめる人生を数年のあいだ送ったではないか。そして戦後、お前が死の不安から解放されたときにも、お前はお前の人生の虚妄さにおどろきあきれ、ほとんど生きる意志を失ってしまったではないか。」梅原は戦中から戦後、自分の生きた世界を地獄と見ている。

梅原は地獄の思想の系譜の第一にあげるのが釈迦だ。釈迦の思想は人間の相を熟視することから始まった。青年時代、人はどんなに若く元気でも、やがて老い、病み、そして死んでいく。人間は苦悩の存在だ。無明、欲望にくもらされた心が苦悩の原因である。知恵をみがき、行をつつしみ、心を静めることによって欲望をほろぼせ、そうすれば苦悩がなくなる。これが釈迦の教えである。この系譜には、中国の僧智顗がいる。続いて、『往生要集』を書いた源信、そして法然、親鸞へと続く。

梅原はこの地獄の思想の系譜に続けて、地獄の文学として、『源氏物語』、『平家物語』、世阿弥、近松門左衛門、宮沢賢治、太宰治の文学を、地獄の思想という視点から見つめている。源氏では、その心の中に、地獄を見、平家では社会そのもが地獄に堕ちていく見方は実に新鮮である。

コメント
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